最終話1

最終話

クラウティング・スタート、用意はいい?

「それでも、俺は――行かなきゃならないんですか?」

 一宇はドッグから戻ってくると、廊下の狭い椅子に座り込んでいる男にそう問いかけた。薄暗い廊下には相も変わらず得体の知れない悲鳴が響き、ときおり担架に乗せられた重症人が霊安室ともつかない部屋に放り込まれていった。悲鳴の合間にため息をつき、男は金色の髪をかきあげる。

「……すまないね」

「いえ、抗体があるのは俺と、九条先輩と、大佐くらいのものだそうですから」

 天井の光源がじりりと音を立て、ひきつれたように点滅を繰り返した。

「……そうだな」

 言って、男はようやく顔を上げた。

「ネオ大佐、あんたのこと殴って良いですか」

 静けさをたたえた表情のまま、一宇はかすれた声を出した。

「いいよ」

 その目をわずかに細め、アルフォンス・ネオ大佐は少年に向けて頬を示した。

「殴ればいい。私が秘匿していた事柄について君たちが気づくのは時間の問題だった、覚悟はしていたさ」

 そうでなくとも、これまでに多数の人間から散々恨みを買っている。今更、罪を、怒りを、恐れるいわれなど無い。命を与えるわけにはいかないがね、と言い置いて、アルフォンスは目を閉じた。

「……やめます、ばかばかしいですし」

 俯き、まったく気の晴れない表情で一宇がアルフォンスの前にしゃがみこんだ。

「大佐」

「何だね」

「あの結果、本当なんですか?」

 しゃがみこんだ一宇のつむじを見つめながら、アルフォンスはぶたれ損ねた頬に手を当てて薄く笑った。

「……本当だ。予測が正しければ君は狂歌病に感染しない。そして、同じ種類の感染が予測される白紙地帯におそらく旧時代の実験施設の残した遺産が残っているはずだ」

 遺産。

 一宇の肩が、ぴくりと動いた。

「その、生産過程を知るために……データを、取ってこいと仰るんですね」

「そうだ」

 その地の主権を手に入れ、施設を入手し、そうして病を断つ。

「それが前回の作戦の真の目的だったわけですか」

「そう。残念ながら失敗に終わったがね」

 王宮の中心部が病の発生場ではないかという噂はかつてからあった。それは民間では呪いだと言う形で流布しており、その調査については、そこから奇病が蔓延する確率の高さのために科学者さえもが拒んでいた。

 アルフォンスはさして重大でもないことのように告げ、悠然と腕を組んだ。

「今度は大丈夫だ。レジスタンスが根城にしている付近ではあるが、第一級機密の眠っている地下研究所にはロックがかかっていて彼らは入ることができない。必ず残っている」

「……でも、誰もそれを確かめていない以上信じられないですよ」

「旧帝国王族が証言した。もっと早く聞きたかったのだが、本人も古い書類を整理する途中でね、すべての情報を継承しているわけではないから手間取った」

 黙り込み、一宇は壁を睨み付けた。

 いまだかつて誰にも見せたことはなかったであろう、凍えるような虚無の眼差しで何か覚悟を決めたようだった。

「……分かりました」

 おや、と首を傾げ、アルフォンスが一宇の顔をのぞき込んだ。

「まさか了解してくれるとは思わなかったな。もっといやだいやだと泣きわめかれるかと思っていたよ」

 一宇はアルフォンスの軽い口調を聞きながら膝を叩いて立ち上がり、皮肉げに片頬をゆがめた。

「俺が行かなくても他の誰かを行かせるんでしょう? だったら俺が行きますよ」

「やれやれ、英雄気取りかね? 自分ひとりが犠牲になれば済むとでも?」

 軽口に対し、一宇は決して激しない。ただ、

「……何もしないで逃げたくはないんです」

 貴方と同じで。

 そう呟いて、敬礼してから歩き出した。

 不敬の罪については無視した。

 

 負けないよ、僕は。

 そう、もう二度と。

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