鷹と真夜中の猫2
――みゃー。
「……………」
それは、猫だった。
猫に似たものではなく、猫っぽいものでもなく、見るからに猫だった。
まごうことなき猫だった。
しかもまだ仔猫である。
「……えーと」
数秒間、その仔猫と見つめ合ったユーインは、困惑してクロに説明を求めた。
しかし、彼女は魂を抜かれたように、仔猫を見据えたまま微動だにしない。仔猫がさらに接近してくると、よろめきながら距離を取った。
「……クロさん、もしかして、猫も駄目なの?」
「――私は」
声だけは冷静だった。
「元々、駄目なのは犬じゃありません」
「あ、駄目だってのは認めるんだ」
「子供が
彼女はわざわざ言いかえた。
「なぜこんなに近づくまで気づかなかっ……」
気配が増える。
ランプを動かして確認すれば、結構な数の猫が――成猫も仔猫も――たむろしていた。どうやら集団で住みついているらしい。
クロはとうとう絶句して、しがみつくようにユーインのマントを掴んだ。
「……大丈夫?」
恐怖のハードルが一気にさがったなぁ、とユーインは心の中だけで呟く。
「……ります」
かすれた声がクロの口から漏れた。
「え? 何?」
「帰ります」
言うなり彼女は踵を返す。
ユーインは慌てて引き止めた。
「ま、待って待って! 依頼品はここにあるんじゃないの?」
「知りません。帰ります」
「待ってって! い、一応依頼なんだしさ――あの子もすごく切羽詰まってたみたいだし、せめてもうちょっと――」
「依頼なんてどうでもいいです」
クロは言い切った。ユーインに腕を取られたまま、かたくなに出口の方を向き、逃げだそうとする。
「クロさん、落ち着いて。ただの猫だろ? 別に襲ってきやしねえよ」
「動くじゃないですか」
大真面目に魔女は言った。
「いや……そりゃ、まあ、生きてるからね?」
「鳴きますし」
「……鳴くね」
「あの小さい生物にすり寄ってこられたら、私はどうすればいいんですか」
「……………」
「あなたはどう責任が取れるんです」
いよいよ訳が分からなくなって、ユーインは黙り込んだ。
その時、みゃあーと猫の鳴き声が響き、クロはびくりと身を震わせる。
今のは仔猫のそばに寄ってきた成猫が発したものだが、それさえも判断がつかなくなっているのか、あるいはやはり猫そのものが苦手なのか。
「そんなに怖がらなくても大丈夫だってば」
「怖がっていません」
まだ反論する余裕はあるらしかった。
「真っ青だよ。なにその可愛い嘘」
「暗がりだと魔女の皮膚は青ざめるんです」
「そんなカエルみたいな特技があるとは知らなかった」
「昔から魔女とカエルの間には浅からぬ縁がありますので」
言ってそそくさと去っていこうとする魔女の腕を、ユーインはしっかりと捕らえた。
「怖くないなら大丈夫だろ?」
「嫌です。嫌いだから嫌なんです。これ以上ここにいたら私は死にます」
「死!?」
クロが上目遣いにユーインを見た。
うるんだ黒瞳。果たして演技なのか、本気なのか。判断が難しい。
「……そんな目で見つめられると、俺の方が死にそう」
「離してください」
「いや、駄目だって。あの子も待ってるんだからさ。あんな儚そうな子が、必死になって頼みにきたんだし――」
クロはぱちりと瞬きをした。
多少は平静を取り戻したらしく、きょとんとした表情でユーインを見返す。
「……気づいていなかったんですか?」
「何を?」
「……、いえ」
軽く頭を振り、クロは深く嘆息した。ユーインの腕を振りほどき、いつもの理性的な目で猫の群れを観察する。
しかし、くんと服が引っ張られてユーインが視線を落とすと、無意識なのか、クロはまた彼のマントを握りしめていた。冷静なのは表面だけだ。ユーインは何とも言えぬ微妙な表情になる。
「きっと俺はカーテン」
「はい?」
「いえ、カーテンはいつヒトに昇格できるのだろうかと」
「600年くらい魔力を浴びていれば、人の姿にもなれるんじゃないですか?」
「6日にまからねえかな」
「あなたは時々意味が分かりません」
疲れたように額をおさえ、クロは深呼吸して足を踏み出した。
ゆっくりと。慎重に。こちらを遠巻きにうかがう獣たちを、刺激しないように。
動作の一つ一つに神経を遣っている事が後姿からも分かり、ユーインは苦笑するしかなかった。
当然のことながら、猫たちは特に威嚇したり襲ってきたりすることもなく、墓場の探索は順調に進められた。
徐々に数を増す猫のせいで、クロに余裕がなくなりつつあることを除けば。
「一体何匹いるんだ?」
数十どころではない。下手をすれば百近く。異様な光景だった。誰かが餌付けをしていたにしても、多すぎる。
「……………」
クロはさきほどから無言だった。ユーインの声が聞こえていないのか、それとも聞こえていて反応しないだけなのか、ただ前方を見据えて歩くのみである。
不安になってユーインは尋ねた。
「クロさん、鈴のある場所……視えてるんだよね?」
「……………」
わずかに睫毛が揺れた。
まぶたが伏せられ、うつむいた顔とともにもう一度上げられる。
はっきりと魔女は答えた。
「いいえ」
「……へ?」
「視えません。何も」
不可解そうに眉を顰めるユーイン。
「それは、どういう理由で?」
「私が視たくないからです」
「クロさんっ!?」
「それに、ここは多分誰かの――」
言いかけた時、二人は暗闇に淡く光る円を発見した。
地面に描かれた青い刻印が、いざなうようにゆらめいている。
「魔法?」
ユーインはランプで辺りを探った。ささやかな明かりで照らせるのは、近くの墓石とその陣のみで、猫も人も姿はない。
「でもこれ、初めて見……」
警戒して距離を保ちながらも、1歩、ユーインが踏みだした瞬間。
「――囮です!」
彼の足元から、別の白い光が立ちのぼった。青い円をよく確認するには必要な、だが充分な隔たりのある位置で、隠されていた魔法が発動する。
「やべっ……」
まさしく刹那。
陣から伸びた幾条もの白い光の帯が、ユーインの体に絡みついてあっという間に中へ引きずり込む。そして弾けるようにぱっと輝き、消えた。彼もろとも。
「……迂闊な」
クロは注意深く近寄ると、白い魔法陣の
はらはらと消えつつあった残像は本体を呼び戻し、魔法が再起動を始める。
「とはいえこれは、気づけと言う方が酷か。――どうやら相手が悪すぎるようです」
げんなりした様子で呟くと、クロは自ら白い陣へ飛び込んだ。
浮遊感はほんの数秒で終わった。こつ、とつま先が底につく。逆さにひるがえったローブが空気をはらんで広がり、ゆっくりと重力に従って落ちていった。
クロは首をめぐらせ周囲を調べる。どうやら猫はいない。
王宮の広間のような部屋だった。ただし調度品やきらびやかな装飾はほとんどない。壁に備え付けられた
明かりの乏しい中、クロはまっすぐ広間を通り抜け、奥へと続く通路を進んだ。
靴音が大きく反響する。
進むにつれ、だんだんと歩みが遅くなっていた。
だが、ついに足が停止してしまう前に、終着点までたどりつく。
さきほどと同じような広間。ただし中央には祭壇のような段差があり、石でできた小さめの寝台が置かれていた。
そして、寝台の上にはさらに小さな白い影。
「……………」
クロが眉間にしわを寄せて睨むと、それはむくりと起き上がって蒼い瞳を開いた。
三角形の耳が動く。長い尾はゆったりと揺れたあと、前肢の前で落ち着いた。
丸い目がクロを見つめる。
「――やあ。久しぶりだね、クロウディア」
白い猫は男性の低い声でそう言うと、楽しそうに目を細めた。
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