第10話10

 大声を上げ、少年は光から一歩引いて、むき出しの鉄筋に棒をたたきつけた。

「はっはー! 所詮その程度か、ばーかっ」

 かーん、

「にぶいんじゃねえの」

 どがしゃ、

「おっとお!」

 べしいっ、

 最後の一撃は憂乃本人の手によるものである。少年は頭を押さえてうずくまったが、すぐに、

「ぎゃー」

 と小さく呟いた。

「なんなんだ貴様は」

 警戒を解かず、憂乃は一気にではなくじりじりと距離を詰める。頭だけで振り返り、少年は、ふわりと笑んだ。よく見慣れた、見慣れてしまった笑みだった。

「よかった。来てくれたんですね」

「一宇?」

 少年は頷く。そして、右手の棒で壁を殴りつけた。

「音を、立ててください。戦っているフリをしないと、ばれるから」

「ど、どういうことだっ! お前、一体ッ」

「ちなみに、会話は小声で。叫びは大袈裟でも良いんで大きく元気よくお願いします」

 狂気のない瞳に、憂乃は戸惑いながらも頷く。イチウは――一宇は、戦闘の合間に、かいつまんで話した。

「俺、レジスタンス『ローズ』に捕まったんですが、どうも目のことがばれてたみたいで」

 神の左目。憂乃は、神の左目――極秘裏に行なわれるというマザーコンピュータMの端末埋め込みを知っている。そしてなぜか、一宇にその手術が行なわれたことを、多くの隊員が冗談交じりに言うことも知っている。

「それが、どうも、左目を持つものはマザーの秘密を知り得てしまうからっていうんで死ぬときとかは自爆するようにできてるらしいんです」

「知ってる」

「で。どうせ生かして置いても軍に位置を把握される、殺すにも――なんか他殺だと半径五キロふっとぶらしいんですよ」

「それは噂だろう」

「やー、どうなんすかね? ていうか左目って昔の制度じゃないですか、現在人間に埋めたところであんまり役に立たないと思うんですけど」

「話が逸れてるぞ」

 すいません、と頭を下げた一宇の上を、憂乃の左足が通過していく。型どおりに技を掛け合い、どうにか戦っているふうを装ってみているが、ときどき本当に当たって、主に一宇が吹っ飛ばされる。

「あー。それでですね、軍人になるって人間なんだし、例の、破壊行動に全力をそそぐようになっちゃう、問題のウィルスがあるじゃないですか、アレを使って他のヤツら同様に狂戦士みたいに使うということになって。直接、注射を受けました」

「なんだと!?」

 感染している? それなのに、イチウはともかく、目の前の一宇(?)は憑き物が落ちたような目をしている。感情の波があるのかといぶかった憂乃に、一宇は言葉を続けた。

「それが、俺は発症しなかったらしくて。注射を受けてしばらく寝込んでいたらしいんですが、目が覚めたら、風邪で寝込んだときぐらいの症状しかなくって」

 発症しなくてよかった、そう思うと同時に、別の意味でこれはヤバイ、と気づいたのだ。もし注射によっての感染を免れているとしたら、次に何をされるか分からない。一宇はこれについて、狂気を、自分を見失う恐怖を、避けるためのチャンスと見なした。自己防衛のために彼はあえて攻撃的な人格を装った、というわけである。

「軍人殺すにも、イヤだけど、ほら、さすがに殺さないわけにもいかない。だからどじを踏みやすいヤツだということにしたんです。派手に騒いで、うりゃーとかやって、むしろローズの被害を拡大してみました――ばれないように」

 ばれていないのか、今ひとつ自信はない。特に。思い出すだけで背筋が凍える。

「……ジークは、知ってたかもしれない」

「誰だって?」

 一瞬迷い、一宇はその男のことを、話そうと、して。

「呼んだかね?」

 靴音に、弾かれたように振り返る。その男の全体を認識するより先に、黒いつま先が見えた。

「一宇!」

 叫びながら、憂乃はホルスターから銃を抜く。

「無駄だ」

 酷薄に頬を歪め、男は闇一色の着衣の裾をひるがえす。長い黒髪が風のない空間に流れ、引き金をひかれた銃から逸らさない目が獣を思わせた。――避けられる。悟った憂乃は戦法を変えた。一気にはねて距離を広げる。向こうの方が背もあり、自然とリーチの差が生じる、本当なら間合いは広げずに一気に攻め、落としてしまいたかった。それが、できない。いちど取った距離を埋められず、憂乃は肩で荒い息をつく。形だけとはいえ一宇とやりあった後なのだ。体力が削られている。もし、この男が本気になれば、ネズミ二匹など一瞬でひねりつぶされるだろう。しかし男は興味なさそうに、憂乃を一瞥したきりである。

「生きているか、一宇」

 自分で蹴り転がしておいて、起きているならさっさと起きろといわんばかりにつま先でつついている。端整な横顔に見覚えはないが、行動のいい加減そうなところが、既視感をおぼえさせた。

「あいつか」

 舌打ちした憂乃に、男がふい、と振り返る。

「何か?」

 上から物を見るような目だ。胸の底から嫌悪が浮かぶ。その一方で、その目つきが、人を嫌うものではない目だと気づかされる。人と同じ次元には立たない。人間であるはずが、それを越えたような、どこか奇妙な越境者を思わせる。狂気の静寂ではない。それは狂気に見える、しかし理性もあるものの目だった。

「いやに澄んだ目をしているな、アレに感染しているわりに常軌を逸していなさそうだ」

 あえて軽口を装った。

「ああ、私は投薬を受けていない。正確には、薬は効かない」

 ジーク、と一宇が呼んでいた男は、演説会場での私語のようなひそやかさで言う。

「彼と同じだ」

「同じ? 一宇は薬が効かない体質なのか?」

「先程彼が言っていただろう?」

 会話が微妙にずれていると感じ、憂乃はじっと押し黙った。緊張のせいでなかなか体力が回復しない。誰かが来れば事態は変わるが、その前にそれが味方である保証はない。どうする? 目の前に、焦がれ望んでいた存在がいるのに、連れて帰れないことに苛立ちが募る。そのとき、

「ひゃっほーい」

 似ているなと思ったばかりの相手の声が上方から聞こえてきた。どうやらコレはホンモノらしく、声が聞こえるわずかに前、とっさにジークが持ち上げた鉄板の後ろに避難した。ピアノの連弾のように着弾する音の後、憂乃はすがめた目を元に戻し、一宇の腕を掴んで立たせる。

「逃げるぞ……!」

「あっ待って大尉俺足くじいちゃったかも」

「何ィ!?」

「なーんて」

 ね、と、足にやった手で瓦礫の隙間に挟まっていた銃の引き金を引く。わずかな隙間を縫って飛んだ弾丸が、瓦礫に散々弾かれた挙げ句、飛び出してきたジークの眼前をかすめて消えた。

「ちぃっ!」

「わー撃たないでー!」

 しかめた顔で銃を向けられ、一宇は今度こそ逃げ出した。

「アレで仕留められると思ったのに!」

「本気か」

 憂乃が呆れたように言い、柱の影から手招きしている軍人たちの脇をすり抜けた。

「少なくとも足に当たれば行動速度を落とせます」

「……足を狙ったにしては上過ぎやしないか」

 激しい銃声がして、急に反響だけが屋内に響く。静けさに眉をひそめ、一宇が無意識に首元へ手をやった。

「……軍の部隊、強いですよね?」

「あぁ」

 それなりにな、と言い、憂乃もまた渋面を作る。

「最初の連帯任務のときのことを思い出すな」

「……アレは連帯だったんですか? 俺護衛だって聞いてたんですけど」

「護衛だ」

 にべもなく言われ、一宇は頭上を走る配線を見る目を少し細めた。

「わー、つまんないなー」

「何がだ」

「折角会えたのに、ハグできないなんて」

 憂乃は無言で装填済みの銃を一宇に向けた。その顎先をかすめ、飛んだ弾丸がレジスタンスを伏せさせる。

「お前、人格変わってないか?」

 うさんくさそうに言われ、一宇もふむ、と首を傾げる。

「そうですか?」

「あぁ、お前すごい猫被ってるタイプだったんだな」

「気づかないもんですかね?」

 急に立ち止まり、一宇が緑色の配線コードに小型ナイフを突き立てた。柄が通電する物質でないとはいえ、配電盤まで金属でえぐって火花を散らされると気が気ではない。憂乃がやめさせようとしたが、すぐに振り返って数発撃った。後続の軍人ではない――足音が、重装備の軍人たちとは違っている。

「あいつ、生きてるな……!」

「待ってください大尉、あと三分下さい」

 長い、と返し、憂乃はじっと闇を睨む。電源が落ちた廊下の奥に、ごく稀に銃声の反響音が響いている。かつ、と音がして同時に憂乃が一撃を見舞う。

「しまった上か!」

 天井に向けてナイフを投げたジークが、黒豹のような正確さで獲物へ駆けた。

「大尉!」

 一宇が叫び、視界が一気に白熱する。電気系統は死んでいなかったのだ――憂乃がそう気づいた頃には、彼女は一宇に背負われて、非常階段に居並ぶ死体を飛び越えていた。

「お前、何をした……?」

「配電盤を壊して、電気だけとって線を繋ぎ変えて、水があればよかったんですが時間もなかったんで感電死はやめてただ電気をつけるだけにしました」

「電気をつけるだけ?」

「ジークは暗視スコープを使ってませんでしたけど、あれだけ正確に撃てるならかなり暗闇に目が慣れてたと思います。多少は効いたんじゃないかと」

 普通の光量の倍はありましたし、と呟き、一宇はふと渋面になる。

「つまり俺にはジークを殺す暇も技量もないんで、逃げます!」

 一宇が階段を上りきるのが先か。銃弾がその足先に着弾し階段を欠けさせた。息をのみ、憂乃は後方に手榴弾を投げる。

「うわ大尉!?」

 一宇は慌てて砂上に飛び出て、次の瞬間爆風によって吹き飛ばされた。

 

「は、ははっ」

 砂に顔からつっこみ、一宇の背からも吹き飛ばされて転がった憂乃が笑い声をあげた。

「どうしよう一宇」

「な、なにがですかもうっ!」

 砂に沈んだのも一瞬のことで、即座に顔をあげて駆けだした一宇が非難した。

「大尉、今ので絶対ジーク敵に回しましたよ!」

「最初から敵だ」

 真顔で起きあがり、憂乃は周りの銃撃戦が収まりつつあることを確認する。もうもうとあがる土煙の中、さらに地面を突き破って砂と空気が天高く吹き上げられた。

「地下に武器庫でもあったのか?」

「……あった、みたいですね、地図では古い研究所が地下にあるように見えましたけど、ローズは使ってないようでしたし武器庫にはしていない筈ですよ」

 死んだかな、とぽつりと呟く憂乃を抱え上げ、一宇が一目散に駆けだした。

「死ぬわけがないですジークが!」

「何だ? なんかものすごい男のようだなさっきのやつは」

「ホントにやばいんですってばうわー!」

 地揺れが起こり、人の声と砂の崩れがいっそう激しくなった。離脱するための約束の場所へ、憂乃は一宇を指示して向かっていく。

「げっ」

 一宇は砂丘を登り切らずにとっさに身を伏せた。太陽は中天を越え、硫黄臭に似た匂いがどこからともなく漂っている。憂乃は中途から自力で走ってはいたが、後方に注意を向けていたために一宇に激突して砂の中に転がった。

「……すいません」

 恨めしげに睨みあげられ、一宇が振り返らず謝罪する。憂乃は特に追求をせず、退避を始めた軍人たちの群れに停止を指示した。信用しすぎて前を見ていなかったためにぶつかったのだ、平静を欠いた心理状態がしのばれて、何人かが微笑ましいなと口の端で笑いをかみ殺した。

「……上空に、九条先輩が戻ってきます」

 一宇が告げ、さらに姿勢を低く保った。

「でも、地上にローズのトップが居る」

「何人だ」

「ジークが帰ってこなければどうにか……十五名です、反対側から大佐がこちらへ向かってきているようです」

「ランゼルが居ればどうにか出られるな」

「どうでしょう……ん、あれ?」

 不意に、一宇が顔を上げた。気休めだと知っていながらも頬に当たる砂粒を左手で払いのけ、彼は次の瞬間、敵前にもかかわらず大声を上げた。

「そこは地雷原だ!」

「それはそれは……こちらも女王陛下のもとへ向かわねばならないな」

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