鷹と蛇の呪い3

 は背もたれに体を預けながら、愛おしそうにその人形を撫でていた。

 愛玩用としては可愛げに欠ける。顔も頭髪もない、ただ人をかたどっただけの素体であった。それでも彼女は熱のこもった視線をそれに注ぎ、優しく手のひらを滑らせる。うっとりと、恋する乙女のように。

「もうすぐよ。もうすぐ、あなたはわたしだけのもの……」

 呟きさえ迫力のあるハスキーボイス。

 彼女はくすくすと嬉しそうに笑うと、きらびやかな蜜色の髪を指にからめた。もう片方の手は膝に置いた人形を愛撫しつづけている。

 しかし、陶酔の時間は唐突に終わりを告げた。

 彼女ははっと瞠目して壁の向こうを凝視する。不審から驚愕、そして焦りへ。わずかな間にめまぐるしく表情を変え、慌ただしく椅子から立ち上がると、人形を背後の棚へ移した。

 丸い部屋の壁に沿って作られたその棚には、他にも多くの人形が並べられている。一様に顔がない。髪もない。すべて魂が入る前の素体である。

 ――人形を手離したとほぼ同時に、左側の壁が爆音とともに吹き飛んだ。

 もうもうと立ち昇る煙、破砕された人形の群れ。現れた厚い靴底が、そのうちの一つをぐしゃりと踏みつける。

「キャアアアアア!」

 彼女は悲鳴を上げた。壁に穴を開けて侵入してきた人物を睨みすえる。

「何をするの! わたしの大切なお人形を!」

「――すみませんね。入り組んでいたのでまっすぐ壁を破壊してきました」

「相変わらず野蛮ね、鷹! どういうつもり!」

 侵入者――黒髪の魔女は、淡々と肩に落ちた埃を払った。ぱさりとフードを外し、頭を振る。

「あなたは相変わらず騒々しいですね、〈蛇の女王〉。もちろん用事があったので参りました」

「魔女同士は不可侵。その暗黙の了解を破ってまでわたしの領域を侵したのだから、それなりの代償は覚悟しているのでしょうね」

「……………」

〈鷹の魔女〉は小鳥のように小首をかしげ、指先を頬に当てた。

「――8歳の夏ですか」

「嘘よ、わたしたち仲良しじゃないのちょっとした冗談よやぁね。お茶菓子くらいは出すわよ確か辛いのが好きだったわね?」

「お構いなく。私は新しい人形についてお話ししに来ただけです」

〈蛇の女王〉は一瞬で凍りついた。女性にしては長身で大柄な体を滑稽なほど縮ませる。

「アウリス・ハクルースに呪いをかけたのはあなたですね?」

「な、なんのことかしら……」

「まさか、私に嘘が通じるとでも思っているんですか?」

 かつん、と鷹のブーツが床を叩く。

「人型の術ですね。人間の魂を奪って人型に流しこみ、本人そっくりの動く人形を作り上げる――恋が叶わぬと知り暴挙に出ましたか」

「……う……」

 そこで黒髪の魔女は部屋を見回した。壁際に敷き詰められた多数の人形。どれも手のひらに乗るほど小さい。

「アウリスの人型はどこです。あれは等身大の人形でなければいけないはず」

「な、なんであなたがそんなこと……! わたしの勝手でしょ!」

「これも私の勝手です」

 杖を突きつけられると、〈蛇の女王〉は息を呑み――しかし覚悟を決めた表情で、指にはめた指輪をきらめかせた。

「恋する乙女を邪魔する権利なんて、誰にもないわ」

「――随分と大きく出ましたね、蛇。あなた男でしょう」

「心はいつだって乙女なのよっ!」

 広い肩幅を隠すように一度自らを抱きしめてから、は手を振り上げた。指輪が魔力を帯びて輝きはじめる。

「恋心で増幅されたこの力、枯れたあんたに防げるもんですかっ!」

「言ってて恥ずかしくなりませんか?」

〈鷹の魔女〉はくるっと杖を一回転させる。そのとき、ふと何かに気づいたように目を見開いた。

「――ああ。あれが人型の術のかなめですね」

「……え!?」

『イント』

 乱れた心は魔法構成を甘くする。指輪の先で膨らみつつあった光は、あっけなく弾けて散った。

〈蛇の女王〉は短い悲鳴をあげて、なよやかに倒れる。続けて黒髪の魔女がぶつ切りの呪文を唱えだすと、術の正体を知って青ざめた。

 悪魔召喚。

 陣から現れた黒い影は、ぐにゃりと輪郭をゆがませて鷹の形をとると、音もなく主の腕にとまった。一度鳴くようにくちばしを開いたが、声は出ていない。

「……さて」

 こつり。魔女の足音が高く響く。

「抵抗するならご自由に」

 その悪魔の力が何なのか、〈蛇の女王〉には知るよしもない。知らないからこそ彼女は恐れ慄いた。心は打たれ弱いのである。蒼白になり、がちがちと歯を鳴らす。

 やがて彼女は震えながらうつむいた。ぽたり、と床に雫が垂れる。

「どうして……」

 ハスキーボイスが力ない言葉を落とした。

「わたし……わたし、本当に好きなのに……どうして、拒絶されるの……!」

「……性別がまずいのでは?」

「愛に性別なんて関係ないわっ!」

 ぼろぼろと涙をこぼしながら、若干太くなった声を荒らげる魔女。

「好きなのよ! なのにどれだけ伝えても、彼は……受け容れてくれなかった! だから……ううっ、だから、わたしは……!」

「人型はどこです」

「……………」

 彼女はきゅっと唇を噛んだあと、もう遅いわ、と答えた。

「人型に魂を押し込めたけれど、彼はそれでもわたしを振りむいてはくれなかった……一言だけ、言ったのよ。『イリナ』って」

 妹の名。意思の消えた人形になってもなお。

「だから、わたし……」

「――人型に妹を殺すよう命じた?」

「……そうよ。今頃はもう妹のところへ着いているわ。一番大切な者がいなくなれば、彼はきっとわたしの名前を呼んでくれる……」

 肉が別のものに変わっていても、血縁のえにしは何よりも濃い。

 ――精霊の加護があっても見つけられてしまう。

 鷹の視線が素早く室内を巡った。



「だーかーらー、誤解なんだよ」

「信じない! 信じないったら信じない! 兄さんがああなったのは〈鷹の目の魔女〉のせいだって、スプーおじいちゃんが言ってたんだ! おじいちゃんはねえ、冗談は言うけど嘘はつかないの!」

 さきほどから繰り返される問答に、ユーインは頭をかきむしりたくなった。むろんのこと、相手は小さな魔法使い――イリナである。

 案の定、彼女はクロの家の付近をうろついていた。さすがに魔法を使われはしなかったが、説明しても宥めても歩み寄っても、彼女は決して警戒を解こうとはしない。毛を逆立てた猫のようだった。

「あたしが絶対、兄さんを救うんだ。あんな極悪魔女倒してやる」

「言うほど極悪じゃないって。確かにちょっと性格ゆがんでそうだし毒舌だし嘘つきだし何考えてるか分からないけど――」

 フォローしようとしたはいいが、続きが思い浮かばないうえに出だしがそもそもフォローになっていなかった。

「あんた魔女の愛人?」

「あいじ……」

 すごい言葉を知っている子だ、とユーインは絶句する。

「せめて恋人と」

「恋人なの?」

「いや違うけど」

「なんなんだ!」

「なんだろうなぁ」

 腕を組んで真面目に首をひねると、イリナは大人びた仕草で肩をすくめた。やや足を早め、無軌道に生えまくった草花を押しのけて、木々の間をすりぬけていく。

「さっきからどこに向かってるんだ?」

「うるさいなぁ、ついてくるな!」

「クロさんの家なら逆」

「……………」

 イリナは顔を真っ赤にしてユーインを睨み、無言で反転した。

 刹那。

「――まっ、た!」

 肩を乱暴に引かれ、イリナはバランスを崩してのけぞった。

 直後に足元を過ぎる光線。

 きょとんとして視線を落とすと、地面に丸い焦げ跡がついていた。

「え……」

「動くな!」

 緊迫したユーインの声に、イリナは冷や水を浴びせられたように硬直した。

 再度同じ方向で光が輝く。まっすぐに少女を狙った一撃は、しかしユーインの手のひらで壁に阻まれ消えた。

 ようやくそちらを確認したイリナが、ぞっとした様子でユーインにしがみつく。

 視線の先で、少女とよく似た栗色の髪が風に揺れていた。顔立ちにもどことなく共通点があるように見える。

「にい、さん……?」

 ――青年は答えない。それどころか睫毛ひとつ動かすことなく、ゆっくりとイリナを指差した。

 指先が光る。

「兄――」

「さがってろ!」

 イリナの目前に浮かびあがった魔法陣が、壁面を走るように中心から外側へ輝き、光線と衝突した。

 爆発が起こる。

 わずかな熱を含んだ風だけが、髪と服を煽って走り去っていった。

 ユーインは煙がおさまるのも待たず詠唱を開始する。それが攻撃用のものだと悟って、イリナは必死に飛びついた。

「待って! あれは兄さんだ! 傷つけないで!」

「落ち着け! 本物じゃない、人型だ! 人形!」

「に、人形――?」

 ユーインはイリナの手を引いてしりぞいた。地面を貫く光。二度、三度と追うように。

「伊達で勇者の相方やってんじゃねえんだよ!」

 後退しながら、ユーインは手を横に振り払った。その動きに合わせて次々と大地が爆ぜ、土煙を巻き起こす。引きちぎれた草花が舞い、木々はみきみきと音を響かせて倒れていった。

「に、兄さん、兄さんっ!」

「だから人形だって! ――おい待て!」

 ユーインの手をすり抜け、イリナは煙の中心へ駆けていく。

 ――たとえば。

 それが先程のような魔法であったなら、精霊の加護が攻撃を散らしてくれたかも知れない。

 だが煙の向こうできらめいた銀光は、金属的な色を帯びていた。

 鋭い切っ先が、愕然と足を止めた少女の胸へ吸い込まれていく。

 そして。



 鷹の目が一つの人形をとらえた。〈蛇の女王〉の玉座、その背後に並ぶ小さな人形たち。すべて同じに見える群れの中から、術の要を見つけ出す。

 クロは迷わずそれを選び取った。

「や、やめて! 壊さないで!」

 足にしがみついてきた〈蛇の女王〉を邪魔くさそうに蹴飛ばす。

「お願いよ、鷹! 今回だけは見逃してちょうだい! ねえ――彼がいなくなったら、わたし生きていけないのよ!」

 取り乱した彼女は気づいていなかった。

 クロには壊せない。

〈蛇の女王〉は呪いの専門家である。そんな魔女がかけた呪いを、そう簡単に破壊できるはずがないのだ。

 しかしクロは内心をおくびにも出さず、きわめて淡白に蛇を見下ろした。

「あなたは彼の外見だけが好きだったんですか?」

「そ、そんなわけないじゃない!」

 相手が会話に応じてくれることに希望を見出したのか、蜜色の髪の魔女は勢いこんで言う。

「見た目だけなら空っぽの人型だけでも良かった。すべてが好きなの! 優しい声も、穏やかな笑い方も、控えめで誠実なところも! すべてにどうしようもなく惹かれるのよ!」

「――人型は、優しい声を発することも穏やかに笑うこともありませんよ」

 蛇の名を冠する魔女は息を詰まらせる。

「ゆがめてしまえば、それはもうあなたの愛した彼とは別ものでしょう。そのことはあなたが一番よく知っているはずです、呪いの女王」

「う、……」

「魔女が恋に溺れると哀れですよ。――何よりも相手がね」

〈蛇の女王〉が野太い声で泣き崩れると同時に、クロの手の中で人形が発火する。爆発といった方が正しいかも知れない。人形は一瞬で炭化し、細かな破片となってぱらぱらと床に落ちた。

 クロはにこりと彼女に笑いかけ、ローブを翻す。

「あなたは心が乱れすぎですね、蛇」



 ナイフは少女に届く寸前で停止していた。

 アウリス・ハクルースという青年を模した人形の腕に、びきりとヒビが入る。それは瞬く間に全身へ広がり、あっという間に身体を粉々にした。

 唯一形を保ったナイフが重々しく少女の足元に転がる。

「イリナっ!」

 駆け寄るユーイン。

 少女は反応を示さなかった。崩壊した人型を呆然と見つめている。人形とはいえ兄と同じ姿、衝撃を受けるのも無理からぬことであろう。

 とりあえず無事であることに胸を撫で下ろし、ユーインはその場にへたりこんだ。改めて人形であったものの状態を確かめる。

 完全にバラバラだった。これで腕やら頭やらのパーツが形を残していたら相当ショッキングな光景だが、幸い何のかけらか分からぬほどに粉砕されている。

「クロさん……か?」

 呟いてみれば、確信もないのに真実である気になって、ユーインはかすかに苦笑を漏らした。



 そのあといつも通りの澄ました顔で帰ってきた魔女が、少女の無事な姿を見てそっと息をついたのは、やはり真実であったからだろうか。











「鷹と蛇の呪い」了

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