第6章

鷹とでたらめな魔法1

「――あれ?」

 ノックのために上げた手を止めて、魔法使いは足元を見た。

 踏みしめた土は湿り気を帯びて柔らかく、薄い靴跡が残る。昨夜降った小雨の影響だろう。

 だが彼が発見したそれには、泥の付着こそあるものの、雫の一滴も染み込んではいなかった。

 白い封筒である。裏返してみても、差出人はおろか宛名さえ書かれていない。

 魔法使いは首をかしげつつ、相変わらず開いたままの戸をノックした。当然真正面のテーブルには家主の姿が見えているのだが、彼は律儀に返事を待つ。

 家主が本から顔を上げ、静かに腰を浮かしながらどうぞと許可を与えると、魔法使いは戸口をくぐって手を上げた。

「クロさん、手紙だよ」

 家主の魔女はちらりと封筒へ視線を投げ、奥の台所に姿を消した。

 代わりの返事がテーブルの下から届く。

 ――わんっ。

 尾を激しく振りまわしつつ、仔犬がぱたぱたと魔法使いのもとに駆け寄った。

「お、ウメ。ちょっとでかくなったなー」

 魔法使いは封筒をテーブルに置くと、いつもの椅子に腰掛けて仔犬の相手をしはじめた。そこへ魔女が盆に湯飲みを乗せて戻ってくる。

「あなた五日前にも同じことを言っていましたよ」

「五日前よりでかくなったんだよ」

「素晴らしい観察眼をお持ちですね」

 口元だけで微笑み、魔女は魔法使いに湯飲みを差しだす。ローブの裾を払って自らも椅子に座ると、淹れたばかりの茶に口をつけた。

「いつも思うんだけど、本当にこのお茶、辛いと思わねえの?」

「思いません」

「俺は何度飲んでも慣れねえんだけどな……」

 ――それはそうでしょう。

 魔女は心の中で答えた。彼に出す茶は日に日に辛味が増している。ほんの少しずつ、髪の毛が伸びるくらいゆるやかに。

「真っ白ですね」

 タチの悪いイタズラをしていることなどおくびにも出さず、彼女は手紙を指で挟んだ。封蝋にも何の印もない。しばらく手紙を眺めたあと、テーブルに戻した。

 魔法使いが探るように目を細める。

「……ラブレターだったら妬けるなぁ」

「炭になるまでどうぞ」

 魔女は手紙を指先で弾き、魔法使いの目の前まで滑らせた。彼は多少迷ったようだったが、ひょいとそれをつまみあげて封を解く。エサだとでも思ったらしい仔犬が、飛びついて鼻を動かしていた。

「炭は脱臭剤にもなるし、水の浄化もしてくれる。結構役に立つんだぜ?」

「絵も描けますね。でも私には必要ありません」

 魔法使いはやすやすと言い負かされ沈黙した。仔犬を撫でながら、もう片方の手で封筒を開く。

 出てきたのは1枚の紙切れだった。そしてたった1行だけの文。

「『リースタンの町、イトリン通り十二番……』――ってなんだこりゃ。住所?」

 封筒の中身を確かめて首をひねる。魔女に手紙を返すと、彼女はわざとらしく溜め息をついてみせた。

「なぜあなたがいるときに限って、こう厄介事が訪れるのでしょうね」

 わん、と仔犬が吠える。主人である魔女が見やると走り寄りかけるが、軽く睨みつけられて情けなく尾を垂らした。

「俺のせいみたいに言わないでくれよ。ウメを連れてきたのは俺じゃないし、クロさんを仇だと信じて襲いかかってきた子も、俺がけしかけたわけじゃない」

「もちろん私が薄着で追いかけっこをしたのも、あなたのせいではありませんよ」

「そもそもそれは俺知らねえし。見られなかったことが残念だよ」

 魔女は指先でテーブルを打った。魔法使いの湯飲みから火が噴き出し、ぎょっとする間もなく一瞬で消える。赤い粒の浮いたとうがらし茶が、辛そうなまま何事もなかったかのようにゆらりと揺れた。

 そして魔女も何事もなかったかのように茶を飲み干すと、立ち上がって杖を召喚する。淡白な黒眼はちらとも動かさず尋ねた。

「来ますか?」

「――珍しいこと言うな」

「どうせ来るなと言っても来るのでしょう。あとで女々しく嘆かれても迷惑です」

 そのとき仔犬が存在を主張したが、魔女は冷たく言い捨てた。

「おまえは留守番です」

「連れてかねえの?」

「まだ私とのリンクが不安定です。連れて行っても足手まといですよ」

 仔犬を迷惑げに追い払い、魔女はくるりと杖を回す。直後、床に魔法陣が浮き上がったので、魔法使いは慌てて辛い液体を喉の奥に流し込み、渋面で陣に駆けこんだ。



 その屋敷を見たとたん、クロは露骨に顔をしかめた。

 それでも1回瞬きをしたあとにはすっかり無表情に戻っていたのだから、さすがとしか言いようがない。

 しかし、フードの下にある陶器のような横顔はどこか不機嫌そうで、杖を握る指は苛立たしげにこつこつと柄を叩いている。

「――さて」

 彼女は言った。

「帰りましょうか」

「ええええええええ!」

 思わずユーインは大声をあげるが、幸い気に留める人間は周囲にいない。

 住宅街を抜け、ゆるやかな丘をのぼりきった先に、その巨大な屋敷は建っていた。

 広い庭は一面雑草、屋敷の壁は苔やツタに食い荒らされている上、ところどころ塗装が剥がれてまだら模様になっている。錆びの浮いた鉄門にはツルが絡まり、昨夜の雨粒をぷつりぷつりと垂らしていた。伸び放題の草花や葉の生い茂った木々のせいで、昼間にもかかわらず、影が多く薄暗い。住宅街から離れているためか、たまに葉擦れの音が響くばかりで静かだった。

 お化け屋敷。廃屋。誰もがそんな言葉を連想しそうな景観である。

「……もしかして、お化けが怖いなんて可愛い理由じゃないよな?」

「悪魔を使役している魔女がお化けを怖れるなんて、暇つぶしの小話代わりにもなりません」

「悪魔を使役している魔女が、仔犬を怖れる実話ならあるけどね」

 ふいに周囲の温度が氷点下までさがった気がして、ユーインは思わず1歩後退した。

 振り向いて小首をかしげた魔女は普段通り。しかしそのことに安堵した瞬間、即座に鋭い反撃がくる。

「勇敢にモンスターと戦う冒険者が、緑色にうねるちっぽけなアレを怖がる喜劇もありますね」

「ちょ――」

 さっとユーインの顔が青ざめる。

「な、なんで知ってんの!?」

「直視もできないんですか? 手のひらに乗せれば気絶しかける? ……幼少時にあんな経験をすれば仕方ないかも知れませんね――」

「ク、ク、クロさんっ!」

 魔女は澄まし顔で視線を屋敷に戻した。

 杖の先端で軽く鉄の門を押すと、来訪者を歓迎するようにゆっくりと開いていく。クロはローブの裾が露に濡れるのも構わず進んでいった。

「け、結局行くわけ?」

「お化けが出ても、ぶよぶよした緑色のものじゃない限り、あなたが倒してくれるのでしょう?」

「……………」

「ご安心を。ぼてっとした緑色のものが出たら私が潰して差し上げます」

「……ごめんなさい調子に乗ってました、だからその話題捨ててください」

 あっさりと下手に出て謝ると、クロは満足したのかそれきり突っついてはこなくなった。ユーインには一瞥もくれず、ただ目を細めてまっすぐ屋敷を見つめる。しかしそれはそれで寂しいと思ってしまう自分に、ユーインは苦笑した。

 大きな扉の前までやってくると、クロはさっきと同様に杖を押し当てる。ゆっくりときしみながら動いていく扉。

「……………」

 その隙間から室内を覗いたクロが、ほんのわずか、眩しげに目をそらした。

 ユーインが問いかけるより早く、彼女は薄暗い屋敷内に足を踏み入れる。

 意外にも中はきれいだった。

 正面の階段へとつながる絨毯は鮮やかな緋色を保っており、華やかなシャンデリアも磨かれたまま。足で床を蹴っても埃一つ飛ぶことはなく、廃棄された建物特有の濁った空気も感じられない。

 ただ――

「なんだ? この屋敷、やけに魔法力が濃いな」

「……………」

 クロが眉根にしわを作り、珍しく半歩退いた、その瞬間。

 荒々しく背後の扉が閉じた。鍵のかかる音が屋敷内に反響する。ユーインは慌ててノブを掴んだが、岩のごとく微動だにしない。

 クロが短い呪文を唱えて杖を振った。拒絶するように鍵穴が瞬く。直後、きらりと上方で何かが光った。

 鋭利な声が耳を貫く。

「――ユーイン!」

 それは反射に近かった。彼は理解するより前に腕を上げ、そこから一瞬で広げた結界を足元まで覆わせる。ぱっと頭上で無数の雫が破裂した。大量の液体が豪雨のように結界を打ちつけ、白い湯気を舞いあがらせる。

 水浸しになる絨毯と床。だが、それだけだ。

「……お湯?」

「お湯ですね」

 恐る恐る天井を確認してみるが、妙な仕掛けは見当たらない。またそれ以上の変化もない。

「ところで、いま俺の名前呼んだ?」

「呼びましたがなんです」

「いんや、別に」

 ――高い笑い声が響き渡ったのはそのときだった。

「……残念。最初のイタズラは不発かぁ」

 明るい、子供の声。

 出所はシャンデリアだった。いつの間にか一人の少年が腰掛けている。よくよく見れば体を乗せているわけではなく、少しばかり浮いていた。

「手紙を見て来てきてくれたんだよね? ――ようこそ、ずっと一人だったから歓迎するよ」

 邪気のない笑顔を向けてから、少年はぱんと手を叩いた。

「ねえ、ゲームをしよう」

「ゲーム?」

 ユーインが問うと、少年はそう、とうなずく。

「そこの扉は外側からも内側からも、鍵がないと開かない。鍵は屋敷内のどこかにあるよ。日暮れまでに鍵を見つけて脱出できたらあなた達の勝ち。見つけられなければ僕の勝ち。――ね、簡単なゲームでしょ?」

「……見つけられなければ?」

「ゲームにはペナルティがなきゃね。そうじゃないとやる気が起きないもん。だけど内緒だよ。あとのお楽しみ」

 じゃあ頑張ってね~、と手をひらひらさせ、少年はいたずらっこそのものの表情を浮かべながら消えていった。

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