第5話
五話
佐倉(さくら)一宇(いちう)。それが彼の名前だった。
「へーんな名前」
多くの場合に言われるセリフであったため、本来、一宇はここで驚くことなどあり得なかった。しかし一宇は目を丸くして、眼前の三人の試験管のうち一人の顔を見つめてしまった。
「いちう、か。君、鵜飼いを見たことがあるのかね」
「いえ」
見たことはありません。礼儀正しく答えると、なぜか男はつまらなさそうに書類を指で弾いて机においた。今回、シンクタンクから1クールだけの学生派遣ということで、比較的上位成績者があちこちの基地に送られた。毎年行なわれていることではあるのだが、今年は前線基地が加わり、いよいよ人手を求められていることを学生たちも感じ取っていた。一宇は、皆が嫌がる東方七区三十五基地に他の三人の学生と放り込まれた。本当なら一宇はコックになっていたのだが、店がつぶれて追い出され、給与の出る国民学校か軍のシンクタンクに入るかの二者択一を迫られた。そうしてうっかりと叔父が勤めていることを思い出しなんとなくシンクタンクまであがってしまったのだった。
「君、得意科目は?」
そこそこ成績はいい方なのだ。得意、といっても書類に書いてあるし、ほとんどの科目は優で通っている。どういう意味か計りかねたが、一宇はどうにか口を開いた。
「射撃、航空技術……」
「それは書いてある。そうじゃなくて、君が得意だと思っていることだ。できることと好きなことは違うからね、君ができることじゃなくて好きなこととかそういうのを」
しばらく黙り、一宇は、自然と目線を落とした。
「……聞こえない!」
一喝され、一宇ははい、と返事を返し、びくつきながら言葉を吐き出す。
「料理です!」
「は?」
コックになる予定だった、ことは伊達や酔狂ではなかった。仕事にして食べていけるだけの状況には無かっただけのことだ。
案の定きょとんとした三名の試験官に、一宇は、やってしまった、と内心で頭を抱える。
「そうか。だがここでは料理人の空きはない」
冷徹な横顔を向け、先程から奇妙な質問しかしない男が、自分の足下の鞄を机の上に引きずりあげた。
「……おまえ、他になんかできるか?」
急に口調が変わり、一宇は不可解げに眉をひそめ、すぐに我に返ると言葉を探した。
「ええっと……あとは、体術」
「接近戦は少ないからな……他には」
「あとは……トリの鳴き真似ができます」
宴会の余興申告のような内容になってきたと自覚する。情けなくなってきた一宇の前で、その男が席を立った。
「うちでもらっても構わないか」
「言うと思ったよ」
向かって右に座った初老の男がくすくすと笑った。厳然とした『試験』の空気が一気にゆるみ、一宇はきょとんと三人を見る。
「合格。佐倉一宇、16、身柄をこのたびの演習中は俺の隊で預かる。異論はないか」
「は、はい!」
叫んだ少年に、男が初めて笑みを見せた。
男は浮野=ランゼルと名乗った。浮野は旧地区にできた新興の武器屋だという。
「俺の名前はまぁどうでもいい。大佐と呼べば大体はとおる。他の大佐がたは名前付きで呼んでもらってるが、俺の場合は部隊名をいえば気づかないやつはいないからな」
頷きかけ、言葉に直す。元気のいい返事に、大佐はふと苦笑を漏らした。
「そう真面目になりすぎるな。つぶれるぞ」
本当はそんなに一途でもない一宇は、軍隊は生真面目にしていないと叱られるという状況と大佐のセリフを秤にかけた。たしかに、コレをずっとやるのは骨が折れる。
「大佐、次の飛行のことですが」
少年がぼんやりと考えていたところ、大佐が呼び止められた。自然、一宇も立ち止まる。
「あり?」
一宇は、正面に立つ男に見覚えがあった。
「叔父さん?」
叔父さん、はしばらく黙り込み、おもむろに大佐を睨んで呟いた。
「面白がってますね、大佐」
「何のことだ? 俺は地上戦のときうまいメシを食えたり奇襲を喰らったとき敵軍に放り込んだりする人材がほしかっただけだぞ」
「え?」
一宇の頭をぽんぽんとたたき、佐倉少佐は大佐をなおもにらみつける。
「通常、部隊は少尉、中尉までで動く。しかしこの前線基地はそこまで位が低くなると技術が足りなくて危ない。よってじかに大佐クラスが指揮を執る」
知っている。一宇は頷く。
「あっれー新人ですか」
途中、一宇とそうは年の変わらない男が声をかけたが、無視されたので肩をすくめて去っていった。
「……ここは高度な技術、揺らぎにくい精神力、ほか、他の部隊よりも過酷な状況に耐えられるものでなければつとまらない。……一宇を軍に入れるんですか?」
どこかとらえどころのない表情で、大佐はふと頬をゆるめる。
「うちの部隊に入れるだけだ。シンクタンクからの要請だろ、インターンシップみたいな」
「青田刈りの間違いじゃないですか」
一宇は叔父に引き寄せられ、二人を交互に眺めやる。
「一宇、だまされるな、大佐はぬらりひょんよりもたちが悪い」
妙なたとえかたをした佐倉に、大佐は思いだしたように言う。
「こいつ、一宇って変わった名前だな。お前は豊治(とよじ)というかっこいい名前があるのに」
古くさい名前があんまりうれしくもない佐倉は、大佐の足をわざと踏んで「三時集合です」とだけ告げ去っていった。
こうして一人人員が増えたわけだが、一宇はしばらく、料理の才能ばかりをふるうこととなった。不時着した叔父の機体の近くで腕をふるったときに怪しげな野菜を使ったのだが、その後、それを口にした唯一の人物が医務室に放り込まれていると聞いたとき、一宇は自責の念に苛まれたりもしたのだった。
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