最終話5

 データソフト「K-Ⅱ」の模擬実験中、同研究室の十三名が明滅画面や音声などによる刷り込み現象によってショック症状を起こした。世界中のデータを包括しうる巨大一元的管理データベースの動作実験、それはマザーコンピュータMを記したかすかな記録を辿って学者と学生がそれを模して作ろうとして出来た産物だった。

「父はまだ学生だったようですが、そのころからMを越える機械の製作のために奔走するようになりました」

「父?」

 ランゼルが片眉をあげると、ラファエルが嫌悪も露わに「可能性が高いだけです」と短く答えた。

「僕は以前、自分の父がミハエルであると偶然知り、彼の仕事に興味を持ちました」

「ラファエルはこのことを?」

 沈黙したラファエルに代わって、内田がまるで決められたことのようによどみなく続ける。

「今よりずっと以前から知っていたようです。僕が知ったのは十歳のときですから、それよりも前に――少なくとも六歳までには、父のことを知っていました」

 黙りっぱなしであるところを見ると、内田の所見は正しいらしい。

「お前の興味については、ラファエルは知っていたのか?」

 少しの沈黙を挟んで、彼は首を傾げた。

「分かりません。僕はそれを、局員になった理由に挙げたこともありませんから」

「それよりも大佐、今の話を聞いて貴方はまったく驚かれませんね」

 ラファエルが口を開く。ランゼルは目を丸くして、それから不意に苦笑した。

「昔、俺がまだまだ若造だったとき、ろくでもない男の仕事を手伝わされたンだよ。ラファエルを見たときにあんまり似てるんで驚いた。ミハエルについてはもう驚き慣れたな」

「そうですか」

 何か異論を唱えたげなラファエルの睥睨に構わず、内田が不意に沈黙を破った。

「Mへのキーコードを、それまでの研究と民間の伝承をもとに割り出して――先日、M本体と思われる存在への接触に成功しました」

「ニセモノや末端じゃなく?」

「これまでは、総てを括るMの不在により、一部のデータが相互通用されないことがあったんです。今でもそうですが――前より、減ってきたはずです」

「むしろ増えてる気がするが」

 前線基地の軍人間のデータエラーは増加している傾向に見える。

「あれは違います」

 情報が集まる時点での改竄、それに、

「発表時にも改竄を受けていたんです」

「誰から」

 大佐の反応は素早い。内田は瞬間、眉をひそめた。

「今は居ない、前線基地の情報局大佐」

 結局、尻尾を掴みきる前に行方をくらました女だ。大佐は忌々しげに舌打ちした。

「で、Mを動かそうと思った理由は? どうせお前のことだから、気付いてからもしばらくほったらかしにしてたンだろ。一人っきりで腹に溜めこんで」

 軽く鼻で笑われ、内田は眉間に力を入れたままでため息をついた。

「――Mは、恐ろしい兵器です。人間を支配する巨大なシステムです、だから、出来れば起こしたくはなかった。でも、事故や行き違いの多くは、情報の質の所為で――僕は、それをどうにかしたかった」

 リスクには目をつぶり、Mへの接触と起動プログラムの始動を試みた。それは、おそらく、成功を遂げた。

「Mは現在も、全覚醒状態ではありません。その代わり、いえ、だからこそ、Mの判断で情報が圧縮されることがなく、その大量のデータがそのまま我々の手に委ねられることになります。それを、情報局局員で分担します。集めたデータを分散させるのは危険ですが、その代わりにその人物に何かあっても即座に対応することができます」

 ラファエルがあとを継いだ。

「……そして、怪情報を流します。目的は攪乱。既に混乱を来たしてはいますが、局員全体にはどれが偽物かあらかじめ知らせてあります。ですから前線基地の軍人は、踊らされることはないように――気をつけて下さい。必ず局員に確認を取るように。全員情報端末と通信機を装備しておいて下さい」

「Mはまだ、単に情報を集めているにすぎません、しかししばらくすれば必ず、統制に入ります。彼女が覚醒しきる前に、彼女の上位から我々の指示が効く間に、必ず研究所まで突破してキーを入手して下さい。残念ながら僕はMに指示できる全権を持ちません、人手による改竄を避けるためとはいえ、あのシステムは余計だと思います」

「あァ……つまりあれか、Mが情報全体の王様だから、研究所もこっちの意見が通るうちに手に入れとかないと、Mが侵入者みーっけとかっつって外部と遮断して人間の指示を効かなくさせるかもしれないぞー、と」

 ランゼルは時計をもてあそびながら呟いた。内田は頷き、資料を手渡す。

「ま、そんなところです」

 頭がくらくらしている一宇の肩を叩き、九条がガンバレと気のない声をかけた。

「俺はよく分からないけど、多分空飛んでるから関係ない。指示はラファエルに貰うし自分の頭で考えるし。でもお前は、すっげえちゃんと覚えておいたほうが良いからな」

「何ですかそれせんぱーい」

 部屋の中の空気。今までとまるで変わらないようでいて、雰囲気はかなり硬質だ。まるで国家統制を待つような準備のされよう――。誰ともなく、同じ名を、脳裏に描いた。

 そしてその男は、彼らが行動を開始して後、確実を期して、帝国の遺児を手に入れる。

   *

「まーいったわねぇ」

 女は、エナメルのように艶めく唇を皮肉げな笑みで彩った。

「やってくれるじゃないの」

 燃料タンクに引火した炎が、激しい音を立てて黒煙を吹き上げる。

「ま、この程度じゃあ死なないけどね」

 避難ゲージのスイッチを入れたスタンドの店主の後ろに座り、彼女は婉然と微笑んだ。

「ねえ、マーネイア少佐?」

「な……ッ」

 背後から爪で頬をかかれ、先程までうろんげな目でコインを数えていた店主が顔色を変える。真後ろに立つ女が、先程いきなりガラスを膝で破って中に飛び込んで来たことは今更ながら理解できる。

 しかし。

「なぜ……ッ」

「何故? 知れてるじゃないの、そんなことは。私をそんなにあっさりソトに出してくれるわけもなし、誰かが見張ってて当然でしょう? 取り逃がすと面倒だから、国境に近いけれど逃げる手段も人質もとれないこんな荒野のスタンドで待ち伏せた。ね? 簡単でしょう? もし私がここに立ち寄らなければ、数十メートル先のタンクに引火してどかぁん。ここに入ってくれば狙撃なりスタンドごと爆破なりできるし、お買い得よねえ。でも」

 ち、と男の背中で、軽く金属がひきつれる。

「貴方の誤算は、自分という犠牲を惜しんで自分だけ生き残ろうとしたところかしら? 他の人員だと金と色気でころっと騙されちゃう恐れがあるとでも思ったのかしら、初めから捨て駒だけで勝負すれば良かったものを」

 引き金にかけられた指が、確かめるようにゆっくりと動いた。

「軍内部の密通者に足がつくのも時間の問題だから逃げてきたけど、私は本来そこまでオツムの軽い女じゃないわよ?」

 銃声と血糊。

「生憎、私はこんなところで犬死にするつもりはないのよ。……これまで切り捨てた多くのスパイ、無駄にしないためにもね」

 情報局大佐の肩書きを利用して、彼女は多くを手に入れた。

「攪乱して軍を半崩壊に導いただけでも上等じゃない。これ以上どっちの味方もしたくないの」

 その胸元には小さなチップが鎖をつけられぶら下がっている。そこに描かれる紋章は赤。海を隔てた国家の証。

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