最終話2
2 ドッグレース
「ドッグファイトか」
どうでもよさそうに呟く大佐。
正規の平素用軍服はまだ折り目が付いていない。それをばさりと脱ぎ捨て、その場にあったジャケットを羽織る。
その後ろを、少佐がやけに浮かれた足取りで通り過ぎていった。
航空管制のシステムを背後に控えた飛行設備、その比較的狭い一角に、第二十五部隊の一部がばらばらと集まっていた。統率があるのは単にどこかから持ち出したテーブルと椅子が置かれているためである。
「燃料系統にも異常はないそうです」
「へぇ、そりゃあよかったなぁ」
少佐はまだ動かしづらそうな右手をそれでも引っ張り、目を見開いてうきうきと立ち働いている。
パイプ椅子に深く腰掛け、浮田=ランゼル大佐はため息をついた。
「ドッグファイトかー」
周囲の反応が薄いのがつまらなかったらしい。再び言って、そのままぐるりと視線を巡らす。
「うっへー……整備不良だとかでおとさないでくださいよーこれ」
斜め前、エアジャケットを膝に置き、九条がぼやきながら新型装備の資料をめくっている。写真をふんだんに使った、販促用のものだ。機内からの見え方をはじめ、視界の確保などいざというときの方法が書かれたマニュアルも付属しているために五センチ以上の厚みを持ってずっしりと重たい。
その隣では、佐倉一宇が、所在なさげに視線を左右に振っていた。
「一宇ー落ち着けよお前ー」
「だって大佐そんな気楽に言わないでくださいよぅ」
その落ち着きのない震えた声に、大佐は満面の笑みを浮かべた。その笑みは、道ばたで出会った猫も毛を逆立てるような不穏さだった。一宇は、大佐が何を企んでいるのかと神経をとがらせる。
「大丈夫、お前いっぺんしんでるから今更いなくなられたって平気、ぜんぜん平気」
データは取るだけ取ってしまったので、用なしという訳でもないがいざ消えられてしまっても前回よりはマシなほうなのである。
「たっ……、大佐ー!」
ひどい事を言われ、少年は思わず腰をあげた。
「ひどいひどいひどいひどいです大佐なんかキライだー!」
「ははは、冗談だ」
「じゃあ何で真顔なんですか! 笑った後の真顔って怖いんですよ!?」
「でもお前が行方不明になっても前回よりマシなのは確かだ、安心して行ってこい」
「どこまで行けと!?」
ずがーん。
急な銃声に、作業員も一斉に手を止めて頭を抱える。
「悪い」
短く謝罪し、犯人は白煙を吹き出す銃口を下げた。
「当たったか?」
「残念だがはずれだ」
ジャケットの裾にあいた孔を一瞥し、浮田=ランゼル大佐はパイプ椅子から立ち上がる。
「やってくれたね」
「貴様がほざくからだ」
「タワゴトを?」
「大尉~!」
浮田大佐と浮田大尉が二人でにらみ合う――一宇はその視線の真ん中に入り込む。
「大尉、助けに来てくれたんですねー!」
「違う」
何げなく抱きつこうとした一宇の首に一撃加え、狙撃手である浮田憂乃大尉はにっこりと微笑んだ。おもに、浮田=ランゼルに向かって。
「これから第二十五部隊が面白いことをすると聞いたのでな」
「聞きましたか憂乃さーん」
「離れろ」
ランゼルが一宇の頭をわしづかんで引き寄せる。わたわたと手足を泳がせていた一宇に一瞥くれて、憂乃はふう、とため息をついた。
「誰が出るんだ」
「お前が出たいのか」
大佐と大尉が見つめ合っていて怖い。なんだか無表情で、真剣なのだかそうではないのか、つまりは任務中なのか任務外なのか判断が付きにくい。
互いにふっと意味深に息を吐いて、大佐と大尉は視線を逸らした。
九条がおろおろした一宇の腰に新型装備の一覧を叩きつける。その厚みと重みで一宇がしゃがみこむと、満足げに「読んどけ」と微笑んだ。
「お前も乗るんだし」
「あぁ! 決定事項ですか!」
ちっとも嬉しくなさそうに言って、それでも一宇は九条が差し出した凶器のページをめくりはじめた。
読まないことには始まらない。いざというときに操作ミスをしてしまったのでは命を捨てたも同然なのだ。
「しっかし一体誰が考えたんですかねぇ、ドッグレース」
一宇に冊子が移動したのですることがなくなり、九条が足をぶらつかせた。佐倉少佐が大尉に今回のゲームの内容を説明している。大佐は暇そうにジャケットを脱いでそこら辺に放った。先程投げ出した上着は、すでに少佐が回収して空いた椅子に載せてある。
「違うぞ九条、ドッグファイト」
「いや、だって俺たちは空軍じゃないですし。空飛ぶレースではあるけどどっちかっていうとドッグレースっぽいでしょ」
金銭を賭けて走らせる犬の競走と、戦闘機どうしの激しい空中戦。
天と地ほどに開きがあるような気がするが、一宇は彼らを無視し、装備や機能を暗記していく。
「しかしなんでまた……海沿いの連中と前線基地の住民と民間とでそんなレース展開しなきゃならないんですか」
「研究所の場所というデータが流出したんだ、仕方ないだろ」
壁に耳あり障子に目あり。
うたうように呟いて、大佐は大尉からはなたれた肘を避けた。
「ん、なんだどうした?」
「笑ってもだめだ。ごまかされんぞ」
「大尉」
ランゼルににじりよる憂乃のジャケットの裾を掴み、一宇が彼女を自分の隣に座らせた。
「な、なんだ」
「これ、これなんですかね」
突然のことに戸惑う憂乃に、一宇は真剣に資料の一部を指さした。
「あぁ、これは根幹にスケープ・ティエラの構成物を使ってるタイプだ」
「す、すけ?」
「お前ときどきものすごく物を知らないな」
専門職ではないため、一宇は航空関係では基礎的なことしか知識にない。
仕方がないのだがなと首をすくめ、一宇は九条の顔を盗み見た。
平然としているところを見ると、どうやら彼にとっても旧知のことらしい。
一宇は言い訳がましいなとは思ったが、それでも言いたいことは言う。
「だって俺、ホントは事務官僚になる予定だったんですよ」
「料理人、事務官僚、軍人」
予定が変わるのがめまぐるしいな、と大佐が別の資料をめくりながら呟いた。
「あぁ、でももし俺がお前を採らなかったらお前はまた学校に戻って普通に卒業試験受けて官僚試験かストレートで軍にあがるかどっちかだったわけだ、官僚ったって軍だろう、結局軍には関わるわけだな」
ところで話題を変えようとしても意味がないぞ、大佐自身が続けて言った。
「どうせそのバカはバカだからいつの間にか俺に聞きそびれたことを根に持つし、そうしたら必ず狙撃してくるわけだどこまでも、だよなぁ大事なカレシが戦地に赴くって言うんだからそりゃあ自分より弱いようなカレシじゃ心配もするだろうさ」
「やけに饒舌だな」
憂乃がゆっくりと銃口を大佐の側頭部に突きつける。上下関係上ありえない構図だが、旧帝国軍を継ぐこの軍では役職名にさほどとらわれない会話や態度が成立しうる。この前線基地ではましてや生き残れないならどれほど高い地位にあろうがなかろうが関係がない。役職はただ命令系統を保つためにあるようなものである。給与は多少高くはなるが、危険を思うと割には合わない。
「いやぁ大事な姪を心配させまいという心づもりだよ、うん、いい人だろう俺」
「自分で言わないでください大佐。そんなことより時間です」
「そんなことぉ?」
佐倉豊治少佐が一つの銀時計を差し出した。椅子の背越しに振り返り、大佐はうろんげに声をあげる。
「えぇーまたー?」
「当たり前です」
大佐の直接担当する作戦部分について、装備の不備がないか、確認する必要がある。
九条と一宇も、自分たちに合うように、自分たちで最終チェックまで行なう必要があるのだ。
それに、いつまでもだらだらと集まっている場合でもない。
渋々といったように腰を上げ、ランゼルは時計を受け取る。
全員で時計の時間を合わせ、一時解散となった。
*
「時刻は本日深夜零時。これらのデータはすべての人員に向かって解禁されます。もちろん禁止行為にあたる『抜け駆け』発生の可能性も高いのですが」
それについては『神』――マザーコンピュータMの監視があるためにどうにかなるでしょう。
言って、ラファエル情報局局員は顔を上げた。
「……この情報を信じる、と」
「まぁな」
うちの、浮田の商家でも、イーサ辺りが出るだろう、そう言って浮田=ランゼル大佐は空を見上げた。
「あぁ……あいつめちゃくちゃ嬉しそうだな」
上空では、南方の町から最新兵器を輸送して戻ってきた佐倉豊治少佐が地上に向けて手を振っている。目を細め、大佐はうっとりと呟いた。
「あははそんなんやってまた墜落しても知らないぞう」
「相変わらず性格悪いですよね大佐も」
ラファエルは背中で束ねた金髪を風にそよがせて立ち上がる。その後ろ姿をランゼルは微笑んで見送った。――今無駄に体力を使うことはしたくない。
「よーし、佐倉も帰ってきたことだし、マザコン作動してるし、俺らは先に出るぞー」
「マザーコンピュータMも省略すればマザコンですか大佐、そして俺はマザコンの息子になるわけですかそうですかそんなバカなー」
建物の影から砂を踏んで外へ出てきた一宇が情けない声を出す。Mの端末たる『神の左目』が彼に何の益を与えたのかは定かではないが、それでも一宇がそれを保持している事実には変わりない。
「何もそこまで言ってないじゃないか一宇」
ジャケットを羽織り、ランゼルは靴の踵を鳴らした。砂にわずかに埋もれながら、足は踏み慣れた大地の感触を伝えてくる。ジャケットの下には防弾性の機密素材を使った衣服、それに旧式ではあるが銃が一丁下げられている。
別段不備もなく体調も良好である。大佐の階級章をつけたままにするかどうか少し迷ってから、ランゼルは自分のジャケットを変えたばかりであることに気が付いた。さすがに憂乃に穴をあけられたものを着続けるのもゲンが悪い気がして変えたのだ。
そろそろ佐倉も降りてくることだし、合流して行動を開始することにする。
「じゃ、行ってくら」
「ご無事で~」
一宇はのろのろと右手をあげて敬礼した。
「おう、北軍は任せとけー順路つぶしといてやるからな」
「程々にしといてくださいよ……」
やるといったら何をやるか分からない上司に、一宇はさほど感情のこもらない声をかけた。一宇や部下たちが何を言っても、大佐は無茶をやるのである。
北にある海沿いの『北軍』――旧帝国軍の最重要にして最大の軍事基地からもこのレース参加が見込まれている。ただし、それは味方であることと同義ではない。
敵なのだ。
白紙地帯にあるという研究所跡地は、旧世界の遺産とはいえども強力なシステムによって封鎖され終えている。その位置を把握した前線基地では、しかし備品不足のためにこのままでは研究所本体をおさえるよりも情報漏洩が先となってしまうことが目に見えていた。
少しづつの漏洩よりは、と、アルフォンス・ネオ=フィーリングズ前線基地所属(臨時)大佐が『パフォーマンス』をかねて公表を選んだ。
ドッグレースで、最初に研究所を動かす権利を手に入れれば勝ち。
なぜ大佐にしかすぎないアルフォンス・ネオがかような決定を下す権利を持ち合わせているのかは定かではない。が、現に条約は締結された。
……無論、抜け駆けの可能性も多々ある。登録された飛行機の乗り手以外が権利を入手しても『勝ち』にはならないとしても、他チームを陥れる罠を張ることは禁止されていない。
「きっちり場所はおさえておいたよ。経度と緯度は頭に入ってるかな」
風に吹かれ、アルフォンス・ネオが滑走路側に現れた。
そよがれているには強すぎる風に目を細め、彼は黒の軍服姿で天を仰いだ。
「まだ、時間は充分すぎるほどあるね」
空は日暮れによって緋色に染まる。ランゼルは肩をすくめ、それから一宇の頭を軽くはたいて滑走路を歩いていく。一宇はすれ違いざまに「せいぜい生き残れるようつとめろよ」とささやかれ、自分が未だ「ただの」学生に過ぎないことを思い出した。
「あぁ、ランゼルは先に出るのか」
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