最終話4
大佐はどうなんですか、と一宇が低い声で返すと、俺は最初から軍のイヌだと短くきりかえされた。
「俺のことはいいんだよ。することはしたし娘もいるし生物的には役目も終わってる」
生き物はすべて遺伝子を運ぶ船だと評したのは一体誰だったろう。
「かなしいこと、言わないでください」
一宇の声がやけに冷たく響いた。森の中を吹き抜ける風が湿り気を帯びて頬をなでる。
「あぁ、そうだな、俺だってまだまだやり残したことがある」
「奥さんや娘さんにも会うんでしょう、基地のみんなにも会わなきゃ」
「野郎ばっかりに会っても楽しくないな」
「それだからカラスだなんて言われてるんですよ」
拳がゆっくりとこめかみに当てられる。一宇は大佐の微笑みに必死の思いで「奥さんにばらしてません」と言い返した。
「佐倉がな、お前にMの端末を埋め込んだことについて相当ご立腹で」
「急ですねまた」
話題の動かしかたについて述べたのだが、大佐がそれに気付いたかどうか定かではない。
「でもなぁ一宇、仕方なかったんだ、お前の目のためには丁度あれぐらいしか方法はなくて」
「知ってます。ただ」
「ただ?」
言うべきかどうか迷ったが、一宇は唇をなめて先を続けた。
「なぜ一介の候補生風情に、多額の費用を投じられたMの遺産が与えられたのか。不審で不審で仕方がないです」
「あァ、……何でだろうなぁ」
運だろうな、たまたま、と呟いて、大佐はゆるりと首を巡らす。
「九条は?」
「そこらの茂みのどっかにいると思います」
「あー、ちなみに佐倉もそこらで晩飯探しに夢中だ。出くわさないと良いな、」
何と、という部分を省き、ランゼルは頬をかく。
「偶然ってのは恐ろしいもんだ。支配者だけがたくさんの情報を手に入れて、それを全部かき集めて利用して、それで思うような世界を作りだしていく」
暗にアルフォンスを示唆する言葉に、一宇もまた目を細める。好意ではなく。
「……なぜ俺を連れ戻したんですか、と、ネオ大佐に聞きました」
「ほう」
小さなたき火は今にも消えてしまいそうだ。ふいとした風に大きく揺らぎ、覆い被さるように布で隠された天へとかすかな光を放っている。
「大佐はあんまり、答えてはくれなかったです。ただ、感染しにくい体質だから、と」
「あぁ、そりゃあ半端な答えだな」
ランゼルは、小枝を折って、手元でもてあそんでから火の中へ放る。
「お前の左目があるからだよ」
研究所のシステムが死んでいる限りドアは開かない、無理に開けようとすればおそらくは警備システムが半自動的に生き返る。多分、そこには人間の侵入は許されては居ない。帝国の開発したシステムはどれも人間に逆らえないようプログラムされてはいるが、それは同時に封鎖時の人間の指示に現在も従い続けているという事実を表す。
「だから、『神の左目』が必要だった」
遺産を掘り起こし、一人ひとりの適正に合わせて仕掛けは組まれた。偶然を装ったのか、さてまたは軍上層部が偶然を集めて運命を織り上げたのか。
「他に手がないわけではなかったが――生憎、Mは私情では動いてはくれない。主人が誰なのかさっぱり分かっていないようだよ。人間に逆らえない筈なのにな。自分の端末を埋め込んだ『可愛い子供たち』のためになら手を貸すという」
すべてのシステムに作用し、関与して丸め込む。それがM。
「マッドでキュートな演算機械に手を貸して貰うために、お前たちは利用された」
「分かってます」
今更言わんでください大佐。
一宇は小さなたき火を膝を抱えてみている。
アルフォンス・ネオの発言が真実であるとは思えない。狙いが研究所の遺産だという言葉は一般に公開され、一宇には狂歌病の資料を見つけるようにと告げられている。
でも本当のことは誰も知らない。
アルフォンス・ネオの『駒』は盤上でどう動いているのだろう。
隣であぐらをかきながら、ランゼルはゆっくり、沸かされたお湯を飲んだ。
「何で俺たち、こんなにほのぼのとふつーの家族旅行みたいなキャンプしてるんだろう」
「我々に訊かないでください大佐」
茂みから戻ってきた少佐が、上下関係を意識させる発言をしながらランゼルを睨んだ。
「うるさいやーい」
気を緩めないようにと常に圧迫されて息が詰まるのだろうか、大佐はやけに子供っぽい口調で呟くと少佐の持ち帰った木の実を奪い取った。赤い実を口に放り込み、むっとして手のひらの上に吐き出す。
「薬になるんです。甘くないですよ」
「今更言うな」
「……ぶっ」
大佐と少佐がしゃがみこんだまま揃って顔を上げる。吹き出した一宇は、慌ててそしらぬ顔をした。
「何だ一宇?」
しかしさすがにごまかされてはくれない。ランゼルにのしかかられ、一宇は前のめりになりながらあははと笑った。色々と後ろめたいこともあるなぁと、出がけに憂乃と話をしたことなどについて思い出して、余計に怪しい笑いになった。
「何だ、お前の甥は変な病気でもあるのか」
「訊かないでください、一宇とは何年も離れていてつい最近まで連絡も取ってなかったんですから」
「あっ叔父さん冷たッ」
「うわーみんなたーのしそー」
九条がぽつりと呟いて、茂みの中からこちらを見ている。そこへ向かって、一宇は思い切り急いで逃げ込んだ。
*
どうして今彼がそれを口にしたのか。その理由はすぐに知れた。
「走れ!」
かすれた声。
喉で鳴る音を極力こらえて、中腰に近い体勢でするすると森を進む。月はおぼろげに輪郭を保ち、雲の中で輝いている。生い茂る森の葉が邪魔をして、辺りは暗く落ちくぼむ。
「(まさか、研究所周辺に地雷ばらまいたりしてるとは)」
「(黙れ。来るぞ)」
唇だけで呟いたのに、大佐が止まって、不機嫌にジェスチャーで示す。
上半身が軽く隠れるほどの真緑色の葉を見上げ、一宇は仕掛けられたワイヤロープがごく浅く触れるのを感じる。
指先にかかる重み。頷いて、一気に引く。
途端、苛烈な白光が視界を射抜いた。
「くそう!」
「照明弾か!?」
迂闊にも声をあげた敵兵が、またたくまに沈黙していく。土に倒れた数を数え、大佐が最前線を歩いていた者に前進を指示した。
死ぬのは怖いか?
一宇は構えた銃をぬかりなく辺りに向けながら、草の上のヒルを避けた。視線を一点にはとどめない。神経を周囲に向ける、それでいて、皆、まるで空気のようにその場にとけ込む。
視線を受けたときの違和感のような、生物の気配がまるでない。
今の状況に、気がはやるより先に腹の底までずしりと重い気分になる。
先程、左目が必要で、それがなければ支障を来たすかもしれないと言われた以上、以前のように恐怖で逃げ出すことは出来ない。しない、どれほどの命が動いているのか、一宇にはもう分からない。けれど、自分一人が逃げて死ぬならともかくとしても、前線基地規模の死者が出るのはどうにも寝覚めが悪いものだ。
ざ、と鳴った葉の音に、少佐の持つサイレンサーの銃口が動いた。
これだけわけも分からないまま殺していれば、見ず知らずの人間に恨まれていても不思議ではない。
一宇はどこか冷静な頭の端で考える。
前線のコマはただの殺戮兵器のようなものだ。
自分自身も。
戦争で一番恐ろしいのは、土地に根ざす志願兵を率いた兵隊においては憎しみの連鎖。レジスタンスとは抵抗者であり、本来は、移動して生きる場を広げようとするようなパルチザンめいた連中とは区別される。政治的意図のあるテロリズムともワケが違う。本当は、圧力をかけてくる者に対しての、その土地に根付く人間の抵抗なのだ。
隣の家の小父さんはとても人がよくて、いつもにこにこと街の市(いち)まで出稼ぎに出かけていた。けれど、その日たまたま娘を連れて市に行き、何らかの意図を持っているとされる暴動に遭って、荷車どころか娘をも千々に引き裂かれた。幼い娘に隣の顔なじみとともに少し荷台の番してくれと頼んだ、自分はほんの十メートルも行かない道の反対側へ歩いていった、たったそれだけのことなのに、爆竹がはじけ飛ぶような一瞬のうちで、振り返ると通りの向こう、荷車も人も砕けて地面に飛び散っていた。もしも娘を連れて動いていれば。もしも娘を市に連れて行かなければ。もしも。それからその小父さんは、真っ暗な目をして戻ってきた。泣きながら破片をかき集めた手には血がこびりついてとれていなかったが、彼は三日、その手を洗おうとはしなかった。彼がありったけの火薬を集め出したのはそれからだ。念願叶って、あの自爆テロを敢行した組織の使っていた事務所へと飛び込んだ。彼が最後に叫んだのは、一体何の名前だったのだろう。
(俺は誰の名前を叫ぶんだろう?)
分からない。
(俺はどうして、軍の学校に入って人間を殺してるんだろう。別に、この人たちを恨んでるわけでもないのに――)
佐倉少佐はおそらくはとても大事であった筈の少女を、人を狂気に追いやる病によってまともではなくなったという理由で、「処分」することを余儀なくされた。彼は軍やこの病を恨みはしなかっただろうか。
浮田大佐は初年の所属部隊を密林で全滅させられている。彼は何かを呪いはしなかったのだろうか。
恨みのために人を殺し続けるというのは、とても動物的で分かりやすい気がする。けれど、平和を象徴するという鳩が弱い鳩をつつき殺すのとは違って、すべての獣が同族を蹴散らすわけではない。大佐も少佐も、目は曇らないままだ。菓子箱に菓子を詰めるような単調さで、頭ははっきりとしたまま動いている。
もし一宇がもっと「レジスタンスの誰かに」憤っていれば、こんな風には冷めないだろう。これだけどこかで気が退いているのは、彼が憤っている相手が、この変わり様もなく怠惰に続けられる緊迫状況だから、だ。
「変えられる、だろうか」
激しい銃撃戦を繰り広げたあと、十五分で、森から、砂の上に出る。
ぽっかりと浮いた大きな月が、まるで天にあいた大きな覗き窓のようだった。
*
マザーコンピュータM。
それを、彼らは追い求めた。まるでトロイの遺跡のように、かすかな神話をたぐりよせて。
「私は、地上へ引きずり出されることを了承した覚えはないのだがね」
レナリアは低くそう呟く。万単位の人間が集まるセントラルホールで、アルフォンス・ネオの座す背後に立ち、彼は剣呑に目を細めた。両首には金色の枷。まるでただの飾りのように、それらの細い鎖が手足を彩る。
青銀の髪は旧帝国の帝王の色。彼の血脈を示す重要なカギ。
彼は冷やかに、しかし怒りをこめて言葉を紡いだ。それが決して、アルフォンスに届くことがないことを知っていながら。
「私はただ、Mをその気にさせる方法を伝えるためにここに来ただけなのだが」
それは人間のための爪と牙。
すべてを支配するための機構。
呼び覚まそう、その神の名を呼べ。
「さぁ、世界を動かそう」
アルフォンス・ネオは悠然と両腕をあげる。その視線をまんべんなく周囲に投げる。軍人と経済家と、金満家を装った貧民なる大地の民に向けて。
「……私は君たちに豊かな大地を返してあげたいだけなのだよ」
まるでハレムのように。
世界は彼に跪く。
*
「Mは、本当は、ついこの間まで本体が稼働していたわけではないんです」
それは彼らが行動を開始する前のこと。
内田は、叱られるのを恐れるようにではなく、ただ必然を述べている。
「……ミハエル・ロマノフスキーをご存じですか」
ラファエルは既に内田から聞いていたのだろう、納得のいかない表情で、じっと内田の背を守るように立っていた。
「M自体は、ミハエル・ロマノフスキーが接触できた「K-Ⅱ(ケー・ツー)」模擬実験以外では殆どその存在を確認されてはいないんです」
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