余談

おまけ。竜戦の少し前











「ふ、ふ、ふ、ふ……」

 白い湯気が立ち込める、大鍋の前。

 可愛らしいエプロンドレスに身を包んだ娘は、満足げに笑いを漏らした。

 沸騰するシチューの中には巨大な肉の塊が沈んでいる。

 曇った眼鏡にも頓着せず、不気味な笑みを浮かべながらゆっくりとそれをかき混ぜる姿は、怪しげな実験をする狂科学者か魔女にしか見えなかった。

「できたわ……」

 娘は恍惚とした表情で呟く。

「今日の『看板娘の気まぐれセット』はこれよ!」



「エドル鳥のローマン風シチュー煮込みです」

 そんな説明とともに、若き勇者と魔法使いの前に置かれた料理は、小さなテーブルを悠々と占領した。

 シチューを流した深めの大皿に、でんと肉塊が一つ。

 焦げた肉の香ばしい匂いと、香辛料の良い香りが一帯に漂った。

「……こりゃまた」

「すごいね……」

 ユーインとイルフェードがそれぞれ感想を漏らす。

 料理を運んできた眼鏡の娘は、にこやかに続けた。

「はい! 気性が荒く狩りにくいエドル鳥を丸焼きにしまして、ローマン地方の高級食材をふんだんに使用したシチューと一緒に煮込みました」

「注文してから1時間くらい経ってるんだけど」

 と、ユーイン。

「1時間煮込みましたから!」

「俺は仮にも客を1時間待たせている事実に気づいてほしかったんだ」

 看板娘はまったく意に介していないようであった。

 イルフェードがシチューをつつきながら中身を確かめる。

「……あ、これローマンキノコ?」

「え、マジで? 超希少品だぞ」

「そーなんです! ローマンキノコは安価で譲っていただくのに苦労したんですよ~」

 眼鏡の奥にある茶色い目はやや垂れており、呑気で優しげだ。ただし容赦はないことを、ふたりの若者はよく知っている。

「エリンちゃん、ちなみにこれ、いくら?」

「2万です」

「にま……!?」

 ユーインが目を剥いて声を上げ、イルフェードはさっとフォークを遠ざけた。

「どこの高級料理店だよ!」

「あら! 今をときめく勇者様と上位魔法使い様ですもの。そのくらい余裕でしょう?」

「冒険者ってのは出費も激しいんだよ、エリンちゃん」

「でも、値段は注文後のお楽しみってことは了承済みじゃないですか」

「そりゃそうだけど、いくらなんでも2万って」

 と、やり取りをする二人を尻目に、勇者の青年は肉の一切れを口に放り込んだ。

「あ、美味しい」

「ってイル、なに一人で食ってんだよ! 俺にも食わせろ!」

「ひとり1万かー。しばらくは干し肉だね」

「依頼もあるってのに、干し肉決定か……」

「ご愁傷様です」

 輝くばかりの笑顔を残し、看板娘は仕事に戻っていった。

 冒険者二人は巨大な肉塊を切り分けながら、複雑な表情で食事を進める。

「美味いけどな……まさかエドル鳥が出てくるとは」

「経験豊富な冒険者でも手こずるのにね」

「この店、毎回食材の入手経路が不明だよな」

「うん」

 そういえば、とイルフェードが思い出した様子で言った。

「受けた依頼で1件、相手が不明なのがあったよね」

「ああ、妙な声が聞こえるってやつな。緊急性はないみたいだけど――もし竜とかだったらどうするよ。干し肉で腹いっぱいにして挑むか?」

「さすがにそれは勘弁したいなぁ」

 苦笑いして、ひとり1万を口に運ぶ。

 ユーインとイルフェードは、言霊というものがあることを、こののち身をもって知った。

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