第6話5
そういえば、ここに来る途中、一宇はプラントのメインコンピュータに接続して侵入形跡をチェックしていた。それで憂乃の居場所に見当をつけたのだが、そのとき、オートロックのドアの端末を使って調べており、歩いて出てきた住人(?)一名と出くわし、やむなくというか当然のごとく彼を気絶させ、回路を遮断して逃亡を謀(はか)った。その際、――二、三個、弾薬を落としてきた。ちなみにこれは故意ではない。しかし、逃げるついでにそこいらの接続線を切ってやってはいる。さらにそこへ水をぶちまけてやった覚えがあった。
これで感電する恐れを考えて誰もついて来るまいなどと思っていたのだが――これは、思ったより大事になっているのかもしれない。これってもしや、人間万事(にんげんばんじ)塞翁(さいおう)が馬か。
「昔の人って良いこと言うなぁ」
憂乃は呆れたような顔をしたが、
「……行くぞ」
特に追求もせず駆けだした。
二人乗りの機体が、陽光を白く弾いた。
瀬野の操る少々乗員定数にゆとりのある機を守るように、その機ともう一機が大きく旋回した。悠然と飛んでいるその機体は、だが内部はさほど快適でもなかった。
「何でだ」
大佐はゴーグル越しに沖田を見つめた。
沖田はしかし、一歩も引かない。
「ダメです」
「佐倉ならOKなんだが」
「少佐と自分は違います。――というか少佐も本当はきつかったと思いますよ、この高度で窓開けるなんて気圧でつぶれます」
沖田は大佐をにらみつけた。事態はしばらく膠着(こうちゃく)したが、九条が敵に攻撃をかけながら、
『なにやってんですかー!』
と、通信を入れてきたので、互いに目をそらしあった。
「――分かりました」
沖田は折れた。
「どうぞ。ただし一分しか息を止められませんから」
「四十五秒で良い」
にやりと口の端(は)をあげ、浮田はレバーを引いた。安全ベルトも解除し、慣れた手つきで銃を取る。
「何でいっつもそんなしちめんどくさいモンを使うんですか」
ぼやきながら、沖田は息を吸う。
「よかったですよね大佐、これ、旧式でおんぼろで速度がぜんぜん出ない機で」
「こら、はくなよ。すっとけ、お前一分しか息とめられないんだろう」
大佐は軽く笑った。
「……ほんと、旧式がお好きなんだから」
沖田はそこで沈黙する。集中力を使うのに、酸素を得られないと思うと体が震えた。
「ボタン一つでどかん、じゃあ、誰も生き残らないじゃないか」
祈るようにそっと呟き、大佐は銃を構える。
「たとえ世界が滅んでも、痛みを引きずったまま生きる――。地獄だがな」
九条がまるで燕のように、地面へと滑っては旋回する。大佐は航空する機体を着実に撃ち落とす――まるで手品か悪夢のように、ひらり、ひらりと機体が崩れる。ライフルのように見えるのだが、威力が強いのだろうか。沖田はいつも不思議に思う。
地上の第七部隊から連絡が入り、邪魔くさいと言われたが、いっこうに構わない。
「早くカタをつけたいでしょう?」
大佐は悠然と相手に告げ、沖田が懸命に息をしようとして補給器を掴むのを見ている。通信機が再びがなった。
『浮田ぁ』
「なんですか、ルノー大佐」
向こうは沈黙し、やがてため息混じりに呟いた。
『何でてめえみたいなのが大佐なんだ』
「そっくりそのままお返しだ。俺たちがなんて言われてるか知ってるだろ? 悪友だ」
『類友か、ったくやな話だぜ――あと七分で撤退する、お前もどうせ長期戦できねンだからとっとと帰(けぇ)れ』
「あいあいさー。いや、いえっさーだっけ?」
遥か下方、砂漠にぽつぽつと影が走る。
目を細め、浮田大佐は沖田に降下を命じた。
「大佐ぁ!」
砂漠は、どこまでも淡い黄土色をしている。空がけぶってクリーム色に淀んでいた。
一宇は憂乃を先に行かせ、後方に向かって閃光弾を投げた。同時に手元の基盤をいじり、遥か後方で砂が吹き上がるのを見る。ひらけているため、攻撃の方向が分かりやすい。狙われやすいということだが、一宇には森よりもやりやすくて助かる。何もないような砂漠の中で、砂を使って、よく分かる敵をうてる。足を取られて走りづらいが、慣れている向こうも多少もたつく。砂をかぶせれば重みでつぶれるし遮幕にもなっていい。
「降りようと思ったのになぁ!」
声が届いた。助かった、と胸が軽くなるのが分かる。笑みを含んだその声は、低く降りた一機から降ってきた。後を追ってきた者が倒れていき、白化した砂を赤く汚す。
「瀬野が来る、一瞬しかないぞ!」
言って、その機は高く遠ざかった。
「よくやったな」
笑いまじりの声がして、一宇は無線とは言え大佐の表情まで思い浮かべて涙が出そうになった。瀬野の機に乗せてもらっている。そして彼らは、一宇から見ればまるで近所に使いに行ったかのような顔をして、悠々と帰還する。あまりに普段と変わらない空気に、一宇は自分がひどく疲れていることに気づいた。疲労にはずいぶん前から気がついていたが、凍えていたものが暖まる予感がした。
「しっかしお前、派手にやったな」
「すいません」
別に責めるつもりはない、と苦笑混じりに大佐が告げる。もしかしたらお前が帰ってこないかと思ったんだ。シャレにならなかったことを思い出し、一宇は黙る。
「そういえば一宇」
不意に、話題が逸らされた。
「お前、砂漠じゃあよく動けてたが、森ではどうだった?」
「……全然ダメです」
正直、砂漠も森も、戦場はイヤだった。
血臭に慣れない。貧民街に近い場所で生活したことはあっても、一宇は死者は弔われるものであってああも無残にひき散らかされるものではなかった。
「あえていうなら、砂漠の方が視界が開(ひら)けていて動きやすいです」
「俺は森の方がスキなんだがな」
浮田はふうん、となにやら頷くふうである。
森は隠れやすく、仕掛けやすい。つまり相手にもそれだけチャンスがあるということではあるのだが、まぁそこは仕方がない。
「どうした」
憂乃は、一宇の様子がおかしいことに気づいた。青ざめており、口元をおさえている。背を丸めて震える姿は、流感患者にも似ていた。緊張がゆるみ、いっぺんにすべての感情が戻ってきたような波が起こった。一宇は吐くついでに叫びたかったが、瀬野と憂乃の手前、腹に力を入れてこらえた。やはり涙は出なかった。
*
「よー」
医務室行きに激しく抵抗した一宇は、医療班のチェックを終えて長い廊下の椅子に腰掛けていた。もうすぐ自室に戻れる、そう思うと、泥のような疲弊が体を包んだ。戦場とは違って、それは生ぬるく、どろりとしていた。
そんな中、気の抜けた声を出して、一つの影が近づいてくる。一宇は面倒だと思いながら、姿勢を正した。
「大佐、どうしたんですが」
「なぁにが、『どうしたんですか』だ」
ごん、と拳を一宇の頭に置き、大佐はその手を広げてわしわしと乱暴になでた。
「左目、どうだって?」
「あー……まだ見えます」
曖昧に言ったが、大佐はごまかされない。じっ、と、まるで静止して見える月のような静けさで注意を向けている。一宇は根負けし、息を吐いた。
「視力を失うのも時間の問題、だそうです。現に視界のあちこちが白く欠ける」
「そうか」
黙って、大佐は一宇の左に腰掛けた。
天井の白色灯がちらちらと瞬く。蛾がいくらかばたつかせた羽で壁をならした。
「――一宇、お前知ってるか」
どこか歯切れの悪い口振りだった。一宇はのろのろと顔を上げた。――見なければ良かったと後悔した。大佐は疲れた横顔で、壁を見つめている。うろんげに彼は言う。
「神の左目」
「――マザーコンピュータMが持ってる端末のことですか?」
先が読めた。一宇は自分が持つ知識を思い、そしてあのまま軍人などにならずに料理だけしていればよかった日々を思った。
「もし望むなら、『神の左目』の許可を下ろさせる」
大佐の声はすこし遠く聞こえた。ここに居ながらにして、どこか遠くに。神さまがもしもいるのなら、なぜこれを自分に聞かせてしまったのだろう、止めてくれれば良かったのに、そう思う。なぜなら一宇は、得られるものなら、手を伸ばさずにはいられないだろうと気づいていたから。聞いてしまえば、それ以前の状態にはとどまっていられない。
「まぁ――アレを使っても視力が戻る確率は五分五分だし、私生活も何もあったもんじゃないがな」
大佐は立ち上がりざまに呟いて、邪魔して悪かった、と一宇の肩を叩いた。
「学校には俺から言っておいた。多分お前の家にも連絡が行っている。一応、シンクタンク生とはいえ軍人扱いの期間中に起きた事故、まァ負傷だ、遺族年金とまではいかないが傷痍軍人としての手当ぐらいは出る」
「俺が弱かっただけです」
左目を押さえ、一宇は歩き出した大佐の背に呟く。
「俺なんかよりもずっと、大尉のほうが強い」
「大尉になれるぐらいだからな、強いよ、あの女は」
靴音が止んだ。この一角は研究者然とした軍人たちが行き来するほか、ほとんど人の通りがない。さびれた空気がどうしようもなく『この先の死を』気づかせる。この一番奥の扉は、あとは消えるしかない命の格納場所だ。多くが死に、一部が生き延びていく。うめき声が聞こえ、再び止んだ。誇り高い上位の軍人の一人が、戦闘で失った下半身の幻痛に苦しんでいるのだと医療班に聞いている。
「――あの女はな、軍人を辞める気はないんだと。負けるのがイヤなんだそうだ」
問わず語りで、大佐が背を向けたまま口を開いた。
「本人は言わんだろうし、他の人間の口にもあまり上(のぼ)らん。――俺がぶちのめすしな。だから本当は、あいつをけがすようでイヤなんだが、お前が勘違いしたままなのも腹立たしい、だから言っておく」
何を言うのか。一宇は大佐が憂乃の何を語りたがっているのか、その意図もつかめずただ聞いている。
「あの女は弱い。昔、といっても四、五年程は前になるか。あいつが第七部隊の少尉にまで昇進したころだ。今も昔もあの部隊は壊滅が多くてな、生き残った人間を上に据えていかないと機能しなくなって大変なんだ。それを別にしてもあいつは生き残ってる時点でえらいがな。まぁ、見ての通りあれは有能に立ち回るが協調性も少ないし、体も小さくてな、ようやっとシューティングスターとしての能力に目覚めはじめたぐらいだった。若かったし、かなり見くびってたバカどももいたんだ。ある日あれは輪姦にあった」
「――それって」
一宇は大佐の背中を見やる。大佐は振り返らない。ただ、昔話のように続ける。
「発見されたとき、あれは死んでいるのかと思われた。傷だらけだったし、何より舌を噛もうとしても出来なかったらしくてな、血の海の中で、ただ泣いていた」
ストレッチャーが一台、向かって来、三メートルほど奥の扉の中に消えた。すれ違うのもやっとの廊下で、壁にはりついてよけた大佐は、背を預けたま両手をポケットの中につっこんだ。
「あれは誇り高い女だ。精神的にもひどく打ちのめされていた。だが熱の下がった翌々日には、何食わぬ顔で演習に出た。どんな中傷にも口を閉ざし、ひたすら任務をこなそうとしていた。自分の弱さを憎んだんだ――奴らは減給と降格処分を受けてはいたし、あの頃の裁判は甘くてな、軍人を『無駄に』減らすわけにもいかんと言って、上がほとんど野放しにしやがった。あれは本当に、飛ぶことや戦うことに没頭し、周りが安心していた。だがな、俺は強くなりたいという口で、泣き言がいえないことを知っていたよ。あれは、周りの哀れみと、「早く元気になれ」という圧力を受けて、傷口を見ないように、崩れないように、必死で押さえていた。――そして」
一息に片づけてしまおうとする、その横顔は鋭利な刃物にも、もろい土細工にも似ていた。大佐は少し息をとめ、ため息のように吐き出した。
「あいつらが食堂であれと同じ席に着いたとき、俺は戸口で『ちょうど』ライフルを抱えて帰還したばかりだった」
一宇が目をすがめていたのは、左目が見えにくかったばかりではない。
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