第6話6

「綺麗事じゃないんだ。あいつらはのうのうと生きて、踏みにじった女のことをののしったんだ――あのころ俺は大佐になったばかりだったかな、謹慎どころか除名をくらうだろうに、銃口を正直にあいつらに向けた。全員の急所は外した。何発も、あえて痛覚刺激の多い場所ばかり選んで撃った。失血死か生き埋めが良いと思った。――水責めは一部屋いるしな。あぁ、殴るのでも良かったか、火でも、他にいくらでもあったかな。ともかく一番てっとりばやかったんで、弾がつきるのが早すぎると思うくらい適当に撃った。あれは青ざめたままだったが、そのあと初めて泣いてくれたよ。貴様が殺さなくても良かった、自分が将来上官になって見下してやったものを、と言って泣いた」

 一宇は返す言葉を失っていたが、おそらく、答えは必要とはされていない。

「お前が軍人を続けようが辞めようが、それはお前が決めることだ。だが、あれに関して勘違いしたまま去られるのも癪にさわる」

 俺も全然、強くはない。

 そう言って、大佐は立ち去った。

 

 数日後、一宇は第二十五部隊隊員によって生還を祝われた。大佐曰く、単に一宇にかこつけて騒ぎたかっただけらしい。

「何か言えー! 主賓、しゅ、ひ、ん!」

 ついさっきまで片隅で九条のより分けたサラダの残りを始末させられていた一宇は、熱に浮かされたようなコールと共に壇上にあげられた。何を言おうかと考え、ふと思い出す。

「祖母が言ってたんですけど、昔、六日間働いた神が、七日目に休んだんだそうです。俺の場合、これまでの人生が一週間だとして、六日休んで、やっと今、仕事を始めるんだなぁ、と」

 思いました、と言う前に、隊員の一人が号泣しながら寄りかかってきた。――泣き上戸らしい。そのままうやむやのうちに再び部屋の片隅へと追いやられ、一宇は九条に微笑まれ、皿を渡された。

「食え」

 当然ながら、皿の上には野菜しかない。

「……いい加減、レタスとトマトくらい食べてくださいよぉ」

「冗談言うな、それは俺が世界で二番目にキライなものの名前だ」

「一番目はなんですか」

「……いわん。言ったら食わす気だろ」

 当たり前である。料理人の腕をかけて、一宇は創作料理に挑むことだろう。九条の食事を注意深く観察し、一宇はようやく答えを見つけた。

「サニーレタス!」

「だッ……! 黙れよバカ!」

 飛行機から突き落とすぞ、と今ひとつ役に立たない脅しを吐き、九条が手に持っていたドリンクを一宇にかけようとした。寸前で、戸口にいた大佐が手招きし、双方の動きが停止する。

「……どっちだ?」

「先輩じゃないですか?」

「いや、お前だ」

 断定し、九条は一宇を追い払う。

「安心しろ~お前の分のメシは確保して置いといてやる」

 微笑んでいるが、つまりそれは一宇に野菜を片づけさせ続けるという宣言である。

 ざけんなちくしょう、あはははは、と思いながら、一宇はひきつった笑みを返した。一宇だって、たまには他のものも食べたい。雑食なのだし。そんなことを考えながらのろのろと大佐に近づくと、

「大尉が用事だそうだ」

 一宇に、大尉、の知り合いがいるとすれば、それは浮田憂乃でしかない。すれ違いざまに睨まれる。

「――なにかしたら」

「分かってますって! ていうか何もしませんから」

 親ばかなんだから、と内心で呟き、いや、姪と叔父なんだから叔父バカか、と訂正する。

「うちの叔父さんとは大違いだな~あの人、飛ぶことしか頭にないし」

 一宇の叔父も叔父バカだが、甥はあまり気づいていない。扉が閉められると、熱気が嘘のように遠ざかり、一宇は身震いした。

「先日は、いろいろと助かった、礼を言う」

 相変わらずの仏頂面で、憂乃は一宇を見上げた。どこか虐待を受けた小動物のように見えるのは、せんだって大佐に聞いた話のせいだろうか。一宇は気を取り直して返答した。

「いえ、俺はほとんどお役に立てませんでした。むしろ大尉のほうが強かったし」

 後半は嫌みに聞こえただろうか。しかし本音ではある。秀でた人間を羨ましいと思うし、自分にはなにもないと切なくもなるのだ。対して、憂乃もまた正直だった。

「まぁな、森の中では邪魔だと思った」

 あっさり返され、一宇は自覚はしていたものの落ち込んだ。思うのと人に言われるのとでは大違いである。ちょっとめそめそしていると、

「でも」

 と、大尉が目をそらした。

「私はシューティングスターの能力と、地上戦の力しかない。お前がいなければプラントから出られなかっただろう……ありがとう」

「え」

 現金なものだ。褒められて、一宇は頬に色を取り戻した。

「えっ? 俺、役に立ってましたか?」

 うきうきと聞くと、

「う、うるさいなっ……一度しかいわん」

 一宇はなぜか横腹を平手ではたかれてよろけた。うふふ、照れ屋さんなところも大佐そっくり。心のうちで言論の自由を行使しておく。口をへの字に曲げ、憂乃は廊下の向こうを向いた。廊下は外気の名残か、冷えていて、気持ちまで冷静にさせようとする。それなのに、なんだか、ひどく落ち着かない。室内からは笑い声が響いている。

「そうだ、何か用、あったんじゃないですか?」

 思い出したように言って、一宇はその唐突さにわずかに眉を寄せた。しかし相手はそのようなことに構うタイプではない。

「そうだ! お前が、その、左目をやられたと聞いて」

 慌てて憂乃がこちらを向いた。黒い瞳だが、明るい部分は灰色に透ける。じっと見つめ返し、一宇は不意に微笑んだ。

「今、医療班のおかげもあって大分良いです。雨の前はちょっと痛むんですけど――よく見えます。それより大尉は怪我してませんか?」

「あ、ああ」

 少々拍子抜けしたように、憂乃が頷く。背伸びをしそうな勢いが、針で突かれたようにしぼんだ。

「私は大丈夫だ。お前が閃光弾をさんざん間近で使っていて、心配だったんだ――見えてるなら、いいんだ」

 しぼんだと言うより、安堵して力が抜けただけらしい。面白いなぁ、と、一宇は他人事のように自分の感情を呟いた。もちろん、内心で。憂乃は一宇の左目を見ていたが、ふと、

「左目……少し色が違う」

 と、呟いた。

「え、そうですか?」

「うん。少し、底が青く感じる」

 それは基盤だ。言いかけて言葉を飲み込む。

「ヘンな薬、混ぜられたんですかねぇ」

 笑って、かわす。できればかわされてほしいと祈りながら、一宇は慎重に笑んで見せた。

 憂乃は怪訝そうな顔をしていたが、

「お前は、笑ってごまかす男だな」

 と、断定した。

「は? どこらへんが?」

 一宇は思わず真顔になって問う。

「そういうところが」

「どういうところがですか」

「まぁ」と、大尉はどうでもよさそうに会話を打ち切った。

「無事で何よりである。これからもスクールでよく学ぶように」

 軍人になれ、とは言わなかった。不器用な女だ、と一宇はぶしつけな笑みを浮かべた。そして、約束されたような一言を口に乗せる。

「はい」

 敬礼して見送り、部屋に戻ろうとしてやめる。騒ぎはどうも、肌が受け付けなかった。すると目の前でドアが開き、大佐が一宇を見、ドアの中を見、再び一宇を見て外へ出てきた。

「いちうー、じかん、あるか」

 否も応もない。上司に言われ、一宇は何があるのだろうと及び腰になりながら頷いた。

 結局、途中で医療班につれていかれ、一宇は大佐の話を聞けずじまいとなった。バランスがとれずに座り込んださい、大佐が担いで荷物のように運んだらしいが定かではない。

 視神経のつなぎはうまくいったと言うが、ときおり急に右目だけに負担がかかる。一宇はこの後、作業を一週間ほどとめられた。

 

 砂漠は刻々と色を変える。しっかりとした大地もあるが、基地の中とも外ともつかない場所にも砂漠がある。気味が悪いほどの密林と砂漠の同居が、人の居場所を確実に削る。

「神の左目なんて引き受けやがって――もう軍を出られんぞ」

 大佐はその日、軍の正規の軍服を着用していた。風が強いので、タバコの灰が、とどまらずに砂に混じった。一宇は、ほとんど違和感のない左目を細めた。久々に着たシンクタンク生の制服が、やけに整然としていて不自然に思えた。

「なぜ残った」

 シンクタンク側による学生の早期撤退要請に対し、一宇は残留届けを提出している。先程開かれた会議の前に、招集された他のシンクタンク生と話をしたが、会議で提出されたレポートとは違う、生々しい激情も耳にした。もちろん、会議前であるゆえ、学生のみが集められた控え室での出来事である。

 ――なぜ戦う。あれだけの、数を削るばかりの死の海で。

 ――なぜ生きる。いっそ死んでしまえば平穏だというのに。

 まだ若い部類の学生たちは、迷っていた。

 このままではおかしくなると、本能で知っていた。

 ――そして、他に道はないのだとも。

 どの道を選ぼうが、いつかその道は閉ざされる。戦争を終わらせない限り、どこかで戦いに巻き込まれる。あるいは、戦争が終わろうとも、人はいつか、どこかで争う。

 一人は、外交官になるための資格を得るためにシンクタンクに入ったのだという。彼女は地上戦部隊に配属されていたらしい。一宇も経験した、あのような森での戦いを、日常的に繰り返していたという。争いの中にとどまって、恐怖と共に嵐の中で凪を待つ。それが永遠に来ないとしても、来ない間は期待できうるといって待つ。彼女は毎晩泣いたという。そして今もまだ、嫌悪にも似た顔つきをして、瞳を潤ませて、しかし決然と言うのだ。戦って、今生きているだけの運はあった、与えてもらった、だから運に報いよう。いつか世界を変えてやる、そう言った。ある者は辞めたいと言った。怖いと言った。恐れることなく「いやだ」と言った。『それでも』、一度知ったものは刻印のようになると言う。この感情の、制御を知らないという。今更生きて故郷に戻ろうにも故郷はないし、あったところでもはや水があうはずもない。あれは悪夢からの急激な目覚めを受けたときと似ている。恐怖は完全には抜けきらず、人といてもどのみち孤独になる。何より、逃げたことが負い目となる。どのみちまともには生きられない、彼は泣きながら呟いた。なぜこの大地は人を苦しめるのか、それには誰もが口を閉ざした。一宇は何も言えなかった。ただ、ネギやキャベツやタマネギを刻んで、そうしていると作る過程に没頭できた。掃除でも何でもいい、何かをしている間だけは、思考に明るさがさすようだった。少なくとも、待っているだけよりましだった。

「結局まだ、振り落とされないように大地に張り付いている、と。それしかない――と」

 一宇は全員の話を聞いて呟いた。大地にとどまるためには戦う、まずここに居なければ、始まらない。

「難儀(なんぎ)な時代に生まれたもんです」

 時代の所為ではないのだろう、いつだって人は、難儀だと言い続けてきた。それでも、言わずにはいられなかった。呟きにかぶさって、ドアが開いた。一宇らは敬礼し、会議室に踏み入れた。シンクタンク生の管理を行なっていた大佐や管理官が席についており、一番奥に、中将の姿が見える。大将は名と顔写真だけ分かっているが、ここ数年、実際の戦闘や発言に現れたことがない。シンクタンク生にくだる挨拶文も、名こそあれ、読み上げるのは代理人である。さとい学生たちは、噂もしない。可能性ならいくらでもあるのだ。

 

「よく分かったろ? ものによっちゃあ薬物依存者も出るが、薬でも使わなきゃ戦えない」

 灰が落ちた。風がないで、耳に音を感じなくなった。一宇は我に返り、空を仰いだ。鳥一羽も上空を飛ばない。近くに食料源がないわけでもないので、たぶん上空の風が強すぎるのだろう。大佐は乱された髪を適当に払い、煙草を持った手のひらを見ていた。

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