第7話

七話

 一つひとつ名前を呼んで、彼は紙包みを渡していく。月に一度はこうして外部の委託業者が基地内部に隊員たちへの届け物を持ってやってくるのだ。彼はいつも、この瞬間がくすぐったくてたまらない。戦場に赴く人々が、子どものように目を輝かせて手紙を待つのだ。それはどこかほほえましく感じられた。

「第二十五部隊大佐」

 そうして、彼がいつもどおり、どことなく嬉しげな隊員たちに手紙などを渡していると、ここで初めて異変が起きた。食堂でどよめきが起こり、ついで声もひそめずに憶測が飛び交う。

「俺だ」

「うわあああああぁ!」

 突然真後ろから声がして、配達人は悲鳴を上げながら後ずさった。気配もなくバックを取られ、衝撃で目の端に涙が浮かんでいる。

 心外そうに口の端を曲げ、長身の男はつつみを受け取る。それは両手で抱えても抱えきれない、大きくてぼこぼこした包みだった。箱に入っているのではなく、直接クラフト用紙で包んだような風体だ。そして、食堂にいた連中の関心事は、ソレがどう見ても、アレにしか見えない点に集中していた。

「ご自分でご注文なさったんですか?」

 無邪気に訊いた内田情報局員が、笑顔を凍らせてごめんなさいを連発する。大佐は笑って彼の頭をわしわしと撫でると、さも足取りが軽そうに装って歩き出した。しかし、にじみ出る雰囲気は嘘をついていない。謝るくらいなら最初から言うな。

 

 なんだろう。さっきから、すれ違う人々がかなりの割合で後ろを気にしている。見たいのだが、見てはいけないと言及されているような、好奇心を無理矢理おさえているような、そんな表情が大半を占めている。一宇は首を傾げながらも、気軽にそこの角を曲がった。すぐに目的の人物を発見し、手間がはぶけたと喜んで走り寄る。

「大佐ー、この資料なんで……す、けど」

 一宇は、ペーパーファイルを差し出したままとまった。その顔を面倒そうに眺めながら、大佐はのっそり言い渡す。

「今、手ぇ塞がってるから。後で」

 がくがく、と首が取れそうな勢いで頷き、一宇は物問いたげに大佐の抱えたものを見ていたが、やがて名残惜しそうに去っていった。大佐に半眼ですごまれては、もはや何も訊けない。重々しげにため息をつき、大佐はふたたび歩き出した。

「あぁ、大佐、丁度良かった。ここにサイ……ンを…………」

 歩き出してすぐ、佐倉少佐が彼を呼び止めた。真顔でまじまじと手荷物を見る彼は、珍しく開いた口が塞がっていない。周囲の視線や出くわした顔見知りの態度に、いい加減イヤになってきて、大佐はだるそうに壁にすがる。少佐は大佐を観察し、何か言おうとしてすぐに、視線をすこしだけずらして目を細める。角を曲がったところ、植木の後ろに一宇がいる。あれで隠れたつもりだろうか。憎めない男なのだが、戦場では真っ先に死んでいるタイプだ。はっきり言って、軍人には向いていない。少佐は本気で、一宇にはちゃんと軍以外の料理場の職を見つけてやろうと決意した。ところで、彼は他の人間よりは挑戦的に正直だった。

「なんですか、それ」

「何に見える?」

 途端、周囲がざわめきを失った。息をのみ、二人のやりとりをうかがう。大佐は壁に背を預けたまま、抱えたものに視線を落とした。

「……クマ、ですね」

「そうだろう」

 大きく頷き、はずみでクマを包む用紙ががさがさと音を立てた。しかも、と少佐はもはや驚きのない顔で続けた。

「一メートルはあろうかという、大きくてショウウィンドウに飾ってあるようなクマの、ぬいぐるみですね」

 愛くるしい目を向けるクマは、丁度首の辺りまで、包み紙をはがされている。おそらく、大佐が中身を確認したものとおもわれる。

「娘さんにプレゼントですか」

 いくらなんでも自室に飾りはすまい(しかしプレゼントなら直接相手の住所へ届ければいいのだ、なにも自分で運ぶことはない――こんな視線を受けてまで)。大佐は不意に微笑んだ。質問を打ち切るよう、周到に用意された圧力だった。出身地域は違えど、「笑い」に楽しい以外の意味付与がなされることを知っている佐倉は、ちゃんと裏を読み、建前どおり、一礼してその場を辞した。

   *

「あれ?」

 一宇は、武器庫のなかで首を傾げる。目の前でよろよろと左右にふれながら歩いているのは、見たことのあるやけに小さな背中だった。

「憂乃さん?」

 いつの間にかファーストネームで呼んでいるが、これはランゼル大佐が同じ浮田姓であって混乱するからである。それでも大尉と呼べば済むものを、思わず言って、一宇はしまった、とほぞをかむ。憂乃は今にも噛みつきそうな目でこちらを睨んでいた。

「す、すすすす、すみません」

 なんだかとても親しくなった気がしていたのだが、向こうは何とも思ってはいないのだ。

 俺ってうふふ、勘違い。三十六計逃げるが上策、である。

「大尉も武器調達ですか?」

 よたついた彼女が抱えているのは、赤と黒のラベルが貼られた、銀色のケースである。一抱えもない大きさだが、それで重量は少ないということにはならない。銃器は重いのだ。

 彼女は扉の前で、よろけながらポケットを探っている。一宇は自分の首に下がった許可証を見て、それから彼女に近づいた。一気に距離を詰められ、憂乃の顔がこわばる。それでも構わず手を伸ばした。確かに、真後ろから近づかれるのは、あまり気持ちのいいことではない。分かってはいるのだが、あからさまに警戒され、思わず苦笑してしまった。

「どうぞ」

 言われ、憂乃はようやく、手が塞がっている自分の代わりに扉を開けてくれたのだと思い至る。慌てて外に出て、ケースを取り落とさないように頭を下げた。普段下官にそうすることはないのだが、体が先に反応していた。

「すまない」

「いえいえ」

 一宇は軽く言いながら、ケースに手をそえて支えてやる。

「あ、ありがとう……」

「や、いいですよそんな」

 照れながら、一宇はまんざらでもなさそうに笑っている。

「今度はもっと、力があるひとをよこさなきゃだめですよね、そんな、細い人がもってると何だか見てるこっちがはらはらしますよ」

 笑顔だが。一宇は、ときどき激しく墓穴を掘ることがある。好感度が一気に下がったことにも気づかず、彼はにこにこ笑っていた。

「ほんっとーに、ありがとな……!」

 まったくありがたくなさそうに吐き捨てられ、勢いに思わず片耳をふさぎ、一宇は目を白黒させる。彼は、憂乃が鬼のような形相である理由に思い当たらない。ただ脳天気に、

「……任務、お疲れさまです」

 と、言って、見送るだけだった。どたどたと足音をたて、ときおり壁にぶつかりながら、憂乃は肩をいからせて去っていった。

 本当に、なんであんな人に武器を取りにいかせるのだろう。ぼんやりと思いながら背を見送って、一宇ははたと我に返る。

「あれ? ……俺ってもしかして」

 両手を振って、見て、周りを見て、事実を認識する。彼は、肝心の武器を持ちだしていなかった。

   *

「……で?」

 佐倉豊治、第二十五部隊少佐は、デスクワーク向きではないと自他共にみとめる飛行機バカだが、今日はおとなしく机にかじりついていた。そうでなくとも、不機嫌になる。

「許可証を、使ったのに、肝心の武器を、運び出してない、と」

 いちいち区切り、強調するだけして、佐倉はわざとらしくため息をついた。一宇もそうしたいのはやまやまだったが、いくら周囲に誰もいないとはいえ仕事中にくだけすぎた態度はとれない。えへ、と笑いたいのをこらえて、必死に真面目な顔をつくる。それを胡散草げに見やり、叔父は静かに書類をめくった。

「自分でなんとかしなさい」

「へ?」

 基地内では、共用でいくらでも立ち入れる場所と、そうでない場所がある。後者は、軍人がもっている身分証明書を兼ねたセキュリティカードに、使用のつど許可データをインプットすることで、初めて踏み込むことや利用を許可してもらうことが多い。特に武器庫は警備が厳しく、たいていは大佐権限で情報局員が許可申請をする。一宇はざっと命令系統を確認し、おそるおそるお伺いを立てた。

「大佐に頼むとかじゃなくて、ですか?」

 返事がない。

「ひょっとして、自分の手違いを、……直接上層部にわびて来い、と」

 佐倉が書類から顔を上げた。分かってるじゃないか。ちょっと見直したぞ、という表情で見られたが、一宇はまったくうれしくない。

 そりゃ自業自得ですけど、と鬱々としながら、そうもしていられないので内田を捜しにいくことにする。ラファエルのほうが上位回線につなぐのがうまそうだが、怖くないのは内田だ。あの兄弟、外見が似ていないが中身もまるで違っている。内田なら同情して手伝って貰えそうだ。一宇は、許可をだしてもらうための機構にくわしくない。専門役員にきかなければ、何日経っても使用回線にさえたどりつけないだろう。誰かに迷惑をかけたくないなどといってはいられない。すでに迷惑になっているのだ。かかるなら、できるだけ時間が短くすむほうが、いい。

「あれ? そういえば大佐は」

 ふと気づいた一宇は、室内を見回す。雑然とした書類の中に、大佐が紛れていることもない。しかしつい、机の下まで見てしまった。ああ、と至極イヤそうに頷き、佐倉は甥に短く愚痴る。

「どこかへいった」

 別の隊と共同戦をはる予定が、これでは台無しである。まぁ今回主力になる九条たちがちゃんと出ているので事なきをえているが、まだ危険な状態だ。

「どこをほっつきあるいてるんだか」

 お前はそうなるな、と眼力でいうと、佐倉は仕事に戻った。

 

「な、なんなんだ」

 憂乃はぶつくさ言いつつ、銃器を運び終え、手配もすませた。頭のなかは先程の一宇のヤな態度でいっぱいだったが、それで手順を間違えるほどやわではない。それなのに、休日にしか戻らない宿舎側に廊下を進んでいるのは、叔父が仕事に出てこないから呼んでくるようにと言われたためだった。

「おい! ランゼル!」

 ばん、と遠慮も何もなく、勢いだけで扉を開く。みんなこの男を妙に怖がってまるで腫れ物扱いするが(実際、アルフォンス大佐ほどではないが、有能ではあるがどこか得体が知れないところはある)、仕事を無断欠勤するほうが悪いのだからなぜそこで皆が後ずさりするのか憂乃には分からない。憂乃は簡潔にランゼルをひっつかまえて連行しようとした。が、開けたところで、テーブルについたランゼルの背と、同席したモノが目に入り、思わず沈黙せざるを得なかった。

「お前、それ」

「おー、よく来たな、まぁ座れ座れ。用がないなら帰れ帰れ」

 ランゼルは振り返りもせずにカードを並べ、どれにしようか、と選びながら声をあげた。戸口に立ちつくした憂乃は、二、三度口を開閉させ、次に大佐が何気なくばふばふと席の座面を叩いたので悲鳴を上げた。

「ばッ! ばか! そんなに刺激したら!」

「ああ」

 やっぱり、お前は気が付くんだな。言って、そこでようやくランゼルが振り返った。笑みがややこわばっている。

「勝手に入ってきて勝手に気が付いたんだ、それにお前爆弾処理班じゃないしな、多めに見てくれるだろ」

「なぜ、そんなものを」

 軍のチェックに引っかかってないなんて。言葉を飲み込み、憂乃はしめされた椅子ではなく、別の椅子に腰を落ち着けた。大佐が先程叩いた椅子には、大きなクマのぬいぐるみが鎮座している。かすかにだが、憂乃の耳には機械音が聞こえていた。

「高性能。なんか、新型だそうだ」

 卓上においた白い封筒をはたき、憂乃の側へ押しやって、大佐は作業に戻った。タロットカードの大アルカナを、並べては、またまとめ直している。

「いまさら、占いにでも目覚めたのか?」

 違うと分かっていながら、憂乃は吐き捨てるような笑みをたたきつける。

「なぜ解除を」

「頼めないんだこれがまた。中に」

 そこできり、ランゼルはカードをためつすがめつ、ため息をつく。それだけで察しろというのだ。憂乃はわずかに肩を落とす。

「盗聴――か」

 しかも、盗聴だけとは限らない。仕掛けはクマだけとも限らない。

「素敵な贈り物だろ」

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