鷹とでたらめな魔法2

「……幽霊?」

 ぽつりとユーインがこぼした呟きに、クロは不機嫌そうな沈黙を返した。

 ユーインは返答を期待していたのだろうが、こないと分かるとすぐさま気を取り直し、改めて扉に向かう。

「――やめておいた方がいいですよ」

 鍵穴に手をかざしたところでストップがかかり、彼は振り返った。

「へ?」

「さっき私が解錠しようとしたら、別の魔法が発動したでしょう」

「ああ、お湯?」

「あの手の小さい魔法が、発動直前の状態で大量にばらまかれています。下手に刺激を与えれば破裂しますよ」

「ばらま……」

 ユーインは嫌そうな顔で手を引っ込めた。引いたはいいがやり場がなく、無意味に握ったりふらつかせたりしたあと、結局頭を掻くことで落ち着く。

「鍵とやらを探すしかないわけか。でもこっちには〈鷹の目の魔女〉がいるんだから、簡単に――」

 ふと彼は、当の魔女がこめかみに指を当てていることに気がついた。ホールから全体を見回してはいるが、その視線はどこか弱い。いつも力強く見据える彼女にしては珍しいことと言えた。

「クロさん、もしかして調子悪い?」

「なぜそう思うんです?」

 ちらりと見上げてきた黒眼が心底意外そうなものだったので、ユーインは一瞬勘違いかと困惑する。そのため次の返事には自信が欠けていた。

「なんとなくだけど」

「あなたはたまに鋭いですね」

 クロは嘆息して歩き出した。慎重にホール正面の階段をのぼっていく。

「え? じゃあやっぱり調子が悪いの?」

「調子に問題はありません。ただ相性が悪い。すみませんが、私の力はあまり期待しないでください」

「ひと部屋ひと部屋確認していくしかないってことか。でも相性が悪いって一体……」

 こつん、と靴に何かが当たり、ユーインは足元を見た。

 階段の踊り場を小さなものが転がっていく。画鋲だろう。ついでに言えば、なぜか魔法力を帯びているようだった。床を滑り、壁にぶつかって、跳ね返る。

 刹那にしてクロのまとう空気が鋭くなった。

 その唇が警告を発する前に、ユーインは彼女を引っ張り、代わりに自分の腕を突き出す。

 ――パン、パパパパパンッ!

 連続した細かい破裂音。煙と音はすさまじいが、それだけだ。張った結界にもほとんど触れることさえない。

「ば、爆竹?」

「だから刺激を与えれば破裂すると、さっき――」

 音に驚いたせいだろうか。彼らはさがりすぎた。

 ユーインの肘が背後の手すりを――正しくは、手すりの上に軽くテープか何かでくっついていたのであろうチェスの駒を、揺らした。画鋲と同じく、なぜか魔法力を内包している。

 駒はあっけなく倒れて手すりをくだり、曲がり角で跳ねて、階下へ真っ逆さまに落ちていく。

 こーん、とやけに白々しい音が静かな空気に溶けていった。

「……………」

「……………」

 チェス駒の落下地点がきらめく。

「……やっぱりあなたが」

 ユーインを睨みつけ、クロは後ろ向きに1歩階段をのぼる。

 何か透明なものがじわりと1階から染みだした。

「――厄介事を呼ぶんです!」

「ごめん!」

 弾かれたように走りだす二人。一気に伸びた水柱がその頭上へ降りそそぐ。それは2階に駆け上がった彼らの影だけを飲みこんで、どろりと階段を濡らした。

 水ではない。粘り気があり、甘い芳香を放っている。

「水飴――」

 顔をしかめたクロに反発したわけではあるまいが、潰れたスライムのごとく絨毯に広がったそれは、再び盛り上がり、アーチを描いて二人に襲いかかった。

 二つの外套が翻る。寸前まで彼らが立っていた位置に、大量の水飴がべちゃりと付着した。

 逃げながら顔だけで振り返ると、それでもまだ飴は生きているようである。二人が通った後を次々と飴まみれにしていく。

 次第に濃さを増すにおいに、クロがとうとう鼻を覆った。

「……責任取ってあれ全部処理してください」

「それ絶対本気で言ってるよね、クロさん」

「甘いものお好きでしょう」

「窒息するほど好きなわけじゃねえから」

 ローブの裾に飴の飛沫が飛び、クロは不愉快げに眉を顰めた。追跡速度が上がっている。

「量が多いから結界張っても呑まれそうだなぁ。でも攻撃魔法だとまた罠が発動しそうだし……」

 廊下の奥で新たな光が瞬き、ユーインは慌ててクロの頭をさげさせた。ひょんと風を切って飛翔してきた何かが、結界に阻まれ落ちる。駆け抜けざまに確かめると、それは先端が平たい矢だった。しかもなぜか墨まみれだ。

「節操のないチョイスだ……」

「もう面倒くさいので屋敷内の魔法ごと全部吹き飛ばしましょうか」

「とりあえず力ずくで解決しようとするのはやめてくれ!」

「魔女ですから――」

 クロははっと顔を上げた。ユーインの服を引っつかんで急停止する。

「ぅわ、ちょっ……」

 のけぞった彼の文句など黙殺して、そのまま近くの部屋に逃げ込んだ。思いきり扉を閉める。

 直後、扉の向こうで水飴が勢いよくへばりつく音がした。



 恐ろしい追跡者から逃れると、二人はそろって息をついた。ユーインは長々と、クロはひと呼吸分だけ。ほっと肩の力を抜き、室内を見回す。

 一人分の机と、それを囲むように並べられた本棚。量は膨大だ。書斎だろう。

 クロはゆっくりと机に近づき、無造作に積まれた本に手を置くと、一瞬だけ眉をゆがめて目を伏せた。

「クロさん、やっぱり具合が悪いんじゃねえの? 大丈夫?」

「……相性が悪いだけと言ったはずです」

 魔女は面倒そうに舌打ちする。

「さっきも言いましたが、この屋敷には大量の魔法が無数に敷き詰められています。――私にはそれが全部見えるんですよ。一つ一つの細かな構造まで、はっきりとね」

「……………」

 想像したのだろう、ユーインは頬を引きつらせた。

「まあ見えすぎるってのも疲れるもんか」

 頭を掻くと彼は踵を返した。ドアノブを回し、慎重に外をうかがう。

「ならここで休んでていいよ。目をつぶってりゃ多少は楽だろ? 鍵は俺が探すから」

「この広い屋敷を、あなた一人で?」

「今のクロさんを一人で歩き回らせらんねえから、どちらにしろ同じことだよ」

 クロがいささかむっとして睨めつけると、ユーインは嬉しそうに笑って部屋をあとにした。

 目を細めて壁の向こうを見つめていた魔女は、呆れたように頭を振って背を向ける。

「魔女に気遣い、ね……」

 机に乗せた手のひらを滑らせ、静かにその場から離れる。

 細い指は本棚へ。埃のない背表紙を順々に過ぎていき、適当なところで止まった。1冊を引き抜いてページをめくり、それだけで興味をなくし元に戻す。また別の本を手に取っては、読むそぶりも見せず片づけた。

 しばらくそんなことを繰り返して、クロは再度机に足を向ける。引き出しを開け、ろくに確認もしないままぱたりと閉めた。

 それから、一つだけある小窓を見やる。

「……………」

「――つまんないなぁ」

 突然切りこんできた声に、クロは視線を上げた。天井近く。さきほどの少年が姿を現している。

「日暮れまでって言ったじゃない。もうあんまり時間がないよ? こんなとこで休んでいないで、頑張って探してくれなきゃー」

 クロはすぐ視線を外し、ゆるやかに本棚に近づいた。

 澄ました顔で断ずる。

「鍵があるというのは、嘘でしょう」

 少年の顔から表情が消えた。

 それには知らぬふりをして、クロは彼の背後――扉を指差す。

「どの部屋にも鍵がついていません。窓にも。おそらく屋敷の主は魔法使いだったのでしょう。鍵をつけないのはモンスターと魔法使いの家だけです」

 取りだした本を机に置き、トンと指先で叩いた。

「ほとんどの本が背表紙と中身が違います。引き出しにあったインク壺は開け方が無駄に難解。手すりにくっつけていたチェスの駒はナイトのようでしたが、形が馬ではなくロバでしたね。とすれば屋敷内の魔法もすべてその方の仕業でしょう。湯、爆竹、水飴……効果は火を灯す程度の微々たるものなのに、手順と構造を不必要に複雑化しています。見ているだけで疲れる。どうやら主は相当のイタズラ好きで変わり者のようです。――正面扉の鍵穴も見せかけですね」

 この屋敷に入ってきた時、解錠の音はしなかった。外側からも内側からも鍵がなければ開かないという情報はミスリードだ。扉を閉ざしているのは魔法の力である。

 勝ち誇るでも責めるでもなく、淡々と指摘する魔女に、少年は頬を膨らませて拗ねてみせた。

「じゃあ、僕は何者?」

「可愛らしいさえずりをしている方が似合うでしょうね」

 クロが小さく微笑むと、いよいよ少年は不機嫌そうになる。つまんない、と呟いて、頭の後ろで腕を組んだ。

「マスターもよくやっていたイタズラだったから、最後までバレないと思ったのに」

「――私は強制されるのが好きではありません」

 こつり、と靴底が床を鳴らした。

「つまらないゲームよりは、屋敷に大きな風穴を開ける方がよっぽど爽快だとは思いませんか?」

「……待ってよ、ごめんよ。ちゃんと説明するから聞いて。もー、大人げない魔女だなぁ」

 少年はようやく床に降り立ち、クロを見上げる。じっとしていることができないらしく、足を交差させたり腕を組んだりと落ち着きがない。

「お察しの通り、この屋敷に住んでいた人は魔法使い、僕のマスターだよ。だけどちょっと前にぽっくり逝っちゃって、今はもういない」

 使い魔の感覚で『ちょっと前』がどれほど前なのかは定かでないが、クロは口を挟まず先を促した。

 少年は軽い足取りで本棚へ近づくと、一つ一つの背表紙を懐かしそうに眺めていく。

「確かにイタズラ好きの変人だったよ。来る人来る人、驚かせてからかってたんだ。なんかもうそれが生き甲斐だったみたいでさー。いっつも色んな魔法装置を作ってて。大抵は消耗品だったから問題はないんだけど、最後に作ってたのが困りものでね――」

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