第9話2

 んじゃ、と手を挙げ、浮田も腰を上げる。

「……アルフォンス大佐」

「なに?」

「……、邪魔」

 しがみついている青年を引きはがし、浮田はさっさと隊に戻る。

「あー、くそっ、お前が帰ってきてからろくなコトがない」

「人の所為にしないでくれよう、それってつまり、浮田がマーフィーの法則によって極論しているだけじゃないか。過度の一般化だよ」

 どうだか。この的中率を金運に発揮できないところが、世の中の無情を物語っている、と浮田=ランゼルは思っている。

   *

「やっぱり」

 呟き、沖田が大佐をにらみつける。逆巻く風の中、わざわざ砂漠に出てまで、大佐がタバコをふかしているのだ。いつもいつも、その後ろ姿をみかけるたびに、沖田は言いたかったことがある。今日は、妙にそれをおさえられなかった。だから正直に、勢いよく砂を蹴立てて彼に迫った。

「タバコを、すうなと、あれほど言われているでしょうが!」

 叫ぶと、向こうも気づいたらしい。ひょいと手を挙げて、にやりと笑った。

「セヴェックも吸ってるぞ。いいじゃないか、別に、嗜好品ぐらい」

 それが腹立たしくて、沖田は肩で息をする。

「命が惜しくないんですか、大佐は」

 沖田の、常にはない食いさがりに、大佐はふん、と鼻で笑う。

「惜しけりゃ軍になぞ入っちゃいないさ」

 タバコの成分は戦前からさほど変わっていない。旧帝国時代にフィルタの機能は向上したが、けっきょくニコチンという麻薬中毒であるという事実は変わらない。肩をそびやかし、大佐はうそぶいた。

「くだらないことで暇つぶしてるンだったら、階級の一つもあげてみろ、女房も喜ぶぞ」

「……自分はそういうことについて言ってるんじゃあありません」

「ならどういうことだっていうんだ」

 砂漠からの風が、息を奪うほどの乾燥をもたらす。会議帰りの沖田は、正規の軍服をそよがせて言う。――まるで、医師が死を宣告するような真剣さを宿して。

「大佐がご自分で気づいてらっしゃらないようなので申し上げます。あなたがタバコを吸うのは、いつも、一人で居るときか平穏が続いたときだ。戦闘中はぜったいに吸わない。決まって、空白を厭うようにタバコを手にする。現に今、砂漠を前に一人で居た」

 眼前の沖田の存在を、そこにいることを初めて認めたように、大佐は心持ち目を見張った。

「お前……こまかいことに気のつくヤツだな」

「そうですか? 少なくとも、少佐や一宇候補生は気づいているようですが」

「アレが気づくようなたまか」

 アレ、が誰をさすのかは自明ではない。大佐は茫洋と呟く。

「……まぁ、確かに。人前で吸うなとさんざん叱られたしな。健康だどうだと鬱陶しいし」

「そのタバコは、薬物中毒におちいる犯罪者と同じではありませんか? あなたは、不安を抱えている――我々が一生ぬぐえない、恐怖に似た感情を」

「だったらどうした」

 大佐はまるで悪びれない。恐怖に媚びることがないような彼が、傲慢に胸を張る。

 己の弱さを指摘されて、なおも言う。

「結局逃げられん、回し車の中のネズミだからな! お前こそ、戦闘中にだって逃げたくなるだろう、人殺しの痛みより、それがもたらす空虚にな」

 最後は、まるでささやくような声音だった。うっかり寝入ってしまいそうな、甘い罠を仕掛ける大人の言葉だ。沖田はしかし子どもではない。もう、ずいぶんと昔から、生きる闘争の中で生の大小を問わずに戦ってきた者だった。大佐をにらみつけ、その口元からタバコを抜き取る。激しい勢いで近づかれ、奪われたものを追おうともせず、大佐はただ沖田を見つめる。そして言う。

「逃げたいさ、だが、しっぽを巻いて逃げ出すわけにはいかん。怖いのは、無意味だと気づくことだ」

 会話の意図がはかれなくなってくる。沖田は、奪ったタバコの火をもみ消すと、捨てる場所もなく手に持ったままでいる。そして、思う限りの言葉をぶつけた。

「――だから全力で戦っている間だけは、考えを向けなくて済む、生からの逃避、何もない現実から目をそらして、一体何になるっていうんですか。あなたは怖いからって、麻薬に頼って身を滅ぼしてるんですよ」

「おまえには分からないよ」

 俺は人間だから。呟いて、大佐は砂を殆ど蹴立てず宿舎に戻る。沖田は口をへの字に曲げて、言い得ぬ敗北感を抱えて空を仰いだ。彼もまた、逃げ続ける者の一人に過ぎない。

   *

 ほとんど雑務係とかした一宇は、今日も書類の束の中をはいずりまわっていた。現実には、右へ左へ走らされ、書類は頭の中で渦をまくにとどまる。連絡系統に文句をつけながらペーパーファイルの非効率を呪っているが、それでもちゃんと手に取れるということはなんだかどこかで、安心がある。きらい、ではない。

「あれ?」

 一通り検査を終えた新規ファイルをめくり、必要なぶんを大佐に渡そうとし、一宇はふと気づいた。

「少なくないですか?」

 一桁違う。あぁと大佐はぞんざいに頷いた。

「俺も思った。でもあんなもんなんだよ、足りないんだ、慢性的に」

 軽くのばされた手に書類を渡しながら、一宇は頭から血の気が引いていく。

「足りないったって、これ、民間発表よりも」

 その書類は、現在までの軍人の総数と配置数、ならびに責任者名の一覧である。

「そうだよ」

 なんでもないことのように、大佐は笑いさえする。軍人が足りない。本来なら大尉クラスの中隊を抱えて、大佐が動かねばならないほどに数が足りない。

「頭数だけそろえようってんで、あそこに飾ってあるクマもはいってんだぞ」

「何にですか」

 一宇はどうしようもなくイヤだと思いながら問いかけた。

「軍人にきまってんだろうが」

 ひょうひょうと答えた大佐の視線の先で、先日送られてきた爆弾クマが首を傾けている。胸には銀の勲章が複数個輝いていた。開け放たれた扉の前を、佐倉少佐が通過する。彼はファイルから目を上げることなく、すいと角を曲がって口を開いた。

「無茶を言わないで下さい。大体あのクマは一週間位しかここにいないじゃないですか」

「なぁ、あいつどこから聞いてたんだ?」

 大佐のセリフの意味するのは、果たして少佐の位置か、それとも話の内容か、判然としなかったので一宇は曖昧に頷いた。

「あ、でも、あのクマ、付けてる勲章は本物ですよね」

「うん。グランバード少佐のだ」

 先日殉職した小隊長の名をあげ、大佐は冗談か本気か判別のつきかねる言葉を投げた。

「ノーマスが持ってかえってきたんでな、家族にかえそうとしたんだが手違いで行方を記したファイルも見つからず、そういえば少佐の住んでたのは二年前に大空襲で壊滅したんじゃないかって話になったんで、そこの大佐に預けてあるのだ」

「……そのクマ、設定が大佐なんですか」

 うろんげな目でクマを見やった一宇の前に、もう一つ事実が明らかにされた。

「大佐といえばな。あのマッドも軍医としては大佐だぞ」

「ええ!?」

 一宇は、軍医佐藤の嬉々とした顔を思い出した。彼のもとにかつぎ込まれたが最後、必ず人体改造がほどこされて戻る羽目になると評判である。腕はいいが、ささいなことで人間をばらそうとするので始末に負えない。

「はぁー……あれが大佐……」

「ん? お前、なにげなくイヤな奴だな」

 書類から顔を上げず、ときおり下線を引きながらランゼルが笑う。考え深げにうなっていた一宇は、我に返って慌てた。

「あのかたが大佐で悪いとかそういうわけじゃないんですよっ、あんな変人でも大佐だとかそんなんじゃなくって、あの、年が」

「お前、そんなに無理しなくてもいいぞ、全部本音が出てるじゃないか」

 気分を害した様子もなく、大佐は楽しげに声を立てた。

「そうだな、あいつも若い。老若男女問わずして軍人にかり出すにしても、尻の重たい連中は全部死んでるんでな、てきぱき、風見鶏なみにがんがん動く奴じゃないと使えねぇんだよ。結局、俺やあいつや、アルフォンスみたいな奴ばかり残る」

 大佐はもう、笑っていない。

「……俺達は運が良かったか、さもなきゃ風に乗せて貰ったんだよ、死んだ連中が守ってくれたのさ」

 俺よりずっと賢くて強かった、あの人達が死んだように。

 部屋には日がさしこんでいる。こうしていれば、まるで戦争などなかったことのように思える。そのたび、一宇は思うのだ。なぜわざわざ、絶望の先に走っていくのかと。

 窓の外をにらみつけていた大佐が、不意に長い息を吐いた。

「昔話するようになるたぁ俺も終わりだなぁ」

 イヤそうに呟き、大佐は子供のようにぐるんと椅子を回した。

「それなのにろくな後続がいねえとなると、先が思いやられるぜ」

 昔話ってなんですか、と聞こうとした一宇に、自己完結した大佐が勢いよく振り向いた。そのまま、無言で凝視され、一宇はまばたき一つ出来ない。なんなのだろう。あまりに真剣なので、何もつっこめない。

「そうだ」

 膝を打ち、大佐は急に席を立った。鼻歌でもうたいかねない軽快さで棚を漁り、ふと思い出したようにポケットに手をやる。

「……どこやったかな」

「大佐の私物はすべて部屋でしょうが」

 副官代わりの少佐が、通りがけに忠告していった。

「あいつ、何でタイミングがいいんだ?」

 それを聞きたいのはこっちのほうだった。一宇は黙って動向を見守っている。

「んー、まぁいいや、来い来い」

 大佐は手首のスナップをきかせながら、おいでおいでをした。そのまま廊下に出て行ってしまう。

「ついてこーいいぃい」

 ドップラー効果で遠ざかる声に、

「……何考えてんだよ、あの人」と、一宇は今日中の判を押された書類を見つめた。

   *

 追いつく前に、大佐が戻ってきてしまった。戻ってくる大佐と途中で出くわし、ぞんざいな手つきで何かが差し出された。

「やる」

 渡されたのは、銀色をしたクロス。不似合いなほどの細い鎖が、薄暗い照明をうけてかすかに光った。

「え、これって」

 押しつけられ、うっかり受け取ってしまった一宇が返そうとする。その手を肘で押し戻し、大佐は奇妙な笑い方をした。

「俺のなんだが、俺のじゃないんだ。もともとばーさんが信者で。家には他にいなかったんだが、一応子供らには一人一つずつばーさんから渡される」

「え、そんな大事なものを、貰うわけにはいかないですよ」

「いいんだよ」

「プレゼントは素直に受けとっときなよー」

 通りすがりにアルフォンス大佐が言い、背負っていた袋を壁に当てて傾いて止まった。

「あいたたた、いかんね、夜逃げはもっと、スマートにいかなきゃ」

「逃げンのか?」

 浮田がどこか嬉しげなのは、アルフォンス大佐のジンクスと無関係ではない。

「逃げるなんて人聞きが悪いね。私は最高権力を掌中に収め」

「はいはいはいはい、分かりました、早く行ってください」

 ぞんざいに手を叩き、浮田はアルフォンスを追い払おうとする。と、アラートと共に第二十五部隊に招集がかかった。

「来やがったー!」

 一声あげて、浮田大佐は一目散に外へ向かう。一宇もあわてて、なくさないようにクロスをポケットに入れ、あとを追った。

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