最終話3

「ええ、九条及び佐倉は日が暮れてから任務を開始します」

 一宇は答え、それから西日に眉をひそめた。

 一宇らは前線基地からスタートするが、正確には白紙地帯上空の決められた地点からの開始が決められている。そこにたどりつき、出来る限り開始時間ぴったりに滑空し始められるのがベストである。待機時間が長すぎるのもあまりよくない。

「……どうした、緊張か?」

「いえ……緊張は、してはいるんですが、それよりも心配を」

「誰の?」

 笑いを帯びた語調になる。アルフォンスはその二つ名にそぐわないほど穏やかで幼くも見える顔を一宇に向けた。すべての支配者となることを望む男、それゆえに被支配者によって恨まれ続ける永遠の悪魔。

 アルフォンスが悪魔なら、それに逆らうことの出来ない一宇たちはその手先であることを免れ得ないのだろうか。

 たとえそれが生きるためだとしても。

 

「皆、無事に戻ってこられると、いいな、と」

 呟いた一宇に、アルフォンスは笑みを消した。部下のことごとくを戦禍などによって失った男はすべての表情を飲み込んでただ答える。

「そのために全力を注いでいる。任務を果たすことが第一優先事項だが、彼らの一つ一つの命が無ければ国も成り立たないのも事実だ」

「……それが、」

 為政者。

 一宇は言葉を喉で押しとどめ、ゆるやかにきびすを返した。

「少し、備品の調整をしてきます」

 頷かれるのも待たず、少年は一目散に駆けだした。

 

 重圧に勝ち続けられるほど大人にもなりきれなかった。

   *

「どうしても、行くのか?」

 前線基地用簡易施設の内部に駆け込んだ直後、出くわした人物はそう言って下から顔をのぞき込んできた。

 こちらは、何度も、危険な戦場へとでかけていく彼女を送り出してきたのに。

 彼女はなぜか自分のことには無頓着で、一宇の心配はできるらしい。

 可笑しくなって、一宇は唇の端に笑みをのぼらせる。

「大丈夫、ですよ」

「なん……ッ、そ、わ、あ」

「はい? 何ですか大尉」

 これまで一宇はこまめに顔を出したり声をかけたりしてきた、それが功を奏したのか彼女は一宇に随分無防備な顔を見せる。

「何だその笑いは……!」

 小鳥を手の中に誘い込むようにして浮田憂乃を抱え込もうとしたが、佐倉一宇は激しい抵抗にあい、顎に一撃くらって離れた。

「む、無理してないんだったら、良いんだ」

「無理? してますよ」

 先程から泣きだしかけていたように。『本当の』軍人には到底なりえないと分かっていても、それでもこの道を選ぼうとする自己犠牲的な態度にも辟易しながら。それでもなお、一宇は笑いを浮かべている。それ以外の表情を忘れてしまったように。

 それを憂乃は突き崩してしまいそうになる、危ない、だってそれはおそろしいことだから。

 ――弱さはときに罪になりうる。

「大尉、ダメですよ、そんなふうに信用したら」

 笑んだ一宇を、欺瞞を許さない透徹されたまっすぐな瞳で憂乃が見上げる。無表情の犬猫に出会ったように、自身の影を鏡のように見出して一宇は黙る。

「……信用?」

 憂乃が、かみしめるようにその単語を発する。

「して、ほしくはない、と?」

 バカな女。

 ソレだから籠絡されてしまうのだと、蔑む気持ちがないわけでもない。でもそれ以上に抱きしめたかったし抱きしめてほしいと思ってしまう。

 恐怖で崩壊しかけた心を鼓舞するために、一宇は一度目を閉じた。

「俺は大丈夫です、ちゃんと帰ってきます。俺はまだ戦える」

「軍人の言葉を使うな」

 葛藤を滲ませた顔をして、憂乃はそっと、ためらいがちに指を伸ばした。ジャケットの裾を掴み、彼女は俯き加減に言う。

「……死ぬなよ」

 吊り橋効果には充分すぎるほどの出会いだった。だから一宇は、もしも彼女が心を開いても決してソレは信用が出来ないだろうと踏んでいた。彼女に触れたのは出来心で。くるくると動く様と時折見せる無防備な笑顔が可愛かったのと、それとあまりに対照的すぎるかたくなな心を溶かしだしてみたいと思ってしまっただけだった。

 罠にかかっていたのはどちらだったのだろう。

 耳元の首筋へ唇を近づけ、一宇は呼ばれれば、と軽く答えた。

「呼ばれれば、戻ってきますよ?」

「な、にが……!」

「……まだ、怖いですか」

 憂乃が思わず口をつぐむ。

 ゆるく腰を抱く形で回された腕を振り払えずに、彼女はしばし考えた。

「……それは、どういう意味」

 上目遣いで問いかけられて、一宇は周囲に人気(ひとけ)がないことを感謝した。

   *

 その旧式の電話は、手動で起動する形だった。コインをエナメルで塗り固めた爪で捕まえてからスタンドの男に渡すと、男はコーヒーミルでも扱うかのように取っ手の部分を回し始めた。

「はァい、私よ」

 砂漠に面した小さなスタンドで、女はいましがた降りたばかりのトラックにかけられた幌を振り返った。情報局のマークと軍の大佐の階級章が、不似合いなほど陽光で輝きながら胸元に留められている。受話器からはひっきりなしに罵倒する声。女は笑って聞き流し、別れを告げると「愛してるわ」と付け足してから一方的に電話を切った。

 

「悪いわね、電話借りちゃって」

 コインを仕舞った男はただ無愛想に肩をすくめる。作業員が手早くトラックのタイヤを交換していくのを眺めながら、女は煙草に火をつけた。

「参ったわね、男ってどうしてあんなにヤキモチやきなのかしら」

 体に張り付くジーンズ越しにも、彼女のプロポーションの良さがはっきり分かる。その足がゆるく組まれるのに目を落とし、スタンドの会計ボックス越しに男は何か一言言った。

「あァ、そうね」

 悪い女だ。

 頷いて、彼女は煙草を下に落とした。踏みつけて、ワルイから後片づけはみィんな男に任せちゃうのよ、とうっそり笑って歩き出す。

 その目前で、トラックがスタンドごと吹っ飛んだ。

 

「裏切り者には?」

 小部屋の中で、男は自分宛の電話が切られたのを左耳で呆然と聞いている。その隣には、黒の軍服姿の一人の男。

 階級章からすれば部屋の主の方が上位、それでも、彼はがたがたと震えて受話器を降ろす。女の意思で一方的に電話が切られたというのに、どうしてこんなに恐ろしく感じられるのだろう。話の内容は聞かれてはいないはずだし、もし聞かれても、ただの男女の痴情のもつれでしかない事柄だ、怖がる必要は、本当はないのだ。表面上は。

「裏切り者には? 何でしたかね、准将」

「ッ……あ、きさ、ま、まさかアルフォンス、」

 にっこりと笑い、男は電話の受話器をその手に取った。

「どなたからでした? 電話。まだ生きておられましたかねェ?」

 まだ、

 生きていた、

 けれど。

 

「い、今ので場所を特定したな……!?」

「ご自分で認められる訳ですか? 砂漠に旧帝国の財宝が眠っているとかいう流言飛語に惑わされて、軍をつぶして自分は南の商業都市マルカサスグループに引き取られてのうのうと暮らそうという魂胆が浅ましいんですよ」

「くそ……ッ!」

 准将は机の下にあったスライド式のボードを引き出し、ほぼ同時に銃の引き金を引く。

 しかしそれよりも先に、相手は床に身を伏せていた。

 轟音と共にもぎ取られていく天井に、アルフォンス・ネオはぼそりと「やりすぎだ」と呟いた。

 崩れ行く部屋に蒼天が覗く。

 准将は撃ちそこねた銃ごと両腕を失って失神していた。

 

「ご無事ですかーたーいさー」

「無事に見えるのかこれが……まぁ、幸いにして壁面落下に巻き込まれずには済んだがな」

 外で大型のレーザー銃を構えていた少女が、ああ重かったと文句を言いながらそれを砂の上に降ろした。

「しっかしアレですね、これはまだ開発改良の余地が有りまくりデスネ。あたしこんなに電力食うとは知りませんでしたよ」

「私もだ、こんなに准将があっさり尻尾を出しているとは思わなんだ」

 知らないことが多いものだという点で同意したアルフォンスは、立ち上がって埃を払った。

「それにあれだな、私の悪運の強さは凄まじいな。なかなか死なない」

「あー、それはあれですよお」

 代名詞を多く行使しながら、少女はグラススコープの奥で笑った。

「アレです、大佐にはお代を払って頂かないとならないンです。それまで利用されてきたものたちと命を奪われてきたものたちの分も」

「お代ねぇ……」

 少女の服の胸には、シンクタンクの軍士官学校学生章が縫い取られている。

 そうですよと頷き、少女はぐいと顎をあげた。

「エリートになる予定なんで、よろしくお願いしますね」

「はは、何のためにエリートになりたい?」

「こういう武器の開発のためですよ、民間でもいいんですけどあたしコネないから軍でやらせてください」

「そうだねえ、うまくいったら手伝って貰うかも知れない」

 男は笑って、瓦礫をかき分けて外に出てきた。

「しかしその前に一つ問題が。民間の街を何の予告もなく空襲したのはまずいんじゃないかな」

「そうですけどぉ、丁度レジスタンスが略奪行為始めるときだったんだし、別に便乗したって構いやしないンじゃないですか?」

 騒ぐ声が続いている。

 それが収まるまで放置するのも寝覚めが悪く、アルフォンスは学生に一言命じた。

「今待機している全員を解放しろ」

「了解しました。しかし良いんですか?」

「何がだ?」

「うちの学生、全員飢えた獣みたいな連中なんで、民間人も姿消すかも」

 アルフォンス・ネオは天を仰ぎ、現在情報の攪乱にあっているであろう前線基地のメンバーの無事を祈った。この地についての事態は、無視した。

   *

「よー」

 軽い足取りで向かってくる男に半ば恨みを込めて、一宇はよくぞご無事でと呟いた。

 開始直前に参加登録済みの海軍軍用機一機が未登録の護衛兼代替機三機と共に乱気流に飲まれて墜落、行方不明となり、開始時刻に遅れての代替機によるスタートが知らされた。開始早々には民間機どうしの激突事故があり、前線基地の代表たる九条才貴(くじょうさいき)は「うわださっ」との一言で一気に上空へのぼり気流をとらえて被害を回避した。

 九条とともに『万能薬』扱いで同じ機体に放り込まれている一宇は、荷物ごと座り心地の悪い機内で息を殺して高度に耐えた。

「さ、酸素薄くないですか」

「あんま喋るなよ、舌噛んでも知らないぞ」

 言いながら急降下をしかける九条が、一宇の意識が遠のきかけていることを知ることはなかった。

「うっひゃー最ッ高にいいなこの機体!」

 そのとき九条はご機嫌なまま、操縦桿を握る手に力をこめた。

「シューティングスターの本領発揮! 全員今ここで落としてやる!」

 ――そのようにして白紙地帯の中にある森に降りたために、一宇は今も、おおよそ船酔いに似た症状に苦しんでいた。

 一宇の叔父である佐倉豊治少佐の操縦は、九条のそれよりはましだろう。そう思うと大佐の決定に苛立ちが生じる。

 大佐がこれまで九条と誰かをペアにして運ぶ気がなかったのは、同乗者が九条の技術によって三半規管などにかなりのダメージをくらうことが目に見えていたからだろう。だから今回彼を使う際に自分は以前負傷して技術低下の不安があるものの佐倉の機体に乗り込んだのだ。

「どうした一宇、何をそんなにむくれてるんだ?」

「別に」

 かえって不審を呼ぶこととなったが、しかし大佐はふうんと言うだけで先を続けなかった。代わりに、小さな火をたく一宇の隣に腰をおろす。

 どこかでちちちち、と導火線に火でもつけたような声を発する鳥が鳴いている。一瞬身構えた一宇は、大佐が無反応なことに安堵して再び腰を落ち着けた。

 

「あぁお前ね、少佐が心配してたから」

「は、何でですか」

 唐突に、大佐は沈黙に耐えかねたように口を開いた。

「佐倉がなぁ、可愛い甥っ子をどうにかして今回の作戦から外させようと努力してたんだが、お前、自分でアーリーの商談に乗ったそうじゃないか」

「大佐、商談じゃないですよ」

「密談か? どっちだっていいだろ、お前はあの悪魔に自分で自分の体を売り渡したんだよ、その精神ごとな」

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