最終話6
3 ウルトラトラップ
再び砂から森への継ぎ目を跨(また)ぐ。あり得ない構図だが平然と森がそこにある以上、地下に何らかの形で水脈が残されていると考えるのが妥当だろう。それがまともか否かは別として。
足にからみつこうとする厄介な多年植物を蹴り払い、一宇はひたすら前に続く。
(ていうかみんな速いし!! 何でそんな速くても息が上がらないんだろう!?)
汗が頬を伝ううちにべたりと冷える。
一宇は一向に変わらない闇に沈む緑を見つめた。見る間にあく距離に、真後ろの軍人が軽く背を押す。彼らのほうが装備が重いのに気遣われ、一宇は慌てて速度を上げた。
ずっと同じ景色が続くと、ただでさえ心身の疲労が強い場だというのに、さらに脳が疲れて幻覚を見る。
だからそのとき、真っ赤な模様が近くの枝を横切ったことも、あまり意識にのぼらなかった。
「(え!?)」
数瞬遅れて一宇は足をとめそうになり、我に返ると列の動きに倍速で戻った。息切れする体を叱咤しながら、しかししかしと脳が言う。
――アレは何だか、鳥影に似ていた。
しかし成人男性二、三人分はあろうかという幅と高さを備えた鳥は、ダチョウでもありえそうにない(この付近のデータではダチョウも居ない)。
「いくら何でもでかすぎる……」
呟いた一宇の声に、全員の動きが止まった。
「あッすいませ……ッ!」
「あれはな、メロコスパラスという、巨大鶏の仲間だ」
随分と前方に居た大佐が、明後日の方を向いて言った。
「は!? 何ですかそれ!? っていうか俺そんな具体的な特徴口にしましたっけ!?」
「鶏らしくこっけいな踊りを踊る」
他の者は皆、真顔のままである。
「しかしな、残念ながらそれらは既に絶滅してしまっているのだよ」
大佐は至極重々しげに宣言した。その間に、軍人たちは音もなく方向を決めて静止する。
「今はおもに、メロコスパラスを信仰しそれに擬態して行動する民の姿を指して言う」
「え、」
どうやら他の者たちは既にこの手の話は聞き飽きているらしい。彼らは一斉に葉陰から飛び出してきたメロコスパラス――赤や黒で紋様の描かれた白布たちを撃ち始めた。同時に、布影の連中から逃れるように走り出す。
「ハハハ、一宇はバカだなー」
「すいませんすいませんすいませんすいません!」
隊の存在を気付かれたことと隊をとめて説明させたことについて謝る一宇に、十メートル先を駆けていく大佐がけらけらと笑う。
「さっき本気で怯えた顔してたなァお前。でかい鶏ならどうやって食うか考えるンだとてっきり思ってたんだがなァ」
「だって怖いし!」
鶏は気性が荒い。幼い頃に卵を取りにいった鶏小屋の中で頭をつつき回された覚えがある一宇が、桁違いの大きさの鶏と聞いて怯えたのも無理からぬことではあった。
夜陰に紛れて進むこと数分。
体がばらばらになりそうだった一宇は全体が急に速度を落としたので前のめりに傾きながら歩をゆるめた。ばしゃん、と一際高く、水たまりの汚水を跳ね上げて驚愕する。気付かなかった。
『大佐!』
戦場で聞く女性の悲鳴は、やけに脳に鮮明に響いた。
「ミッシェルか」
インカムを耳から離したそうにしながらランゼルが答える。
『大佐、大変なんです!』
「大変じゃなきゃ連絡してくんな」
『あぁッもう!!』
がちゃがちゃした夾雑音が混じり、皆が耳を澄ませたとき。
『第六分隊やられましたッ! 一分隊を送り出してスグです』
「負傷者は」
聞いたのは佐倉少佐だ。落ち着いた声に、ミッシェルの悲鳴も幾分和らぐ。
『う、内田情報局員、クラウス審議官、サノン二等兵、それから』
『一時攻撃です! 敵機は現在旋回し、我々より北西の第三分隊側へ』
「――内田、元気じゃないか」
ミッシェルに被さるように叫んだ声に、大佐がぼそりと感想を述べた。
通信機を奪い合いながらだろう、ミッシェルの声が近くなり遠くなりして答えを返す。
『右肩を撃たれてるんですよッ! 早く医務班ッ』
『いい! こっちよりラファエルを』
「ラファエルも負傷か?」
後方支援用に基地付近に置いてきた分隊の中に情報局局員を入れたのは失敗だったか、と舌打ちして、ランゼルが他の戦況を問いかける。第二十五部隊以外の隊も動いてはいるのだが、そちらはおおよそ、足の引っ張り合いのために展開されている。
『殆どひどい混戦ばかりで! 情報が入ってこないんです!』
「――参ったな、ルノーは?」
『第七部隊は現在玉座付近で戦闘中です、地下に降りる方法が見つからないらしくって、“抜け駆け”してきた連中を片っ端から叩いてるけど一向に数が減らないそうです』
不参加の人間まで“宝探し”に参戦しているらしい。
「こっちもあと四半刻で着く」
『分かりました、それまで何とかもたせます……!』
ミッシェルが言い終えて、通信機を離れる寸前に、ご無事で、と呟いた。
『で、今の会話一応上位回線使ってる俺も聞いてたんですけど』
どことなくのどかそうに、そう割り込んだ声は九条才貴。
『俺は予定通りの配置で良いんですかね』
「あァ……お前はどっか行ってろ、さもなくばさっきミッシェルに言った時間で間に合わせろ、飛んでろ!!」
低くかすれた声で言われ、九条も長々とは喋らない。
『りょーかいっ』
肩をすくめる様が目に浮かぶようだ。
懐かしさに、何とはなしに一宇は基地に帰ったら林檎のコンポートを作ろうと思った。
ミント添えで。
*
森から砂上へ、砂上から森へ。
まるで尺取り虫のように律儀に正確に、彼らは黙々と前進した。
砂の上を進み始めるのには時間を要した。
トラップの跡が砂で流され、また敵に潜られていれば姿が見えない。
砂漠から丸見えの状況で砂上に出るのだ、大佐が二、三人を少し切り離して先遣隊とする。ある意味のイケニエで、もしあればの話だが、トラップを発動させるための生き餌にも近い。
手の汗で抱えていた銃器が滑る。額から流れる汗をおさえるための布が、既に濡れて重たくなっていた。
ほとんど五十メートル走と変わらぬ速度で走ったかと思えば、カタツムリのように遅々として進まない。それを繰り返して森を出たように、砂の上も進んでいく。ただし隠れるための陰がないため、速度は幾分速まった。
「来ます」
佐倉が冷静にインカムに呟く。
同時、上空から九条が前方へ爆撃を開始した。
過去に都市があった場所、以前一宇がレジスタンス・ローズに捕獲された場所。
そこはまるで聖地のように、砂の中に半ば埋もれながら風に吹かれていた。
「ない、だぁ!?」
ランゼルの怒声に、瞬間だけ首をすくめ、第七部隊大佐ルノー=モトベが怒鳴り返した。
「怒鳴るな! 知るかってんだこのバカ!」
「ンだとボケナス!」
「うるせえこのタコ!」
「あのう……喧嘩してる場合じゃな、」
「分かってる」
同時に言われ、一宇はやはり止めになど入らねば良かったなと後悔する。
二人の大佐がぎゃんぎゃんと騒いでいたのは、何も機嫌の所為ばかりではない。背にした古い城壁を削りながら、明らかに銃弾が飛び交っていた。
うるさすぎて互いの声が聞き取りづらく、ガタイの良い男二人でつかみ合うようにして怒鳴る姿は仕方がないとはいえ鬼気迫る物があった。
「大佐、怯えてます」
佐倉少佐がぽつりと言って、インカムからの指示を聞き取ろうと目を細める。ランゼルが振り返り、薄闇に鋭い目を向けた。
「あァん? 誰がだ」
「そりゃあそこの坊主ぐれえだろ俺の部隊にゃ腰抜けはいやしねえよ」
「何だとコラ」
ルノー大佐の襟元を掴んで下に引き、ランゼルは不意に興味を失って離れる。
「ないならさっさと動かなきゃならんな、どうする?」
「俺たちもこれ以上無駄に弾も人員も消費したかねえぜ、さっさと決めてくれや」
ルノーを無視し、ランゼルはじっと空を見ている。
「……森、か」
佐倉がふと声を拾い、それを自らの声帯に託す。
「森です、」
「何キロだ」
「南南西、――どうやらあの人は自軍まで騙すつもりだったようですね、五キロ地点」
「アーリーか」
舌打ちし、どうせ時間稼ぎだろ、とランゼルは続ける。
「どうせ引っかき回されるデータなら、ただでさえイタイ腹なんだし仕方ないから探られないように先に出しちゃったぞッてのがパフォーマンスで、本当は大事なことはひとっつも明かしちゃいないと。そういうことかあの野郎」
それだけのことで何人が死んだ?
「最終的に平和が得られりゃそれで良いんだろ、アルフの意見じゃあ」
ひょいと肩をすくめ、ルノーが治りきらない傷だらけの腕で銃器を持ち上げた。
「ワルイがこっちも一気に撤退、ってのはムリそうだ。囮くらいにしかなれねえな、残るぜ」
「悪いってのは何だよルノー。俺についてこようったってムリな相談だぞ、俺らは拠点決めて戦う第七部隊とは違って行動が素早いンでな」
軽口を叩き合って、大佐同士はすぐに別れる。
「いくぞ」
別れは、互いに軽く手を振りあうにとどまった。
「森ですね」
佐倉は、半ば感性が麻痺したように先程から同じ調子を崩さない。
「叔父さん?」
何となく声をかけると、一宇はものすごい勢いで振り返られて睨まれた。
「ごっ、……ごめんなさい!!」
半泣きの少年を、数人の同行員たちがなぐさめるように見つめて頷く。負けるなよ、という暖かな眼差しを受けて、一宇は却ってブルーになった。
(あぁっ……! 俺ってすっごく場違いだよな、場違いすぎだよね!? そうだよねあああ)
内心の言葉でさえ徐々に気弱になっている。
「夜が明けちまったな」
青空が、寒々しく天を彩る。
大佐は身震いして、それから森の中の探索を開始した。
さほど大きくはない森。しかし亜熱帯かどこかのように蔓やむき出しの根が大きくうねり、行軍の邪魔をする。
苔むした根は踏みつけるとばきばきと音を立て、ときに容易に砕けて散った。
「おおよそ、十キロメートル四方」
淡々と呟く佐倉の声に、軍人たちは何とはなしに緊張感もなくため息をつく。
敵の気配がしない――というより感染者がこの森に立てこもっているという情報が未だかつてなかったために、彼らは先程までよりはずっと気楽に進んでいた。勿論油断が招く事態の恐ろしさは熟知している。それでも、もともと一気にカタをつけるか攻撃して退くのが素早い部隊であるために、長時間の緊張には不向きであった。
「あー、何か出てこねえかなあ」「やめろよ、そういうこと言うの」
誰ともなしに話し声がしては途切れる。
それらしい兆しがないものかと、人工物の気配を探していたランゼルも、そろそろ飽きて、カタツムリの背を目で追っていた。
「そういやさぁ、俺、聞いたんだよねぇ」「何が」
一宇は大きな木の陰でちょっとだけ座り込んだ。しばらく立ち続けどころか走り通しで、腰から足にかけてどころか背骨のあたりもひどく軋んだ。これでは体が持ちそうにない、自己判断だが休息を取る。いざというとき足手まといにならないために、今は少しでも神経を休めたいという思いもあった。
「さっきの大佐のさぁ、」「あァあれー」「おい、ヤメロよ」
夜露に濡れた葉を持ち上げては裏返し、土をかいてはまた進みながら、軍人の誰かが呟いている。
「ああいうの、マジでここらへん、いたらしいぜ」「やーめーろっつの」
「鶏じゃなくって、ホラ、伝説の、何だっけ、蛇?」「トカゲ?」「ワニ?」「うわーしゃれになんねえ!」
最後のセリフを吐いた者が身震いして一宇の側を通り過ぎていった。軽く肩を叩かれ、生存を確認されたと気付いて一宇はわずかに笑みを返す。
「そうそう。何だっけな、帝国の作った兵器のさ、生殖機能のないやつら」
「あー、ロン?」
「そうそれ、ああいうのが市井(しせい)で生き残ってて結構狩られてたって。そいつらが森に逃げ込んでるとか何とか。ほんとかなぁ」
「環境悪くても平気らしいしな」
「待てよ、おかしいじゃないか、帝国が崩壊して何年経つって言うんだよ」
沈黙。
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