閑話1-2
生憎、長時間の飛行を想定していないので飲食糧もほとんどない。
九条はしばらく悩み、それから、方位を確認して歩き始めた。
「も少し歩けば、一宇ンちにつくだろ」
彼は、方位磁石が電子機器の影響で狂っていることに気がつかなかった。
だから、眼前で花火が上がった瞬間、辺境でも花火をあげるのだなぁと感心した。
*
花火の打ち上げがしばらく延期されたと思ったら、花火師に担がれて軍人が一人現れた。
なんでも、飲まず食わずで一昼夜以上歩き通していたらしい。
変人だ変人だと騒がれる中、憂乃は人込みの中からその軍人の名を呼んだ。
「九条か?」
「はい? 幻聴? ここはもっと西だから基地の近くの街なわけないし」
「いや、あっている。ここは、街だ」
街ィ!? と叫び、男は担いでくれていた人々を押しのけて憂乃に向けて走った。
「あぁっ大尉だ! ホントに街ですか!?」
「街だ」
手元にあった水筒を渡し、可憐なワンピース姿の女は極めて軍人らしく短く返答した。
何気なく後をつけてきていたランゼルが建物の影で、娘を置き去りにした憂乃に小さく罵声を浴びせた。そして妻に心配性だと鼻で笑われた。
「一宇は――あぁ、少佐と一緒に帰ってるんでしたっけね」
「実家に、帰ってるから……でも明日には戻ってくるから明日の花火は見られる」
よろよろだった九条も、散々食事をおごられて随分回復した。
天には花火が上がり、昔の風物詩を現代に甦らせる。
「文明は、人によって繰り返されなければ忘れられていく」
ぼんやりと天を見上げ、憂乃は自分の内の感情が花火をつくりあげた者たちとは違っているのだろうなと考えた。
その隣で、九条と手を繋いだエリカが心なしか頬を染めている。
「あぁ、若いよなぁ。恋だなぁ」
「何がですか?」
持ち合わせのない九条はひたすら憂乃に奢られ、彼女に買って貰ったものをエリカに渡すという格好いいのか悪いのかよくわからないことをしていた。
きょとんとした九条と対照的に、エリカがバッと顔を上げる。首を激しく横に振られ、憂乃はにやりと頬をゆがめた。
「いやぁ、ご本人のたっての希望だから。本人に聞いてくれ」
「え、どうしたの、エリカちゃん?」
さすがパイロット、女性遍歴はかなりのものだが、それでも九条はどこか疎いところがあった。
「……おねえちゃんそういうとこばっかりパパそっくり!」
正確には叔母にあたる憂乃に逆襲し、エリカはそっぽを向いてしまった。
ランゼルと同じだと言われ、憂乃はいたく衝撃を受けた。
「そうか……あんなオヤジか……」
そのころ、後方ではランゼルが、自分に似ていることで凹んでいる憂乃を見て密かにショックを受けていた。
5、祭の後
翌日。
「そんなことがあったんですか」
基地跡地にできあがった簡易施設は、簡易とは言うがかなりもとの基地に近い作りとなっている。それでもプレハブめいていてどこか足下が危ういので、一宇は慎重に機体から降りた。整備確認中から今までずっとしゃべっていた憂乃は、一宇と目が合いかすかに微笑む。
「大変でしたね」
雨が降って祭は一夜限りで終わってしまったが、まだ祭気分が抜けない彼女はうんと頷く。
「でも、面白かった、お前も居たらよかったのにな」
「あぁ、押したらぺこんとかいってへこみそうな人だなぁ」
と、一宇はよく分からないことを言って、憂乃の前で立ち止まった。
憂乃が見上げてくる姿は小動物のようで、普段の冷たさと違っていてなんだかひどく気が騒ぐ。それをおさえ、一宇は軽く一礼した。
「ただいま帰りました」
「うん、お帰りなさい」
その自然な返答に、一宇はしゃがみ込み、拳で床を叩いた。
「お帰りなさいって……! いつもなら良く帰ったな、とかそんななのに!!」
「どうしたんだいきなり」
小声で呟く一宇にうさんくさそうに目を向けて、憂乃はさっさときびすを返す。
「早く戻れ、任務に差し障る」
「うっわぁ……喜ばせて置いておとしますかそこで」
佐倉一宇、まだ未成年、女心の謎にちょっと涙が出そうなお年頃である。
*
砂漠に出ると、相変わらずの風が吹き付けてくる。
憂乃はしばらく歩いて、簡易施設の裏手から中に入った。外で待たされた一宇は、出てきた彼女が両手に乗る程度の紙包みを持っていることに気がつき、何となくどきどきした。
「これ、おみやげ」
「……普通、出かけてきた俺がするもののような気がするんですけど」
文句を言うならやらん、と言われそうなので、一宇は受け取ってから呟いた。
案の定憂乃は騒ぎながら包みを奪還しようとしてきたが、一宇はいち早く包み紙をあけてしまった。
「……クッキー?」
「いやなら食うな! 返せ!」
「いや、いやいやいや、頂きます!」
飛びかかる相手を左手で押さえ、一宇はまだ少し痛む右手でもって器用に包みから中身を一つ取り出して口に入れた。
「うまいです、ありがとうございます」
「……今、がりっとかいったけど」
「いやぁ……卵の殻だけではあきたらず何かの種まで入ってますよこれ」
「えっ、入ってた!?」
憂乃とエリカがマリアンのもとで二人で作り、エリカは父親と九条にプレゼントしたのだという。
「いやっうまいですありがとうございます!」
九条とランゼルの歯が丈夫であることを祈りながら、一宇はクッキーを飲み込んだ。おそらく二人とも、まずいと言って女性の興をそぐ真似はしないだろう。……歯が欠けないといいのだが。
伸び上がってクッキーを取り返そうとしていた憂乃は、釈然としない顔をしつつそれならいい、と頷いた。
「で、大尉、お礼をしたいんですが」
一宇は紙包みを丁寧にジャケットのポケットにしまってからふと思いついた。
「お前やけに直接的だな。何をしてくれるっていうんだ?」
自分の頬に触れながら、憂乃は明後日の方を向いてふてくされたように呟いた。
そうなんです、と笑って、一宇は不意に背をかがめた。
「いつ何がおきるか分からないから、後で後悔するような隠し事はあんまりなしにしとこうって思ったんです」
額に。
触れたのが、唇で。
憂乃は数瞬固まったが、次の瞬間全身で息を吸って、やけになったように一宇の腹に拳を叩き込んだ。
力はほとんど込められていなくて、一宇は簡単に抱きとめてしまう。
「憂乃さんって無防備ですよね」
一宇の呼びかけが、いつの間にかまたファーストネームに戻っていたりする。
「それはお前の所為だろうが」
日にさらされた服に顔を埋めて、憂乃は大きくため息をつく。
「いやだな」
「ええっ!? 嫌なんですか可愛いのに」
だからだ。いっそう強く自分から抱きついた憂乃は、さてどうしようかとひとりごちた。ややあって。
「それでお二人さん。そろそろよろしくて?」
衆目。ランゼルが半笑いで銃を肩に担ぎ、その後ろから軍人たちが熱い視線を送っていた。
「えええええぇ!?」
真っ正直に反応した一宇が、赤くなって憂乃を突き飛ばす。引き離され、憂乃はそっぽを向いて言う。
「……お前気づいてなかったんだな」
「あったりまえじゃないですか!! スで言えませんよいくら何でも! ましてや大佐の前で!!」
「フフフ、これから全員で点呼とか楽しく遊ぼうかなぁと思ったらあらびっくり、裏口の前で貴方、ねぇ?」
大佐の口調がよれている。どうやら、娘が九条にもプレゼントを渡したということに何となく精神的ダメージを受けているらしい。
「走れえ!」
天に向けられた空砲に、一宇は蒼白になって駆けだした。
「大変だなぁ」
のんびりと、憂乃は彼らの背を見送る。
約束もないこの場所で、人々はいまだ、その短い生を謳歌する。
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