最終話11
生き物に似た闇がある。息づいた闇は呼吸音を発し、それぞれの勘をわずかに鈍らせる。
一際大きな暴発のあと、各々が舌打ちをこらえ、潜んだ闇から攻撃手の姿を探した。
黄色からオレンジへと色を変える炎が闇を照らし、辺りをいっそう深く沈める。
やがて辺りは静まりかえり、後には森と残骸、それに侵入者らがかすかに燻る音だけが残った。
「暗い」
真顔で呟き、一人の軍人が倒れた黒こげの何かに煙草をさした。
「さすがに火ィはつけん。熱いのはもう沢山だろうしな」
「そこ、多分ただの木」
冷たく言い放ち、もう一人が辺りを鋭く見回す。機敏な動きで燃え残る遺体の影に隠れ、彼女は構えた銃器が音を立てないよう息を潜めた。もとより小柄であるため潜みやすく、どろどろに汚れた今の状態では更に景色と同化し、意識しても殆どそれと分からない。
あと数百メートルで、昼間に前線基地所属第二十五部隊が通過した付近に到達する。砂漠に面した前線が後退するようにして、第七部隊もまた砂漠の王都跡地から離れていた。じりじりと下がるものの、その長期化しそうな戦いの割には、さほど頭数を減らさないで済んでいる――少なくとも、先程まではそうだった。
「ルノー。来るぞ」
「来てるの間違いだろう。お前は腕がいい割には勘が鋭くない、それだけは改善すべき部分だな」
「狙撃手に向かって無茶を言うな、こっちの勘が悪ければお前もただじゃすまないぞ」
「それもそうだ」
両手を挙げて、第七部隊大佐ルノー=モトベは「な?」と同意を求めるように小首を傾げて振り返った。
後方から忍び寄っていた住民らがむしろ背を揺らし、警戒して足を止める。
「別に、今は手ぶらなんだがな俺は。そうだろ?」
ついでのように着ているもののポケットをいちいちひっくり返し始めた男に、かき集めた銃器で応戦しようとした者たちが拍子抜けして手を下ろした。
「周りにはだーれも居ないんだなこれがまた、全員どこへ行ったんだろうな、ここら一帯の焦げたのは多分うちの連中だけじゃあないとは思うが」
派手にロケットランチャーなど使うからこうなるのだ――と、奪った武器を無計画に使用した無知を嘲(あざけ)って、彼は掲げた両手を振った。
「それでキミタチ、俺は敵かね味方かね? 誰であれ侵入者は排除する構えかね? それとも言葉が分からない? それともはなっから理解しない? 違うよな、もし最後の選択肢を選ぶなら俺にこんなに喋らせるべきじゃなかった」
墨に汚れた白布が、水浸しの地面に粘着質の音を立てて落ちる。その動きを目で追って、地上戦専用部隊の男は低くぼやいた。
「参ったな。俺ァ頭使う事ァは苦手なんだ。こんなに考えて罠張ったのは久々だぜ」
殆どの敵は無傷に近い形で倒れ伏している。その胸元には針で突いたような穴が開いていることを、彼は仕掛けから知っていた。
「大佐、殆ど台本通りでした」
ただ気楽に本を開いて閉じたような顔をして、死体と同化していた者が立ち上がって顔の泥を袖口でぬぐった。
手には防水加工の布でくるんだ電子機器が握られている。
「それはそうだろう、ルノー大佐に相応しいほど短いセリフだったからな」
吐き捨てた憂乃に振り返り、ルノーはさして否定せずにただ肩をすくめた。
「俺は武器を使うほうに賢いンだよ、ランゼルやセヴェックみたいにせこせこしちゃいねえんだ」
「それにしても大尉、よく黙っていられましたね」
「やかましい。私は元々そんなに饒舌じゃない。ランゼルじゃああるまいし」
双方から嫌悪の対象として名をあげられたランゼルはもしかしたら「とにかく突っ込んで行けば済むルノーは統括者としてはそれなりに楽そうだなァ」と頭の片隅で思っているのかもしれない。しかしそれを口にすることはなく、第七部隊専属の情報局局員はいつも通り表情の読めない顔でモバイルを開いた。汚れに強いようにコーティングしてはあるが、一夜のうちに炎天下の砂漠に放られたり深夜の泥に沈んだりと酷使され、さすがに不穏な音を立てている。
先程隠れた陰から出てきた『大尉』は、眉間どころか鼻の頭にしわをよせてうなり声をあげた。黙っていられたことを褒められたのがよほど心外な評価だったらしい、おかげでうっかりと不発だった罠を踏みつけた。
「おっと!」
ルノーがすぐさま足をあげ、髭が覆い始めた顎をおおざっぱにかいて明後日のほうを向く。
「まぁ仕方ねえわな」
ルノーに一息で担ぎ上げられ、憂乃はさらに憤りで顔を染めてルノーと局員の顔を睨んだ。
「まァ気にすんなや! 生きてるだけでありがてぇだろ」
ぽんぽんと子供にするように憂乃の背を軽く叩き、ルノーは彼女を担いだままで歩き出した。
足下には一時的な嵐で吹き消された火炎の残す灰と泥が死者を沈める。
今ここで地面に降ろされてもそれらに足を取られて速度が落ちることは目に見えている。こういうときは素直に、身長と体力があるルノー=モトベが羨ましい。情報局員もまた難儀しながら、泥から足を引き抜いていた。
「……ありがとう」
肩の上で、憂乃はうつむきがちに呟いた。
「あん? 気にすんなや、どうせお前にゃまだまだ働いて貰うからな」
無遠慮にルノーが踏みつけた泥には、うつぶせになった味方が身じろぎせずに沈んでいる。
憂乃は唇を噛んで、行方のしれぬ味方の軍人らが生き延びていることを祈った。
*
もうすぐ夜明けがやってくる。群青色の空には、既にビロウドのような漆黒の闇の気配は遠い。クリーム色の光が差し込む時間まで、あと幾分も無いだろう。
「うしゃああああああ!」
爆撃機が上空を通過し、森に逃げ込みかけていた武装者たちを一掃した。
空路を戻ってきた九条が、積み直したばかりの荷を豪快に消費していく。帰るつもりもないほどの乱用ぶりに、他機からも不安の声があがった。
「因果な商売だねまったく!」
血が騒ぐ、ざわざわと全身の血が指先に足に巡り集中していく。
佐倉らしき人物が輸送機を装った民間小型機を乗っ取ったとの情報が、すでに佐倉の地上での同行者からなされている。今頃彼もまた九条同様に、不謹慎なほど『わくわくしている』だろうことは容易に予想が付いた。
迷惑そうな味方の声に、九条はもどかしそうに小さく詫びる。
しかしこれは仕方ないのだ。戦闘機乗りの宿命のようなもので、彼らはなぜか夢中で機体を操ってしまう。あまり考えるということはしない、だから上からの指示がないと間違いなく弾薬を無駄にする。無論冷静さを失えばパイロットは使えない、だから引き際を見て「諦める」ことを叩き込んでおくようにする。また今度にも乗れるからと、自分自身の軽率さを戒めながらなだめて帰る。
ときに暴走する激情と呼べるもの、それは若さの故にだけではない――九条はちゃんと知っている。
本来は、万が一にも乗っ取りなどが発生しないために、一度空についた人員は使えなくなると軍自体から除名される。元の空には戻れない。
だから、病や視力、体力低下のために職を奪われたパイロットたちが、暴動に参加してまでも飛行機にあこがれる気持ちが分からないでもない。
それは恋に似た病、だから彼は佐倉を心配する。
もはや戦闘機乗りとしては扱われない現状で、おそらく佐倉は飢えている。上手くやるための冷静さを失えば、――戻っていっても「戦争」のときには補佐しかできないと分かっているから、戻るための意識を捨てて、戻ってこないかもしれなかった。
まったく因果な商売だ――命を捨ててまで賭けてもいい夢ではないというのに、その魂が死なないために、彼らは全身を犠牲にする。
「まァどうせ短い命だし」
どのみち神経と体を酷使する仕事だ、戦死しなくともパイロットとしても生命は短い。
「『生きたい』気持ちも、分かるけど」
それが飛行機乗りだから。
九条は再び、頼まれたとおりの空路を辿る。
一方の地上でも成果は確実にあがっていた。
研究所内に駆け込んだ一宇とランゼル、それに後続の数名が赤札の下がった扉を蹴破ること三度、拍子抜けするほどあっさりと目的のシステムらしきものに遭遇できた。顔色を明るくする一宇の後ろ頭を小突き、大佐は彼だけを中に残す。外を覗き、自分用に持っていたモバイル画面と対応させて研究所の図を頭に入れる。トラップを仕掛けては来し方と出入り口の距離、ここの位置を確認し、他の者は再び散り散りになった。
と、立てないほどの揺れが襲った。続いて来る足音。
舌打ちし、ランゼルは一宇に対し早くしろと急かす。
「分かってますよ!」
慣れてきたのか、一宇は振り返りもせず無心にデータを確認するだけだ。
「ここはA棟三階六号だそうです、俺の『目』だと奥の、地下一階第七タンク入口までしか行けません」
「偽造しろッ」
言うはやすし行なうはかたし、一宇は瞬間、渋面を作り、すぐにその表情を落とした。モバイルを畳み、立ち上がって更に部屋の奥へ進む。
薬品棚には茶や緑の瓶が並んでいる。陳列された劇物の名を数え上げるまでもなく、それらはすべて人体に害を与えると明白だった。
再び揺れる。
地上に殆ど出ていない建物だが、元はここも図の通り地上三階、防弾ガラスのはまった窓が奥の方に一枚あった。その向こうは赤茶色の土塊が埋めており外の景色は望むべくもない。
「ダメです、ここの回線だとやっぱり緩すぎる、重要なものは地下に隠してあるようです!」
埃を吸い込んでむせながら、一宇は白茶けた明かりの下を走って部屋を出る。
何十年も死んでいた割りには、それなりに整理されている印象を受けた。ここは戦争で失われた場所ではなく、手続きを踏んで閉鎖された研究所なのだと思い知らされた。
つまり、データなど残っていないのかも知れない。
無駄足の上に、マザーコンピュータMが過去の記録をまともに持って目覚めたならば、研究所データを人力で探すなど滑稽に過ぎる事ではないか。
今更ながら考えて、一宇はふと我に返る。
「今アルフォンス大佐は何をしてるんだろう」
先程から電波を通じてニュースを伝える放送が流れていたのだが、一宇はずっと研究所の支配権を与えるキーを探しておりそれを聞く余裕が全くなかった。
一瞬大佐が顔をしかめ、もし俺たちが帰ったら英雄視されるくらいにはアーリーが偉くなってるンだろうさと嘯(うそぶ)いた。
「しっかし何だァさっきから。どこぞのバカじゃああるまいしゲリラ戦かましてるンゃないだろうな、森(うえ)で」
「……大佐、行きますよ」
バカと言われたのが誰なのか大体予想が付いたので、一宇はなるべく話題を逸らした。
ランゼルは頷き、側にいた味方の人員に指示を出す。
「階下に行く階段とエレベーターは十七、うちのと前線基地の他の連中が押さえてる。二階まで降りるのは右へ曲がれ、地下への道は見つかってないらしいが一階の左右の端にシャッターがあって行けないらしいからそっちが有力だ、」
「それで俺たちはどっちへ行けば良いんですか」
一宇の言葉に、ランゼルが決して機嫌の良い意味でなく目を細めた。剣呑さに、問うた本人は息を飲む。
「ぐ、愚問でした……っ」
左に曲がった一宇に、後ろで、駆け寄ってきた者に略式の地図を示しどこに何があるのかを詳しく埋めていきながら大佐が笑った。
「分かってればいいんだよ、それで努力すればいうことはない」
*
「バカじゃねえか!?」
ルノー=モトベが言うのも無理はない。地上でのゲリラ戦に威力を発揮する第七部隊は先程既に解体したが、それでも生き延びた者たちは当初の予定通り第二十五部隊のバックアップに努めている。それらが一斉に悲鳴をあげた。森がなぎ倒される、黒煙があがる、森にあるであろう病原をものともしない無計画さで数機の戦闘機が墜落した。
「おいどうなってンだよこりゃあよ」
「私に訊くな」
浮田憂乃第七部隊大尉は構えたライフルに弾が入っていないことに舌打ちした。しかしそこで使えないからといって手持ちの武器を放り投げず、辺りの者からくすねられないかと銃器や弾の有無を目で確認する。
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