閑話1-1
閑話
1、佐倉家の場合。
二人乗り飛行機を借りて、佐倉少佐は一宇を連れて姉の家に向かった。
とりあえず、姉である一宇の母は涙で人を溺れされるのではないかというほど泣いてすっきりしたのか、今は嬉々として料理している。
一宇は自発的に料理を手伝い、親子は下処理について多少もめたものの、全体的にはいたってなごやかに夕食を完成させた。
「叔父さんのおかげでさぁ」
ごった煮のスープをつつきながら、一宇は戦場での緊張が嘘のようにのんびりと話していた。
えへへ、と笑う甥は元気そのもので、佐倉のほうが多少やつれた感があると散々言われたほどだ。やはり一宇を軍人にはしたくないなと思いつつ、佐倉はそれについては何も触れずにテーブルの端の胡椒を取って貰った。
一宇は瞬間、何か言いたげに口ごもり、それからささやくように言葉を落とした。
「なんとか帰ってきましたよホントに」
「いや、お前自身の力だよ。もし専門技術だけしか持たない人間だったら、どこかの段階で確実に命を落としていただろうさ」
「食卓で軍法会議しないでくれる? 折角のご飯がまずくなっちゃうわよ」
「あっごめんなさい! じっちゃんもごめん!」
一宇はおどけたしぐさで謝罪する。このまま、夕餉を囲んでいられたらいいのに。少佐は今は今のことに取り組むべく物思いを打ち切った。
2、九条の場合。
「うおー暇だー」
作戦後、まともに基地に帰ることなど想定していない九条才貴(くじょうさいき)。
どうせなら燃料が余った分だけ飛行して帰ろうと思い、海側に出てみた。
高度も上げられるだけあげまくったが、途中で堪えきれなくなって下降する。
「あぁ、いいなぁー」
最速で飛べるのなら、別に軍人でなくてもいいのかもしれない。
なんとなくそう思い、九条は夕日を眩しげに後方に追いやる。
「商人もいいよなぁ」
今回の作戦で見た商隊護衛の姿を思い、軍人でなくともシューティングスターの能力を生かす職があるだろうことについて考える。
「でも、俺商才ないだろうしなぁ」
別に自分が商売する必要もないのだが、彼は真剣に悩んだ。
悩んだ結果、燃料が著しく減っていることに気がつくのが遅れた。
「うわっやべえ!」
慌てて頭の中で地図を広げ、九条は一つ、目的地を定める。
3、浮田家の場合。
「よっ」
からん、と鈴が澄んだ音を立てる。
喫茶店の入口に足を置いた男は、すぐにその眉を持ち上げた。
「なんだ? いないのか」
狭いカウンターの中では、まばらな白い髭を垂らしている老爺一人がガラスコップを磨いているきりであった。
男は肩を落とし、それから声を大きくした。
「おい、マスター! ウチのは?」
「いらっしゃいませえ」
男はしばしの沈黙を挟んだ。
「マスター、マリアンは?」
「いらっしゃいませえ」
男は無言で店を出た。
空っぽの店内が、ここ最近の戦闘のあおりを思わせる。
「……一番近くの基地が吹っ飛んだんじゃあなぁ」
基地に関わる民間人も、一時的に職を失う。
それは客も減るだろうな、とぼやきつつ、男は右手に持った不似合いなほどの大きな物体に目を落とした。
どちらにせよ、人通りの少ない街を歩くのに困難はない。
「……ま、任務外とはいえども武器は携帯してるわけだし」
人が減ると、警備関係も荒れる。人が多くなっても悪の温床にはなるが、それでも数が多い分だけ組織的な統率ができるものだ。
今はそれが薄いので、彼もいつにもまして警戒を怠らない。
胸元に手を滑らせるが早いか、抜きはなたれた銃が数メートル後ろの看板を弾いた。
「ひ……ッ」
ただでさえ少ない周りの人間も一様に怯えるが、看板下で恐喝にあっていた老婆だけが、自分の目の前の男たちに看板が降ったことで逃げるチャンスを得たことに気がついた。
「野郎……ッ」
当然、むっとした恐喝犯たちがこちらに向かってくる。
「あぁあァ、やだねえ。誰の腹から産まれたんだっつーの」
背を向けたまま、男は軽く肩をすくめた。
その仕草がさらに男たちの気をあおる。
「喧嘩しに来たわけじゃないっての、ねぇ?」
笑い、男は振り返る。
*
「で? 殴られたわけだー」
頬に薬をつけてもらいながら、浮田=ランゼルはふてくされる。
「しかたないだろ」
「しかたなくないもん」
居間に置かれたテーブルに乗って、少女はイヤそうな顔をして薬を箱に閉まった。椅子に座るランゼルの頭を軽くはたき、にやりと口の端をあげる。
「パパ、案外弱いんだから気をつけなよー?」
ランゼルは瞬間、テーブルに乗るなと説教しかけた口を閉ざした。そして、うらめしげに少女を見やる。
「……いっとくがなぁ、お父さんは非常に強い部類に入るんだぞ。こないだだってなー」
「そう言う言葉は勝ってからいいなよね」
「う」
先日、砂漠でかなりぎりぎりの戦闘をした手前、ランゼルも歯切れが悪い。
まぁ、そういうことも、ある、と濁して、少女の頭をぽんぽんとはたいた。
「手当してくれてありがとな、エリカ」
「良いけど別にッ。てゆーかそういう子供扱いされても全然嬉しくないしっ! 邪魔だし」
邪険に振り払われ、父親は少しだけ凹んだ。
「まったく、ねぇ?」
娘に似た笑みを浮かべ、マリアンが裏口から入ってくる。
手にあるのは、真っ赤なバラをいけた花瓶。
「どこかのおバカさんたら、こーんな無駄遣いして。それを気にするもんだからまともに喧嘩できないなんて情けないわよー」
「……悪かったな」
娘はばたばたと足音を立てて薬箱を片づけに行く。それに向かって「もっと静かに歩くように」と注意しようと思ったランゼルは、出鼻をくじかれてほおづえをつく。殴られたのは一発だけだが、さすがに鈍く痛んだ。
腫れたら、夫婦喧嘩ですかと能天気に基地の仲間が聞いてくるに違いない。
事実を告げるのもしゃくにさわるので、できれば早くなおってほしいものだ。
「それにしてもどういう風の吹き回し? おみやげを持って帰る男は、何か後ろめたいことがあるものよ?」
結い上げた黒髪の向こう、窓からの光がマリアンの手元に降り注ぐ。
ランゼルはしばらく黙り、別になんでもないさ、と嘯(うそぶ)いた。
「えぇー、パパも居るの?」
「そうよ」
台所から聞こえてくる声に、ランゼルはちょっと閉口した。
日は暮れ始め、そこここから夕食の立てる香りが漂ってきていた。
「悪かったなー」
「うわっ居たの!?」
のっそりと台所に侵入してきたランゼルに慌てて振り返り、エリカはえへへと笑ってみせる。
「俺も何か手伝うが」
「変な気を遣わないでくれる? 普通の家庭なら当たり前かもしれないけれど、貴方に手伝わせるとエリカよりひどい有様になるのよ台所が」
マリアンにいたっては振り返りもしない。
言外に役立たずと言われ、ランゼルは渋々ながら部屋に戻る。
「あたし、今晩は友達とでかけるんだからねっ」
本当はご飯も外で食べる予定だったのだ、と言い続けられ、ランゼルはついに言葉を出した。
「お前なぁ、そんなに俺と食うのがイヤだったら早く行って来いよ。俺は構わないからさ」
「わっ……かってないなぁ!」
途端、どん! とテーブルにビールを置いて、エリカが憤然と自分のステーキを切り裂き始める。
眼前のグラスからこぼれていく泡を見ながら、ランゼルはウチの娘も大きくなるに連れてさらに宇宙人化したなぁとぼんやり思った。
「食べないの?」
マリアンがふと顔を上げる。
食卓に載せられた燭台が、ほの明るく辺りを照らした。
「食べないならあたしもらっちゃうよっ」
「貴方は野菜も食べなさい。まったくもう、肉食いなんだから」
「だってぇー野菜なんて草食獣だよっ折角のタンパク質を逃すマジ! 光合成できないんだからさっ」
立て板に水のごとくべらべらと喋る娘と妻を交互に見やり、ランゼルはわずかに微笑んだ。
「何よ、気持ち悪い」
女性陣に二人同時に言われ、ランゼルは慌ててビールを口にした。
「……なんなのかしらねぇ」
不審げにマリアンが眉を寄せ、レモンの絞り汁をステーキにかける。一方のエリカは、たっぷりのデミグラスソースごとすでに平らげており、あとは副菜を暇そうにつつくばかりだ。
「よく食べるなぁお前。それでなんで胸とか尻に肉が付かないんだか」
「うわっムカツク!」
脂肪はつきにくいがエネルギーが筋肉に変わりやすい体質を気にしている乙女に向かって、父親はそうとは知らずに地雷を踏んだ。そうでなくともセクハラ発言である。
テーブルの下で、妻が力いっぱいランゼルの足を踏みつけた。
「たまにしか帰らないと思えば、遊んでもくれないオヤジだしさぁ。何考えてんだか!」
「何だ? 遊んでほしいのか?」
「そうじゃない! 今更おっさんと遊んで何が楽しいのよっ」
おっさんと言われて傷つく程度には彼もまだ若かった。
胸を押さえた彼の耳に、どぉん、と爆弾とは似て非なる地響きがとどろいだ。
「何だ、何かあるのか?」
「今日は街の西側でお祭りがあるの」
きょとんとしたランゼル
にマリアンが教える。
ゆっくりとお茶を飲んで、エリカがそわそわと外を見やった。
「パパったらそんなことも知らないで帰ってきたわけ?」
「もう待ち合わせの時間なのか?」
夜に出かけるなど許さない、と言いたいところだが、祭なら、まぁ場合によっては許可はする。
ランゼルの足を再び踏んで、マリアンが「デートよ」と呟いた。
「はぁ!?」
「違うわよママっ! それにパパには言わないって約束したし!」
「な、なんでだよエリカ」
「だって絶対外に出してくれないじゃん、暗くなったら危ないって言ってー」
「実際危ないだろ!?」
「大丈夫よ」
マリアンが呟き、二人に向かって微笑んだ。
「大丈夫、ボディーガードがついてるから」
「ボディーガード? 俺がいるのに?」
「……パパ、ついてくるつもりだったのひょっとして」
わずかに沈黙し、ランゼルはダメなのかと娘に聞いて、こともなげに同行を却下された。
「あぁ、昔は可愛かったのになぁ」
出かける準備をする娘の後ろ姿に、父親は寂しげに吐く。
それがまたオヤジくさいと妻子共に言われ、ランゼルはどうしていいのやらと首をすくめる。
あれでもないこれでもないと服を品定めし、ネックレスなどもつけて少女は準備万端となる。
首に掛かっているのは、昔ランゼルの祖父母が商(あきな)っていたころに手に入れた小さな宝石を加工した細工物だ。さほど高価なものではないためにままごと遊びでも使われていたが、いつのまにかちゃんと身につけられるようになったらしい。
「そういやぁ昔、これほしがった時期があったなぁ」
ふと、ランゼルは自分の首に掛かるドッグタグを指で弾いた。
銀色の無機質なプレートを見て、マリアンが苦い笑みを浮かべる。
「イヤなこと思い出させないでくれる?」
「あぁ、あんときはかーなり怒ったなお前」
娘がまだ幼かった頃、父親の持つものをほしがったことがあった。
今では、そのプレートが何を意味するのかを知っていて、エリカもほしいとは言うことがない。
「……これを俺が必要としなくなったらやるって、約束したっけ」
「だから要らないって、言ったでしょうが」
ドアのノックに、娘がぱっと駆けていく。
それに先んじ、ランゼルは笑みを消してドアを開いた。
*
「何だ、お前か」
ノックされて扉を開き、ランゼルは拍子抜けした。
「何だとはなんだ」
白のワンピースを纏い、小さな蝶の飾りの付いた髪飾りをつけている女は、まぎれもなくランゼルの血縁関係者だ。
「しかし何でまた憂乃が」
「悪かったな」
ランゼルの姪は不機嫌そうに彼を見上げ、続く言葉で足を蹴り上げた。
「一宇に振られたのか?」
4、祭
「うわー」
不時着した機体からはいずり出てすぐ、九条はしまったと舌打ちした。
「やばいなこれ。どうしよう」
そこは、ちいさな畑だった。
しかも四方に村が見えない。
「起伏の影に隠れてる……のかな」
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