第10話3

 祈りというものは通じた試しがない。適当に組まれたバラックが崩される。叫声があがり、彼は顔を上げた。日陰にうずくまっていた間、側に置いてあった眼帯を手に取った。砂にうずもれていたそれを再びつけるのは抵抗があったが、今、連中の命令に背くことは命取りになる。ずいぶんと慣らされてきて、バランスをとるのもうまくなったが、まだときおり足下がふらついた。

「あぁ、くそっ」

 いまいましい。背後のテントに手を突っ込んで、ライフルをひっぱりだす。そのまま振り返りもせずに、背後の敵を数人撃ち殺した。

「なーんにんだー!」

 三十五、と簡潔な返答が返ってくる。近くにあった荷車に力任せに腕をかけて身体を引きずりあげ、彼は大きく頷いた。

「この装備じゃ無理だな」

「なにがよ」

 ひゅん、と鞭が鳴って彼の眼前の男を薙いだ。とんだ首に合掌し、彼は鞭の使い手に肩をすくめた。

「わりぃ、左は見えないんだよな、あんたらがこれをつけさせてるおかげで」

「減らず口も大概にしろよッ」

 味方ではなくせり上がってきた敵に言われ、彼は身体をひねって静かに笑った。

「それはそうだ」

 一回りは年が上の男を余裕の笑みで迎え、少年の域を出ない声で言う。

「戦争じゃあ、叫ぶか殴るかするもんだ」

 そうだろ? 驚愕に見開かれた男の顔に、少年の肘が叩き込まれる。一撃でしとめなかったことをののしられながら、彼は跳んで、男のあばらに着地した。

「が、ふはッ……!」

「おい」

 まだ息のある男の顎を、つま先であげ、少年は彼から奪った短銃を突きつける。ライフルはとうに弾が尽き、誰かの腹に銃身をめり込ませて時間を止めていた。

「俺が誰かわかるか」

「う、あ」

「あんたの動きが鈍ったのは、俺が」

 耳元で、聞き慣れた鞭の空音が響いた。無駄口を聞けなくさせられるのは、敵ばかりではない。肩をすくめ、少年は引き金を引く。

「悪いな」

 軍人の歪めた顔に、負けず劣らず、彼の表情もまたゆがんでいた。銃声を確かめて、女は鞭を再び敵にしならせる。

「分かってるじゃない。仕事ができなきゃ、死ぬしかないのよ。イチウ」

 静かな声が、銃声と叫声の隙間を過ぎて天に吸われる。

「わかってますよ、女王陛下」

 彼女から逃れるように彼は戦闘の最前線に足を向けた。笑い損ねた顔のまま、彼はバラックの合間を縫って走る。

 ――まだだ、まだ、

 焼けた砂が頬を叩く。息が出来ないほどの乾燥。灼熱の太陽が生命を枯らす。

 無意識に指が、首もとにむかう。首に付けられた金属製の首輪が邪魔だ。息がしづらいし気温の高低差で肌に痛みが生じる。はずせないのは、それが彼自身の意思に寄らない理由でつけられているから、そして、この首輪が文字通り彼をここにつなぎ止める。

「解除キーは、桁数三百、いちいちさん、に、ろく、エヌ……ッ!」

 と、眼前に影がおち、彼は驚くべき敏捷性で後ずさった。砂を蹴立てていったんとまり、ひらりと窪地に転がり込む。

「ちッ……来やがったよ」

 言う割りに、目が輝くのはなぜだろう。

「おい、何か武器かせ、今これっきゃ持ってねえから」

 彼が銃を軽く振ると、先にくぼみに伏せていた人員が、不審げな面もちで大型火器を手渡した。

「無駄遣いすんなよ、お前腕はいいのにいっつもはしゃぎまわって味方までぶっとばしやがるから」

「分かってる」

 受け取り、少年は軽く請け負った。

「アレは俺がしとめるさ」

   *

「全軍かけて、一気にしとめー開始!」

 投げやりにも聞こえる声。砂の中でなおそれは張りを失わない。

「うちの女王とは、大違いだな」

 呟いて、少年はその片目をすがめる。レジスタンスローズの女王、ルーディは、声は綺麗な方だが、たいていかすれている。それが天然なのか戦闘で叫ぶせいなのかは知らないが、別に声など、人殺しには関係がない。

「イチウ、来るぞ」

 窪地に伏せていた三人がすでに狙いを定めている。少年もまたスコープで確かめ、ややあって眼帯をすこしずらし肉眼で照準を合わせた。どうせ片目は閉じているが、眼帯があると違和感を拭えないのだ。

 

「第七部隊、つぶれたんじゃなかったのか!」

 誰かが叫ぶ。少年は構えたまま、少し肘をずらす。風がとまれば、この角度で充分だ。

「地上戦の第七部隊か」

 呟いて、そっと息をとめた。その唇がかすかに動くのを、他の誰も見てはいない。爆音と共にオレンジ色の炎があがる。砂をあおって風が逆巻く。大量の砂が空気を淀ませ、すぐに視界を塞がせる。隣でむせている百戦錬磨のレジスタンス要員が、慌てて口元に防毒マスクをあてているのが視界に入った。

「んなことしてても無駄だろうがよ」

 状況を引き起こした張本人は風上に逃れ、すでにライフルに新たな実弾を装填している。短銃よりはこちらのほうが扱いやすい。少年はとん、と軍靴の底を迷彩柄のボックスに打ち付け、銃口をくいとあげて砂埃の向こうにむける。

「なんだ、増えてんじゃねえかよ。ひぃふうみぃよー……」

 音を立てて砂が散る。着弾は敵陣の者か味方のものか。

「おおっとぉ!」

 すぐ目の前に踊り来た足を右手で受けて本体をひき左膝で落とす。その足で真後ろの軍人の頭を薙ぐと、仲間が非難を叫んで伏せる。

「うわはははは!」

 しかし彼は謝罪もせず、両脇に抱えた自動小銃ごとぐるぐると回転し始めた。敵も味方も作戦もない。頭を抱えて伏せたレジスタンスが何事か叫んだが、そのほとんどが銃声に消えた。

 

「カンフー映画ばりだな」

 遠方でスコープをひっさげた軍人が呟いたが、少年はそれに向かってさえ銃撃を加える。

「はえー、おっかねー」

 闇雲に踊り回っているようでいて、どこか的確な射撃力だ。軍人は首をすくめ、目の前の着弾のあとを一瞥した。

「大佐、」

 伏せた軍人が勢いよく手投げ弾のピンを歯で抜き、伏せてください、と遅れて叫んだ。

「うーわーおっかねー」

 再び言った第七部隊の大佐の頭上で、閃光弾の余波が舞う。

「やったか、」

「まだです」

 目をすがめて次の攻撃に備える部下を見やり、大佐は後方から前へと右腕を大きく振る。先程かっぱらってきた大型の戦車が煙を巻き上げ、砂に埋もれながら前進した。

「はーはーはー、これぇ爆破したら、ローズなくなる? なくなる? 余波すげえよなこれ。どう見ても」

「聞かんでくださいよ」

 ぼやいた青年が砂に潜った。と、大佐の動きがはやくなる。ぱし、と受け止めたのは誰かの膝で。

「よぉ坊主。なめた口きいてくれんじゃねえかよ」

 呟いて大佐は舌なめずりをする。眼前のレジスタンスが間髪おかずに彼を投げる。それを避けもせずに甘んじて受け、しかし一回転のついでにレジスタンスの若者は宙に投げられて組み伏せられた。鈍い音と共に大佐は死体の側を離れる。本来と逆の方向にねじれた首に一瞥もくれず、大佐ははるか遠くの少年を睨み付ける。

「何か言いましたか、彼」

 煙った足下からひょっこり顔を出し、対空砲の発射指示を出した青年が問いかける。

「口しか見えんがばーかと言いやがった」

「それは言い得て妙ですね」

 にゃにおう、と少し舌を噛んで言い返した大佐の隣、後方からの爆音と風が大地を大きく揺らがせて走る。そのまま伏せた大佐の隣で、青年は「あー、失敗した」とひやりとすることを言う。

「まだ来てませんよ上。折角の組み立て機械がぱぁじゃないですか、ぱぁ」

 ややあって、旧式のおんぼろ戦闘機が頭上を通り過ぎていく。機体のナンバーに覚えがない。

「ローズか」

 舌打ちした途端に銃撃を受ける。

「おい、さっきのガキだけど」

「はい」

 第七部隊、ここよりも激戦を繰り広げている前方で、オレンジ色の閃光があがる。とっさに耳を塞いだが、爆風に乗って得体の知れない文字の書かれたチラシ類が飛んできた。

「……ありゃあ、大佐に言うべきだよな」

「どの、ですか。ルノー大佐」

 猟でもするかのような網を広げ、あちこちに仕掛けをつけて青年が丸める。そして大きめの鞄に入れると、砂から這い出て少し下がった。それを見ながら、大佐はに、と笑ってみせる。

「分かってるくせにィ」

 次の瞬間、影が躍り出る。

「遅い!」

「どっちが!」

 がん、とぶつかり合う腕と腕。即座にとって返し、少年が大佐に肩を食い込ませる。逃げられないようにと大佐が首根っこを捕まえたがすぐに肘で返されて離される。もう一人の軍人は鞄を投げつけようとしたが、絡まる二つの影の為にやめた。ざっと音を立てて足をすり、少年は眼帯で隠されてはいないほうの目を細める。一撃目でライフルははじき飛ばされ、半ば砂に潜った青年にとられている。

「はん、ガキがうろちょろしてんじゃねえよ、はやくママのところに帰んな」

「大佐、」

 青年が注意を促した瞬間、少年が弾かれたようにきびすを返した。その指が忌々しげに首の飾りに触れている。

「追いますか、」

「無理言うな」

 前方から、乗っ取り返された戦車がゆっくりとやってくる。それを上空に現れた軍の戦闘機が有無を言わせずたたきつぶした。爆炎に巻き込まれて、少年の姿も見えなくなる。舌打ちして、

「砂漠は向かねえ。やっぱ熱帯だろ、熱帯」

 と、ルノー大佐は呟いた。それには返さず、

「このまま撤退してくれると助かるんですが」

 青年は砂の中に手を突っ込むと、ばさばさ、とペーパーファイルを引きずり出す。それを広げ、地図を確認してポケットから出したモバイルにコードを打ち込んだ。そこからこぼれる文字が少し。第二研究所。

「やっとここまで取り戻しましたね」

 言った顔は、しかし険しい。

   *

 朝起きて、ぬらして固く絞った布で顔を拭く。すぐに砂嵐で肌がざらついてしまうが、妙にすっきりする。佐倉は井戸から水をくみ上げ、桶に入れて蓋をかぶせた。そうしないとすぐに砂がたまってしまう。これを運んで今日使う分の水とする。井戸のすぐ側に立つ一本の木が、緑の葉を大きくならした。ざわざわ、気ばかり騒ぐのをあおるようになだめるように。目を閉じて、再び開ける。

「あれ?」

 井戸からそう離れていない家から、一人の老人が姿を現わす。それなりにぴんと張った背で、彼は大きなクワを手にする。

「じいちゃん……どこ行くんだろう」

 祖父は毎朝外に出かけていく。しかし佐倉は、彼の仕事を詳しくは知らない。ただ、いつも村はずれにあるどこかの土地を耕し、畑と称して野菜を作っているらしい。

「じっちゃん?」

 呼んでみても返事はなく、佐倉はいったん水を家内の瓶に放り込んで、それから老爺を小走りに追いかけていった。

 どこまでも、薄茶色の砂煙、土地、空気。家屋もまた土色をして、もう何年も風にさらされて削られている。佐倉は老爺から付かず離れず、できればそうと気づかれないように尾行を続けた。やがて彼らは目的地にたどりついた。見るからに肥料の薄そうな土の上に、小さな掘っ建て小屋が傾いて立ちすくみ、風に吹かれてうなっている。老爺はそこから小さな苗木のようなものを取り出し、スコップとともに畑に運んだ。なけなしの畑に、彼は彼の小さな苗木を植えている。家人には見つからないところに隠しておいた、こっそりと育てた木――それはおそらくはこの老人が種から自分で育ててきたもの。

「じぃちゃん」

 呼ぶと、スコップで大儀そうに地面を掘り返していた老爺が、驚きもせずに一拍をおいて振り返った。

「よぉ、トヨ」

 じぃはにっと笑った。

「見たな」

「見たよ」

 佐倉は近づき、使えるほうの手でクワを掴んだ。

「ここに道具、おいてたんだ、」

 枯れかけた他の苗木の間に、小さなスコップや水やりの道具が転がっている。

「おぅ、今日はやっぱりな、畑のほうにいくつもりなんでクワがいるんだ」

 老人が視線をあげた先には、弱々しいながらも根を張った野菜たちが防護シートにくるまっている。

「むこうとこっちは、道具を分けてンだ。森の異常化とすこしでも……気分だけでも切り離すためにな」

「あ、ごめん」

 土を掘り返していた佐倉はクワを持つ手を鈍らせた。しかし爺はまったく気にするそぶりもない。

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