第3話

三話

「はーい、じゃあ手ぇあげてえええ、らんちゃんだとおもうひとー」

 なぜだろう。佐倉少佐の隣の青年が、右手を挙げた瞬間くしゃみをしてNGになった。いや、そんなことではなく。

「九条、おまえ俺をそんなに睨むなよ。俺は女の相手しかしてやらない主義なんだ」

「奇遇ですね、俺もです。そんなんじゃなくて。俺さっきランに入れたんすけど」

「手、さげたじゃん」

 あっさりと言った大佐の尻馬に乗って周囲の全員が頷いた。

「やり直しダメじゃん」

「やりなおしじゃないー、俺は初めっから、」

 佐倉はふっ、と遠くを見た。天は青く、舞い上がる土埃さえなければピクニック気分を堪能できるのだが。

「しゃげー!」

 変な威嚇が聞こえ、大佐は真顔になって手を挙げた。

「時間がない。みんな、よく聞け。今の民主主義に乗っ取った選挙選出により、内田隊員を身代金として差し出す」

「大佐、違います。身代わりです」

 律儀に訂正し、佐倉は服の埃をはたいて立ち上がった。

「よーするにイケニエだろ」

 続いて、ゴーグルの調節をしながら九条が立ち上がる。無言で同意し、一行はザッ、と音を立てて動き始めた。

 

 先程からずっと岩陰にいた少年は、背後にせまり来る人影を察して大声を上げた。

「たっ、助けてくださ」

「すまない、地上では私もただのヒトだ」

 部下関係では時々一人称が変わる佐倉少佐は、じゃ、と片手をあげて岩から飛び降りた。少年の隣を一気に抜け、遙か向こうのどす黒い森へと駆けていく。

「あぁ!」

 絶望的な悲鳴を上げて、少年はさらにやってきた九条やその他の隊員に返事も貰えず置きざられる。

「大丈夫かね」

「あっ……大佐」

 もはや神も仏もないと思っていた少年は満面の笑みを浮かべたが、大佐は笑みをさらりとかえすと、あっさりと部隊に合流しに行ってしまった。

「あああぁぁあああ」

 呻いた少年は、右手にしがみついたまま眠っている大蛇を動かせず、ただただ悲嘆にくれるのだった。

 

「ランちゃん」

 モバイルが熱を持ち、そろそろ内部部品が焦げた匂いを発する頃だった。

「ランちゃん、なにおこってんの」

 キーを叩く音だけが響いている。三秒待って、大佐は目を見開いた。画面にはわざわざ赤字で、「うるせえ、かわいぶるな。がたがたいうな」と書かれていた。

「……ひどい、らんちゃん」

 長めの金髪を後ろで束ねている青年の背後で、髪を引き引き、大佐は言う。

「せっかく内田を売ったのに」

 だからだ。分かっているのかいないのか。沈黙の中、黙々と文字が打ち込まれていく。

「ラファエル、内田隊員から連絡は」

 テントの幕を一部引き、佐倉が顔を覗かせた。

「……ラファエル、情報局員は局員同士の通話ができる、だからおまえか内田しかうちから出せる人員は居なかったんだ」

「ナイスフォロー」

 大佐が返し、ムードはいっそう剣呑たるものになる。佐倉は黙ったまま中に入ると、ラファエルの肩に手を置いた。

「内田は既に敵の罠にかかっているのだ。もしあそこで撃てば内田は腕を失っていた」

「置き去ったとしても同じ……いえ、置いてきた時点で死んでいると思うのですが」

 佐倉はしばらく考えて、大佐をそっと盗み見た。見なければ良かった。佐倉はため息をこらえながらテントを出る。大佐はこっそり持ってきていたシューティングゲームで遊んでいた。いや、責めてはいけないのだ。前線ではたまには息抜きをしないと。している間に死んでいるかもしれないが。

 

 内田は叫んでいた。前世紀のフィルムで見たことがある。このようにして現地住民から歓迎を受けた者が、この先どうなるのか、残念ながら内田はちゃんと知っていた。

「蛇のマカロニ」

 と、彼らは叫んでいた。

「ぼくは決して怪しい者ではありません!!」

 内田は思わず母国語で喋り、右手を大きく振ってしまった。蛇はまだ、体に巻き付いている。

「マカロニ!」

 内田は思った。ダメだ、ぼく、このままマカロニ扱いされるのかも。釜ゆでだろうか。いっそ一発ですませてください、せめて躍り食いはご勘弁を。

 色とりどりの羽で身辺を飾った者達が、よそ者一匹を取り囲んで叫びあう。

「マカロニ様が、異国人をとらえている」

「なぜ」

「わからん」

「敵意か?」

「いや、眠っておられる」

 もちろん、内田は意味が分からない。こんなときラファエルが居てくれたら! 内田は異母兄のことを思いだした。あはは、走馬燈だ。一人つっこみを入れながら、内田は涙ながらにこの世に別れの言葉を述べた。

「べつに大佐を恨みません、蛇を連れた幼女がレジスタンス一党を二日で壊滅させたとの緊急情報にのっかったぼくが悪いんです。まさかいきなり少佐の機体がエンストして森につっこむとは……、でもとりあえず火事にならなかっただけでもよかったです。しかしとりあえず着陸して機体を隠し、敵情視察したものの何もなくてラファエルがチェックかけたらここ戦闘地区に入ってなくってうっかりだったって判明して、ぼくもう泣きそうに」

 一方、村人の一人が意を決し、内田に槍を突きだした。

「うわあ!」

 喋るのに夢中の少年は、軍人ならではの反射速度でそれを払いのけてしまった。

「ああ、やっぱりやるんですね!? そうでしょうとも、ぼくは闖入者です、どうぞご自由に……ああっやっぱりイヤだ!」

 

「敵のただ中に情報工作員を放り込む。これこそ戦略」

 そうは言っているが、内田だけが岩陰で眠っていた蛇にちょうどいいしがみつくものだと誤解されて動けなかったからだと、佐倉はちゃんと分かっている。双眼鏡で覗きながら、大佐はなぜか楽しげだ。

「すごいぞ、内田が白い服に着替えさせられている」

 情報を盗むどころか食料になるのではないだろうか。佐倉は大佐の腕を信じて、とりあえず黙って立っていた。後ろからの視線が痛い。ランちゃんことラファエルは、眼前の敵ではなく画面をひたすらにらみつけていた。それなのに心はこちらを向いている。いたたまれないが、データにない地区に降りた以上、情報のひとつやふたつは持ち帰らねば話にならない。悪いが、内田は人質なのだ。

「おお、なんか肉が出てきた」

 された、の間違いかもしれないなと思いつつ、佐倉は時間を確かめた。哀れ、九条は半日で終るはずの掃討作戦の帰り道、変な寄り道で今朝とりつけたデートをオールキャンセルするはめとなった。ああ、これは明日になるかもしれない。佐倉は他の隊員のせつない会話に息をつく。

「俺、明後日娘と面会日でさぁ」

「おれなんか明日、朝イチで街におりてジェシカちゃんと……ああぁあ」

 ほそぼそとした語りだが、皆、相当せっぱつまっていた。

「ン」

 それを知ってかしらずか、大佐はぽん、と双眼鏡を放ると、全員を正規の配置につけた。――出撃の。そして、

「行ってくら」

 身軽な背中にライフルを負い、大佐が祭のただ中に飛び込んでいく。佐倉は慌てず騒がず、自分の整備済みの機体がすぐに動かせることを確かめると、

「五分経ったら飛び立て。私の機だけ残して構わない。いざとなれば遠隔操作で爆破する」

 その、いざ、が訪れないことを知っていながら言い置いて、森の中を駆けていった。

 

「内田隊員はね、蛇神様に気に入られたんだって」

 やっぱジャンクフードをがつがつと食べる子って可愛い。

「んでさ。聞いてる?」

「ええ、もちろん」

 すました顔でコーヒーを口に運ぶが、目の前のすかした男の方は、珍しく人目もはばからず、バーガーを一息に平らげる。

「悪いな、さっき帰ったばっかりだし、カフェテリアも閉まってるし」

「気にしないで。わたしはそういうの、好き」

 器用にレタスを避ける姿は情けないが。

 彼女は「九条」と記名されたネームプレートを愛おしげに見つめた。内田隊員のことはまだ配属されたばかりでよく知らないが、毛色の違う兄のことはよく知っていた。

「CPUに名前つけてた、シンクタンクの首席でしょ、ラファエル。彼の弟にしては可愛いわよね、黒髪だし、つついたら転びそうで」

 こういうとき、九条は意見の相違を感じる。否、女ってよくわかんね、とだけ思うのだ。でも興をそぐような真似はしない。

「んー、まぁ、可愛いな。こどもだしな」

 と、笑みながらコーラを一気飲みするという器用な真似をやってのけた。おまえも子どもだ、と女は内心でつっこんで、高カロリーの物体がたちまちのうちに胃袋に消えていくサマを見ている。

「んでさ、内田、会議によって蛇様のミコ? かなんかにされかけててさ。大佐が適当に『うちの神のミコなのでさらわないでいただけると』とかなんとか言っちゃって。んで佐倉少佐、白いシーツなんか被っちゃってさ~いやぁ、俺もほんとは待機組だったんだけどひっそりこっそりついてってうっかり置いてかれそうになったんだけど」

 噂をすれば影である。泣きはらした目で兄に付き従われながら、内田少年が廊下を行くところだった。

「んー? あの後ろは……大佐か」

 セルフスタンドでコーヒーを入れ、大佐がひょいひょいと二人にカップを渡していく。

「ま、生きててよかったってことだ」

 会話を盗みぎくかたちになった九条は、がっつくのをやめて耳をそばだてる。カウンターの影に隠れた位置で密会しているのに気づかず、三者は手近な席に座った。

「大佐、恨んでますから」

 ラファエルはまだ根に持っている。睨まれ、向かいに座した大佐は苦笑のていだ。

「まぁまぁ。そう怒るな。おまえらは自分の立場を私情と混同している」

「あなたに言われたくはないですが」

「うっ、あう、い、いいんです。すごいめちゃくちゃ怖かったんですけど、あれも所詮じぶんの責任でありまして」

 それに。

「けっきょくは大佐に救われたんです。もしかしたらあのままあそこで暮らすことになったのかもしれなかったし。ぼく、まだここに配属されてちょっとしか経ってないしほとんど能力を活用してない。もっと、ちゃんと情報員として働きたいです」

「……しょうご」

 内田隊員は頷くと、大佐に深く頭を下げた。下げすぎて鈍い音がテーブルと頭蓋を中心に響いたが、顔をあげたとき、大佐が珍しくまるで父のように、飄然ではなく笑っていたから、内田少年は思わず、笑ってしまったのだった。

 

「あぁ、だまされてるだまされてる」九条に同意しつつ、彼女も大佐に内心でつっこむ。「あんたもメズラシ技を使いすぎ」、と。

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