最終話7
「おいお前ら、口じゃなく手ェ動かせと言いたいのは山々だがな、どうももう一つ向こうッ側の森らしいんだな、ウチの優秀な局員どもが死力を集めて解析したところによると今度はわりと正確らしい」
どこからともなく飄々とした声が聞こえ、こわばった連中がそそくさと移動し始めた。一宇は腰をあげかけて、真後ろの木の陰から大佐がひょいと出てくるのにひょえと声をあげた。
「っかー、お前バカ? 間抜け? もしかして女と寝るときもそんな?」
「バカとか失礼なこと言わないでくださいよー! それにセクハラじゃないですかそれー!!」
「冗談だよ」
「すぐ真顔に戻らないでくださいよっ」
真顔のまま、大佐の視線が中空を向く。
「大佐?」
彼の指先が黙ったままの唇の上に一瞬だけ乗った。――黙れ、ということは、すなわち。
銃声。
「来いッ! マーラとサガノは後方の人間数えろ!」
唐突に駆けだしたランゼルを追って、一宇は足が砕けそうに痛むのも構わず走り出す。
すぐさま合流した佐倉少佐が、走りながら恬淡と攻撃方向を報告した。
「おそらく森に拠点を持つ者であって、我々を追ってここまで来た者ではないかと」
「そうか」
ばらばらと、どこからともなく現れた部隊の隊員たちが集まってくる。一宇は、走りながらそれらに当てずに刺繍の多い民族衣装をまとった連中にだけ弾を当てる技術に恐れ入った。軍人たちは異様に目がいい、それは初めに前線基地に配属されたときに気が付いていた。夜間でも、星明かり一つで何時間も方向を間違わずに行軍することもあるのだ。その勘とセンスには恐るべきものがあった。
「面倒くさい……」
ポケットをまさぐった大佐が、マジックペンで黒々と「俺の」と書いた煙草の紙ケースを掴みだした。
この非常時に何をしているのかと呆れるのと同時に、「俺の」の俺が誰なのかを書いておくべきではないのかと一宇は疑問視する。
「大佐、息が切れますよ」
佐倉が下に張った枝を蹴り上げて後方に仕掛けられた爆弾を爆発させた。
「わーってる」
前によろめきながら駆け続ける一群を肩越しに振り返り、浮田=ランゼル大佐はぶん、と気軽に振りかぶった。
「おー、飛んだー」
「あッあれは!!」「大佐のバカー!!」
隊の後ろに何とか合流してきたマーラ及びサガノは、叫びながらそれを避けた。悲鳴をあげそうな歯を食いしばり、一刻も早くそこから遠ざかろうとスピードを上げる。
「水に濡れるとどかんと一発」
両耳を塞いだ大佐が上体をかがめながら枝葉を避けた。後ろに気を取られた一宇は上からしだれていた枝に顔面をぶつけ、しかし後ろから来ていた誰かに脇腹からすくい上げられて抱え込まれたままその場を遠ざかった。
「は、何ですか今の」
「液体火薬の一番イヤで面倒なヤツ」
一宇を抱えた男の肩に、もう一人誰かが目を回している。小柄で服に着られているといった印象が強い。その服が血だらけで、怪我をしているのかとぎょっとしたが、
「お腹減ったー誰か食べたいー」
と、異様に不穏なことを口走ったのでさすがに一宇もそれがすべて返り血だと気付いた。左腕に巻かれた緑の布は、後方支援組のものだ。
見上げれば、自分を抱えている男は二メートルを優に超える身長と岩盤でできているような厚い胸板の男だった。しかしハードル走でもやっているかのようにするすると森の中を進んでいく。その速さに一宇は感嘆した。
「すーげージェットコースターみてー」
ジェットコースター自体には乗ったことはないのだが、郊外には遊園地がありそこに存在しているらしい。ジェットコースターと殆ど同じような体験が出来る九条の機体に乗ったばかりの一宇は、あんなものは二度と体験したくないと実感していたが、場合によってはちょっと面白いかもしれないなと思った。
「あひゃひゃひゃひゃ腹減りすぎて頭イテーむかつくー!」
肩の上の人物がそう言って、腰にさげていたケースからネジのようなものを取り出した。
「たーいさー百五十メートルずれましたオッケー!?」
「よく分からんがオッケー」
遠くから大佐らしき気楽な声が返ってくる。この緊張感の無さは何だと一宇は思ったが、既に自力で走らず変なことを考えている自分自身が一番緊張感がないのかもしれない。
「ひょーれ」
そーれ、とかけ声をかけたかったのだろうが、鶏ガラのような腕をあげて少年がネジを巻いた。
「え? 鳥?」
それは、バードコールとも呼ばれる、鳥の鳴き声を模したものだ。
「え、これえ? そうだよー」
少年が笑って、ゴーグル越しにその目を細めた。
「超音波による起爆装置」
「へ?」
「頭を下げて!」
大男が叫び、少年が一拍遅れて後頭部を強打した。ゴーグルが外せず涙をぬぐうことも出来ない。
「ちくしょう、餓鬼に構い過ぎたぜ」
「三十過ぎた男がちんたらしてんじゃねえぞお前らー」
ぼそりと言った少年に向けてか、砂上を綺麗に体をひねって転がった大佐が声を張り上げた。
「おかげで俺様が一番最初に森を抜けてしまったじゃないかこの腰抜け! 腑抜け!!」
「だって大佐まだ四捨五入しなきゃ三十じゃないし」
「俺たちそんなに体力ないし」
後に続く軍人たちが、それぞれに文句を言いながら探知機と銃器を砂に向けた。
先遣隊の意味もない大佐の行動に、やや遅れて到着した佐倉少佐が苦言を呈す。
「くだらないことで喧嘩してるし。そこらへん一帯が地雷原だって、何で最初に気付かないんですか」
「くだらないってなんだコラ」
「当たらなかったから良いようなものの……よくそんなにはじけて転がっていけますね大佐」
「あってめえ今マジで鼻で笑ったな!? 笑ったろう!?」
佐倉は一瞬表情を落とし、ふっと笑んだ。
「回収しろ」
無言で、本来先遣隊であったはずのメンバーが砂漠に駆ける。すっかり夜の明けた空に、うすく月のような雲がかかっていた。
ぶつぶつ言っていたランゼルだが、さすがに隣を走っていた者に負けまいと頑張りすぎて勢いを止め損ねたとは口に出来ない。そのままあぐらをかいて、周囲の砂を睨み付けた。
「おそらく、研究所に向かう途中の者を引っかけるために新しく埋められたんでしょうね。やり口が浅すぎる」
難なく大佐のところまでの道筋を読んだ男が、手招きして全員を渡らせる。
大佐を回収して(もっとも佐倉の「回収」は地雷撤去の意味があったが)生き残っている人員だけで砂を渡り、斜め左前方にある黒々とした森に駆け込んだ。
「あぁ……月が出ている」
誰がいうともなしに呟き、信仰を持つ者のいずれかが小さく小さく祈りの言葉を口ずさんだ。
それが弾丸だと、初めは気が付かなかった。
一宇はばらばらとはじける音が雨音だと信じて疑わず、だから彼を降ろしてくれた男に礼を告げた途端周囲が血の海に染まってもしばらく呆然と立ちすくんでいた。
「バッカ! 走れッ」
殴りつけるような声で我に返り走り出す。第一撃目は壁となる者がいて被弾を免れたが、次はそうはいかない。向こうが替えのマガジンにかえるまでの、どうしても欠かせないわずかな時間。それを使ってくもの子を散らすように軍人たちが森に消える。
まるで統率のない群れだが、先程のようにいつの間にか集まるから不思議なことだ。
ただ、さっきまでとは違って、もう一宇が転んでも抱えて走ってくれそうな者は居ない。
「くっそ……待ち伏せかよッ」
触れたら折れそうな枯れ枝の腕を振って、少年が茂みを駆け抜けた。それに続いた一宇は、彼を容易に追い越してしまう。
「あー、良いいい、俺のことは気にするな、先に行け」
気にして振り返る一宇に、彼は軽く手を振った。
「邪魔だし。万が一俺が被弾したらお前もタダじゃ済まないしな。生きて掴まる気もねェしそれぐらいなら全弾使ってやつらにゃ一発たりとも渡しゃしねえさ、気にすんな」
「は!? えッどういうことですか」
「あァ俺? 人間弾薬庫。知らねえ?」
がん、と斜め上の枝が落ちた。折れた先が黒焦げて腐ったような音を立てる。
まだ確実に、後方から追いかけられているらしい。一宇は逃げ切れるかと一抹の不安を抱き、すぐにそれをうち消した。一宇から一メートルほどの距離をおいて少年がバラバラと黒い粉をばらまき始めた。まきながら走っているのでどうしても不注意になりやすいが、それを持ち前のだろう、子犬のようにせわしなく跳ねて蔓や滑りやすい下草を避けていく。
「お前知らねえのか、だったら物騒だな。あ、お前、あの男が死んでショックか? だろうなァバカ面してんだもんな、でも今足砕けさせてどうすんだ?」
斜め後ろ、きょとんとしたようにも見える目が、ゴーグルの奥で不敵に笑う。闇色の防弾グラスに遮られて本来の色彩は分からなかったが、一宇はそれでも怖いと思った。自分の胸元までもない少年、憂乃と殆ど変わらない身長の彼は、ひどく老成した様子で吐き捨てるように笑った。
「甘ったれてンじゃねェよ。世の中にゃあゲームで人殺しできると思ってるヤツも居るんだ、だったら不公平だろうが、こっちばっかり痛がってるンじゃねェよ」
舌を噛まないように食いしばりながら駆けている一宇に前を向くように告げ、彼はさらに速度を上げた。
「でも……ッ俺はあの人に助けられたのに何も思わないだなんて出来な……っ」
「バカだねお前。だから帰ってから悼むんじゃないか。今悲しんだところで数秒後にあの世で会うかもしれねえんだぜ? 行ってからざけんなバカとか言われてみろ、屈辱だぞ」
ところで――ライターは? と聞かれ、一宇は慌てるあまり、液体火薬の入った小瓶を胸ポケットから転がり落とした。
「……今のさァ……もしかしなくてもアレだよな、保管が面倒すぎてあんま役に立たないってンで有名な、水で発火するヤツ」
無言で頷いたが通じたかどうかよく分からない。一宇は手足がちぎれそうになっても景色が一向に後ろへ遠ざからないことに苛立った。
「こンの……大ボケがあああああああぁ!!」
少年が叫んで茂みにダイブするのと爆風に背を押されるのとどちらが先か。
背が焼けるように痛んだが手で触れた部分には損傷はない。単に打ち付けた所為であるらしく、一宇はホッと息をついた。しかしすぐに立ち上がる。炎はほんの数メートル先にまで迫っていた。
「ちょっと……ッ、さっきの、バードコールの人!! 居ますか!?」
名前を知らないので適当に呼ぶと返答がある。随分先の方を殆ど四つ足の体勢で走っている影を見つけて、一宇は慌てて駆けだした。
こんなことでいいのだろうかと思い、スラップスティックコメディのように幕が下りればすべてが元通りになっていればいいのにと連想して胸の中心が締め付けるように痛んだ。まるでキリを差し込まれたように。
何の嗅覚がついているのだろうかと不審なほど、「バードコールの人」は迷わずに道無き道を辿った。
「おう餓鬼、こっちだぞ、ちなみに俺様のことはバードもしくはバーディと呼べ、様はオプションで付けることを許す」
先程の大佐のような威張りように苦笑して、一宇は茂みから這いだした。ジャケットどころかむき出しになっていた顔や手にも枝などによってかき傷が出来ている。他の外傷と言えばヒルによるものくらいだ。親指ほどの太さの、粘液を出して皮膚を溶かし張り付いてくる異物。ヒルにつかれたときは、バードが帽子の中から出したライターの火によってあぶられるまでは頭の中だけで静かにパニックを起こしていた。乾いた風ばかりの地帯に住んでいたから、前線基地に配置されるまでは砂の中にある湿地という異様な場所には来たことがなかった。勿論士官学校の演習で森に入ったことはあったが、そこで見かけるヒルは水の多いところに多く、真上からぼたりと落ちてくるようなものではなかった。そういえばライターを自分で持っているのではないかとバードに言うと、彼はいたずら者のように笑って、走りながら帽子の下に手を突っ込んでたらバランスが崩れると言い放った。
ただ、生き延びてここに在る。息を整えて、少しでも体の求める休息を与えられるように立ち位置を変えた。
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