第9話
九話
新年を迎え、過ぎていった、ある日のこと。
「内田さんは」
「はい?」
カタカタ、と単調にキーを打ちながら内田が応じる。職人のような正確さで、ミスタイプ一つ無く作業が進行していく。それを見ながら、一宇はやっぱり、一芸に秀でたヒトっていいなぁと思うのだ。オールマイティでよかったことが、彼には思いつかない。クラスでもそこそこで、今回の学生派遣が決まったのも、確実に稼いだ平均点と面接のおかげなのだろうなと思う。オールマイティな人間は他人の記憶にも残らない。シンクタンク生がこの先同窓会など開くことは無いだろうが、それでも配属先などでぱっと相手の名前が分かれば、それなりに便利である。それなのに一宇は、ちまちまと稼いだ点で就職して、この先ぱっと能力を使って昇進した同期にこき使われて終わるのだろう。彼は気づいていないのだが、浮田大佐はその「そこそこさ」に目をつけて一宇をほしがったのである。そして、本当は料理がしたかったという彼の本音を聞けば、それはそれで現在の隊員のように、「この子、なんか変」という「ただのそこそこ」では得られないような評価を得ているのだ。閑話休題。
「ええっとー」
一宇は質問しに来たことを思い出し、ついで自身のくしゃみによって出鼻をくじかれた。人間のためではなく機器のために空調をきかせた部屋は、外や常温よりかなり低い。ジャケットを羽織ってはいるが、もう一枚着込まないと、足下から寒気があがってくる。
よくジャケット一枚だなぁ、と感心しながら、一宇は内田に問いかけた。
「神さま、信じますか?」
「は?」
案の定、内田は首を傾げたそうに声を挙げた。心持ち指の動きが鈍ったが、しかしすぐさまリズミカルさを取り戻す。
「そうですね。信じてますよ」
彼はあっさりと答えた。いきなり滅多に聞かない質問をされて驚いたようだが、彼は何の迷いもなく言ってのけた。
「どうしてそんなことを聞くんですか?」
質問に答えたのだから当然聞く権利があると言わんばかりに、内田は一宇に微笑んだ。
「信仰上の問題でも起きましたか?」
さまざまな人種があつまる基地は、当然、信仰も生活習慣も本来は異なるものたちのるつぼである。食生活はある程度までは食堂で再現してくれて選択の余地がある。宗教もまた、他者の信仰を害さない限り許される。――もちろん、最優先されるべきは軍の法規であり機構なのだが。とは言っても、他人と暮らすのはなかなか骨がいることである。どうしても、相手を許容できないことは、ある。特に宗教は、戦争の大原因になるほどだ。精神に根ざしたものは扱いが難しい。
内田は、一宇が料理をするので、もしかしたら使ってはいけない食材でも使ったかなと勘ぐった。
「あの……そういう、信仰については俺、ぜんぜん考えたこと無いんですけど」
全然か、と内田は笑いかけた顔で思う。そういえば世の中には多神教も一神教も、無神教もあれば宗教について考えもしない者がいるのだ。
「まぁ……毎日の生活に組み込まれてることが多いからね、他の習慣と出会って初めて気がつくってこともあるし」
「はぁ」
一宇はどうも歯切れが悪い。
「……内田さんはなんで、そんなはっきり神さま信じてられるんですか」
一つか二つしか年の違わない一宇を見ながら、内田はああ、と頷いた。そしてキーを叩く手を止める。一宇がその手を見ていたが、気にしないで、となるべく空気を乱さないように言った。
「神さまって言うのはええと……世界に満ちているというか。ううん、なんて言ったらいいのかな。これは僕のイメージだから、ラファエルには怒られそうなんだけど。世界は、炭素や窒素や、水素、珪素……その他のいろいろな物質からできているよね? 微細な粒子、それに電子や陽子……未だ発見されぬ物質もまたあるでしょう。僕らはそういったものが寄り集まってたまたまここにいるわけです、自分だと思う存在がたまたまいるわけです。で、いつか解体されて別のものになるわけです」
分かる? と首を傾げられ、一宇はとりあえず頷いた。意味は分かる。よかった、と自分に確かめるように呟くと、内田は続けた。
「世界は確かに、形をとどめないし人間のしたこともなくなっちゃうけどね、もとからあったものは無くならないよ」
彼は言う、おそらく彼は、それを神の一種だと考えている。
「……あ、草を羊が食って、羊を狼が食って」
「食物連鎖?」
「はい」
「うん、似てるね」
どうやら内田は、自分が世界を構成する物質の一部のたまたま人間になったひとつと考えているようだった。一宇は我ながら三流な頭だと思いつつ、考えを巡らせる。
「ええと、それって、お祈りする相手の神さまってのじゃないですよね」
「うん、まぁね。なんていうんだろ、矛盾してるんだけど、お祈りはするなぁ……。まぁ、世界は大きな一つだから、つじつまを合わせるには人間の基準なんて含まれないってことかなあ……」
なにやら考え込んでいる。踏み込んでは行けない思考の迷路にたたき落としてしまったらしい。一宇は慌てて、一礼した。
「お手間取らせました! すいませんでした、あの、仕事に戻られてください」
「うーん」
*
「……お前か」
一宇は、なんとなく威圧されながら頷いた。
内田が悩んでいるのを知っていたラファエルは、同じ問いをぶつけられてため息をつく。
「信じてない。信じるのはあると思えるものだけだ。直観が腐っていればどうしようもないが」
こちらも、キーを打つ手はとまらない。しかも、内田隊員よりもはやい。上には上がいるものだ。感心していると、
「佐倉候補生は?」
問いがかえってきた。一宇はうーんとうめいたきりである。
「まぁ、それを聞いて回っているのか。あんまり考えていると、脳が腐るから気をつけて」
きっぱりと言うと、もう一宇を振り返らない。なんて揺らがないヒトなのだろう。なんだかかっこいいなぁ。……一宇のリサーチは、徐々に奇妙になっていった。
「俺? そうだなあ、飛べてればいいな。飛べて撃てれば。そこで叫ぶ神さまの名前なら信じる」
九条が嬉々として新型の小型戦闘機に乗り込むところをリサーチしたところ、かような答えが返ってきた。なにやら、聞けば聞くほど明るい答え方が増えてきたように思う。一部の敬虔な信者には恨みのこもった眼差しをくらったり、聖書を頂いたりしたのだが、一宇は考えるよりリサーチにはまっていた。人間、なにか目的を見つけるとそれにいそしんでしまう悲しい習性があるらしい。隣を抜けていった男も捕まえて、一宇はうきうきと聞いた。
「……飛べてれば、いいかな」
普段はきっちりしていそうに見える叔父が、その実ただの飛行機バカだということを、少佐の親と少佐の兄妹であるところの一宇の母は知っている。やっぱりねえ、と納得している九条と一宇の前から、いつもより足取り軽く、はやる気持ちを抑えきれないらしい機敏さで佐倉少佐が去っていった。
「でさあ、お前、そんなにリサーチとって何するんだ? レポートか?」
基地内の信仰状況について。とか。
「あはは、ないです、興味です。興味で時間取らせてすいません」
「別に良いけどよ、みんなに言われなかったか? 聞くなら大佐が一番だって」
「言われました」
ああ見えて、大佐が一番、読書量が多いらしい。入隊直後に本人を除く部隊全体が壊滅するという体験も要因なのかもしれないが、本人は特定の信仰を掲げないのに迷った部下にはいろいろな本を与えるという。ときどき、ちょっとした悔恨も聞いてしまうとか。……もっとも、後日それをネタに遊ばれることもあるのだが。
「でも、きいたら、話が逸れたんですよね。なんか生きて生きて……」
「あー、そうそう」
登場許可証を確認しつつ、九条が頷く。
「そして死ね、だろ」
「死ね、なんですよね」
沈黙した二人のうしろで、佐倉がうきうきと最新機の最終チェックをしている。明るいやりとりをバックに、二人は微笑み、肩をたたき合った。
「ま、人間死ぬまで生きてますから。気をつけて行ってきてくださいね」
「一宇、やなやつだなーお前は」
*
「ふっふーん」
「なんだ、一宇、お前ご機嫌だなあ」
最新式の超音速機を試乗してきた九条も上機嫌である。廊下を行く一宇の腕から、包みを一つ持ってやった。
「なんだ? これ」
「人参です!」
ぼさり、と妙な音を立て、紙袋が磨かれた廊下に落ちた。
「九条先輩、ダメですよ、傷むじゃないですか、せっかくの新鮮な食材がッ」
ねめつけて一宇は人参を拾った。硬直している九条をよそ目に、一宇はうきうきと呪文のように言葉を唱える。
「人参、セロリ、ピーマン、かぼちゃ」
「それを誰が食うんだ」
「これはですねえ、ふっふっふ、料理長に分けていただいたんでスよう、なんかプラントでたくさん採れたらしくって~」
会話になっていない。九条は、まるでゴキブリの人間実寸大に出くわしたかのような目で一宇を眺めた。
「……なぁ、一宇」
「なんですか?」
満面の笑みで、一宇は振り返った。無邪気な笑みに、問の答えを確信しながら、九条はおそるおそる訊いた。
「それ、俺も食うのか?」
一宇は黙った。表情の抜け落ちた顔で見られ、九条はうっ、と言葉に詰まる。
「……当たり前じゃないですか」
ぼそり、と呟き、一宇はついで、にっこりと笑った。
「大丈夫です、今度こそ九条先輩も食べられる料理にしますんで!」
九条は、不用意な発言を後悔した。
「九条は、隣室だろ、一宇は候補生だし台所つきで部屋をやったんだが、基地にいるときは毎晩のように料理を食わされてるらしい」
しかも深夜一時過ぎ。ちょっとした怪談話のようである。
「で、夕飯もちゃんと食ってるわけだし、深夜に食うのはいかんしな、断ろうとするんだが、できないんだと」
「九条もほら、デートとか言って朝帰りするだろ、そこんとこはどうなんだ?」
「それがさ、九条、一宇があまりにも嬉しそうなんで、どうも逃げられないらしい」
「へえー、今の彼女とは長く続いてるのも、そのおかげかなあ」
「ちょっと、そこっ! 静かに!」
雑談は中断された。白板に大書きされた『第百六十四回軍法会議・あ』の文字が悩ましく光る。壇上にあがった女性将校が、咳払いして話に戻った。顔を見合わせ、彼はこっそりため息をつく。
「かわいそうにな、エリル女史。一週間もご無沙汰じゃあキレもするよなぁ。エスメント、まだ戻ってきてないのか」
「浮田、エスメントとは別れたらしいぞ」
「えっ、そーなんだ。ふーん。へーえ」
「浮田! セヴェック! 全員縛り首だぞ!」
教官のごとき一喝に、浮田も隣の銀髪の男も神妙な顔をした。顔だけである。
「ちぇー、つっまんねー、ランゼル、お前もうすこし昇進して黙らせろよあれ」
「そうだなー、俺たち滅多に会わないモンな」
ぼんやりと言い合う二人の軍服の階級章は大佐である。この前線基地では、基本的には一つの部隊に大佐がついている。全部隊に配属されてはいないが、それでも相当数居ることになる。すべて、戦力投資のためである。昇進の墓場とも言う。
「浮田=ランゼルの場合、軍内でひと殺してるから仕方ないよねー」
浮田の肩を叩き、金の髪を面倒そうにかきまわしながら一人の男が入室した。
「アルフォンス大佐! 静かに」
壇上の女が叱責する。会場の軍人が一様に彼女の勇気をたたえた。むしろ来ない方がよかった男の侵入で、会議は慌ただしく幕を閉じる。
「うわー、何? 皆今日もスピーディだね」
「お前が来たからだ」
ばさばさと資料と片づけ、浮田はそっけなく言い返す。ひどいなあ、みんなで私を疫病神扱いして、とアルフォンスが最後まで言い終わらない内に、アラートが鳴って招集がかけられた。
「それみろ」
言われ、アルフォンスは肩をすくめるのみである。
「じゃーなーランゼル、また今度」
セヴェック大佐は銀時計で時間を確認する片手、無線で指示を飛ばしている。
「また軍法会議だろ? 毎度毎度ここでしか会わないなあ」
「ははっ、いえてら」
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