第6話
六話
浮田(うきた)憂乃(うきの)。大佐が妙に遠くに言った。一宇ははぁ、と曖昧に返し、今回なぜ自分が呼ばれたのかを考えていた。
「今回、お前には護衛について貰う」
疑問を転がしていたとき丁度言われ、一宇の反応が少し遅れた。
「……ええ?」
間の抜けた声に、大佐はやや眉をひそめた。手元を見ずに積み上げられていく荷物の多さに、一宇は自然と目を奪われた。
「反応の良さが売りなのにそんなふうにのろのろされるとオジサンは切ない」
普段はオジサンなどと言われるのを嫌う大佐だが、自分が言うぶんには問題がないらしい。一宇を見つめたままで最後に水筒を載せると、大佐は荷物を平手で叩いた。
「よんじゅうごびょうで準備しろ。今回の責任者が外で待ってるから」
いきなり言われ、一宇にはそこだけひらがなで聞こえた。
「え、ちょ、ちょっと待ってください」
彼が四十五秒で外に駆け出せと言われたのだと理解した頃には、大佐はすでに別件に移っている。呼び出された九条が十秒のタイムラグを責められて肩をすくめ、ついで一宇を見て微笑んだ。
「ご愁傷様」
だいたい、のっけから不吉だった。
「浮田です」
スコールが近づき、しかしまだ湿気が少なく雨は降らず、辺り一帯視界が悪く、口を開けば容赦のない砂の洗礼で息が詰まった。
こんな時期に外に出る。一宇は前方の影に近づきながら、半泣きでゴーグルを調節した。
「はっ、あ、えーと。佐倉です、佐倉一宇。このたびシンクタンクより派遣されてき」
「御託はいい」
一宇は、砂埃の中でなぜか毅然として見える小さな背中を見た瞬間に、違和感に気がついていた。しかし面と向かっては聞けず、とりあえず自己紹介して気を紛らわせてみようとした。見事失敗したのだが。そわそわと一宇は少女のことを見下ろした。多分、軍の規定に足らないだろう。全体の作りが小さく、よくこの風で立っていられるなと思う。一宇は重い荷物のおかげでバランスがとれているが、少女は肩にかけた銃以外、灰色の布きれを巻き付けたきりである。
「……何処行くんですか」
少女が鼻で笑った(ような気がした)。
「デートだとでも言いたいのか? 無駄口をきいている暇があったらとっとと乗れっ」
そこでようやく、少女が吹き飛ばされなかった理由が分かる。大型のスクーターのようなものが砂の中に埋もれていた。
「……あのう」
飛ばない理由は分かったが、一宇はさらに疑問を深めた。
「なんだ」
「それ、よしんば起動できたところで、動かないと思うんですけど」
半分以上砂に埋もれ、機体はほとんど座席も見えない。
「お前が遅いからだ、バカ」
口元を布で覆い、そこに押し込んだインカムで会話せねばとうてい意思疎通できない環境下で、少女はゴーグル越しにもそれと分かるほど軽蔑しきった目を向けた。ああ、だから男って切ない。待ち合わせ時間にどだい無理があったのだが、一宇には反論できる余力もない。彼はざばざばと砂をかき分けると、機械の塊を掘り出した。
「待て。今更乗れるか。一度倉庫に行く。戦闘機を一機貰っていくほうがよほど早い」
一宇は少女の後ろ姿を眺め、
「……なら、最初からそうしろよ」
と、呆然と呟いた。
倉庫のなかはひどくカビくさい。機体を損傷させるのは、ただでさえ少ない物資を無駄遣いしたこともさることながら、飛ばしたときに起こる事故のことを思うと恐ろしい。たいていは管理を行き届かせて徹底的に腐食を追い払おうとするのだが、最近のスコールで追いつかない。一時期、庫内に浸水被害が起こり、航空部隊以外も招集されてのくみ出し作業をしたのだ。記憶に新しい大雨と、直後に起こる極度の乾燥やそれによる砂嵐は、現在の環境がいかに不安定かを物語っている。
「おまえ、操縦はできるか」
少女はひらり、と機体に飛び乗る。
猫のようだ、そういえば佐倉少佐も飛ぶ機体に乗るときは音を立てない。身体中をバネにして、振動を極力殺しているのだろう。軽く丈夫にして速度を高め、適度な重さをつけて安定させる機体の場合、あまり乱暴にすると天板が抜けそうでおそろしい。……たぶん、そう思うのは一宇だけだ。彼らはきっと、飛行機を愛しているから大事に扱う。
やや高い位置で一つにまとめた黒髪が、肩先で大きく揺れた。
「何をしている、行くぞ」
返事を返し、一宇は荷物を背負いなおしてはしごを登る。
「表を開けてくれないらしい。当然だな、この嵐だ、滑走路は使えない」
「垂直には離陸できませんよ、この二人乗り」
先にコックピットに座って点検をしていた少女は、一瞬機体を沈ませて乗り込んできた男の顔を睨みあげた。
「分かっている。誰がやると言った。それよりお前、操縦はできるかと聞いたのに答えていないぞ」
一宇はなぜか、コックの見習いで厨房の隅に毎晩寝泊まりしていた頃を思い出した。
あの頃は料理長のみならずどいつもこいつも黙りこくって、そしてちょっと一宇がミスをしたり反応が遅れるとしばきたおしにかかり、上達を見せると、はにかんだように笑みに似たものを顔にのせかけてやめるのだ。
なんだかなあ。一宇は頷きながら自分の巻き付けていた布を取った。ばさばさと音を立てて砂がこぼれ、慌てて機体の外に手を出す。そして下方の作業員に怒鳴られた。謝ってから、そういえば憂乃は荷物をどうしたのだろう、と機内を見回す。少女の被っていたであろう布は、大ざっぱに畳まれて足下につっこんであった。一宇はそれを引き出して、畳み直しながら言う。
「一応操縦できますけど、この嵐じゃあとべません、やばいです」
「誰がお前にやれといった。私が操縦する、お前が補佐しろ」
潤滑油というものがおよそ欠如したような返答があった。結局関わるんじゃないスか、と内心で呟いて、一宇は「俺っていい人」と聞こえないように呟きながら席に着いた。ゴーグルについている機能を一通りチェックして、先程の嵐から想定した深度に焦点を合わせる。少女はいちど一宇の目を見、確かめるように口を開いた。
「いいか、屋上にあげてもらう。多少砂は入るがまぁましなほうだ。一気にあおられるだろうがそれを利用して雲の上に出る」
言うはやすし、行なうはかたし。いいこというよなぁ、と一宇は茫洋と頷きながら思った。ああ、ここで死ぬのだろうか。逆らわないのは、彼女の方が実戦経験が豊富そうであるのと、自分が軍の正規人員でもなければ意見できる人間でもないからだ。意見をとりいれずに無茶をされては隊が全滅する危険性はある、しかし基本的には上官が命令を出すときは、周囲の意見を聞き入れて選択したあとである。タダの学生は、死にたくなければ軍になど入らねば良い。ちなみに、命令を出せる立場の人物には、信頼の置けるものしか生き残らないため、心配は少ない。――判断のヘタな者は生きてはいないからだ。
祖母の言っていたことが思い出された。
運も才能のうち。
「ああ、昔の人って、いいこというなぁ」
呟いた一宇の顔を見て、
「……出発するぞ」
憂乃は何か言いたそうだったが必要なことだけ口にした。
一宇は天空に浮かぶ太陽に目を細める。
飛び立つ、というより吹っ飛ばされた機体の中で、一宇は先程まで必死で舌をかまぬよう踏ん張っていた。何回転したか分からない。ただ、気づけばぽっかりと青空が広がり、身体のきしみが唐突なものに感じられるほど穏やかな気候だった。
「暑いッすね~」
「口が」
「は?」
「口が軽くないのを一人、と頼んだんだが」
一宇は一度黙り込み、
「だって普段は猫被ってるし」
と、何のフォローにもならない言葉を風にのせた。少女は何も言わなかったが、小さく肩を揺らし、大きく息を吐き出したので、おそらく怒ってはいないだろう。
「しかしすごい技量ですね、あんなわけわかんない突風の中を」
「あぁ」
返事を期待して待っている最中(さなか)、高度が上がりすぎて息が詰まった。一宇は自分が喋りすぎたことに気づく。彼女が「口数」を問題にしたのは、単にやかましいバカは要らないと言うことではなく、任務への支障も関わっているのだろう。
いやしかしそれにしても。一介の学生を護衛につけるというのはどういうことだろうか。むしろ彼女のほうが一宇より強そうだ。
この間のように言葉の通じない人々に問答無用で取り囲まれたら、彼女だけが生きて帰り、一宇はきっと、生きていたとしてもコックをやって終りそうだ。
「あぁ、なんか切ないですね」
勝手に物憂げなため息をついた一宇に首を傾げながら、憂乃は先程のセリフを続けた。
「アレは勘だ。無意識に腕がレバーを触るんだ、上昇は得意なんでね」
「勘ですか……」
勘で片づけてはいるが、視界も上下も確認できない状況でレバーをただ引けば良いというわけではないのだ。一宇がやれば地面に間違いなく激突している。エンジンの噴出の方向を身体で覚えた感覚で決めるのだろう。だしをとる絶妙のタイミングをはかるときと同じだなあ、と一宇はのんびりと考えた。
ほとんど推進力を気流に任せている点と言い、勘で決められるほどには少女は技術に長けていた。
「すごいですよね、なんていうか、かっこいいです」
素直に言うと、少女は「褒めてもなにもでないぞ」とぶっきらぼうに呟いた。
もしや照れているのでは、と思った途端、
「その代わり着陸だけは苦手で……」
と、少女は照れを緩和するように小さく言った。
「了解しました」
一宇は明るく笑んで見せた。
「俺、ずば抜けた才能はないみたいなんですが、料理と基礎的なことは得意なんです」
お役に立ちますよ、と付け加えると、調子に乗らなければ良いのになぁと本当に残念がるような声が聞こえた。
*
「ノリが大佐そっくりだ」
一宇は後頭部の辺りへと通り抜けていく言葉の端々を拾った。そうして、わずかの後に確信する。
唐突さも、口調のどこか投げやりな点も、そして一宇を手のひらでもてあそぶような言動も、彼女はとても、ヤツに似ていた。
そして、的に当てる能力も。
「旋回しすぎて目が回るー」
淡々と機体を操りながら、憂乃は地上へと武器を投下する。敬礼し、下方の軍人が物資を受けて前線に戻った。即座にそこに空爆が開始され、舌打ちとともに憂乃がレバーを大きく引いた。
「真後ろについてくるとは性格が悪いし頭も悪いな!」
憂乃の毒づきと共に視界が数転し、一宇は舌を噛みそうになる。血の気がどちらに引いたかで現在の重力方向が分かった。窓の外に敵機が見える。けれどすぐにかき消えた。撃ち落とされたものかそれとも雲に隠れたのか、すでにどうでも良いとさえ思えてきた。
「あぁ、三半規管が……」
「無駄口を叩くな――来るぞ!」
ぼやけば即座に叩き落とすように返される。こちらが操っているのは一応は「たかが」輸送機一つなのだが、基地を出てものの五分でマークを受けて威嚇をされた。それをかわしつつしばらく平行線を辿り、前線基地の連中が指定した位置に辿り着く前、数度に渡り攻撃を受けた。憂乃が殆どすべての敵機を落とし、現在、残りの戦闘機に狙われるに至る。これでは愚痴の一つも言いたくなるというものだ。補給機を送れば護衛の機とあわせて攻撃されたさいに身動きが取りづらく、一気に二機以上を失うことになる。だから民間機にカムフラージュした戦闘機能搭載の先鋭機一機で、偶然を装って一気に近づき、ついでに手を貸すのが今回の任務であったらしい。無論、使い古された戦法だけに、向こうはそうは簡単に通してなどくれない。再び回転が止まり、一宇は胸をなで下ろす。しかしよくよく考えてみると、髪の毛も血液も、自身の頭の上へと向かっていた。
「逆さまだし! 黙れって言うほうが無理ですよーむーちゃーなー、ああれえー」
口では余裕ぶったいい方をしているが顔色は随分青ざめてきている。舌を噛まないようにポケットにあった手袋を噛み、一宇は半回転する機体の動きを利用して、素早く座席の下に頭をつっこんだ。
「お前……! そんなところに、荷物を」
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