第10話

十話

 月が浮かんでいる。ありふれた月だ。闇を食い破るただの月だ。砂漠のしん、とした夜の空気が、月をつめたく凍えさせる。彼女は猫のように悠然と目を細める。肩にかかった黒髪が、暖かな空気の残りを含んでいる。砂は音を立てない。音が立つのは、何者かが砂を阻むときだけだ。

「おい、呼んでるぜ」

 天幕をひき、一人の男がほの白い明かりの中に顔を覗かせる。左目は隠されて見えないが、彼のもう一方の目に剣呑な光がともった。

「――きいてんのかよ」

「聞いているわ」

 女は自嘲するように片頬を歪める。その目に映るこの世界は、うつくしくて、きれいで。ぞくぞくするほど、不快な色をしている。彼女は、仰いでいた空から引き戻されるのに、まるで未練の無いようなフリをした。あらゆるものを、嘲りたくてたまらない支配者の顔をしていた。

「お父様が呼んでいらっしゃるのね?」

「わかってんならとっとと行けよ」

 しばしにらみ合った両者だが、女は鼻で笑うと、絡まってくる砂をつま先で軽くあしらって天幕に戻った。すれ違いざまに、彼女の鞭の柄が男の顎をとらえる。

「――いい気になるんじゃないわよ、あんたは所詮、道具に過ぎない」

 さすがに男は黙ったが、しばらくして、フ、と口の端をあげる。

「冗談。あんたも道具なんだろ、女王様」

 激しい音を立てて天幕の一部がゆがんだ。座を組んでいたものの数人が何事かと駆けてきたが、彼らが目にしたのは柱にたたきつけられた男が起きあがろうとするのと、彼らの主が得物をしまうところだけだった。

「新入りの調教がうまくいってないようね、ジャック」

 彼女の傲然とした声に、一人の男が巨体を揺らした。右手のサックを左手で隠すようにして、彼はすまねえ、と口の中で言い訳した。

「そいつ、腕はまあまあなんだがよう、いかんせんミスが多くって」

「頭の回路がきれてるのかもね」

 そのまま、彼女は興味を失ったようにそこを去る。

「おい、お前助かったな」

 すわ敵襲来かと駆けつけた一人が、女に殴り倒された男を引き起こす。その手を邪険に払い、彼は血の混じったつばを吐き出した。

「冗談じゃねえ、よそ者使うてめえらが悪いんだろ、文句いうなら何で使う」

「まぁまぁ。俺らも人手がほしいのさ」

 なだめるように、熊のような男が笑って見せた。しかし、笑みはぎこちない。生気のない顔で他の者も頷きあった。

「そういうことだ、お前は命拾いする、俺たちは戦力を得る。万々歳だぜ」

「裏切りが怖いくせに」

 殴られた彼が左目を塞がれているのは、その目が視力を失っている所為ではない。

「裏切らないように、薬物だのウィルスだの使いやがって」

「当たり前だ」

 先程までまるで気配の無かった戸口に、膝裏まであろう長い黒髪をなびかせた男が立っていた。夜と同化したような影は、月明かりを背景にして闇を深める。

「貴様らがまるで昔の狂戦士のような状態でしか人格を保てぬように作られたのも、われわれローズの戦いのためだ。それ以外に使われては困る」

 笑っているのだろうか。彼のゆがんだ口元に、寒気が走ったのはおそらく一人ではない。

「分かったらさっさと行け」

 考えることを許さない声に、男たちはばたばたと逃げていく。

「ああ、お前は」

 殴られた頬をおさえている者を呼び止め、彼は笑んだ。今度こそ、笑みとしれる動作だった。「片づけていけ」

「……あいあいさー」

 

 天幕の入口の支えが、斜めになっている。

 どこまでも作り物めいた相手の完璧さに吐き気がしたが、右目に了解の力を込め、男は頷く。やがて一人になり、

「得体の知れないヤツらだな」

 ぼそりと呟くと、まだ少年の域を出ないあどけなさの残る顔から表情が落ちた。

「……これが、ローズかよ」

 左目を手で押さえ、彼は言う、

「――俺はまだ、死ぬわけにはいかないんだ」

 必ず、生きて、帰るのだ。

 隙間からのぞく天を睨み、彼は作業を開始した。天は何も告げない。

   *

「ほんきでやってしまおうとおもいました」

 全員が振り返った。振り返れなかった者もいたが、気合いは充分振り返っていた。

「一宇は本当にいないのか?」

 急にまともになった大佐に、佐倉代行の九条が応じる。

「えぇ。少佐が実家まで帰ってます。ウチもそれどころじゃあないんですがね」

 九条の頬についた斜めの疵は、すでにかわいてかさぶたを作っているが、それが余計に痛々しい。大佐は右手で自分の顎を押さえ、ため息をつく。ここ数日そっていない顎は、時間の経過を思い出させた。

「……本当に、ここまで一部隊が攻撃され続けるのはおかしいんだ」

「大佐はずいぶんと自信家ですね」

 隊員の一人がぼそりと呟く。九条は黙って一瞥し、佐倉に渡された資料をめくった。

「……うちの隊は現在までのところ、被災規模がぎりぎり『解体』規模にひっかかるぐらいです。ラファエルが今掛け合ってますが、おそらくはいったん第二十五部隊は解かれて再編成になりますよ。まぁ、……見ても分かりますけどね」

 生き残った隊員たちが、一様にうつむいた。正規の軍服を着ている者、普段なら寝間着にしているような服を着ている者。格好がバラバラなのは、戦闘時に着ていた服が使い物にならないからだ。大佐もまた、浅い色のズボンに軍靴という出で立ちだが、上はシャツ一枚だ。ちぐはぐな格好を誰も責められない。第一、基地内に戻れない。基地がないのだ。

「いままで動かない一基地がもってたこと自体が異様ですが」

 と、また誰かが呟く。

「でもよ、残ってた奴らまで全滅状態だろ」

「出てた俺たちだって……っ」

 思い出したのか、最後に言った者が嘔吐をこらえた。目の前で焼けこげる肉、砂が焼けるということを目の当たりにした事態。

「……おかしいんだ」

 大佐は歯がみする。

「情報が漏れているのでなければ、ここまで連続してやられはしない」

「ですが大佐、ラファエルも内田も、動機がないです。二十五部隊は感染もしていないし」

 九条が答え、めくり損ねたファイルからばらばらと写真が落ちた。アナログを残した戦争は、人間をまるで退化に追い込む。首のない死体、逆に首だけがきちんと砂の上に座っているもの。火炎の放射によって消し炭と化した丸太のようなもの。匂いがひどかった。思い出し、大佐は眉をひそめる。慣れてはいるが、被災規模が尋常ではなかった。戦争に尋常もなにもあったものではないのだが。

「九条、感染者は、ひと月一回の検査でも見つかってなかったな」

「はい、基地内でも出てません。出撃後は必ずチェックかけますし洗浄も行なっていますが、洗浄液にも潜伏してなかったそうです」

 大佐は腕を組み、ため息をついて足下に目を落とす。

「……なんだ? 何を見落とした?」

 誰も答えない。息を詰めると言うよりも、答えを探すのも疲れたというような沈黙だった。自分の腕がいやがおうにも目に入り、大佐はふと半眼になった。右腕のやけどを覆った包帯は、わずかな血のシミ以外に浸食のあとはない。過去なら落書きをしようとする者が居たのだが、心理状況が誰もそうさせなかった。いっそ自分でかいてみたい。苛つきを自覚し、大佐は再び九条に問うた。

「他に変わったことはあるか」

「中佐がもどってらっしゃるそうです」

 女中佐の顔を思い浮かべ、ランゼルは聞こえるか聞こえないかで呟いた。あいつ、生きてやがったのか。そこに含まれるのは嫌悪などではなく、それはただ、気の抜けたような物言いだった。

「うーっし、全員点呼ぉ」

「大佐、さっき数えましたけど」

 九条がなんの躊躇もなく告げ、ペーパーファイルをぶん、と投げ出す。

「あー、内田とかまだ帰って来ないのかよー」

 デスクワークが向かなさすぎる男、九条。佐倉はあれでもかなりの努力家なのだと、ランゼルは初めて気が付いた。

 

「……イヤな予感はあたるもんだな」

 前線基地において、数千名の行方が、ようとして知れない。行方不明者の中には、アルフォンス・ネオ、佐倉一宇、他ランゼルのよく知るものたちや部下が含まれている。第七部隊はどうやら帰還できず、情報が確かならそろそろ補給がきれてつぶれかけているはずである。他の部隊も、基地を出ていた連中は残ったよりはマシといった被害を抱えていた。第二十五部隊は基地を出て砂漠のまっただ中で戦い、なんらかのミスが重なって半数以上を犠牲にした。半数の半数は撤退時に置きざってきたのだが、もう生きてはいまい。昔の初戦を思い出し、大佐は額を押さえる。思い出したくもない記憶が扉を叩く。そのときと違うのは、まだ多少の人員は生き延びているという事実だった。

「少佐、かえってこないかな……」

 九条が茫洋と言い、床に視線を落とした。言ってもせんのないことだ、分かっている。それでも、もはや使えない男だとしても、居てほしいと、思った。部隊の隊員がこれほど欠けると、心がやけにうそさむかった。

   *

 どんな顔をして帰ればいいのだろう。半ば溶け崩れかけたような建物たちの前に立ち、彼は息を吸い、そして吐いた。決心が付かない。やはり来なければ良かった、と後悔したところで、基地に残っても辛いことは目に見えている。むしろ、整理する時間を与えられたことを、大佐に感謝しなければならない。

「あらっ……いち、う?」

 その名に、胸が痛んだ。突き刺さった言葉に、こぼれた笑みが奇妙にゆがんだ。

「ただいま、姉さん」

 身内でも見間違えるほど、この叔父と甥はよく似ている。家の前に立っていた男が自分の弟だと分かると、女は持っていた買い物袋を乱暴に押しつけた。

「やぁねえっ、間違えちゃったじゃない、はずかしい、もー先に言ってよね、ほら持って」

「もう入口なのに」

 苦笑した佐倉(さくら)豊治(とよじ)は、見上げてくる視線を、ひどく後ろめたい気持ちでうけとめていた。いっそ膝をつきたいくらいの心境で、かろうじて笑みと分かる表情を浮かべ続けていた。

「姉さん、話が」

 すると姉は真剣な顔で、右手を使って佐倉の口を塞いだ。

「ちょっと待って。あんたが帰るンなら晩ご飯はやっぱり魚にすべきだったわねーちょっとーユノー! おじちゃんかえってきたよ」

「ねえさん」

 ふがふがとくぐもった声で抗議したが、後ろからわらわらと何かに縋られて前のめりになる。そのすきに、姉は奥へ入ってしまった。うやむやにされた。タイミングを逸し、佐倉は大きなため息をつく。足にまとわりついたのは、大きな犬が三頭だった。もともと食用だったのだが、一宇が一頭をものすごい可愛がりようで構っていたためにいつのまにか番犬に変わっている。

 すまない、一宇。佐倉は、ほとんど動かない右手を、そっと左手でおさえた。

   *

 砂漠の女王作戦。安直なネーミングに誰もが失笑した。そしてそれが、その言葉の軽さにもかかわらず、すべてを変えた。

 ときは少しさかのぼる。

 砂漠のただなか、女王が治めていた王国の跡地、それが今回の第二十五部隊の戦場だった。そこにある燃料源の探知ならびにレジスタンスの殲滅が任務となる。

「女王かー、どんなのかなぁ」

 必要武器の換算をしながら一宇は戦闘機に語りかけた。正しくは機内の叔父に、だが、叔父は整備のためなのか入ったきり出てこない。つまらなくて、もう行きますねー、と言い置いて一宇は次の調査に向かった。

「次はシェノンさんで、その次は大佐で、……なんでみんなこんなに無茶な申請してくるんだろう」

 数を数えつつ、頭の中でもう一度、ローズの特徴を復唱する。作戦の名は、相手の風聞によってつけられた。レジスタンス、名をローズ。首領たる大師カーツェーツァイが左目を損傷したのち寝込み、現在、事実上彼の娘のルーディが指揮を執っているという。女王とも呼ばれる彼女は、腕も良く、地方にも名が届く。なによりその名を知らしめるのは、彼女について離れない烙印だ。王国の女王が誰とも婚姻を結ばなかったことは史実に残っているが、あちこちに子孫の存在が噂されている。そのうちの一人として、彼女の名前も挙がっている。真偽のほどは定かではないが、邪魔なことは確かだった。

「つぶせ」

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