第10話2

 アルフォンス・ネオが顔色一つ変えずに命令伝達を行なったとき、浮田=ランゼルはただ一言だけ問うた。それはお前の命令かと。

「君は時々、冷たい切り込みかたをするね」

 苦笑を返し、アルフォンスは時計を見ながら短く応じた。答えは否だ。

「私は近々、また中央に戻されるらしい。海軍連中は引き取りたがらないが、前線基地に置き続けるのも難しい。今日夜逃げ前に招集を食らったから、しばらくはここに居るが」

「そうか」

 会話の様子に、思わず大佐に続いてしまった一宇は同席していていいものかとびくついていたが、手招きされて我に返った。

「一宇、メモとれ」

「はいっ」

「そうじゃない」

 手帳を取り出した一宇を制し、浮田が冷やかに問いかける。

「お前、ばか?」

 何もそんないい方しなくても。思ったけれど誰もフォローしてはくれない。

「わかりました……」

 泣く泣く、暗記で勝負することにする。

 そんな一宇に目もくれず、浮田とアルフォンス、そして彼の連れていたガードが部屋の中で陣を作る。

「うまく行けば、戦争を終わらせられるかもしれないから」

 そう言ったアルフォンスは真剣な眼差しをしている。

「ただし王都に入らないとならない。燃料探知は表向きだ、本音としてはサンプルを取ってきてほしい」

「白紙地帯か、面倒だな」

 補給路がない、と頭をひねり、浮田は「本音」の内容をまだ問わない。先に全貌を決めていく。細かい最終目的はアルフォンスがすでに決めていると踏んだためだろう。途中、詳細な地図まで引き出されてきて、一宇はちょっとパニックになる。どのみち一宇は出撃しないのだろうが(こういうときは先鋭部隊で出撃する)だからこそ正確に伝達しないと他人の命に大きく関わる。そこへきて、

「一宇、お前もチームに入ってるから、見落とすなよ」

 と呼ばれたので、一宇はしばらく頭の中が真っ白になった。誰が。一宇が。どこに。砂漠。

「うぇっ」

 砂漠でごはんときたら、えたいのしれない灰色モモンガやピンクの髭根のあるサボテンにそっくりなものくらいしか食材が思いつかない。思わずイヤな顔をした一宇に、大佐は怖じ気づいたならいいと素っ気なく言い捨てる。そうじゃないですよ、と弁解したが、それでもしばらくは「行きたくないなら来るな」といびられた。

 さておき。

「やっだなー、いくらなんでも王都だなんて……感染源とか言われてるのに」

 一宇は武器調達を済ませ、最終人数などのチェックをする。名簿に載った人員名は、ほぼ全員、今のところ丈夫で感染のおそれなしという結果をたたき出した連中だ。もちろん一宇も含まれている。

「やられたなー……」

 一宇がいれば、補助に使える。だからなのか技術職三名にオマケのように繋がれた自分の名前が痛々しい。五名のチームのうち一名は攻撃に通じているのだが、他は調査員だったりする。俺に死ねというのか。楯になることを命じられた気分で、一宇はかなり辛い立場に立たされている。

「まぁいいけど」

「何がだよー」

 ひょいと現れた九条に、何でもないですよと気軽に返し、一宇はふう、とため息をつく。

「うっわ、やなため息。何、なんとかブルー?」

「なんとかって。何ですか」

 九条は口ごもり、天井を仰いだ。

「あー、え、ほら、ブリッジとか」

「――マリッジ」

 言いながら遠ざかる背に、追随してきたラファエルがぼそりと指摘する。

「橋かけてどうするんですか」

「あれラファエルさんも出るんですか」

 一宇は通り過ぎたラファエルを捕まえようとして踵を返す。武器の概算計上分を申請するのに丁度良い。歩きながらの作業で、空気がやたらと引き締まっていくのが分かる。こういうときほど、食を抜きかねない緊張感に負けてはならない。主張した腹の虫に言い訳した一宇に、ラファエルが胸ポケットから出したチョコレートを放った。外が糖質で固めてあるのでさほど熱に弱くない。素手で受け取り、ありがとうございますと言うや否や口に放り込んだ一宇を見て、倉庫内に入ってきた大佐が笑った。

 戦場で。

 後に、憂乃が聞いた話では、一宇ら五名は任務を成功させていたのだという。九条たちが戦っている間、静まりかえった砂の中の遺跡で、彼らは確かに、目的のものを見つけたのだと。通信記録ではそこまでしか分からない。ただ、慌てたようなせかす声と、銃声、それから何か――叩きつけるような音が、通信記録に残されている。無線より衛星回線を使った方がひろわれにくいため、彼ら別働隊は最新鋭の道具を抱えて砂漠の城に挑んだわけだが、結局、彼らは戻ることなく、殲滅作戦も撤退を余儀なくされて現在に至る。

「やりきれんな……」

 呟いた憂乃は、自らの腕をそっと胸元に引き寄せる。第七部隊が飢えと餓えに苦しんだ末、派遣された生き残りのサポートによって落ち延びた。ようよう帰還して知らされたのは、前線基地の壊滅と、前線の後退の可能性、戦いを終わらせようとした人たちの賭けの、明らかなる失敗だった。

「よー、ちょっと出てくるから」

 憂乃に気軽に声をかけて、第七部隊の責任者たるルノー=モトベが通り過ぎる。

「戦闘か」

 彼の右手に携えられた表を素早く見て取り、憂乃は腰を上げかける。それを片手で制し、ルノーは天幕を出てしまう。

「……なんなんだ」

 呟いたが、明らかに出撃命令を出されていない以上、もてあました時間は作業か休養にまわせということだろう。それでも、なんだか落ち着かなくて、憂乃はふてくされたように口の端を下げた。

   *

 るいの居た、かつての佐倉の故郷は、ここからずっと北西のほうにある。それでも空気はほとんど変わらない。乾いた風が肌をかさつかせ、目を細めてもすぐに砂が舞い込んでくる。慣れてはいるが、砂漠から離れていてもこの有様だ。佐倉は数少ない私服姿で荷物をまとめ、姉の住む町へやってきた。目的は、ある。

(その為に、大佐に許可を貰って出て来たのだから……)

 まぁどのみち、俺ももう軍には居られないけれども。ぶわりと噴出する、なにかの、色彩の渦のような記憶。思うと、息が詰まる。肺腑に針を詰め込まれたような気がする。それでいて、そのまま放っておけば素知らぬ顔をして生きていけると勘違いしてしまいそうな痛み。触れたくない。触れなければいいと思いはする、が、見送ってはならないことを知っている。

(そういえば最近も、何か、あった)

 似たような痛みに思い至り、佐倉は不意に自嘲の笑みをこぼした。荒れ果てた世界に、人の領土は少ない。「彼女」はそれを狭め、病によって世界を食い尽くそうとした。殺戮という病。正気とは何かという問いを人に投げかける病。

「るいは、何を覚えていたんだろうか」

 佐倉がたどりつく前、彼女は黒く焼けただれた大地につま先を降ろし、ステップを踏んで踊っていた。少なくとも、そう見えた。

「歌を、歌っていた」

 そういえば昔、クルミ割り人形や白鳥の湖を知っていて、その楽曲を口ずさんだり、好き勝手な振り付けをして遊んでいた。習ったこともないチャイコフスキーを本で読んだ。過去の遺物。

「……昔、よく、歌をつくっていたな」

 佐倉はひとさし指を歯にあて、目を細める。るいはそういう癖があった。それを真似て、どうなるということもない。ただ、起こらない奇跡に託して、願いを抱えて生きる。

   *

「やあねえ、どしたの、辛気くさい顔してえ」

 明るくて、はきはきとしていて、裕福ではないにしても生きてゆける、心根のいいひとたちだった。佐倉の家に限ったことではない。それでも、自分の家がそうだと、心がいっそう暖まるのはなぜだろう。

「あーうぅ」

「こーらっ千早、スプーンで遊ばないの」

 幼い子どもに注意して、姉はさくさく動いている。大丈夫だと思えてしまうのはなぜだろう。冷たく凍えていたものが溶けゆるみ出すのはなぜだろう。だから佐倉は、よりいっそう息が詰まる。

「トヨ、そいつに塩とってやんな。まだメシ食うなよ、準備だけだ」

 老爺が千早を見て、佐倉にもそう指示を飛ばす。良い意味で楽しく笑いあう人々は、どうしてこうも胸に迫るのだろう。肺腑の底から、きりきりとした冬の寒さのようないたみがはい上がってくる。全員が食卓について、佐倉はいそいそとしている姉をひきとめた。突発的な先制攻撃に似ていたが、本当は自分が耐えられなくなってタイミングさえ無視した発言になっただけだった。後にはひけない。佐倉は一瞬ですべてを終わらせるつもりで息を吸う。

「一宇は、もう、戻ってこない」

 そのまま、顔色が抜け落ちていくのを、ただ眺めていることしかできなかった。

「姉さん、本当は気付いてたんだろう? 俺がいきなり帰ってきたことにも、右手に怪我してることにも、触れなかった。本当は気づいていたからじゃあなかったのか?」

「なに、が?」

 眉をよせながら、姉は笑んだ。まだよくわかっていない幼い甥姪が、きょとんとしたままスプーンをくわえている。奥の席に着いた老爺は、黙ったまま彼女を見ていた。

「なにが?」

 彼女はもう一度声にした。

「ねえ豊治、あんたいったい、何をいっているの?」

「姉さん」

 半ばため息のように、佐倉は言う。声自体が毒の針をもつということを、目の当たりにする覚悟をした。

「姉さん。前線基地のほぼ三分の一はダメになったんだ。ほとんどの連中は死んでる。そうでなくとも、もう使い物にならない軍人ばっかりなんだよ……俺みたいに」

 腕が。痛んだ。

「そうだよ、俺はもう空を飛べないし、銃も撃てない。一宇はましてや、もう、どこへもいけないんだ、あいつは砂漠の」

「やめて!」

 佐倉の頬を張り、姉は叫ぶ。

「妙な冗談はやめてちょうだい! 姉さんをからかってるの? そうね? そうなんでしょう? もう、あんたはいつまで経っても」

「姉さん、ちゃんときいてくれ」

 腕をとって、逃げられないようにつかまえた。その左手の腕を、姉が逆に握りしめる。

「冗談はやめなさい、豊治」

 濡れた目が、彼女の思いをあらわしている。ただ認めたくないのだ、一宇が――自分の息子が、もう戻ってはこないという事実を。

「やめて、よお……」

 そのまま、床に座り込む。つかまれた左手が引きずられ、佐倉は椅子に座ったまま、身体を斜めに傾ける。すすり泣きから大声をあげたののしりにかわり、姉はただ、その名をよんだ。

「うあああぁああぁ……死んじゃうなんて、ばかばかばかばか……っ、親より先に死ぬ子がありますか、この、一宇、何とかいいなさいよ、いち、う……!」

「俺は、一宇をつれて帰ってやれなかった」

 つっておいた腕が痛む。ほとんど感覚もないくせに、痛みだけが長く続いた。

「一宇、もっとはやく、おまえを、つれもどせばよかったんだ」

 頬を伝った涙を、ぬぐうこともなく佐倉はつづける。

「俺が、もっと――」

「やめな、トヨ」

 食卓で一人無表情だった老爺が、言った。

「自己卑下したって詮無いことよ。メシがまずくなる」

 それで、いったんやんだ泣き声がいっそう深まった。

「……ごめん、爺ちゃん」

 夜はそれで、静かにふけていった。

   *

 今日もきれいな青空だ。貼り付けたような白い月が、場違いなほどメルヘンチックにこちらを見ている。基地を破壊された軍が、すぐさまとってかえしたのはさすがと言えよう。撤退のおかげでかなりの損失を免れたはずだ。それでも現在の軍は設備が整いきらず、以前より戦闘が楽になったと、他のレジスタンス要員は言う。新入りの彼には判断するすべもないが、さすがに女王の部下を名乗るあの影のような男の口から同じようなことを聞いたので間違いではないのだろう。

 こうして荷物の影で月を見ていると、昼間でも穏やかで、まるで戦争など忘れてしまいそうになる。静かな、午後。永遠にでも続きそうな静寂に、彼はうとうとと目を閉じる。このまま、眠ってしまえればいいのに。もちろん、目覚める前に自分が消えている可能性については遠慮したい。

「メシも食ったし、あと一時間くらいなら、寝させてくれるよなぁ」

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