最終話10
4 バッドトリップ
「告解を」
彼女はその場に跪く。板床に落ちる、ステンドグラスを色とりどりに透かせた日差しが、徐々に濃い朱(あけ)に染まっていった。
「私は、悪い夢を見ていたのです」
さようなら。
誓われたことを叶えることができなくても、貴方はやれるだけのことはやった。
だから、決して嘆かなくて良い。
出会えたことを誇りに思い、時からこぼれおちた貴方に幸いがあるように祈り続ける。
……悲しくない、わけではないけれども。
「それで?」
壇上で、アルフォンス・ネオは微笑んだ。その金色の髪はゆるくうねり、ステンドグラス越しに最後の一光を浴びてまるで天使のように輝く。
彼がどれだけ手を汚しても、誰かがそれ以上の苦痛を失う。その為には許される、その為に神はあるのだから。
彼にとって。
「私はもう神父でも牧師でもないのだが」
「ファーザー、貴方の罪を神はお許しになるのか」
立ち上がった彼女の太腿が外気にさらされる。長いスカートに隠されていたそこに、鈍く光る黒の短銃があった。
「ファーザー、もう終わりにしましょう」
「分かっていないようだね」
笑んで、彼は両手を広げる。
「撃てるものなら撃てばいい。だが残念なことに、周囲の一千を越える軍勢がすぐさま君を殺すだろう」
「死などいかほどのものでしょう」
芝居がかった仕草で長い黒髪を顔から払いのけ、彼女は半ば陶然と言う。
「巡る生命は、いつか貴方を再び幸福へと再興する。私も同じ」
「……だと良いのだが。私はそれでも、今できることにしか興味がなくてね」
将来のために行動している割りに矛盾したことを言い、アルフォンスは引き金を引いた。
彼女が長々と喋っている間に、この教会への思い入れも喪失感もすべて覆された。目に見える位置に居た彼を聖職者扱いしても、アルフォンスは既に何年も前にその職務を放棄している。いまさら、ここを血に染めても、何の痛みも感じない。
「レジスタンス……か」
長い時間冷えた外気にさらそうとはせず銃を上着の内にあるホルスターに戻し、アルフォンスはため息をつく。
メフメトは三十四神の兄弟神をあがめ、それらは各々の部族と連結している。ローズは文字通り抵抗者(レジスタンス)が元になる、彼らは帝国と覇権を争った砂上の国のオアシスを再興させようとしていた。ティファレトは生命を重視する、世界を作る構成要素を知り、知恵でもって全を制す、もっとも論理が通じる相手だ――尤も、彼らの生命観以外の部分ではという注釈がつく。
「ケーレトの女神か、」
呟いて、アルフォンスは冷淡に吐き捨てた。
「……何故覇権争いを続けるのだろうな」
自身のことなど棚に上げた発言に、遺体を回収しに来た数名の軍人らがひっそりと片眉を下げた。
血糊を踏んで足音が立つ。
「片づけろ。――火を放て」
「よろしいのですか?」
誰かが肉厚の声で言う。
それに対しアルフォンスは眩暈を払うように頭を左右に軽く振った。
「感傷だ。無いほうが良い」
アルフォンス・ネオの育った教会はその日、盛大な炎を巻き上げて燃えさかった。
彼はひとときも同じ場所にとどまろうとはせず、次の目的地を南に定めた。
「商業都市とは手を組んでおく必要があるからね」
その目が、後方の炎の光をはらんで揺れる。一瞬泣いているのかと思ったが、軍人たちはそれを見間違いだと断定した。
*
「今日は皆やッけに威勢がいいよなぁああ」
九条は一旦弾薬などを補給しに後方へ戻り、とって返す途中で数度、前線基地の軍人たちが攻防戦を繰り広げているのを目撃した。
「空軍っつっても前線基地には飛行部隊しかないしな、本物の空軍だと今は海上戦に忙しいし――普段といい今回といいあんまり飛行機は使わないよな。でもやっぱこれは上から空爆した方が早いんじゃないか」
白兵戦でもあるまいに、弾薬の尽きた連中が手当たり次第刃物や農具を持って戦闘に参加している。一部では倉庫から食糧や女子供が攫われていく。暴動と変わらない情景に、よほど鬱憤が溜まっていたのだろうなと九条はやけに冷静に思った。
まぁ、人が死ぬのには変わりない。
「後ろからも素敵なお客様がご登場だし。あぁ面倒くさいねー自分で選んだ仕事だけどねぇ」
足下や尻から伝わる振動が背骨を伝い脳を揺らす。エンジンの調子は良好だ、ここで一戦交えても撃墜される恐れはない。
「でもなーこういうときは戦争だからな、俺の一存ではどうしようもないからな……てことでファイアス任せた」
『了解』
声の底をざらつかせて九条に答えが返される。常に開きっぱなしになっている回線は、時折攻撃を受けたものの悲鳴や笑い声まで届けてくれた。九条自身も独り言というより仲間に話しかけるようなセリフを吐くことが多い。自身が同じ言葉を聞いてもそれに答えないだろう小さな愚痴や歓声には勿論誰も返事を返さなかった。まぁここではそういうものなのである。
延々と続くような地平線をかすめ取る者々。それらを上空から眺め、九条は小さくため息をつく。
地上スレスレから現れた小さな一人乗りの戦闘機が、一気に速度をあげて九条らより先へ走った。すぐ後ろについて行く空軍や民間の輸送護衛機を、息が止まるような一瞬の停止を経て灰鷹のように上空からファイアスが狙う。囮になった者が左に旋回し追撃者の爆発によって発生した乱気流を免れた。
口笛を吹き、九条はやがて目を細める。
「日が沈むじゃないか……」
森や市街地に逃げ込まれた場合、たったこれだけの規模の飛行部隊では空爆よりも軍人がじかに武器を持って地上を移動するのに相応しい。ましてや日が暮れれば、これまで九条らが行なってきたような敵味方の判別など容易にはつかなくなる。
西日の深さに舌打ちし、九条は開かれた回線を聞く「誰か」に現状の確認を促した。
返った答えは一つきり。
無線放送を利用して、無謀な計画者が行動を開始したことを避難する言葉だけだった。
「遂におやりになられましたか……」
揶揄する声にも覇気がない。誰しもが予想はしていたが、あまり手放しに歓迎する気にはなれなかった。
あれで誰も後ろに付いていかなかったらとは考えないのだろうか。ランゼルだけではなくルノーらが一斉蜂起すれば起こりえなくもないのだ、あの男の存在の抹消などたやすい。追い落とすべき頭など、現時点ではたった一人なのだから。
それでもそれが叶わなかったのは、誰も行なわなかった所為なのか、それとも単にアルフォンス自身の運なのか。
“フェリス同盟については現状維持の方向で……”
ノイズ混じりの声の中に、総ての回帰する点が見える。
“旧帝国軍ではこの状況を否定的に見ており、今日にも前線基地を反乱軍と見なして総攻撃の構えを”
「おい、どういうことだよ」
舌打ちし、九条は再び、誰か、と声を荒げた。
「誰か答えろ! 死んでるわけじゃないんだから!」
“……し、アルフォンス・ネオ=フィーリングズ前線基地所属大佐を軍法会議第七百六十三号案の被告とし、全軍にこれの捕獲を命ずるものとする考えです”
『九条、冷静になれ』
上位回線を使うつもりだったのだろう、インカムを通じ、急にランゼルの声が機内に響いた。銃の反響音が、他の夾雑音など些末だと言わんばかりに大きく跳ねる。自身もまた戦闘中ではあるが、彼の声はどこまでも冷静だった。
いっそ、すべてを見てきたように。
『上から見える間だけでいい、まだ砂漠にルノーや他の奴らが出たままだ、未だ補給路もないし補給機も行けやしないからな、お前が行って一つ退路を確保してこい。どうせ暇だろ』
操縦桿を握っているだけなら暇だろうと言う大佐の素っ気なさに涙が出そうだ。その間にも、追尾システムのついた空軍の機体が銀色に光って煽ってくる。羨ましいことに機能も作りもこちらの数倍上だ。それを軽くかわし、できれば撃墜よりも乗っ取りがしたいなぁとのどかに考えつつ九条はいくらかの火薬を無駄遣いした。
「答えになってませんよ大佐」
落ちた新鋭機は燃え方もまた格別に良い。派手に黒煙を吹き上げる下方の影に肩をすくめ、九条は再びファイアスらに命じる。
「ちょっと急用ができたみたいだ。俺は先に行くけど、敵機に少佐が乗ってるかも知れないから中身の確認にだけは気をつけろよ」
九条が単独で移動しようとすることには文句は出なかったが、最後のセリフには疑問の声が飛ぶ。
彼は笑って、機体を風に任せて高度をあげた。
「アレだろ、空が好きなら分かるだろうが。俺たちは地面じゃ死ねないんだよ」
まったく、因果な商売だ。
*
迂闊だった。
森を抜けた位置には数百人単位の街がある。
「くそっ誰かこっちへ!」
二人並ぶのがやっとの道を抜けて、方々で略奪を尽くす者らに出くわした。
「少佐! 戻らねばッ」
分かっている、これでは大佐らとの距離をあけすぎている。
「後退を!」
佐倉は声をあげたが、身近な銃声に飲み込まれた。
私掠の限りを尽くす連中の粗暴さに、軍人らも顔をしかめる。しかしここで弾を浪費するわけにもいかない。一刻も早く大佐らの行動に支障を来たさぬよう配慮して敵陣を廃す必要があった。
「子供が! 私の子供がッ」
男女を問わず、老いも若きも似たような言葉を口走って誰彼ともなく寄り縋っていく。ある場所では数人がより固まって泣き叫んでいた。現在同行している者の中に医者はいないし居たとしても貸すだけの力も暇もない。いつ果てるとも知らない弾丸が宙を舞い人々の腹や背を抉った。
砲弾の破片で建物の壁が大きく欠けた。佐倉は粉っぽい空気にむせかえったが、すぐに唾を飲んで照準を頭上の狙撃手に向けた。
「少佐っ」
「黙れ気付かれる」
物陰に飛び込んで佐倉は首の折れた子供を抱えた女性と肩が触れてよろめいた。
荷車からばらばらと衣服や品物が転がり落ちたが、荷車の引き手はすでに文句も言えない状態になっていた。
荷台からしみだした血が音を立てて地面に流れる。子猫がミルクをなめ取るような軽さで、明らかに命の灯火が消えていった。
どうします、とずっと付いてきていた一人が目で聞く。佐倉は逡巡し、ふと高度を下げる小型航空機を見つけた。
「少佐!?」
駆けだした佐倉は角を曲がって一気に坂を下り始めた。
すれ違いざまに数名の頭や脇腹を銃でなぎ払って駆け、その先にある草を刈った広場に辿り着く。
「少佐ぁ!」
どこへ行くのかと問う声に答えるより、急(せ)いた気を鎮めることに気力を要した。既に無人となった機体に入り込もうとして味方に追いつかれ、肩を揺さぶられて不快げに眉をひそめる。
「少佐! 今ここで飛んでも使えませんよ!」
分かっていることと、本当に腹の底からそうだと思えることとが違うことを、人はどうして認められないのだろう。
ままならぬ手でさらに慣れない地上戦を生き延びるよりも、佐倉にはやりたいことが残されていた。
「どうせ死ぬなら死に場所は自分で決める、俺は出来れば空で死にたい」
振り切られ、青年は呆然と座り込む、しかしすぐさま我に返り、佐倉を一瞬強く睨んだ。
「別行動を、取られる、ということですね、」
違反者には重罰を。それが本来のあり方だ。しかしこの青年は未だ甘いところがある――異例がいつでも通じるとでも思っているのだろうか。
佐倉は笑って、それでもそれに感謝する。
おかげで望む形で戦えそうだ。
決められた形を守れなければ全体が滅ぶ、それでも、佐倉は、ここにきて自身の感情を優先させた。上空からの空爆のためだけではなく。ただ、思いあまったようにそれを選んだ。
乗っ取ったものは輸送機だと思っていた――が、後ろには大量の弾薬が積まれていた。
「ははっ、これだけあれば特攻も一回じゃあ済まないな、九条が喜ぶ」
無線は入らなかったので音楽をかけ、すぐに切った。夕日の向こうにおそらくは多くの民が死んでいる。
即座に追う身だとしても、必ず、空からの戦いで生き抜きたいと思った。
まるで大地を逃れるように。
*
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