最終話15
地下研究所への入口付近を守っていたその男は、ランゼルらが地下に入ってからは指定した人物を中に決して入れないように、と命じられていたのだと教えてくれた。それはすべての第二十五部隊隊員に通達されていたことだった。ルノーや優秀な士官らの名と共に、憂乃の名前もあげられていた。おそらくランゼルが残しておかねば以降の軍務に支障を来たすと判じたが故のメンバーだろう。それから、と男は何故か照れながら言った。
――佐倉一宇候補生が、ちゃんと地下へ道を開いて。必ず戻る、と。
(バカな男だ)
――帰ってから、大尉に、自分も役に立つのだと自慢する、と。言っていたのだと、言われて。悔しくて、涙がとまらなかった。側にいられないことと、彼に、何も伝えていなかったことが、何故か叫びたいほど痛かった。
倉庫の内部、掃除用具入れの奥にあった壁を抜けると、そこには磨き抜かれた廊下が広がっていた。目に痛いほどの白さによって、一宇がよろけて壁に手をつく。
「な、何ですかここ」
「知らん。俺に訊くな」
ランゼルは先程から機嫌が悪い。時計を見てため息をつき、半眼のまま先を急いだ。
「仕方ないとはいえ、一宇」
数名の味方が、ランゼルに呼ばれて辿り着く。それらに短い指示を与え、彼は大きなため息をついた。
「制限時間を守れなかったのはイタイぞ」
「え、過ぎてますか!?」
一宇は数メートルごとに仕掛けられたセンサーから指示される暗号文に苦戦している。
青ざめて振り返り、おかげで一度、ミスをした。倉庫からここへ入って以降は、思考実験のミスは三度に限られている、さすがに容易には破られたくはないのだろう。
冷や汗をぬぐい、一宇は落ち着いて、パスをくぐる。
それを見つめ、ランゼルはかすかに肩をすくめた。
「……まだ、だけどな。第二十五部隊撤退時間はとうに過ぎた」
「すいません」
こうなったら一刻も早く、と考え、同時に、焦れば元も子もないと言い聞かせながら、一宇は一旦手を離す。
モバイルを脇に抱え、息を整えて、
「行きます」
ロックが開いた。音もなくするするとあがる白いプレートを見上げながら、ランゼルは先程の続きを述べた。
「想定どおりにいかなかったから仕方ないとは言えるがな。お前の動きは、予定より三時間も早かった」
「そうなんですか?」
ランゼルは苦笑し、目を丸くして振り返ろうとする一宇の頭を前に押しやる。
「お前は実によくやってるよ」
「……なんか、気味が悪い」
「何でだよ」
一宇は次のロックを解除し始め、画面を見つめたままで言葉を返した。
「だって大佐、褒めるときは茶化すじゃないですか。俺の方が天才とか」
「事実だろう?」
ぬけぬけと言い放たれ、一宇は軽く眩暈を覚える。
「まぁそうですけどね、そうでしょうけどね」
ロックが解除され、先に味方が歩を進める。
時間はない、それでも、まだ残っている者たちが居る。第二十五部隊では指定時間が過ぎれば撤退が義務づけられ、残っているのは既に自主的判断によってそれを選んだ者ばかりである。その数がわずかとしても、安堵できるほどありがたかった。ふと一宇は、自分に続く者がないことに気が付く。
「あれ、大佐? 開きまし……たよ!?」
「バカ! 行け!!」
振り返ろうとした途端後ろ頭を突き飛ばすように掴まれ、一宇は派手に吹っ飛んだ。
とっさに受け身が取れたのは、士官学校で体術の点数が良かったというおかげである。あまりの速さに何も見えなく、一宇は倒れて初めて、ランゼルが彼を突き飛ばしてくれたと気がついた。
「大佐後ろ!」
無言で銃を撃つと、ランゼルは小さく舌打ちする。とっさのことに、サイレンサーの使用を忘れていた。
「気付かれるぞ、急げ!」
一宇を立たせ、彼は言う。
「……もし無理なら、今あるデータだけでも離脱させろ」
「……どういうことですか」
「どういうもこういうも!」
駆けだして、ランゼルは隠し持っていた爆薬を後ろに放った。
「こういうことだ、よ!」
「うわああっ!?」
後方で、悲鳴があがった。つまり、
「もう来てるんですか!?」
敵が背後に迫っている。
「くそっ、お前先に行け」
爆発の規模は思ったより小さい。十数名足音がすると見て投げた小型爆弾は確かにそれらを粉砕したが、それでも、却って多くの敵を招きかねない以上、賢い選択とは言えなかった。しかし他に武器もないため、ランゼルは最後の手段としてそこに止まる。無言で、一宇は先へ駆けた。追いついてきた敵は既に弾薬など持っていないらしい、重なり合うのは怒号と金属音ばかりだ。幸いなのは味方のうちに、嘆きの声が漏れないことだけ。歯を食いしばり、一宇はロックを解除する。
最後の扉は唐突だった。
突然開けた視界の中に、もはや巨大な電板を重ねたような塊しか見いだせず、一宇は一瞬戸惑った。
しかし慌てて振り返り、視認できる位置まで来ている大佐と敵の様子を頭に入れた。
「第七区閉鎖、は、これか!」
動作用のキーコードを打ち込むと、先程あげてきたシェルターのようなものが紙切れ一枚を落とすようにしまった。
「っぶねー……」
靴のつま先を危うく食われかけ、ランゼルが座り込んでため息をつく。
「おい一宇! これで後、どうやって出るつもりだよ」
「あ、」
距離があるため、自然と声が大きくなる。一宇は一瞬詰まった後、気楽にも聞こえる口調で言った。
「何とかなるんじゃないですか?」
「……それもいいけどな」
帰りの心配を後回しに、彼らは、電算機械を見上げた。「どうやっていじる気だ?」
ふと、内耳にねじ込むように、胃をひねるような金属音がとどろいだ。
「どうでも良いからさっさとしろ!」
「了解しました!」
返事を聞いて立ち上がり、ランゼルは遅い動作で銃を構える。
閉じられた壁から距離を取りつつ、微振動を伝えるそれを睨んだ。
「……旧世界の遺物が、ザマぁないな」
焦りの滲む声で唇をなめ、彼はただ次に備える。
一宇はモバイルを置き、それにデータ侵入を任せた。その間にもっと有効な直接の出入力端子を探して駆けたが、相手の巨大さにはなすすべもない。
「何っでこんなに、無駄にバカでかいんだ」
古い機器はたいした処理機能がないわりに物質的な容量を多く食い過ぎる面がある。しかし見たところこの黒と金銀と緑の色で出来た岩肌のような機器は、ただ大きいだけで、持っている器官そのものはそれぞれがそう非効率的なものではなかった。
「どれだけの情報を処理してたんだろう」
これだけ大きければ消費されかつ発生する熱量も凄まじいものになるだろう。
冷却システムもそう完備されていると見えず、首を傾げながら一宇は抜けるような天井を仰いだ。
「礼拝堂みたいだな……」
というより、血管の代わりに電気コードや配管の類が這う胎内のようだ。中心部にあるシステムはさしづめ胎児といったところか。この本体らしきものに侵入を試みていたモバイルが、危険信号の合図を出した。入口付近の床に置いていたそれに駆け寄り、一宇はラファエルらが組んでくれた自動制御プログラムだけでは突破できないと知らされる。
「機械にまかせてられるんだったら、今のうちに構造、見ておきたかったんだけど」
料理するにもまず相手の特性を理解することから始めなければ話にならない。舌打ちをこらえ、一宇は、途中からポケットに突っ込んだままだった通信機器を取り出した。
「本体に到着しました! 指示を仰ぎます、内田さん、聞こえますか」
それは、今回の『味方』への直通回線。
『……、いや、彼は負傷して戻れない』
「ランちゃんさん! 違ったすいませんごめんなさい」
大佐が常々ちゃんづけで呼ぶので、妙な覚えかたをしていた。一宇は必死で、目の前の機械への侵入路を考えながら謝罪の言葉を口にした。
『いや……』
そこで一旦沈黙を返し、喉に呼吸音をかすらせて、第二十五部隊所属ラファエル情報局局員が言葉を発した。
『申し訳ないが、こっちも対処できるか分からない、力になれるかどうか――痛み止めの所為で頭が正常に回らない』
「負傷……ですか、」
痛み止めを服用しているということは、怪我の痛みに耐えられないからか、もしくは、薬で朦朧としてでもそのほうがマシだと判断されたためである。純粋な戦闘要員とは違って情報処理の管轄者は、まず第一に正常な頭脳労働をこなせなければ意味がない。
「内田さんも、」
『彼は粘りすぎた、撃たれてからひとところに残って、滞らないよう周りに情報を与えていたから』
「誰か他に、」
一宇はそれ以上の追求を避けて問いを発し、作業の方に集中する。ラファエルは普段より格段に長いタイムラグを経てから、ややずれた答えを返した。
『内田局員から渡されたプログラムは使えないか』
「一度ミスしました、ここに入るとき許された思考実験上のミスが三回、一度は辿り着く前にやってしまったので、もう残りの猶予がありません」
『……一度、左目のデータを入力して』
しばし思案するように間をおいて、ラファエルは咳き込んでからそう答えた。
この会話が他の局員に回されないということは、それが出来ない状況だということ。再びわき上がる焦りの気持ちが、随分前からカラになっていた胃の、底の部分を締め付ける。
『それから、別経路の回線を開いて』
「ハイっ」
活路を見出したというよりもそうであってほしいという気持ちで、一宇は再度、――最後の侵入に挑む。
『……外部システムを内部システムだと認識させる、分かるか』
「え、もしかして機械の頭脳部分を付け足すときのやりかたですか、それが研究所外になっただけで」
『そう』
キーを打つ手が早まった。一宇は同時に、その間に一度侵入実験をできるなと思いついた。失敗すれば支障を来たすため外部と回線を繋いで相互の機関を連携させる間にはできないが、連携が終われば扱える。どのみち、最後のトライアルだ、チャンスは無駄にしたくない。
『中身を引き出せるか、こちらも手伝う。マザーコンピュータMはまだ不完全すぎて殆ど役に立たない、から人力でどうにかする』
どうにかするという曖昧ながらも力強い言葉をかけられ、一宇は、無言で頷いた。
そして、それの失敗の場合に向けて新たに方法を組み立て始めた。
閉じられていた壁が、融解する。
人一人が通れるほどの円形に歪んだ穴があき、大佐はすかさず自動発火の爆薬を放り込んだ。爆音で耳が痛い。喋っていれば舌を噛みきっていたかもしれなかった。
「……っくそッ、バードのヤツ調合間違ってンじゃねえか!?」
火薬の匂いが満ちた吹き返しの風に毒づき、急いで奥の一室に向かう。
「一宇! まだか!?」
もはや防ぎきることはしない、あるだけの物を持って、逃げるだけだ。生き延びた味方が巨大なシステムを包含する部屋の出入り口で銃を構える。爆風と火炎をかいくぐった敵が床に這いながらも塞がれた廊下に開いた穴を使って駆け込んでくる。それを撃ち抜き、相手の数がまるで減らないことに苛立った。
「急いでください! 大佐!」
替えの弾丸が尽きる前に撤退せねばこちらがやられる。一宇はもう一つ、ガラス板のようなものを胸ポケットから引き抜いて横目で表面を睨んだ。
「外部に繋げたんですが、まだこっちのシステムの方が前線にある機器より上位で! 操作ができません」
「それでも良い、撤退するぞ!」
益のない戦いになるとしても、負け犬と罵られても、そのほうが良い。死んでも生き延びても結果が変わらないのならば捨てる必要のない命である。ランゼルの叫びに呼応するように、マシンの奥でひずむ音が聞こえた。
「な……んだ!?」
「回線の逆侵入です、そのために一旦全体を起動させました、もう間に合わないなら、最後に侵入実験に今から五秒下さい!」
「五!?」
遠い昔、貴方はどこから来たの?
「マザーコンピュータMの制作者はネフェスとされています、しかしそれは基本チーム名でした」
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