第10話11

 唐突に、金属が頭の皮膚に押しつけられた。一宇は息をのみ、両手をあげてゆっくりと振り返った。予想通り、いやにすすけてはいるがジークが変わらぬ姿でそこに立っていた。

「チェックメイトだ」

 ジークが引き金を引けば一宇は即座に命を奪われる状態にある。両手をあげたまま周囲を眼球だけ動かして見てみれば、十数名居た仲間のうち十名ほどが声もなく砂に顔を埋(うず)めていた。手際の良すぎる男に、憂乃がかすかに舌打ちした。後頭部を遠慮無く柄で殴られたため、目を開けているのもやっとだった。銃器は、ジークに気づいた瞬間に蹴り飛ばされたので手元にはない。ジークの後ろにも数名、レジスタンス側の人間が居る。全員、無事とは言い難い風体で、血走った目をしていた。一刻も早く殺してしまいたい、と顔に書いてあるような連中をなだめ、ジークは長い黒髪をひるがえして前進した。

「これ以上先には進めません」

 後ろ頭に銃口を突きつけられている一宇は、もう一度押されてもなお足を進めなかった。ジークが目を細め、迂回するように銃口でもって一宇を追い立てる。砂の上に変化は見えないが、どうやらこの一帯にはところどころに地雷が埋められているらしかった。

「こんなものを埋めている暇があったら井戸でも掘れ……っ」

 呟いた憂乃は首の後ろを筒でしたたか殴られた。

 

 前方で、数名に援護された一人の男が、老いた男の首を放り投げた。

「成程? 人質交換か?」

 男の声に、女王の体がわずかに震える。それは、砂上に転がされた父親の首への思いのためか、それともローズが壊滅状態にさらされていることへの怒りのためかは判別がつかなかった。ジークの両手で構えた銃を見、男が――ランゼルが冷笑した。

「見てみろ、お前の忠実な部下はまだ殺人を続けるようだぞ」

「黙りなさい」

 ようやく首から目を離し、女王は鞭を振り上げた。砂が散り、鋭い刃を仕込まれたしなやかなツルが新たに生者の首を打った。ランゼル自身は回避しきったが、援護に回る者たちが数名、かなりの血を流した。両陣営共にすでに弾は尽き、極めて原始的な方法に頼らざるを得ない。ランゼルは大型のナイフをひらめかせた。

「くっ!」

 女王が身を返し、ジークが撃った銃弾がランゼルの持つライフルの柄に当たってはじけた。同時に一宇がジークを背負い投げし、しかしその勢いを利用されて砂に落とされた。

「一宇!」

 憂乃が、血塗れた腕でジークの腹を狙う。後ろについていた男が無防備に腰に下げていたサバイバルナイフを奪い取った彼女は、すでにその男を絶命させている。しかしジークは皮一枚のところで回し蹴りの勢いを利用して避け、憂乃は左耳に触れかけた靴底に顔をしかめた。

「大尉!」「任せたぞ!」

 その隙にジークの背中に肘を落とし込んだ一宇に、憂乃は小さな瓶を放る。飛来物の内容に気づいた一宇は、それに手を伸ばしきる前に身を引いた。とっさに瓶をたたき落としたジークが、内容物に思い当たって色を無くした。

「液体火薬……!」

「ご名答!」

 至近距離にもかかわらず憂乃が銃を撃つ。

 揮発した溶剤に着火が起こり、辺りは大きな爆風に飲まれた。

「さすがに死んでくれないと困るな」

 地雷原にもかかわらず爆薬を使った危険人物は、砂煙の中で誰かから奪ったゴーグルを身につけた。

「大尉、今の火薬の適応範囲が二メートルだって知ってましたよね?」

 とっさに距離をとって無事だった一宇が、文句を言いながら体を起こした。しかしすぐに黙り込む。そして、急に一宇の腕をとって引きずりあげた人物が敵ではないことに気がつくと手に持っていた小型ナイフを下に降ろした。

「行け、すぐに回収しに来る、時間がないぞ」

 ランゼルが油断無く、ほとんど視界の得られない周囲に目を配りながらそう言った。

 辛うじて無事な人員が、次々とロープにつり上げられては飛んでいく。決して効率的とは言い難いが、一機、シューティングスターと呼ばれる攻撃戦闘機の上級使い手が居るために地上の敵からは手が出しにくかった。

 商隊の護衛隊はすでに戦線を離脱し、軍人の一部もそれに従って徒歩で戻っているらしい。耳に響いてくる佐倉の声を一時的に黙らせ、砂煙が収まりきる前、ランゼルは頬にいくらかの血筋を作って砂の上を後転した。

「なかなかやるな」

 利き手をおさえ、しかしすぐに動く手で引き金を引く。

 それがジークから奪い取った銃だと気づき、一宇がナイフを投じる。

 あっけなく返された以上ジークを殺すまでには至らなかったかと身構えたが、一宇はすぐに構えをゆるめた。

 背後に庇われる形になっていた憂乃が、同じくジークによって軍人から距離をおかれていた女王と目があった。

 ふと笑う女王に、憂乃は不信感を募らせる。

「何が可笑しい」

「別に? ただ、やる気になれば民間などたたきつぶせる癖に、どうしてのろのろしてたのかしらと思っただけよ」

 黄土色にゆがんでいた視界が、やがて晴れる。駆けだしたランゼルに一拍遅れて一宇と憂乃も降ろされたロープに手を伸ばした。

「もしかして大佐、ジークを」

 ぼそりと聞いた一宇に、ランゼルは軽く肩をすくめる。

「利き手はやられたが、むこうは致命傷だろ――肋骨にいっぺん引っかかったが、あれだけ深く突いてりゃ心臓に当たってる」

 砂に立ち、ローズ首領は死者の中でなお哄笑した。砂に首をつっこんだ黒服の男が執念のように伸ばした腕から数発の銃弾が発射された。

「イチウ、その命、惜しくないようね!」

 女王の冷笑に同じく冷笑で返し、一宇は首元の銀の輪を指で弾いた。

「生憎ですが女王さま、ラッキーなことに丁度今朝、ようやく起爆プログラムを解除させていただきました。首輪自体はきりはなせなかったですけど、爆弾の起爆はできません」

 一宇はずっと、吹き飛ばされまいかと冷や冷やして生活していたのだ。意識せずにはいられない位置に着けられた爆弾、もし専門職であればもっとはやく解除できていたかもしれないが、それでも、この状況におかれた者としては平静な対処であり優秀とも言える。

「お前、それで何度も軍人と接触していながら戻らなかったのか」

 呆れたように呟いた憂乃が、地上の様子から目を背けた。

「えぇまぁ……解除するより先に俺の首が吹っ飛びますからね……悪いとは思いましたけど敵に回ったままで生き延びさせて貰いました」

「そうか」

 地上から遙かに遠ざかり、すでに距離もあいていて女王がどうしているのかを肉眼で確認することはできない。ただ、ひときわ大きな砂煙があがり、何かの破片が空高く吹き上げられているのが目に見えた。

 

「みなさーん!」

 深刻な顔をした三者に、明るい声が降ってきた。顔を上げると、コックピットで九条が暢気に手を振っている。どうやら一人乗り戦闘機に三人つり下げて飛ぶという無理な体勢をとっているらしいと気づき、一宇が蒼白になった。そして九条は、予想通りのことを告げた。

「どう考えても定員オーバーなんで、そろそろ高度が保てませーん!」

「やはりな」

「やはりって大尉ー!」

「よって少佐んとこへ落とします、それでは皆さん、基地跡地でお会いしましょう!」

 半泣きの一宇は、首の飾りを半ば無意識に掴んだ。

「これ、まだ衝撃で爆発するかもしれないンですよ!?」

「どうにかなるなる」

 大佐と大尉に同時に言われ、一介の候補生としては破格の体験をしてきた少年も悲鳴を上げた。折しも、急降下した機体が砂の中へと三人を吊したロープを引きずり始めていた。

 

「で、大佐。俺だけが目的なわけがないですよね」

「何がだ?」

 失血死しないように器用に利き手に布をまいていたランゼルは、布の端を顎でおさえて首を傾げた。

「経験上、そして論理上、俺を連れ戻すことだけが目的、なんてことはないでしょう」

「だってお前には神の左目があるじゃないか」

「それにしても! ……なんっか、腑に落ちません」

 大佐は、一宇の顔をまじまじと見つめた。それからにいっと頬をあげる。

「ははーん、妬いてるのお?」

「何をですか、何を」

 一宇の声に、似た質の声が被さった。振り返った少年に、佐倉豊治少佐が笑みを見せる。

「お帰り、一宇」

「お……おじさん無事だったんだ!」

 叔父さん無事だったよー褒めてくれー、とランゼルが二人を真似して憂乃に飛びつこうとしたがあえなく蹴り倒された。

「ひ、ひどい、俺頑張ったのに、頑張ったのに……ッ」

 へたり込む大佐に、一宇をはりつかせた少佐が「ハイハイ偉かったですね」と投げやりに応えた。

「で、皆さん。被害規模と現状を考えればすぐに分かることなのですが、ここでだらだら喋ってる暇はありませんよ、さっさと帰還」

「うわ、もう出るのぉ?」

 来し方を思い、ランゼルが渋面になった。あれだけ延々と砂漠を歩いてローズまで行ったのだ、ここは佐倉の隊がいる場所なので基地(跡地)まで半分は距離が埋まっているが、それにしても気が遠くなりそうで目が回る。

「わ、回ってる、マジで回ってるよ!」

「何をはしゃいでるんですか大佐」

 立ち上がったはいいがよろけているランゼルに佐倉がふと顔をしかめる。

「……大佐、もしかして失血しすぎてるんじゃないですか?」

「かもしれない」

 支えてやりたいが小さすぎてつぶされる恐れのある姪は、黙って隊員から水筒を貰い受けランゼルに放った。

 礼を言い、いくらか飲んでランゼルは息をつく。

「すごくだるいな、暑いな、最近さぼりすぎてたからかな」

「もともと砂漠が得手じゃないでしょう、大佐は」

 佐倉は「生きてたー良かったー」と騒ぐ甥を胸元から引きはがし、無線で作戦終了を宣言した。これより全員、帰還せよ。

 すでに帰還しつつあった者たちも、勢いを得て帰っていくだろう。ほっとしたのもあってか、佐倉も少しふらついた。

「脱水症状ですかね」

 一宇は両目でまぶしげに砂漠を眺め、それから隊員から水筒を貰った。

「……バカめ」

「は、何ですか大尉?」

 水筒に口をつけ、憂乃が軽く首を振った。

 作戦は終了し、あとは帰るだけである。さすがに皆、気が緩んだのだ。

「んじゃ、食糧も気になるんで、さっさと帰るか」

 しばらく荷物の影で涼んで、大佐がのっそりと声をあげる。作戦の真意を語ることなく、彼らはゆっくりと帰路についた。

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