第8章
鷹と真夜中の猫1
「……母の形見を、失くしてしまったのです」
消え入るような声で、依頼人は告げた。
年の頃は10代半ば。やわらかそうな焦げ茶の髪は乱れ、丸い黄色の瞳には怯えと焦りがにじんでいる。おどおどとうつむき、膝の上に置いた手をずっといじくっていた。
「形見?」
いつも通り淡白に尋ねながら、魔女は音もなく茶をすする。
彼女の斜め後ろでは、少女に席を譲った魔法使いの青年が、本に目を落としながらも耳をかたむけていた。
「小さな、鈴です……あの、二つの鈴が繋がっていて、紐で通してあるんです。生前、母からもらったお守りで――もう、ずいぶん捜しまわりましたが、どうしても見つからないんです……」
涙を必死にこらえながら、少女はきつく拳を握り締める。震えた肩がひどく弱々しい。
「どこで失くしたか、お心当たりは?」
「た、多分……村の、墓場で」
「墓場?」
「はい……あの、肝試しを……やったんです。その時に、白い影を見て……恐ろしくなって、帰ったときには、もうなくなっていて……」
「なるほど」
魔女は言葉を吟味するように宙を見上げる。
その時、とたとたと軽い足音が近づいてきて、魔女の足元で止まった。魔女の視線が床に落ちる。直後、彼女は弾かれたように椅子から立ち上がり、そして背後の戸棚に背をぶつけた。
「…………?」
依頼人の少女が不思議そうに魔女を見つめる。
「……お気になさらず」
魔女は変わらぬ無表情でそう告げると、足元を睨みつけた。すると、しょぼくれて尾をさげた仔犬がテーブルの下から姿を現し、開けっぱなしのドアから外へと出ていく。
金髪の青年が後ろを向き、体を震わせて笑いをこらえていた。
「あ、あの……! お願いします、とても大切なものなんです……! 〈鷹の目の魔女〉さまなら、どんな失せ物でも見つけられると聞いて……お金は、お金は支払えませんが、それ以外ならどんなことでもします! ですから……!」
刺すような視線を青年へと放ってから、魔女は席に戻った。か細くも懸命な訴えにしばし考え込む。
少女はもはや恐怖など捨て去り、身を乗り出して懇願した。
「お願いします……! あれがないと、私、私……もう、家に帰れません……」
「……………」
少女のいじらしい様子に、心を動かされたのは青年の方だったらしい。彼は魔女を見やって少女を援護した。
二人分の視線を受けて、魔女はやれやれと溜め息をつく。
「トマトを4個、用意できますか?」
「えっ? は、はい」
「ではそれが対価です。明日、また同じ時間にここへ来てください」
思いもよらぬ要求に、少女は目をぱちくりさせた。おそらくはもっと高価な物や重い代償を覚悟していたのだろう。
やりとりを眺めていた魔法使いが笑いをかみ殺すと、魔女は首だけを回して再度彼を睨んだ。
夏の夜は、空気が肌に絡みつく。
日射しがないだけマシだが、ねばつくような風がゆるりと外套をあおっても、まったく心地良くはならない。熱が沈殿しているようだった。
ぱたぱたと襟元で風を作りつつ、ユーインは墓場に足を踏み入れる。
「なんでわざわざ夜なの?」
ランプを掲げながら、尋ねた。
時刻は深夜。目を凝らして辺りを見回しても、明かりの外側は真っ暗闇だ。
「昼間は彼女がさんざん捜したのでしょう?」
隣を歩くクロが答える。
「まさか幽霊が持っていったとでも?」
「さて」
墓地にひとけはない。
よどみ、凪いだ空間には物音の揺らぎもない。あるとすればふたり分の足音と、ひそやかな呼吸の音。
点々と並んだ墓石は不気味な沈黙を返すのみで、ささやかなはずの葉擦れさえ、破裂するように大きく響いている。ランプが照らしだす影はうごめく闇にも見え、ただの石ころが作ったそれですら、一瞬なにか不気味なもののように思えた。
「……………」
――ちょっとくらい怖がってくれてもバチは当たらない。ユーインは思った。
しかし明かりの中に浮かぶ魔女の表情は、いつも通り澄ましていて、一切の恐れというものが感じられない。
「クロさん。もっとこう、怖がってしがみついてもいいよ?」
「結構です。闇は恐怖の対象ではありません」
「恐怖のハードルをもっとさげようよ。こういう場合、女の子が震えながら男に抱きつくもんでしょ?」
「言っておきますが、それ九割の女は演技ですよ」
「演技でもいいんだよ!」
力説するが、クロは無表情のまま無視をした。
ユーインは残念そうに溜め息をつき、さっさと話題を切り替える。
「ずっと思ってたんだけど、クロさん、いつもそんなローブ着てて暑くないの?」
「生地は薄いですよ」
「でも足首くらいまであるし。しかも下にもう一枚着てるでしょ。いつも暑そうに見えるんだよな」
「下は袖なしのワンピースですから、それほどは」
ユーインはぴたりと足を止めた。クロが怪訝そうに振り返る。
「袖なし?」
「ええ」
「ものすごく見たい」
「変態ですかあなたは」
冷たく言い捨てて先へ進むクロ。
ユーインが追いかけて隣に並んだ。
「ローブも脱いだ方が涼しいと思うんだ。ほら、熱中症って怖いし」
「ご心配なく。夜の屋外で熱中症なんて滅多になりません」
「その油断が危ないんだよ」
「もし倒れても――」
ふいに彼女は艶めいた眼差しをユーインに送った。
ぎくりとして身を強張らせる彼に、魔女は顔を近づけて微笑みかける。頼りないランプの明かりの下、長い睫毛の作った影が異様な色香を放った。
「あなたは介抱してくれないのですか?」
「そ、そんなことないけど……」
とっさに答えてから、ユーインはミスに気づいて口をつぐむ。
クロは勝者の笑みを浮かべると、背を向けてまた歩きはじめた。
「安心して着ていられます」
「……………」
ユーインは諦めて彼女の後を追う。横目で見た魔女には、すでにさきほどまでの色っぽさなど微塵も残っていなかった。
「つれないところも可愛いけどさ……」
「――妙な気配がしますね」
「わりと本気で言ったのに聞き流された」
クロはユーインを無視して周辺をうかがった。警戒し、闇の向こうを凝視する。
隙のないその瞳が、なにかを捉えた瞬間、愕然と見開かれた。
「クロさん?」
クロは1歩退きながら、杖を召喚した。珍しく焦りに満ちた声を上げる。
「今すぐここを出っ……!」
言葉は最後まで紡がれなかった。
――ランプの光が届かぬ、輪の外側。
灯った一対の眼光は、幼子のような無邪気さを宿して二人を見ていた。
いつからそこにいたのか。
それはゆっくりと近づいてくる。足音は聞こえない。それなのに確実に近づいている。
「クロさん、さがって」
凍りついた彼女を庇って前へ出ると、ユーインは小さく呪文を唱えはじめた。
相手はまだ暗闇にまぎれている。姿形は確認できないが、目の位置から考えると大きさは猫程度だろう。
見上げてくる金の瞳には、威嚇の色も怒りの表情もない。ただただ無垢だった。あまりにも場違いな雰囲気にぞっとする。
ユーインは
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