鷹と魔力の道3
あまり良くない状況であることは、戦いが始まってすぐ知れた。
精霊の加護が宿ったイルフェードの剣でも、一撃ではなかなか相手を倒せない。しかもどういうわけだか正気ではない。殺気を放って斬りかかっても、モンスター達はほとんど歯牙にもかけず、ただひたすら町を目指すのだ。
「――まずいユーイン、抜けた!」
相方の叫びに、ユーインはそばを走り抜けたイノシシ達に火矢を撃った。数匹、狙いが外れて討ち損ねる。
そこへ横手から追撃が入った。別の冒険者たちである。
彼らに手を振って礼を示してから、ユーインは迅速に新しい敵へ向かう。
じわじわと防衛ラインが町に接近していっていることを、誰もが理解しはじめていた。
「奴ら、こっちなんて眼中にないようだな」
そんな味方の呟きが、ユーインの耳に届く。
「つれないこった。せめてもうちょっと相手してくれりゃあ、まだやりやすいんだがな……っと」
「おまえの片思いの
「うるせえな! 余計なお世話――」
ひくりと神経が引きつれた気がした。
眼中にない。
自分には一瞥もくれず、興味もないとばかりに隣を過ぎていくイノシシの群れ。
――なぜか無性に心がささくれ立った。
「やべえ、門まで行かれたぞ!」
誰かの焦った警告。
ユーインは手のひらに生み出した火球を空に放り投げた。
「爆ぜろ!」
握りつぶすように拳を作る。
高々と上がった火球が空中で弾けた。破片は細かな火矢となり、弧を描いてモンスター達に降り注ぐ。
門の結界に体当たりをしていたイノシシは、矢に貫かれた瞬間燃え上がり、こんがりと焼けて倒れた。
「あ、あっぶねーな、おい! こっちにまで飛んできたぞ!」
「あー、悪かった、疲れて狙いが定まらなかったんだよ」
名も知らぬ冒険者に心にもない謝罪を述べて、ユーインは前を見る。
まだ、土煙とともに突進してくるモンスターの姿はあった。
「ユーイン、大丈夫か!?」
「おまえの背後で楽させてもらってるよ!」
イルフェードに軽口を叩いた、刹那。
珍しく牙を剥いて襲いかかってきた1匹がいた。
迎撃も防御も間に合わない。瞬時にそう判断し、腕1本を犠牲にする覚悟を決める。
その時。
すさまじい勢いで何かが上空から飛来した。
――闇色の刃。
それはユーインに飛びかかった1匹を貫通し――そして幻のように四散して消滅した。
血を噴いて倒れ伏すモンスター。
ユーインは反射的に辺りを見回すが、前方で剣を振るっているイルフェードを含め、今のタイミングで手助けできた者はいない。
「……誰だ?」
当然解答など得られるはずもなく、迫りくるモンスター達によって思考を中断させられる。
しかし、さきほどの闇の刃がきっかけにでもなったように――
モンスター達の動きが止まった。
一直線に町を目指していた群れが、突如角度を変える。町を逸れ、左手の山へ。
「な……なんだ?」
戸惑う冒険者達の前で、イノシシは次々と進路変更し、1匹残らず山へと駆け去っていく。
そうして土煙がおさまり、地を揺るがすような足音も失せ、乱雑だった場が落ち着きを取り戻すまで、残された冒険者達は動けずにいた。
「お疲れ様です、イルフェード様!」
二人の姿を見たとたん、クレアは椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がった。イルフェードに駆け寄り、怪我がないことを確かめる。
「良かった、ご無事で……」
「あまり向かってくる奴はいなかったからね。心配してくれてありがとう」
「もちろんイルフェード様の腕は信じていましたけど、私、心配で心配で」
「……一応俺もいるんですけどね、クレアさん」
ユーインが非難がましく割り込むと、クレアは素早く彼の全身を観察してから、ほっと肩の力を抜いた。青い瞳にみるみる強気な光が戻っていく。
「ああ、いたの」
「この扱いの差」
「ま、まあまあ……ところでクレア、領主様からクレアが呼んでいるって聞いたんだけど」
「あ、そうなんです!」
クレアは手を叩いてテーブルに戻った。散乱した本や書類をまとめて端に寄せる。あまりにも雑な扱い方であった。
「おまえ散らかしすぎ」
「うるさいわね、黙ってて。――どうしてモンスター達が襲ってきたのか、それを調べていたんです」
「分かったのかい?」
イルフェードの問いに、クレアは曖昧に笑って明言を避けた。
「事典を調べていて分かったんですけど、あのモンスターって普段、食料のほかに魔法力を摂取して体を維持しているんですよね」
「みたいだね。俺も詳しくは知らないけど、魔法力が濃い場所をすみかに選ぶらしい」
「影響を受けやすいって話だな。場合によっては頻繁に探して移動する」
「うん。でね、それならと思って、魔法関連で調べてみたの」
クレアは窓の外――東の方角を示した。
「お隣のカレッツの町で、祭りがあったじゃない」
「ああ、清浄祭か。確か10年ぶりくらいなんだよな」
「湖に溜まった穢れを祓うってやつだっけ?」
「はい。でも、あれって本当は年1回やるものらしいんです」
クレアは古い地図をテーブルに広げる。この辺りのもののようだが、距離も位置も非常に大雑把だ。
街道とは別に、なぜか青く引かれた線が町や山をつないでいる。
「湖に溜まる穢れっていうのは――たぶん、魔法力のことです。この地図、倉庫の奥から引っ張り出したんですが、これによるとカレッツには
東の方から引かれた青い線は、カレッツを通って山に。そして山から、ここコーデルへと向かっている。
ふうん、とユーインは興味深げに相槌を打つが、イルフェードは不思議そうに首をかしげた。
「魔力路?」
「魔法力が通る道みたいなもんさ。川だと思えばいい」
「はい。魔法力っていうのは湖とか像とか石とか、そういうものに溜まりやすいから、清浄祭には、1年の間に蓄積した余分な魔法力を流すって意味があるんだと思うんです。だけど、約10年間それをやらなかった」
「10年分の魔法力が、湖に溜まっていたってこと?」
「おそらくは。それを今回の祭りで一気に流したとすれば――川の氾濫みたいになってもおかしくありません。魔力路はカレッツから山へ。山からこの町まで続いてる。……これは、完全に私の推測でしかないけど」
クレアは青い線を指先で辿りながら続けた。
「たまっていた膨大な魔法力が突然通ったから、影響を受けたあのモンスターは流されたのかも知れない」
「……なるほどな。確かに、あいつらは敵意を持って襲ってきた感じじゃなかった」
「でも、そうだとして……なぜ急に進路を変えたんだ? その魔力路っていうのは、突然流れが変わるものなの?」
ユーインとクレアはそろって沈黙した。
いんや、とユーインがかぶりを振る。
「数十年かけて、少しだけ軌道が変わることはあるって話だけどな。あんなに急に曲がるわけがない。自然には」
「じゃあ、人為的に?」
「それこそ無理だ。魔力路がどう通っているかなんて、明確に分かるもんじゃない。ここに書かれてるのだってあくまで一部だし、厳密でもないはずだ。見えるならまだしも――」
「そう、なのよね」
急に黙したユーインに代わり、クレアが不可解といった様子でうなずく。
もやもやしたものが彼女の胸の内にわだかまっていた。
そして思い出す。戦いの最中、水晶玉が一切の力を受け付けなくなったことを。
一瞬にして、クレアは氷を呑みこんだような心地になった。
――誰かがいたのだ。遠見の力を遮る存在が。
人間では手の届かない者。人たることを棄てた闇の眷属。太陽の光を覆い隠す、陰。そういった存在が――
「……ま、考えても分からねえか。ひとまず任務完了だよな?」
呑気な声が、クレアの慄きを打ち消した。
ぽんと気楽な手が頭の上に乗せられて、クレアはユーインを見上げる。
「え? う、うん……まだ、後片付けとか報酬とか残ってるけど」
「ああ、それはイルに任せた。俺はちょっと出掛けてくるわ」
言うなり彼は背を向けた。
ひらひらと手を振る相棒に、イルフェードが尋ねる。
「別に構わないけど、どこへ?」
「クロさんのとこ」
「えっ?」
クレアの表情が強張る。
「ちょ、ちょっと……クロさんって、前に言ってた魔女よね? どうしてよ?」
「最近忙しくて、全然会いに行けなかったんだよ。そろそろ顔を忘れられちまう」
たちまちクレアは狼狽し、気づいたイルフェードは彼女をうかがいながら口元を引きつらせる。
「会いにって……ま、魔女でしょ? 何のために――」
「んじゃ、イル、あとはよろしく」
「あ、ああ」
もはや振り返りもせず。
足早に去っていく後姿を、クレアは呆然と見送った。
足音が遠ざかり、やがて気まずい静寂が訪れる。
「……あの、クレア……」
気遣うような声がクレアの肩に触れたが、聞こえていないのか反応する余裕がないのか、彼女はただうつむいて震えていた。
しかし弱々しさは微塵もない。むしろ燃え盛るような感情が放出されている。
イルフェードはさらに、こわごわと声を掛けた。
「ク、クレア?」
「……へ」
ぶるぶると
「へんっっっったいっ!」
「鷹と魔力の道」了
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