鷹と真夜中の猫3

「元気そうで何よりだよ、クロレス」

 白猫は1秒前とはまったく別の名でクロを呼ぶと、大きく伸びをした。体を震わせ、きれいにお座りする。

「……………」

「どれくらいぶりかな。100年? それとも100日くらいだったかね? どちらにしても、クロエ、もうだいぶ君に逢っていなかった気がするよ」

「……お師匠」

「どうかしたかね、クロード」

 こめかみをおさえながら、クロは溜め息をついた。

「名前を思い出せないのなら、クロでいいですから」

「そうかね。数を撃てばそのうち当たると思ったんだが」

 しれっとして答えると、白猫は大きく欠伸をした。

 クロは苛々してつっけんどんに言う。

「お師匠、なぜこんなところにいるんです」

「私はただ歩いていただけだよ。どこにいようが、さして意味も必要性もない」

「……あの猫たちはお師匠のせいでしょう。妙なところに居座らないでください。迷惑です」

「私が集めているわけではないよ、クローシャ。勝手に寄ってくるんだ」

「だから居座らないでくださいと言っているんです! お師匠の保護下にあるせいで、近づくまで気づけなかったじゃないですか」

「それはすまなかったね」

 やわらかく、まるで子供をあやすような口調であった。

 白猫が優雅に首をかしげると、そこに掛かったペンダントが軽く揺れる。真珠に似た、光沢のある白い珠。

 その中に黒い濁りを見つけて、クロは不機嫌そうな顔をした。

「彼を放してください」

「彼とは?」

「お師匠と無駄な問答をする気はありません」

「ふむ。さきほど金髪の若者が罠にかかったようだが、さて」

 長い尾が、焦らすように石の上を滑る。蒼い目が白々しく宙をさまよった。

「君の恋人かね?」

「ただの話し相手です」

「そうかね。珍しく心を開いているように感じたが」

「……やっぱり最初から全部見てたんじゃないですか」

「いいや。鷹、君と違って私はあまり目が良くないのでね。聴こえたのだよ」

「どっちでもいいのでとっとと解放してください」

 苛立たしげにブーツが踏みならされる。

 白猫は笑うように表情をゆるめ、クロの感情を涼しげに受け流した。

「ところで、君はわざわざ彼を捜しに来たのかね?」

「……鈴を。墓場にはありませんでした。ここにあるでしょう」

「先日、可愛らしい少女が落としていった鈴か。声を掛けようとして近づいたら逃げられてしまってね。その時に落ちたのだろう」

「……………」

 クロははっきりと不愉快を表に出し、白猫を睨み据えた。

 しかし白猫は射るような視線もどこ吹く風で、悠々と自らの前肢を舐める。

「あのまま放置していると、他の猫たちが遊んでしまうのでね。確かに私が持っているよ。――なるほど君は鈴を捜しに来たのか」

 クロが表情を消した。

 猫の蒼い瞳が鋭さを帯びる。

 ふいに張りつめた空気の中、それでも白猫の口調は穏やかだった。

「可愛い弟子の頼みならば、もちろん喜んで聞くよ。だが、ここはいま私の領域だ。そこで私が得たものを、いくら弟子とはいえ代償なしでは与えられない。そうだろう?」

「条件はなんですか」

「鈴と君の連れと。両方を望むのは欲張りというものだ。どちらか一つならば返そう。どうだね」

 クロは辟易して息をついた。うんざりと髪をかきあげる。

「選ばなかった方もそれなりに丁寧には扱うよ。安心したまえ、壊したりはしない」

「なら、鈴はお師匠の首につけるといいですよ」

 クロは答える。

「彼を解放してください」

「少しは悩んでくれないと、条件を出した方としても面白くないんだがね」

「生憎、情くらいは持ち合わせていますので。私にとっては鈴など価値がない」

「彼は価値があると?」

「情だと言ったはずです。いい加減にしないとそのピンク色の頭の中身をぶちまけますよ。これ以上無意味な会話はしたくありません」

「どこでそんな乱暴な言葉を覚えたのだろうね」

 くすりと笑うと、白猫は立ち上がった。

 首元の白い珠が振動する。内包されていた黒い塊が滲み出て、破裂するように一気に外へと広がった。

「……いってっ!?」

 ――ぼとっとクロの足元に落ちた、金色の頭。

 尻もちをついた彼は慌てて上半身を起こす。そして自分を見下ろす黒眼に気がつくと、戸惑って辺りを見回した。

「あ、あれ?」

「ここはどこ、なんてのたまったら蹴り飛ばしますからね」

「なんで!?」

「――帰ります。もう用はありません」

 冷然と告げ、クロはさっさと身をひるがえした。靴音さえ刺々しい。

 ユーインは狼狽して、彼女と白猫を見比べた。

「えっ? 鈴は?」

「不要になりました」

「ええっ? ちょ、ちょっと待って、クロさん――」

 構わず去ろうとするクロに、白猫が声を掛けた。

「そうだよ。依頼されたのだろう?」

 驚くユーインには構わず、白猫はいつの間にか寝台の上にあった小さな鈴を、軽く尾で払った。

 鈴は澄んだ音を立てて跳ね、転がって、クロのかかとにこつんと当たる。

「……どちらかじゃなかったんですか」

「心は変わるものだよ、鷹」

「……………」

「早く持っていってあげるといい。きっと途方に暮れているだろうから」

 両者の間を流れるただならぬ雰囲気。ユーインは息を詰めて見守った。とはいえ剣呑としているのはクロだけで、猫の方はいたって気楽そうなのだが。

 クロは黙したまま鈴を拾い上げると、ぷいっと顔をそむけ、通路を戻りはじめた。ユーインが首をかしげながら後を追う。

「――ああ、あと一つだけ」

 ゆらりと静かな低い声が漂ってきたが、クロは耳に栓をしたように反応しなかった。

 ……が。

「あまり仲が良いとやきもちを妬いてしまいそうだから、ほどほどにね」

「……本当にぶちまけますよ!」

 耐えきれずに怒鳴りつけた。



「……昨夜ゆうべの白猫、知り合いだったの?」

 翌朝、魔女の家を訪れたユーインは、遠慮がちにそう尋ねた。出されたとうがらし茶を、いつも通り顔をしかめてすすりつつ、向かいに座るクロの顔色を窺う。

 依頼人の少女はまだやってきていなかった。

「不本意なことに」

「親しそうだったけど」

「私のお師匠です」

 クロが事もなげに答えると、ユーインは目を剥き、信じられないというふうに瞬きをした。

「なんですその顔は」

「いや……クロさんに師匠がいるなんて思いもしなかった。ていうか猫?」

「あの姿が好きなんですよ。なぜか知りませんが、異様に猫に好かれるタチでしてね」

「ふうん……お師匠さんか」

 彼はそれで興味を失ったらしい。

 その後他愛ない話に移り、クロがおざなりな相槌を打っているうちに、依頼人の少女が姿を見せる。

 ここまで走ってきたのか、額には汗が浮き、息は乱れていた。だが、腕にはきちんとトマトの詰まった袋が抱えられている。

「あ、あの……! す、鈴は――」

「どうぞ」

 細い紐につながれた、小さな二つの鈴。クロが立ち上がって差し出すと、不安でかげっていた黄色の瞳が輝いた。

「あ、ああ……! これです! あ、ありがとうございます……!」

 少女はトマトの袋をテーブルに置き、ガラス細工でも触れるようにそっと鈴を受け取った。

「良かった……本当に、本当にありがとうございます……! 〈鷹の目の魔女〉さまにお願いして良かった……!」

「対価の分です。礼には及びません。――家に、帰れるでしょう?」

 涙を浮かべ、それでも笑顔でうなずいた少女は、しっかりと鈴を握りしめて目を閉じた。

 鈴が鳴る。

 少女の姿がぶれ、ゆがみ、一瞬で消えた。

「……え」

 驚愕して腰を浮かせたユーインの、その足元で。

 にゃあ、と焦げ茶の毛並みをした可愛らしい猫が、鳴いた。

 絶句したユーインと、変わらぬ無表情のクロを、きらきらと輝く黄色い瞳で見上げながら、猫は言葉を紡ぐ。

「ありがとうございました……これで、これでご主人様の所へ帰れます。この鈴がないと、普通の猫の姿を保っていられなかったから……」

 ぺこりと人間のように頭をさげると、少女だった猫は鈴をくわえ、軽やかに魔女の家を駆け去っていった。

「……………」

 ぎこちなく、ユーインがクロに振り返る。

 クロは艶やかなトマトを袋から取り出しながら、いつも通り淡々と言った。

「やっぱり気づいていなかったんですね」

「……あの子、何者?」

「猫又ですよ。永く生きた猫が魔力を持って変化するんです。元々は東の国の妖怪――モンスターですね」

「モンス……」

 ひくりとユーインの口元が引きつる。

 クロはトマトを野菜かごに放り、澄ました顔で椅子に腰掛けると、ちらりとその黒い瞳に猫のような光を宿した。

「なんて言ってましたっけ。必死で、儚い?」

「う……」

「モンスターに感情移入した挙句、儚いなんて形容詞を使うあなたの優しさに心打たれました」

「う、うあああああぁあ……!」

 錆びついた悲鳴を上げて、彼は身悶えしながらテーブルに突っ伏す。

 その後もしばらく精神的ないたぶりを続け、魔女は今回の一件の溜飲を下げるのだった。











「鷹と真夜中の猫」了

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