最終話14
心臓の音が潮騒のように耳元に押し寄せる。部屋の埃っぽさがやけに鼻についた。
(次で、動く!)
「っとあ!」
「大佐!?」
非常用にでも置かれていたのか、鉈のようなものを振りかざした浮田=ランゼルが鉈の重みに引きずられるようにして弾道から逸れた。外れた扉が鍋でも叩いたように音を立てて床上に跳ねる。
「あっぶねェなお前、俺を殺す気か」
「だ、だだだだだ、だって」
鉈の動きによって左足を軸にぐるりと回ったランゼルは、そのまま入口へ向かってきた男の首を廊下へはねた。
「それで、目的のものはあったか?」
血しぶきを避けるために中に入り、大佐はゆっくりと天井を見上げる。
「あー、その調子じゃあまだみたいだな」
一宇は、廊下から大佐の足下を通ってこちらへと流れ来る血の海に気を取られている。
誤って舌を噛んだときのような鉄錆びた匂い。
急激に吐き気に気が付いた。これまで無視してきたはずの様々な匂いが、不意に喉元までせり上がる。埋め尽くす。埃と黴と血と腐臭。
ここは腐臭に満ちている。
ここには生きた気配がない。
何故なら既に死に絶えているから。
ここには誰も生きていない。
「どうした一宇。俺が怖いか?」
まるでたった今降り立った聖者のように、子供に対するように、穏やかに声が言う。
異様なほどの暖かみに、うれしさを通り越して寒気がした。
「怖いなら目をつぶってろ、自分自身のスイッチのコントロール方法を覚えろ。戦う最中に実際に目をつぶったら死ぬけどな、お前の場合は片目を閉じてればそれが引き金になるだろう?」
「そんな、言い聞かせるみたいに言われなくても」
出来る。
一宇は膝をついて立ち上がる。肘を床につけて的への狙いをずらさないように構えていたが、もはや必要のないことだった。
左目を隠して無感動にケーブルを引きちぎる少年に、ランゼルは困ったような笑みを浮かべた。
「……子供だな。おっと、そう睨むな。弾が切れてるだろ、これ使え」
何でもないことのように接され、一宇は自分自身の弱さに、未熟さに、……吐き気がした。
*
耳に甲高く聞こえる足音をやり過ごし、二人はなるべく壁際に立ってドアを目指す。
それは意外にも地下一階に入ってすぐ、倉庫と記されたプレートの奥に存在していた。
「昔ッから掃除には箒とかモップなんだなぁ」
「大佐ってすごいですよねぇ」
かすかに呟かれた声と共に、一宇は感嘆したような調子で言った。
「ものすごく緊迫感があったり、なかったり」
「黙れ早く開けろ」
横暴な発言に腹を立てることもなく、一宇は冷静にロックを解除した。大佐らのいい加減さは、マイナスの意味でのものとは違う――おそらく事態への対処が早いのだ。それが他人をどれだけ苛立たせようと、彼らは意にも介さない。
仕事は仕事、やるだけである。気を張らなくて済む一瞬を見逃さずにそこで休み、再び戦う英気を養う。
「……褒めてるんですよ」
暗闇の中に、ガラス越しに廊下からの光が差し込む。倉庫の中はますます埃臭く、ともすればくしゃみがとまらなくなりそうだ。
「あァ?」
背後にある倉庫出入り口を睨んでいた大佐は、理解できなかったらしく片眉をひそめた。
首を振って、一宇は道具入れの奥から顔を出した。
「行きます」
「来たぞ!」
ルノーの叫びに、九条が応じる。上空へまるで燕のように現れた戦闘機が、しなやかに羽を振って敵機を落とす。
憂乃は、はるか後方へと黒煙を吐きながら去っていく数機の戦闘機らを睨み付けた。
「……下手くそめ、何故海軍なんぞがあんな最新鋭機を使っているんだ。私ならそれ一機で、あんなヤツぐらい落とせるぞ」
『大尉、丸聞こえです、そして俺多分互角だと思います』
地上に無造作に置かれた無線機から、九条がぼそりと言い返した。撤退者を狙う不届き者をライフルで追い払いながら、憂乃はむっと顔をしかめた。
「うるさいな、私があの機体に乗ったら、と言っただろう。同じ機体だったら互角がせいぜいだ――お前みたいに飛行機愛だけで空を飛んでる奴らと一緒にするな」
『それって褒めてるんですか? うわー嬉しいな、今度奢りますよ』
憂乃は苦虫をかみつぶしたときそれが存外に甘かったといった表情になる。
「てめえら頭がついてるンなら体で動け!」
広報担当の第十二部隊から借りた(正しくは奪った)無線機を用い、第七部隊大佐ルノー=モトベが指示を出す。意味をなさない言葉だったが、ここに上官と呼べる存在が意気揚々と叫んでいることに浮き足だった連中はまるで気にはしなかった。
「大佐、」
「何だァ!?」
シーン情報局員がいつになく慌てて、第十二部隊の張った小型テントから駆けだした。
「大佐、付近に高エネルギー反応があります」
「……何だそりゃ」
「地下にあるのは研究所かもしれませんが、もとは要塞かもしれません、まだ動いている」
「動いてる?」
「つまり」
シーンは、全員退避を進言した。
「このままでは、攻撃装置が作動します」
「攻撃? 地下研究所じゃないのか?」
「防御機能は常に受動的とは限りません、攻撃型もある」
指定された敷地内に侵入者があれば砲撃を仕掛けるような、門扉を閉ざすものではなく反対に敵をたたきのめすような防衛行動。
「先程、自棄を起こしたレジスタンス連中や撃墜されたものらの機体が墜落炎上しました、それはこの研究所の防御機能を呼び起こすには多すぎた」
「つまり、ナニか、研究所のシステムは地下に埋まってるが、地上に向けての攻撃要塞も搭載してるからそいつがおはよーさん、と」
片耳に水が入ったように頭を手のひらで数度叩いたルノーが、ゆっくりと首を巡らせる。
「やばいなそりゃあ」
無言でシーンが指示を待った。
「何を気楽な会話をしてるんだ?」
憂乃が、退避する者たちを束ねて後ろへ逃がす途中で問う。ついでのようにバードが、立ち止まって首を傾げた。
「なんかさー、さっきから深刻そうな話が聞こえたんだけど。地下、火薬あるのか?」
「火薬?」
憂乃は上官らの話を聞いていなかったらしく、足下を真剣な眼差しで見つめた。
「いえ、昔から使われてきた火薬でも、爆薬でも、液体火薬でも、なくて」
シーンは急に歯切れが悪くなる。
「何だよ」
バードが右のつま先を地面にうちつける。
ルノーは明後日のほうを向き、すれ違いかけた者の首根っこを捕まえた。
「おい浮田=ランゼルは」
「へ!? いえ、まだですが」
捕獲された者は第十二部隊の腕章をくわえてはいたが、第二十五部隊であるらしい。必死な顔つきでまくし立てた。
「ですが俺達、既にリミットきてるンですよ! あと十五秒しかここにいられないんです」
「何でだ」
そういえば、先程までそこここに居た軍人の数が減っている。捕まった者は地団駄を踏みながら泣きそうな顔で答えた。
「いつも、俺たちは時間制限を設けるんです、生きて帰るためにも必要ですから。だらだら残るより移動した方が安全なときがあるんですよ、それで今回も、時間ごとに区切って、俺たちは退避とかしないとならないんです」
「上官見捨ててもか」
「仲間が死んでも、です。誰か一人のためには戻らないンです、七とかと違って、それが二十五部隊ですから」
手をゆるめると、即座に彼は森に紛れた。焦土と化した辺りといえども、森はまだまだ黒くそびえる。視認できなくなった姿を諦めて、ルノーは再びシーンを見やった。
「まだ言わねぇのか」
「……電磁波です」
「は?」
一瞬、喧噪が遠のいた。
「エネルギーを用いて強力な磁場と電磁波を発生させます。かつて研究所は地上にあり、森もなかった、それでは一見狙われ放題のように見えますが、しかし、周囲に電磁波の影響を殺す何らかの物質層を用い、その周りに通常の数十から数百倍、いえ数万倍を越える周波数などを用いて電磁波の層と磁場層を形成します。詳しいことは省きますが、電磁波だけでも放射線を浴びるのと同じくらい危険な量です、それ以外のものも用いて、研究所には砲弾さえ届かなかったそうです」
「伝聞体だな、誰から聞いたのさ」
誰も問わないのを見てバードが渋々口を開く。しかし足は既に逃亡の体勢を整え、首だけがシーンを向いていた。
「……マザー」
「母親?」
呟いたルノーをバカにしきった目で見上げ、バードがそこから駆けだした。
「決まってンだろ、マザーコンピュータMだ!」
もし、ここで、研究所の警備システムが、シーンの告げたとおり動けば。
電磁波は、電波や光、X線などのことであり、本来、さほど恐れるような対象ではない。マイクロ波や紫外線であり、ときに無線やレーダーなどにも用いられており、ごく身近にあるものである。しかしそれゆえに、同時に、放送、通信への妨害や電子機器への干渉、異常動作をも引き起こす兵器ともなる。X線やガンマなどは周波数が高く、大量に浴びれば遺伝子が傷つく――放射線も電磁波である。
「待てバード!」
呼び止めるが聞かないと見て憂乃が牽制に銃を向ける。「磁場が狂ったらお家に帰れねーじゃねェか!」バードはこちらを一瞥もせずに、ひたすら撤退を続けていた。
「お前は本当にトリか」
突っ込んで、憂乃はさっさと銃口を降ろす。
「で、どうするんだ我々は?」
ここにはまだ、守るべき味方が居る。
しかしこのままでは全滅する。
「時間はないのか?」
ルノーは難しい顔をしようとしてうまくいかなかったらしくすぐに普段通りに戻った。
「ありません。もってあと一時間です。それが限度、早まることはあっても、時間が伸びることはないです」
いささか緊張感の欠けた表情で、ルノー=モトベは首を巡らす。
「……決めた」
疲れ果てた者達が、うろんげに目をあげた。泥と火炎と血にさいなまれ、およそ快適とは言えない状況で神経はすり減らされる。思わない者はないだろう。撤退という二文字を。
「一度ランゼルに連絡を取れ、シーン、お前に任せる。それと、気概のあるヤツは残れ! それ以外は一時前線付近まで撤退しろ!」
張り上げられた声に、憂乃は奥歯を噛みしめる。どうするか、と問う声で、内心はまるで嵐のようだ。無言で駆けだし、群れの中の人間から第二十五部隊の人間を捜した。通り過ぎる者の手を取り、捕まえる。
「地下へ降りる道はどこだ」
「降りられませんよ!」
片目をひどくしかめながら、相手は絞り出すように声をあげた。左耳にがさつに巻かれた包帯からは血が滲み、肩をかしているもう一人の者はすでに引きずられているのがやっとである。
「レジスタンス側が……ッ! 出入り口を」
「それで戻ってきたのか!?」
「時間ですから!」
また『時間』だ。
舌打ちし、彼らが来た方向へ駆けだした。
「あッちょっと! 駄目ですよ!!」
声は見る間に遠ざかる。
「死んでも、良いんですか!?」
だって、会いたいもの。
「……ッ、」
風の直撃で涙が出た。見捨てて逃げるくらいなら、ぎりぎりまで側に居たかった。
「っがはッ!」
唐突に後ろから蹴られ、憂乃はその場に転倒する。
「すいません」
「きさ、ま」
先程の男が、仲間を他の者に預けたのか捨てたのか、憂乃を追って近づいていた。
「すいません浮田大尉、しかし自分は、一応、とめるよう指示を受けているので」
「誰からだ」
蹴るときにツボを狙ったのだろう、憂乃は手足が動かせない。噛みつくように睨まれて、男は短く謝罪した。
担がれ、しばらく移動して森を出る。
「大丈夫でしたか大尉ー!」
すでに森を出て前線までの撤退路を示すために立っていた第七部隊の人間が、気付いて声を張り上げる。それに憂乃を託すと、その男は再び森へ戻った。
「……バカっ」
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