第10話6
大佐は報告を遮ると、後ろのテントを親指で示した。作戦会議は後ろでやる、らしい。
「いえ、私は自分の任務を全うしただけのことです。全員、優秀に自分の命を生き延びてくれました」
中佐はうなずき、しかし律儀に返答をした。
「この大事に不在であったことは私としましても大変悔やまれます」
「いや、居なかったほうが良い。残ってたら死んでる」
行動部隊の規模が巨大になればなるほど、有能な兵でも身動きがとれなくなる。
「参ったね。残ってる兵ってのが少なすぎる」
「少佐も、大変なことでしたね」
あまりに淡々と言う。ランゼルはうっかり聞き逃しかけた。しかしすぐに眉をひそめる。
「すぐに戻る」
ふてくされたような口振りになり、大佐は乱暴に頭をかいた。
「近日中に戻られるそうですよ、中佐」
九条が追って説明するが、大佐は顔をしかめたままだ。
「大佐、申し訳有りません」
さすがに気づき、中佐が謝る。しかし片手をあげ、ランゼルは面倒そうに首を振った。相変わらず適当にひっかけた服が、風で大きくはためいて邪魔そうである。
「謝られると余計ムカツク。食うか?」
脈絡をすっ飛ばして、ランゼルはポケットからガムの包みを取り出した。中佐が辞退すると、今度は反対側のポケットからチョコレートの板のくるまった銀紙を取り出す。
「飴もあるが」
胸ポケットから小さな地図と飴を取り出し、大佐はぽい、と中佐に渡した。地図の裏に、今後の予定表の写しが手書きされている。
「九条副官もいるがアレは別働隊とする。ゆえにおまえに補佐の片棒をかついでもらう」
「悪事でもなさるおつもりですか」
赤いルージュが笑みを刻む。それでも、どこか気安さを欠いた笑みだった。
「あァ……一世一代の詐欺行為だな」
「それを何度なさいましたか」
さて、と首を傾げたが、大佐はどこか楽しそうに笑っている。
「勝負をしようか」
それに巻き込まれる人員は、これから何が起こるのか、固唾をのんで見守っている。
*
一つの天幕の下、数名が揃って密談をする。それがいつしか、現在ここにはいない存在の話となっていた。オールマイティとの異名を持つ、候補生佐倉一宇のことである。
「誰かと同じでは、存在する意味がない」
中佐はさほど大きくはない声で、しかしはっきりとそう言った。
「どうかな」
大佐はそれまで今回の作戦内容と、まつわる話について暇に任せて答えていた。現在前線基地がない以上は大佐も一時的に無所属であるが、個人的にも、軍としても、取り戻したいものがある。それについて黙っていることもできないし、中佐は本件にかかわらずに行動していたため、情報分けは必要である。
「同じとは言うが、一宇ほどモノができてるやつもそうはいないよ」
第一、まったく同じというのはありえないよなとごく小さく呟いてみる。中佐はきっちりと砂色の迷彩服を着こなし、感情のこもらない声で応じた。
「少なくとも、あれくらいの年齢だとそう思うでしょう。ましてや大佐、貴方は彼を、代替品として必要としている」
「俺はアレだからほしいんだが」
「しかし結局は、本職がいないための代行であって、本職がいれば不要になる。代わりでしかない。オールマイティという名の、携帯道具入れだ」
「ひどいことをおっしゃる」
肩をすくめ、大佐は地図を広げた。いつの間にか抜いたペンで、かつての前線基地を丸で囲み、よれながらも引いた直線で現在地とを結ぶ。
「さて、我々は基地を失ったわけだが、中佐が持ってかえったデータによると、約半数が砂漠に逃れているらしい。地下も地下通路もばっちり砂に埋もれているが、通路自体が塞がれているのは皆が逃げた後らしいんだな」
「おそらく、追跡を免れるためでしょう」
ミシェルが言い、中佐が頷くのを見て明らかにほっとする。ぴりぴりした空気の中、大佐はふうー、とやる気の見られない息を吐いた。あ、悪い、とどうでもよさそうに中佐に詫び、再びペンを取って線を引いた。
「今、佐倉が全権委任した九条は空軍にあたってる。空じゃなきゃ一気に攻めるのは難しいからな、でもそれは二、三機でいい。気を取られてくれれば構わない、本隊は夜陰にまぎれるか嵐に乗じて攻め入る」
「商隊に化けるのは無理ですかね」
「アサツキ、それ、疑ってくれっていってるようなもんだぞ」
軽く言い放ち、しかし大佐はペンの尻を口元にあてたまま動かない。
「……そうか、実際の商隊が通る日に突っ込むって手もあるな」
この際、商人側の被害は無視する。敵味方の区別無く商売に準じる連中だ、おそらく自衛手段も大きくとられているはずである。
「あー、めんどくせぇなあ」
額を押さえ、大佐は見もせずに点呼をとった。数を聞き、人員の配置を決定していく。
「うん、全員、そう簡単に死んでくれるなよ」
呟いた大佐の横、中佐がミシェルに彼の命令を全て書き取らせ、明文化して記憶を確かにする。最後に全員が時計を合わせ、一時的に解散した。
*
「親父ィ、あんた、コレ、持ってるんだろ」
電話越しに人差し指と親指で円をつくっても見えないと思う。憂乃は一商隊に化けた軍人たちを一瞥し、再び大佐の背を見やる。
「あぁ、そうそう。どうせ商売つぶされンだろ? あいつらきっと金なんか払わねえって。何? 襲われた? ほらなー、どうせ金持ってんだから軍人ぐらい気楽に雇えッて」
作戦に利用する相手に金銭授受を課して自分たちを雇わせるのはいったいどういう了見だろう。にやにやしている浮田=ランゼル大佐を、民間空輸団体の衣服に似せてつくったジャケットを羽織った九条が「ヘンタイ」と称した。彼に手元のペンを投げつけ、ランゼルは電話の向こうに短く頷く。
「分かった。今から行く。雇ってもらうのはただの民間人。元軍人で退役してる」
電話の向こうで、どうせお前も入ってるんだろう、とどこか投げやりな声が荒々しく怒鳴った。
「あったりまえだろ? 俺も今仕事がなくってねぇ」
『まったく! わしらの中立商売が台無しだ、このろくでなし!』
「ろくでなしは親譲りだよ」
返答に窮した男に向けて、ランゼルは嬉しげな表情で目を細める。
「まぁ、任せておけよ親父殿」
猫がネズミをいたぶるように、期待に満ちた笑みだった。
*
「よーしお前ら、いっくぞー」
ランゼルの号令を期に、元前線基地の軍人たちは商隊を組んで歩き始めた。昨日午後、少佐も合流し、命令系統の確認も済ませた。ひとまず隊を分けて、中佐や九条は別行動をとっている。
「あぁ、いいよなぁ」
駱駝に乗ってうっとりと呟く大佐の姿に、数日間みっちりと商隊の練習をさせられていた軍人たちが一様に顔をしかめる。彼ら徒歩集団は、これから浮田の商隊に合流し、数日だけの護衛として雇われる予定だった。
「俺が仕込んだんだから、こいつらいざとなったらいくらでも商売できるなあ」
「余計な知恵まで詰め込むから、衛生兵まで面白がって帳簿の付け方暗記してるじゃないですか」
ぼそりと呟き、佐倉少佐がため息をつく。
「まぁまぁ、かたいこと言いなサンなや」
大佐は砂色の布きれの隙間から顔を覗かせてにやついた。もしも護衛の任を疑われても、商売の基礎さえ知っておけばそれを利用できるかもしれない。ただの軍人では知りようもない物価状況や底値まで民間人(軍人)に吐いたランゼルに、たぶん浮田家は良い印象を持ってはいない。
「たどり着けますかね」
ファイルを繰りながら、佐倉は無意識に額に触れる。流れ落ちる汗は乾ききり、皮膚のあちこちが引きつっている。
「着くさ」
悲しいかな、飲食量を考えると、二日で本隊に合流できなければ軍人(現在一時無職)たちは暴徒と化す恐れがある。
「まぁ、着かなくたって、なんとかなるさあ」
軽い声が、白む空にふうわりとあがる。いつもの従軍と比べれば、徒歩の距離が長いだけである。軍人たちは無言で、砂の上の歩行につとめた。
*
砂が視界を遮るのが苛立たしい。憂乃はゴーグル越しの景色に、いくらかの弾をうちこんでやる。
「お前は、佐倉一宇か!?」
真っ向から撃ち合っていて、本人確認も何もない。知るかぁ! と声が返り、それはそうだな、と応じて気づく。
「まずった」
「ぎゃあ!」
殺さず『捕獲』する予定のレジスタンス構成員に弾がヒットしたらしい。数人がぎゃあぎゃあと砂上を転がる気配が続いた。麻酔のはずが実包を使っていて、憂乃は確認のためにライフルを降ろし、一瞬だけ隙をつくった。
「……違う!」
叫ぶことで身体を同時に動かせた。点検しかけた銃器がはねて暴発を起こす。咄嗟に腰の銃をつかみ、撃つが当てられた確証はない。
(誰だ?)
憂乃が使ったのは麻酔薬、周囲に味方の姿はない、すなわち、銃弾はおそらく、レジスタンス側の味方もしくは敵から放たれたものであると考えるのが正しい。砂の所為で、肉眼ではほとんど視野を得られない。ゴーグルの機能を切り替え、倍率を調整してかつ耳を澄ませる。防護用のカバーを片手で押さえ、耳に手を当ててみる。砂の音で、聞こえるはずもないというのに――
「そこか!」
だが、憂乃は目視した方向とは逆に向かって発砲した。跳ねたものは弾だけではない。
「っと、あぶねえなぁ」
ぱん、と灰色の上着をはたき、その男はマシンガンを小脇に抱えた。
「はいはい、もう撃ちません抵抗しません――なんてな!」
両手をあげたまま、にっと笑う。
「くそ……! 顔が見えないな!」
呟くが、男が蹴り上げた右足の先に、ピンの抜けた手榴弾があるのは、見えた。
「なっ!」
「自爆しないとでも思った?」
おめでたいねえ、と笑い、そして同時にマガジンを入れ替えて掃射する。手榴弾は偽物だと気づくより先に、憂乃もすでに銃を撃っている。迷いがないわけではない、しかし反応が遅れては命に関わる。
「まさか、ここで目的のものが出てくれるとはな」
ぼやいたのは、彼との間に大きな網が降ってきたからだ。うわなんだこれ、と騒ぐ声に内心合掌し、憂乃は明晰に同じ場所を三度撃つ。狙ったのは利き腕だ。
「バカじゃなきゃ、ここで捕まってくれるんだが」
「だっれがバカだこら!」
「ぎゃんぎゃんわめくな」
数十メートルはある網に捕まり、銃も撃てないで男がうめく。網のあちこちに小さめの爆竹がくくりつけられており、ヘタに撃つとどうなるかは自明である。
「命中ですね」
と、砂から顔を出して味方の軍人が頷いた。
「データ上、この付近で確認できる『神の左目』はここにしかいません」
「ではコレが……」
憂乃は眉をひそめたままで、かすかに喉を鳴らせる。相手の声は、ここしばらくですっかり慣れてしまった者の声だった。
「……一宇はあんな性格じゃなかったんだが」
「感染していれば『人が変わったような』態度を取ることもしばしばです」
「感染していれば連れて帰れないな、」
治療方法が確立されていない以上、あの病に冒された者は、殺すしかない。自分で自分の言葉に傷つき、そのことに驚いて、憂乃の表情が険しくなる。
「いっそここで片づけるか」
「それは困るわね」
不意に第三者の声が入る。風をきって飛来したものを避け、先程網を投げた軍人が舌打ちする。
「大尉!」
「くそっ!」
悠長に構えている場合ではなかった。ここは前線……それを忘れたくらいには、衝撃を受けているということだろうか。憂乃がひるがえした細い首に、かすかに赤い線が走る。
「大尉、」
「外した。大事ない」
「外したんだぁ女王陛下も粋なことするよなァ」
いつのまにか網をくぐり、男が右目を細めて立っていた。視線の先に、緋色のドレスがひるがえる。スリットの入ったシンプルな衣装、そこからすらりと伸びた優美な足が、無感動に肉塊を踏みつけている。
「そうね」
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