第2話

二話

 九条(くじょう)は異常だ。いろんな意味で変人である。男からみれば羨ましい限りであるのだが、女性遍歴は両手では無論足りない。しかしそれらは皆片手でも数えられないほど短い年月で終了されていた。見事。

「さっちゃん、隣、いい?」

 そんな彼が珍しく女性と外でランチをとらず、むさくるしい食堂なんぞに入り込んで、こそこそと被ったフードの下からひっそりと言ったのは、ある寒い日のことだった。佐倉はじっと九条を見つめ、その間(かん)ざっと三十五秒、ものも言わずに食器を持って席を立った。

「ああ! 待てッたら」

 小声で叫ぶという器用な真似をし、おごるから、とささやいた九条は、よし、これで確保、などと内心ガッツポーズを決めていた。

 もくろみ通りに佐倉少佐は立ち止まり、じっ、と九条の目を見つめた。

 ……あっ。むなしく、佐倉は去っていった。

「ああっ、愛がない、少佐、あんた自分の部下をそんな」

 日差しがこの地下にも入り込む。明かり取りから漏れ出す光を、九条の金髪はほとんど白のように反射する。目を細め、九条はちいさなため息をついた。あのひとなら、笑わずにつきあってくれると思ったのだが。

 安価で量のある代わり、味はそこそこ、の食堂には、女性の姿はとても少ない。男ばかりの食堂で、ふう、と九条は息苦しげに首元のフックを外した。まぁ、今なら、ここなら、大丈夫、かもしれない。ごくりと喉を鳴らし、九条は皿の上の物体をにらみつける。

 俺はやる。

 今日こそは。

 九条はフォークをその物体に突き立てた。

 

「九条、レタスとパセリと人参は食えないらしい」

「大佐、それで俺を呼んだんですか」

 手招きを受けて部下を見捨ててきた形になった佐倉は、はるか後方の騒ぎにため息をついた。

「おまえが割合感情が見えにくい男だから、べらべらいわんだろうしどうにか無理矢理食わせてもらえるとでも思ったんだろう、アレでよく試験受かったな~一ヶ月補給なしサバイバル的母艦作戦でちゃんと単位取ってるんだぞ」

「違います大佐、『軍務指令最終試験』です」

「固いこと言うな」

 

「ちょっと、九条」

 ばん。目の前のテーブルに、分厚い書類のファイルがおちる。ローヒールのブーツがあちこち傷み、彼女の戦いを物語る。

「はえ」

 レタスを半分口に押し込み、先程まで吐いていたものを雑巾で拭いていた青年は顔を上げる。

「うひぇ」

 明らかに動揺し、九条は立ち上がろうとして頭をしたたかテーブルにぶつけた。呻いている彼に嘆息し、女は向かいの席に座る。

「あんた、まだ気にしてたの?」

「う、う、うう、うるさいな」

 おまえにはわかんないだろ。

 高官になってきっちり「大人らしく」生きられている彼女。それに引き替え。

「れ、レタスも満足に食えないような人間なんて、ばかにしてんだろおおおおおお」

「バカにしてるのはあなた自身でしょ、私じゃないでしょ」

 ふう。

 

「ああ、ありゃあ泥沼だな」

 遠くから、視力の良い大佐が言う。九条は聞こえたわけでもないのに、ぎっ、とそちらをにらみつけた。

「ああ、睨まれてる睨まれてる」

「佐倉、おまえいい性格してんなぁ」

 

 さておき、女はあきれ顔で九条を見下ろし、やっぱりバカね、と呟いた。

「や、やっぱり」

「違うわよバカ、勝手に思いこんでるところについて言ってるのよ」

 額に青筋こそ立っていないが、声が明らかに苛立っている。女は立ち上がった九条の眉間にびしっと指を突きつけた。

「あんたがレタス食えないこともポタージュに散らしたパセリさえ食えないことも知ってンのよ! それでも、分かっててあんたとつきあってんの、格好悪くたってそれ以外もそこもすきなのよ」

 おー。周囲から拍手が巻き起こる。

 分かっている、ここは前線基地に向かうものたちの集う場所。皆が皆そういうわけではなくとも、いつ何時命を失うか、預かったものを大地に返すか、いつ我を失うか、いつ感染するか、まったくわからないのだ。

 ひとは戯れるしかない気分でもある。

 しかし、分からないからこそ正直にもなる。

 嘘もつくけれど。

 

「感動物になってますね」

 立ったまま、残っていた味噌汁(スープ)を口に運んでいた佐倉は、眼前のショーから目を離さず、大佐の指から漬け物を奪い返した。果敢にも大佐は次の獲物を狙っているが、こちらは空については百戦錬磨、地上戦の方が実は得意な大佐の手など、軽く避けきってみせる。

 そうして最後の一口を平らげると、佐倉は若きシューティングスターを呼んでやる。

「九条! そろそろ出るぞ、あつい抱擁は帰ってきてからやってくれ。そのほうががんばれるだろう」

「へ、あっ、はい!」

 それでもレタスを口に詰め込み、もどしそうになりながら九条は駆け出す。女もまた何事もなかったかのように食堂を後にした。

 トイレで顔を洗ってしまい、化粧をしなおさねばならなくなる程度には、彼女も動揺してはいたが。

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