第10話4
「家や町の連中が知ったら嫌うだろ、それだけだから気にするな」
森の侵食が始まってから、人は森林という群れを嫌う。一本や二本の木ならともかく、木でも群れると病気が発生しやすくなる。人と同じだ。
「でも、なんでまたこんなことを?」
森になると得体の知れないものが繁殖し、人は住みかを奪われる。それを知っていながら、老爺は木を植えようと言うのだ。佐倉が疑問を抱くのも当然であり、老爺もまたその問いを待ちかまえるような間があった。
「あぁ、……償いみたいなもんさ」
「償い?」
「そう」
ひとつ頷いて、ひとつスコップで土をかきだす。そこにできた穴に、手のひらからかろうじて顔を覗かせる木を植えてやる。
「わしらが、森をダメにしたからな、」
節くれ立った指を見ながら、佐倉は頭で歴史をひもとく。
「じいちゃんのせいじゃないよ」
遥か昔、人類は領土のために、利益のために、生活のために、森を焼き払い土を汚し大気をひどく腐らせた。汚染の中でも生き延びるものは居たが、それでも、ねじれてしまう変化は多い。あの森のように。
「森がダメになった、わしらの前の前の世代くらいで、やったことのツケが、お前らの次の次の世代まで苦しめることになる」
だから今更のように木を植える。
「でも、どうせ森になり始めたら村の人が焼き払うよ。それ以前に大きくはならない、水もないし土も悪い、根付きにくいよ。こんな土地じゃあ木なんて大きなもの植えたりしたら水がなくなるし――もし大きくなって緑のダムになれるとして、貯水能力だってどの程度ものか」
否定的な意見を聞いて、老爺は怒りもせずに頷いている。彼はそういうことを、知ってはいるのだ。しかし、彼は木を植える。
「もしかしたらきれいな森になるかもしれん」
「実験した旧帝国だって途中で放り出したじゃないか」
「汚染された森からの木を使ったからだ」
まだ、未知の病原がない旧来の木も散在している。東のほうでは怪しいが、そういう森はまだ西側では多く残っている。
「でも、じいちゃん」
まだ異論を唱えようという青年に、老爺は苦笑を深くした。
「明日世界が滅亡しても、わしは林檎の木を植える」
植樹したのは落葉樹だ。ドングリのなる樫や小楢、それにいくらかの低木を植えてある。
「林檎じゃないよ」
当たり前のことを言った佐倉に、
「昔の言葉だよ」
片目をつぶって、老爺は答える。
「わしにも若い頃があったのさ」
そういえば祖父は、祖母の残したいくつかの小説や詩集のたぐいを飽きもせずにきれいに棚に並べては引き出し、読みふけっていた時期があった。祖母が亡くなったのは一宇がまだ小さかった頃。祖母の若い頃の思い出と共に、祖父は過去をいとおしむように本の表紙を撫でていた。その指を思い出して、佐倉はふいに目を細めた。
「明日世界が滅亡しても?」
「そう」
頷いて、小さくなった背を向けると、老爺がスコップを脇に置く。
「無意味だとしても、わしは今、このときを生きるのさ」
植えた木はまだひょろひょろとして、風に頭を下げさせられている。それでも合間を縫って必死に、頭(こうべ)を高く保とうとしていた。
「……生態系にあった木を植えたほうがいいんじゃないか?」
ぼそりと呟いた佐倉だが、しゃがみこんでそっと木の根本に土をかぶせた。
「わしには世界のつくりなんぞはよくわからんからな、むかぁし生えてた木を探して実を選んで育てるぐらいしか思いつかないな、その、生態系とやらには悪いが」
「滅亡しても?」
「お前、いちいちしつこいぞ、女にもてやしないよ」
苦笑混じりに老爺がぼやく。
「お前に言うんじゃなかったよ」
もしも世界が、という問いは、いつもつきまとってきていた事実。祖父に謝りながら、佐倉は自分自身に問う。自分なら何をするだろう。佐倉は高い天を仰いだが、砂でけぶった空の色は、どこまでも薄く頼りない。
*
煙があがる小さな村にたどりつく。一足遅れた重鎮たちに付き従ってきた少年は、その右目を忌々しげに細めた。奇声を上げながら駆け回る男ども、泣き叫ぶ女子供、地面の匂いに血が混じって、もとは飲めそうだった濁った井戸水も今は血や脂肪を浮かべている。
「おい、やりすぎだろ」
イチウは呟いたが、誰も聞いてはいない。顔色一つ変えず、ジークが数を数えている。何の数か知らないが、データバンクのキーか、さもなくば武器の需要量を算出しているといったところだろう。彼は死傷者を数えるような感傷的な真似はしない。一瞥だけで、残った手駒を把握するのだ。ルーディを主に掲げているからといって彼が彼女をあがめているとは限らないな、とは周辺の者の弁である。
「やりすぎだろ、あれは」
「そうね」
呟いた少年の背後から現れたローズの女王は、乾いた土にヒールの踵をならしながら前に出た。走り逃げ来る幼子を捕まえ、髪を掴んで引き倒した。
「子供は集めて、使えなかったら火にでもくべなさい! 男は薬を使うわ、女は好きにしなさい」
「おい!」
イチウは女王の胸ぐらをつかみかけ、すぐに周囲の殺気によってその動きを止められる。色めき立った空気に向かい、女王はさっさと仕事をすませろとだけ言い放つ。ある程度の人員を追い払って、彼女は相変わらずの素っ気なさで少年に告げた。
「私たちがしているのは戦争よ」
「おい」
言うに事欠いて、戦争だとこの口は言う。
「そりゃあ俺らは戦争屋だ、何の因果かしらねえが銃撃戦が三度のメシより好きって連中も多いだろうよ、けどな、殺し尽くしたら殺す相手もいなくなんだよ」
「生きる気のないものを養っていけるほど暇じゃないのよ」
女王は淡々としている。
「子供は手がかかるし使えるようになるまで時間がかかるわ。もっとも、仕込めばかなり長い間使えるけど」
眼前で繰り広げられる略奪に、少年はもう表情を示すことをやめた。自分があの病に感染したのかしていないのか、もう分からない。殺したいのかそうでないのかは、頭ではわかることができない。我に返ればそうは思わなくても、いったん走り出せば、境界を踏み越えればそこはもう、走るのが楽しくてしかたがないのと同じように全力を注ぐのみである。彼に求められているのは、大量の殺戮行為。女王陛下の示す先に、人の群れがあればこそ、これは繰り返されていく。
(宗教か、恐怖政治かよ)
なぜか誰も逃れられない。
(怖いくせに、恩恵にはあずかろうとして)
身震いする。
(軍も民間も、犯罪者も難民も、同じだな)
すべてを情で覆そうとし、ゆえに数々の過ちをゆるす結果となる。作られた論理でさえもとより情のためには不便きわまりなくて。
(どこへ、いけばいい)
殺戮の腕を抱え、無力な体と魂を持って、これらローズの民は荒れくるう。
(どこへ向かえばいいのかをしらない)
もったいない、と思うくらい、エネルギーは食いつぶされる。破壊するということに。
(もう、壊すものなんかないのに)
自損行為だ。数が増えれば、平穏が続けば、そこから身食いが始まる。これだけ飢えてもなお身食いは収まらない。
「……何のための、戦争なんだよ」
戦争が、終わって、もし望み通り勝ったとして、それで、
「その、あとは?」
物を言えば唇が寒いばかりである。頭でっかちではいたくはない。しかし、ここまで争いの現在しかなければ、これはもう、ゲームの域を出ない……。
「アルフォンス大佐もうまく動けないわけだ」
呟いて、彼は切り株に腰を落とす。そのまま、どうでもよさそうに昼寝をはじめた。間近に首が飛んできたが、鼻は臭気に慣れたし見なければすむので放って置いた。恨みがましく睨みあげられても、死人に気をかけて自分を使いべらすことはないのだ。ここでは、生きているものがすべてだった。
*
もうずっと、同じことばかり考えている。
幾日かが過ぎて、佐倉は職のない世界に自分をもてあましていることを感じていた。もちろん近所の作業所に出入りして手伝いはしているが、どうしても、何かがかみ合わない。そんなもんさ。大佐の口調が思い出されて、不覚にも胸が痛んだ。今頃統計処理もできておらず、軍は砂漠の盗賊団じみた戒律で動いているのかもしれない。帰ったときの手間を思うと胃が縮む思いだ。帰ったとき?
「……ばかだな」
淡い笑みを浮かべ、自嘲する。
「戻る気か、何の役に立てるって言うんだ」
ただの事務官は足手まといになる。自力で身を守れなければ任務を預かったまま死にやすいしそのときに迷惑だ。いなくなる可能性の高い者に、仕事をさせるのは難しい。
「……豊治」
窓辺で佇む弟の背を見て、姉がぽつりと漏らすように言う。
「飛行機バカだってのに……乗れなくなったなんて、これからどうするんだい」
振り返ると、姉はまだ憔悴した顔をしている。しかし彼女は今ここにはいないもののことよりも、目の前にいて手を貸せるものの心配をするのだ。外から戻ってきた老爺が戸口に立ったままで二人をみやり、ごく小さなため息をついた。
「トヨ、お前は、何がやりたい」
この問題を、このままにはしてはおけない。でも。まだ早い、そう思う自分もいる。
「俺は」
口を半開きにして、閉じ、佐倉はそれから押し黙ってしまう。何をしたいのか。できるのなら、戦闘機乗りでいたかった。持てる技能はそれぐらいだし、現状を鑑みるにもはや軍人としては役には立てそうにない。では。ではどうすれば?
「お前、飛ぶのが好きだろう」
「……でも、もう空は俺を待ってはいないよ」
苦い痛みを伴う言葉に、佐倉の表情がゆがんだ。撤退の時も、佐倉は無我夢中で、使えない利き手も無理矢理使って戻ってきたらしい。記憶が定かではないが、混乱のなか、数名の部下を守って先に行かせ、自分も生き延びてきた。それは確からしい。あのとき、壊滅した基地を背景に、軍医は佐倉を看るや低い声でうなった。
――酷使し、この腕はそれに答えた、そのことだけでも褒めてやれ。
神経が切れており、リハビリも難しいという。だからそんな状態でそれだけのことをなした右手を褒めてやれと軍医は告げた。
褒める? あのとき、砂漠に座り込んで慟哭する周囲のなか、ひとりだけ時間が止められたようだった。褒めろ? もう飛べない人間に、今まで飛べたからいいじゃないかと、そういうのか。噛んだ奥歯がきしんだ。冗談じゃない。
「冗談じゃ、ない」
「冗談だと思うのか。なら、全部自分でやろうとせずに、補佐でもいいから履歴を生かせる道をあげてみな」
我に返る。眼前の老爺はもう長くないと言われて十余年である。まだかくしゃくとした物言いで、ときに頑固で融通が利かない。
「言ってみろ」
真っ直ぐに睨み据えてくる視線は、逃れることを許さない。佐倉は必死に考える。空はもう佐倉のことを待っていない。最初から、片思いだ。そんなことは分かっている。では、今できることは。今までのことも使って、今、できることは。
「豊治、飛行機が好きなら、一人乗りじゃなくたっていいんじゃ……」
そっと、うかがうように姉が問い、老爺が睨んで黙らせる。
――どうすればいいどうすればいいどうすればいいどうすればいい、
飛びたい、重力を越える一瞬、空へと駆け上る律動、願う、どこまでも駆けたいと、飛びたいと、何もかもじゃなくていい、自分で自分の面倒を見て飛びたい。整備する軍人の姿が思い浮かぶ。砂漠に向かう隊員を覚えている。そして大佐が。風に向かう姿がある。
「そうか」
佐倉はぼうぜんと呟いた。管制塔の役目なら、できる。空間把握能力は高いし、軍の資料も読み込んでいるのでどうにかなる。今までもそれと似たようなことをしてきたが、これからは自分が攻撃手になる線を外せばすむだけのことだ。出撃の補佐をすればいい。戦闘の圏内に入らなければいいだけのことだ。いわば、基地に残っておく隊員と同じである。
それは苦い判断でもあった。佐倉にとって、軍は空をとべる手段の一つに過ぎなかった。
――しかし、単にそれだけでもない。
「じっちゃん、俺、がんばってみるよ」
呟いた佐倉は姉に強い眼差しを向けた。
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