鷹と魔力の道2
天を仰げば、気持ち良いほど澄んだ青が広がっていた。日差しはやわらかな熱を帯び、夏の訪れを感じさせる風が肌にまとわりつく。
空はあれほど能天気な色だというのに、周囲の空気は息を呑むほど張りつめていた。
町の手前、小高い丘のいただきから前方を眺めていたユーインは、改めてぐるりと辺りを確認する。
遠く反対側に一人。その間に一人。そして上空に一人。街道を塞ぐようにして散らばった魔法使い達は、モンスターの群れを待って佇んでいた。
クレアの言から考えれば、そろそろ姿が見える頃だった。
何気なく再度空を見上げたユーインの視界に、自分よりも幾分か年上の魔法使いが映る。彼は落ち着いた顔を崩すことなく宙に静止していた。
「……前クロさんに置いていかれたことがあったな」
綿毛のようにふわりと杖に乗って飛んでいった魔女を思い出す。ユーインは飛行魔法を使えない。彼は苦い顔をして、つまさきで地を打った。
「クロさん、今頃なにしてるかなぁ」
きっと読書しているか、本を読んでいるか、文字を追っているか――ああ、そういえば読書ととうがらし以外に好むものをあまり知らない、と思いいたって気が沈んだ。
頭を振って意識を切り替えた瞬間、風を抜きとるように雰囲気が一変する。
来たぞ、と上空の魔法使いが叫び、それと同時に天へ上がった光の矢が華々しく破裂した。
容赦なく撃ちこまれた大規模な魔法は、整備された街道と林を根こそぎえぐって、モンスター達もろとも吹き飛ばした。
移動魔法で町の門へと戻ると、魔法使い4人は他の冒険者達と合流する。
場はにわかに慌ただしくなった。
「クレーターできたぞ。俺知らね」
おつかれさま、と声を掛けてきたイルフェードに、ユーインはぞっとした様子でそう返した。
「領主様の許可があるんだから大丈夫だろう。相変わらずすごいね」
「そりゃ4人一斉にやればな……だけど半分も減ってないぜ。思いのほか群れが縦長だった」
「了解。ここからは俺の出番だ」
イルフェードはすらりと剣を抜いた。ごく普通の一般的な長剣。だが、勇者の使う武器はそれだけで別の力を帯びる。
「――見えたぞ!」
誰かの警告が響き渡った。
イルフェードは剣を水平に持ち上げる。砂埃を巻きあげてやってきた群れに切っ先を向けたあと、鋭い気合とともに剣を振り払った。
衝撃波が、その場にいた冒険者たちの服や髪をなぶり、勢いよく通過してモンスター達に叩きつけられる。鼻面が潰れ、体をのけぞらせた先頭は短い悲鳴を上げて倒れていった。
呆気にとられた味方に穏やかな笑みを向けて、勇者の青年は剣を構えなおす。
「どっちがすごいんだかな……」
「ユーイン、一応このあたりに結界を」
「いいけど、僧侶じゃないからな。俺のはたぶん1発で砕けるぞ」
「構わないよ。1秒でも足止めできれば、その間に誰かが倒せるだろう?」
それだけ言い残して、イルフェードは駆けていった。
交戦が始まる。
押し寄せたモンスター達が見る間に溢れ、川の氾濫のように前線を突破してくる。どこか怪訝に思いつつも、ユーインはこぼれたその露を払った。
「……っと」
腰に差した杖を握る。自分めがけて跳躍してきたイノシシにそれを噛ませ、短く呪文を唱えた。杖の先端で生まれた炎が口内で炸裂し、重い体がどさりと地に落ちる。
隣では、横を走り去ろうとした1匹を別の冒険者が切り捨てていた。
――おかしい。
休むことなく次の詠唱を開始しながら、ユーインは眉を顰める。
モンスター達には敵意がない。
それどころか、人間など目に入っていないように感じられた。
率先して襲ってくるものもいるが、大抵は柱か何かの間を通るくらいの無頓着さで疾走してくる。
ユーインはまた1匹、素通りしようとしたイノシシを撃つ。さらにもう1匹。次から次へと。
「……何だ?」
――パキンと、張った結界が割れる音。
前線がだんだんと後退してきていた。
どぅん、と遠くで重い爆発音がとどろいた。
窓から身を乗り出して外をうかがうと、巨大な煙が立ちのぼっている。
「始まった……」
胸に抱いた水晶玉をきつく握りしめ、クレアは部屋に戻った。
散らばった本と、紙束。焦りのにじんだ指先で、それらを手早く読み進めていく。
熟練の冒険者もいるが、ユーインの言う通り分が悪い。原因が分かれば助けになるのではないかと思ったのだ。
モンスターの習性。地形。時期。町の歴史。様々な書物をほどいて情報をかき集める。
町の外から感じる戦闘の気配と、ときおり響く爆音に、クレアの心拍数は上昇した。
「戦闘、なんて……私はできないし、役にも立たない。せめて何か……」
水晶玉が争いの様子を映し出す。荒々しいその映像を見ているだけで、クレアの背筋は冷たくなった。見知った二人の姿を探そうとして、思いとどまる。
映像はそのままに水晶玉を脇に置くと、気を取り直して作業を再開した。
「〈魔力喰いの魔物〉の眷属。……魔法力を食べるのかしら……影響を受けるだけ? 雌は年に1回の発情が……ってそんなこと関係ないし!」
一人で赤面していると、ふいにぱたぱたと軽い足音が近づいてくる。
「クレアさーん。こっちには特に何も――」
部屋を覗きこんできた少年が、あっと声を上げた。
「何やってんですかー。駄目ですよ、こんなに散らかしちゃってー」
「あとで片づけるわよ」
「怒られますよー。僕が」
「それより、こっちを手伝って。襲撃の原因が分かれば、モンスターを退かせることができるかも」
少年は情けなく肩を落とした。
「逃げないんですか? ここは門から近いですよー。危ないです。冒険者の皆さんに任せましょうよー」
「危なくなんてないわ。町の中へは入れないって言ったもの。だから早く手伝って」
「うう……」
――次の瞬間だった。
ぐらりと視界が揺らぐ。軽い立ちくらみにも似た感覚。クレアはこめかみを押さえて目をつぶる。
眩暈は瞬きをする間におさまったが、その時には異常な事態が起こっていた。
「え――」
水晶玉の映像が、ゆがんでいる。
急いで念をこめなおすが、乱れるばかりで一向に安定しない。ついにはかき消されるようにして途切れてしまった。
「な、なに……」
まるで、分厚い雲が太陽を覆い隠したような。どれだけ目を凝らしても、陽光を感じることができない。
意味も分からぬまま、クレアはその場に立ち尽くした。
「――これはこれは」
黒髪をなびかせ、魔女はおかしそうに呟いた。
杖の上に腰掛けて、片手で髪をおさえながら地上を見下ろす。
少し小柄なイノシシの群れ。迎えうつ冒険者たち。両者が入り乱れ、土煙が舞う戦場。その中のただ一点のみに、彼女は視線を据えていた。
「これではまるで、私が追ってきたみたいじゃないですか」
不本意そうに溜め息をつき、足を組み直す。
黒水晶の目に戦闘の風景が映りこんだ。
力量でいえば、明らかに冒険者側が勝っているようではあった。が、我を失ったように突っ込んでくるモンスター達にはまったく怯みがなく、数の差もあって徐々に町へ近づいていっている。
「うーん」
魔女は少し首をかしげた。
「見物しにきただけだったんですけど……」
顎をもちあげ、しばらくの間考え込む。
――突然まぶたを動かしたかと思うと、彼女は細い指先を軽く払った。指先に一瞬だけ、黒い輝きが生まれて消える。
「まあいいか。手を貸しますよ。旗色が悪いようですしね」
そう言って、魔女は片手をゆっくりと横に振った。右から左へ。
風が起こるわけでもなく、雷が落ちるわけでもなく、火炎が生まれるわけでもない。それでも彼女は満足したのか、にこりと笑うと姿を消した。
ちょうど彼女の真上にあった太陽が、安心したように温かな光を再び町へと降らせはじめる。
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