手紙・b
『手紙・b』少し未来に
荷車の揺れが心地よくて、彼はふと寝入ってしまっていたことに気が付く。揺れる視界に見慣れない影を見つけ、ぎょっとして飛び起きた。
「あぁ、気にしなくて良いよ」
微笑み、御者台のようなところに座り込んで男が言う。そんなことを言われても、動じてしまうこちらである。
「なッんでこんなところにいらっしゃるんですか、」
「君が本当に軍に来るか、心配になってね」
言い放ち、金色の髪を柔らかに風にそよがせて男は答える。
「……そうですか」
唐突さを責めたつもりだがかわされ、相手の気性を思い出して彼は取り合わないことに決めた。荷台の芋がごろごろと転がる。起きあがり、神父の服の裾をはたいてそれをつかまえ、籠に戻した。本音は、単に反乱軍にでもなられたら困るから見張りにきたといったところだろう。自分は、かつて利用し今も後ろめたい思いを抱いている者の息子に当たるのだから仕方ない。自分を手元に置きたがる男に肩をすくめ、彼は再び腰を落ち着けた。その仕草や表情を眩しげに見つめ、牛にむけて足を伸ばして男が笑う。
「本当に、君はご両親に似てきたね」
「同じ名前の人に、じゃなくてですか」
一瞬、針で突かれた風船のように笑みが途絶えた。しかし男はすぐに微笑を復活させる。まるで職業病のようだなと思いながら、神職者の姿をした彼は荷物へと手を伸ばした。
「……そういうところは似ているかな。彼は聡明だった」
「そういえば総統、親衛隊の人はどうしたんです? お一人じゃあ危ないでしょう」
冗談だとでも思っているのか、牛を歩かせている荷車の主はのんびりとあくびをしている。総統、と呼ばれた男は、詰め襟のフチを指でひきながら答えた。
「息苦しいから置いてきた。あとで散々文句を言われるだろうが、たまにはぼんやりすることも必要だよ。頭脳労働にとって休息時間は情報整理に一役買っている」
ぼんやりと言っても、別に自分を迎えに来るためだけに出てきたわけではないだろう。
下でもなくかといって上でもないただの新卒一般軍人に構うことは大事(おおごと)なのかもしれないが、しかし、この男の後ろ暗さを思い起こせば、あり得ない話でもない。
「両親がいなくなって、散々似てるとか人に言われてももう分からないんですけど。総統は両方知ってらっしゃるんですよね」
「……そうだな」
大きな砂利を踏んで傾く荷台の上で、体を傾けバランスを取りながら会話は進む。
「そうだよ、私は君のご両親を知っていた。惜しい人をなくしたよ、浮田憂乃は腕利きのパイロットだったし、佐倉一宇はティマス成立前にも後にも活躍してくれた人だった。生憎、彼が辞めて料理人に戻ってしまってから数年後には憂乃(うきの)氏も辞めてしまったが」
「……そうですか」
どこかで聞いたような話ばかりだ。彼は肩をすくめ、それから遥か後方を見やる。土の煙る空の下、雑草たちが春を謳歌する。
ふと、聖職者の格好をした自分を見下ろし、彼は荷物の中から本を出した。
「こんなものがあるんですけど」
「何だい?」
身を乗り出し、総統が手元をのぞき込む。
分厚い本は、その重みだけで人の頭をかち割れそうだ。表紙には聖書の文句が刻まれている。それを開きしおりの部分で一度手を止め、彼は本を総統に向けて差し出した。
先にしおりに使われている部分に気をとめて、総統がその紙を開いた。そこには子供の手による稚拙な文字が、苦しみでのたうつように這いずっていた。うちゅうじんがらいしゅうしました、という一節から始まる作文に、総統はわずかに目を見張った。
「君は、……なんていうかすごい子だよねえ」
総統は感心したようにしみじみと呟く。対して、本の持ち主は無表情で答えた。
「別に。普通です」
それに、見せたいものはそれではない。
ぱたぱたと僧服をはたき、膝に乗せた本のほうを再び総統の前に出した。どこかで見たなと首を傾げた人物に、彼はかすかな笑みを浮かべる。開かれた面に、たくさんの落書きがなされていた。これまで何人もの人の手を渡ったに違いない。見るからに別々の者による文字が、さまざまに手書きされて残っていた。ときに欄外にはみ出してなされたメモに、大抵の場合は意味がない。弾の装填法を書いたもの、料理の分量を書いたもの、飛行技術や暗号解読法を書いたもの。筆跡の中に旧友のものを認め、男は本を受け取って笑った。
「あぁ、懐かしいな……」
「貴方のものもありますよ」
願い事や、その日の日記――そのメモたちは、ただ黙々と在りし日の思い出を繋いでいる。今へと、やがて未来へと。
「で、このうちゅうじん、は何だ?」
「爆撃機です」
側を、馬に引かれた荷車が行く。追い越され、奮起したように牛の速度が少しあがった。
本を持ち主へ返し、旧友の知人たる男はわざとらしく頭を振る。
「さ、そろそろ行こうか」
「どこへですか」
「決まっているじゃないか」
元々は持ち出した手紙の入った封筒に同封されていたメモを折り曲げ、総統を横目で見ながら彼はふと、広げてみる。しかしすぐに胸元に手を走らせた。
抜いたのはどちらが先か。
「早いね」
「そちらこそ」
サイレンサーつきの小型銃をしまいながら、総統は君の方が早かったと愚痴混じりに呟いた。
「イヤだね、こうして反射速度が鈍っていくんだね」
「まぁ俺の方が若いですから」
慰めるつもりだったが、総統はしばらく黙ってしまった。
聖職者の格好に見合わないような一発ずつしか撃てない銃を風にさらし、総統を狙った狙撃手がすでに畑の中で動かないのを目で確かめてため息をつく。やはり総統が近くにいると平穏無事には暮らせまい。それでも、折角学校を卒業して入る軍なのだ――それなりに下っ端として、働いて生きよう。
「これからですね」
風が硝煙の匂いを消し去る。
空にはたなびく春霞。
「そうだね」
何が、とも言わずに発された言葉に総統は異論を唱えない。自分が何を言おうとしたのかは、発言者自身にもよくは分からなかった。
しばらくの沈黙の後、総統は不意に立ち上がる。
「立つと危ないよ」牛を歩かせていた男が注意するが、彼はやめない。
「それでは佐倉(さくら)=ランゼル=浮田(うきた)、また任命式で会おう」
「どうも」
素っ気ないと自覚しつつ、ランゼルは軽く頭を下げた。それから気付いて敬礼するが、すでに男は台から降りたあとだった。徐々に遠ざかる彼の後ろに、数名の黒服が現れる。
「やっぱり親衛隊ついてきてたんじゃないか」
早撃ちをして損をしたなと呟いて、ランゼルは銃を僧服の下のホルスターにしまった。
首には光る一つのクロス。
聖書を片手に彼はぼやいた。
「あーぁ……参ったなぁ」
これから先の人生で、しばらくは両親や名前のことでとやかく言われることだろう、そう思うと、この母親に似た外見も、父親に似た茫洋さも、面倒なものに思われる。
銃の腕も料理の才も、それなりに何でもそつなくこなせることも、親のおかげだといえばそうかもしれない。それでも、ありがたいような面倒なような思いに駆られ、ランゼルはばたりと荷台に倒れ伏した。
「……父さん、ごめん」
自分から戦地に飛び込むような真似をした。ランゼルが幸せに生きることを願った父は、街での戦闘に巻き込まれて行方が知れない。理不尽な世界だ。あれだけ誠実に生きてきた人々をただ奪っていく世界は恨めしい。
けれど、この空だって、世界の一部。
「綺麗だな」
悔しいけれど、綺麗な物もたくさんある。
ランゼルは明後日からの勤務地に辿り着けるか少々心配しつつ、荷台の中で眠りについた。そういえば総統はひと飛びで行けるヘリか何かに乗せてはくれなかったなと、少しだけ残念に思いながら。
Ich bleibe der Erde.(私はこの地にとどまる)
Bleibe・了
Bleibe(ブライベ) せらひかり @hswelt
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