第6話2

「よそ見厳禁ですよ、浮田大尉! いくらシューティングスターのひとりでも、一気に十機はむずかしい……ああっ字余り!」

「あほか!」

 見事なつっこみを頭にくらい、一宇はせっかく出した頭を再び床にたたきつけられた。蹴った足はもう、彼女の身長では広すぎる機内空間で最大限に構えられるようにいっぱいに突っ張られている。

「自動掃射、あと三分です」

「分かってる……!」

 予測では、この地点の攻撃は終っているハズだった。第三十五部隊はいくつかの隊に別れてゲリラ的に地上戦を展開している。第七分隊の指揮者が『浮田』であり、女だという話は聞いていた。実際に作戦展開を目の当たりにし、一宇ははっきりと確信する。この、一宇の胸ほどしかない身長の少女が、『浮田』大尉なのだ。あんな小さな的によく当てられる、と思いつつ、一宇は席を外れて後ろに行くと、大きく振りかぶった。ただでさえ積載量の少ない、やや速度重視の機内であるため、狭くてがん、と腕が天井に当たった。

「……ッ!!」

 思わず腕を引き寄せかけ、しかし思い切って、手動で開けた投下口から投げつける。息を止めたが、風が思いの外はげしく機内を荒らした。目を開けていられない、とっさに胸元に下げたままだったゴーグルを引き上げる。その動作で一宇は体のバランスを崩した。

 備品は皆固定してあるが、一宇だけが長めにとっておいた補助ベルトに引きずられて左右に振られる。声は出ない。しかし「うーわーもういやだー!」と、一宇は声を限りに叫んだつもりだ。

「行くぞ!」

 不意に女が警告した。旋回した機体は、オートで動いている。自動掃射できるだけの弾がきれランプが点滅したが、憂乃は一瞥もくれずに無言で蹴って黙らせた。先程一宇が投げた閃光弾が炸裂した光がかすかに機内にも届き、この機の下に入り込んだ敵機が翼を傾がせるのが見えた。

「落ちるなよ……!」

 すでに投下口のそばで四つんばいになって頑張っていた一宇には、頷くゆとりも存在しない。少女はそのまま集中し、何故かフルオートではなく一発ごとに撃った。ライフルだ。

「大佐と同じだ」

 呟いた瞬間、力がゆるんだのか一宇はずるりと投下口に滑り込んだ。悲鳴もあげず、とっさに手近な据え付けの箱を掴んだ。中身の弾薬が震動で揺らいだ。

「う、わ」

 箱は一瞬きしみながらも持ちこたえた。しかし安心しきる間もなく、無情にもばこりと不吉な音を立てる。中身の小型の銃と、閃光弾、そしていくらかの手榴弾がこぼれ落ちた。床に跳ねた数個が、憂乃の足下まで転がってから投下口へ戻ってくる。

 ああっ、もったいない!!

 一宇は思ったが、考えるまでもなく箱を掴んだ手が落ちることの方が大事(おおごと)だった。箱から手を離し、両手でどうにか床に張り付く。外れた箱がゴミのように小さく遠ざかりすぐに見えなくなった。いつの間にか高度が上がり、地表にからは随分高い高度の下方で戦闘機にぶち当たって箱が砕け火炎があがっても、そこからこぼれ落ちたであろう人の姿が確認できない。箱と運命を共にしなくてよかった、と薄れそうな意識の端で安堵した。もしもあのまま箱を掴んでいたとすれば、一宇はパラシュートがあったところで命はない。

 それでも呼吸を許さない風が、ときおり一宇の意識を奪った。朦朧としてきて、何故か塩としょうゆの分量の調整について頭の中で計算していた。馬鹿馬鹿しくて自分でもイヤになる。踏ん張りすぎて腹筋や背筋が軋んだ。しかし力を緩めるわけにはいかない。ここのシューティングスターの足手まといになるわけにはいかないのだ。動作基盤は今彼女の足下にある。気を散らせて機体を下手に動かし間違いされ、一宇個人どころか機体全体を撃ち落とされるのはごめんだった。多少風がゆるみ、一宇は周囲を見た。機影はあと一機になっていた。あと少しだ――どことなく安堵しつつ、今度は力を抜かないようにした。一宇はそして、機内に転がったものに気がつく。

 機体が傾くたびに、ごろりごろりとそれは床を転がった。一宇の気づかぬ傾斜が分かり、今どこが地面かよく分かる。一宇は、薄い空気を胸一杯に吸い込んだ。手榴弾の一つが、機内を転がり回ったあげく、目の前の、自分のベルトの金具にとまった。それはおもむろに、ごろ、と転がろうとして、突然、動きを止めた。

「ひいぃ!」

 衝撃で爆発するよりも恐ろしい状態になっていて、一宇は思わず目を逸らした。安全装置であるピンの部分が引っかかって辛うじて動きをとめている。

(あぁっでもまだピンが抜けてないから取り外せるかも)

 平衡を取り戻した床を見て意を決し手を伸ばそうとしたとき、機体が衝撃で激しく揺れた。

「かすったか!」

 ライフルを構えていた憂乃が舌打ちと共に、攻撃を受けたがまだとべる機体を手動に切り替える。一宇は「はやく助けてくれ」と叫べないまま、小さく呻いた。出来れば気付いてどうにかしてほしいのだが、迂闊に声をかけると墜落しかねない状態は依然続いている。ふと、憂乃から床へと視線を落とした一宇は、ある事実に気が付いた。機体の傾きを直すべく旋回したときの動きで、床が傾き、先程までの衝撃で緩んでいたピンが抜けた。

(あぁああああぁあ兵器製造者のバカああ! ピンくらいきっちりはめておけー!)

 身の毛がよだった。すでに血の気が引き尽くした身体が、まだ冷えることができるのだと初めて知った。

「ひー、ひーひー」

 さぞかし間抜けなことだろう、しかし一宇は真剣だった。絞め殺される鶏と同じ声で叫びをあげると、にわかに右手をさしのべた。体重が左腕だけにかかり、下半身は外に出た。両足を曲げ、必死で外に取っ掛かりを探すが、もとからそのようには作られていないので足がかりはどこにもなかった。もはや声もなく、一宇は汗で滑りそうな左手に必死に祈りながら動く。右手が目指す物に届く。表情を明るくした瞬間、足下を一機、通過した。このときの感情を適切に表すとすれば、ひょーえー、しかない、と一宇は妙に冷静な頭で思った。

 下方で小さな太陽が生まれたように見えた。一宇は声もなく、衝撃で舌をかまないようにするので精一杯だった。全身が耳になったように、爆音と振動が意識をしめる。次に、

「近すぎた」

 小さな呟きを漏らし、憂乃がレバーを引くのが見えた。自分も憂乃も生きているらしい。

 あれ、と声を出そうとして、それがかなわないことを知る。下をきる風、耳鳴りは遠く彼方に、ただ鼓動さえ聞こえないはやさで意識が遠のく。血の気の引いた頭は冷え、上っ面だけの平静さで手を伸ばした。殴られた。

「す、すいません」

 しゃがれ声が出て、一宇は初めて自覚した。

 爆風であおられ、幸いにか一宇は機内に押し上げられ、今や憂乃の膝の上に顎だけ乗った体勢で居た。叫び出したい正か負かの衝動は過ぎ去っていた。ただ、――ここにいてはいけない。それだけが胸のどこかに冷たく沈んでいた。

「どいてくれ」

 冷徹なまでに感情を排した声が耳を打つ。

「す、すみませ……ッ」

 慌ててどこうとしたのだが、動作が鈍く、有無を言わせず、頭に何かが載せられた。

「うわ? あの?」

 冷たくしびれた手足は、先のほうほどより重かった。血が通っていることさえ感じられない。意識はあるのに、身体がまるでいうことをきかない。まるで目が覚めたばかりの死人のようだ。憂乃は彼の頭に肘を固定し、彼の予測通り引き金を引いた。一宇は耳も塞げぬまま悲鳴をあげた。

「人の頭で肘支えて銃撃たんでください!!」

「まだ騒げるな、それなら大丈夫だ。麻痺しきったら先が短い」

 頭が衝撃でぐらぐらする一宇には、「人生の」先なのか「軍隊生活の」先なのか見当がつけられなかった。

「さっきお前が下へ転がした手榴弾がみごと敵の排気ダストにヒットした。よくやった」

 偶然だったのだが、先程の手づかみにした手榴弾は役に立ったらしい。自機撃墜にならなくてよかったと思っていると、

「しかし――いや、だからこそ、すまない」

 憂乃が、相変わらずの表情でこう告げた。

「あおられた衝撃で本機の制御が不能である」

 間をおいて、一宇は意味を飲み込むと、

「んなことサラッといわんでくださいよ!」

 見る間に近づく大地を睨んだ。

   *

「ひろいにいくひとー」

 ちらほら、と隊員が目を上げる。しかし誰一人として手は挙げない。ドミノ倒しでもする気だろうか、第二十五部隊大佐直属部隊およびその他一部は、現在タバコの箱ほどの大きさをしたドミノのようなものを机や床に並べている最中だった。息を詰め、最後の一個を置く。

「誰か行こうよぉ」

 どこか投げやりな大佐の声に、部屋の片隅で仮眠をとっていた佐倉が横になったまま左手を挙げた。

「あッ!」

「セーフッ」

 ジャケットを頭からかぶっている少佐の腕が、丁度机の上のドミノにかすったのだ。隊員は非難がましい目を二人に向けたが、口には何も出さなかった。

「俺が出ま……」

「お前は出撃しすぎだ。一宇が心配なのは分かるが、な。あぁ、攻撃手は別にいらん、憂乃に預けたとはいえそもそもシンクタンクから預かってるのは俺。俺がでる」

 つまり、攻撃手を乗せて飛べる、腕のいい飛行機乗りが要ると言うことだ。手近にいた九条はヘッドロックをかけられ、「イヤです行くなら一人が良いです大体俺シューティングスターなんだから大佐乗せらんないッスよ!」と、叫んだ。暴れるな。ということで、九条は周囲の反感を買った。大佐は反応ににやりと笑う。

「九条、お前みんなにいってよーしって言われてんぞ。よし、一人確保ぉ!」

 出るなら戦闘は免れ得ない。ここ二、三日立て続けに戦っており、隊員は疲れている。本来、連れ出したくはない。

「骨を拾うのはごめんですよ」

 一人、隊員が手を挙げた。

「おーきたー、ナーイスっ」

 大佐は九条から手を離し、小さくガッツポーズを決めた。嬉しそうだが、ここの隊員には、どう見ても茶化したがっているようにしか思えない。

「大佐、乗せますけど壊さないでくださいよ」

 沖田は眉をひそめながら口で笑う。

「自分が出るんで、少佐は死なないうちに休んどいてください」

「しんだらたっぷり休めるなぁ」

 大佐が、戸口の左上端を見ながら呟く。

「あれ? 今回の任務って」

 ジャケットを羽織りながら、ふと九条が訊いた。

「大佐の姪っ子の大尉が出るのに同乗でしたよね? 拾いにいかんとならんほど弱かないでしょう」

「弱くない? どうかな、人には向き不向きがある」

 どこか人知れず、といったふうにひっそり呟き、大佐は手元のモバイル画面に映し出されたデータベースを見た。

「そろそろだ」

「た、たたたたた、大変です!」

 内田隊員が左右に振れながら、慌てる以外のすべを知らないように駆け込んできた。

「あ!!」

 隊員が停止を叫ぶよりはやく、内田の軍靴が、入口付近のドミノのようなものを蹴り飛ばした。

「あぁ!」

 内田も気づいた。しかし時すでに遅し、部屋中でむなしく、カタカタという音が響く。

「ハーイ、全員焼肉なしねぇ」

 大佐の軽い笑いが、室内にやけに重たく響いた。女と居るほうがいい九条、体調不良の佐倉のみ、やれやれ、と肩をすくめる。他の隊員たちは結果を凝視し、沈黙するか大きな大きなため息をついた。大佐は、罪悪感にさいなまれている内田の背を押し、外へ出る。

 とたん、室内でうめき声やささやきが交わされた。内田はひたすら胃を痛めた。焼肉はたしかに魅力的でそれはもう食べたかったが、食べられなくなってしまったことよりもそうさせてしまったことのほうが辛い。

「で、内田。うじうじしてないで仕事」

 しばらく歩き、九条と沖田が追いついたころ、廊下で瀬野を捕獲して大佐が口を開いた。内田は慌ててモニタを見、フォルダを開く。彼の最新情報確認が済むまでに、大佐は暇そうに九条を振り返った。

「九条、さっき今回の任務の話をしていたんだったな、今回の本来の目的は、機密文書の回収と運搬だ」

「え」

 九条が、口を開けたまま止まった。

「え、えぇええ?」

「えええええ、ほんとに、えぇ?」

「お前らはそれしか言えんのか」

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