鷹と赤い獣2
「……犬?」
ぽかんとしそうなところをこらえ、クロは厳しい顔で眉を
それが機嫌を損ねたように見えたのか、僧侶風の男は急いで言葉を重ねた。
「そ、そ、そうです! こどもの、こ、仔犬です! 犬が、ちょっと目を離した隙に、ここに、は、入っていってしまったみたいで――見つけたら、すぐに、すぐに出ていきますからっ!」
「……………」
――犬。
クロは苦々しく舌打ちした。ああ、あのケダモノを招いたのはお前達か――思わず罵りかけたが、ぐっと喉をしめて罵倒を呑みくだす。
「助けてくれ! おれは違うんだ! 犬なんか放っといてさっさと地道に稼ごうと言ったんだ!」
「な、な、何を言い出すんだ! わ、私が山へ入るのはよそうと言ったのに、おまえが――」
「……その犬は、どこで?」
うるさげに片耳を押さえながらクロが尋ねると、痩身の男は額を地面にこすりつけんばかりに身を低くした。
「こ、ここから東に、東に少し行ったところにある、ス、スノルという村です! た、たまたま通りかかったら、怪我を……怪我をしていたので……で、でも傷跡を調べてみたら」
「なるほど」
遮る形で説明を切る。彼らがなぜ怪我をした仔犬など拾ったか、聞かずとも予想はついた。クロはにっこりと、どこぞの魔法使いが見れば口元を引きつらせるであろう笑みを浮かべると、穏やかに告げる。
「興味深いことを教えてくれたお礼です。その仔犬の居場所、この〈鷹の目〉で見つけて差し上げましょう」
「えっ!?」
「ほ、本当ですか!?」
「ええ、もちろん」
恐怖から一転、救世主でも崇めるような目つきになる。
素直なことだ、と内心呆れ果てながらも、クロは静かに目を閉じた。適当な、それこそ何の意味もないデタラメな呪文を詠唱する。そして効果が完了したふりをして再びまぶたを開いた。
男二人が固唾を呑んで見守る中、すうっと腕を伸ばし、杖の先端で彼らの背後を示してみせる。
「――南に。まっすぐ、ひたすらにまっすぐ、湖にぶつかるまで歩きなさい。お捜しの獣はそこで見つかるでしょう」
「お、おおおおぉおおおぉお……!」
大柄な男は涙を流して拝み、痩身の僧侶は聖印のペンダントを掲げて感謝の文句を捧げる。魔女に対して神への祈りなど冗談か冒涜としか思えないが、おそらく動転するあまり頭が回らないのだろう。
彼らはさんざん魔女を褒めたたえ、感涙したあと、何度も何度もありがとうございますと繰り返しながら去っていった。
そうしてようやく静けさが戻る。
魔女はくいと顎を上げて空を見ると、気だるそうに杖を回した。
「南に湖なんてなかったと思いますけど、ね……」
陽光も完全には届かない穴の奥。やや湿り気を帯びた岩壁と沈殿した空気。その薄暗い洞窟では、複数の影が攻防を繰り広げていた。
二つは人間のものだが、残りの多くは違う。鋭い爪のついた四肢と赤い体毛、獰猛そうな牙。犬やオオカミに似たモンスターだった。
次々と襲いかかる赤い群れを、一人は素早い身のこなしで剣を振るい薙ぎ払っていた。栗色の髪がなびき、鮮やかな青いマントが翻る。きりりとした面差しの青年は、モンスター達を自分の足より後ろへは決して行かせなかった。
「……っと」
隙をつき通り過ぎようとした1匹を、半歩さがって斬り裂く。
背後からもうひとりの声が飛んだ。
「――イル、避けろよ!」
ぱっと、いくつもの炎の矢が洞窟内を照らした。前衛の青年が振り返るのも待たず発射される。
慌てて伏せた彼の頭上を飛び越えて、矢はモンスター達に降り注いだ。着弾とともに爆発し、土煙を巻き起こして天井を揺るがせる。ぱらぱらと土の破片が降ったが、幸い崩れることはなさそうだった。
「ユーイン! だから洞窟内で爆発するものはよせって!」
「これが一番早く発動できるんだよ。それにちゃんと加減はしてる」
「前もそう言って生き埋めになりかけた」
「あの時は酒が入ってたからな。でも生きてたろ?」
茶髪の青年は納得がいかない様子で相方を睨んだが、土煙がおさまりはじめると、剣を構えなおして辺りを確認した。
「片付いたか?」
相方の質問に、いや、と頭を振る。それを肯定するように、奥の方で影が動いた。
金髪の魔法使いが溜め息をつく。
「……まだいるのかよ。大所帯だなおい」
「愚痴っても仕方ないよ。こいつらの退治が依頼だし、もう少し気合を入れよう」
「あいよ」
そして再び戦闘が始まった。
剣を持つ青年が前衛でモンスターを引き受け、魔法使いは討ちもらしを狙撃する。随分と慣れた様子で危なげない。
「クリムゾンファングは絶対に退かないから厄介だなぁ」
会話の調子もいたって呑気だった。
「火を焚いても1匹だけになっても怯まないしな」
「怯むことってあるの?」
「自分より圧倒的上位のモンスターが相手なら、尻尾巻いて逃げる」
「へえ。モンスターにも力関係があるんだ。なんか面白い――」
話をしていて反応が遅れたのか、前衛の青年は飛びかかってきた1匹を避けそこねた。が、左腕に食いつかれる寸前で、相方の放った火矢がそれを排除する。
「うーん。それにしても、クリムゾンファング……」
剣の青年は突如悩みはじめた。
「――なんでクリムゾンなのかな?」
「なんでもなにも、赤いからだろ」
「それならレッドでもいいじゃないか。レッドファング、の方が言いやすいと思わないか?」
「んなこと俺に聞くなよ。名付けた奴に言え」
「誰?」
「知らねえよ! とりあえず前見ろ前!」
魔法使いが怒鳴ったためか、モンスター達はがぜん凶暴性を増した。それに触発されて、剣を握る青年も声が高くなる。
「だけど、名前って重要だと思うんだ!」
「おいこっち振り返るな、食われるぞ!」
「多分、クリムゾンとレッドだと微妙に色が違うんだと思うけど、こいつらの毛色はどっちかと言うと暗い、紫がかった赤じゃないか。色として区別するならクリムゾンでもレッドでもないはずだ」
「そういうのはあとでやれ、集中しろ!」
一応剣は振るわれているが、さきほどまでと比べると圧倒的に隙が多い。急に魔法使いの仕事が増えたようである。
「言いにくいにもかかわらず、あえてクリムゾンファングという名にしたんだ。必ず意味があるはずだ!」
「どうでもいいよ!」
「どうでもよくなんかない! ユーイン、名前だぞ? 名前というのはそのものを表す、もっとも基本的で根本的な要素だ! それをないがしろにはできない!」
「同意はするがあとでやれっつってんだよ!」
しかし後回しにするつもりはないらしかった。
「名は体を表すって言うだろ。全体的なバランスも韻も響きも口にしたときの印象も大切だろ? ――ユーイン、たとえばおまえが違う名前だったらどうだ? ユーパンとかユーポンって名前だったらどうだ!? なんか一気に間の抜けた感じになるだろ!?」
「おまえ全国のユーパンさんとユーポンさんに謝れ! あと右に退け!」
まったく脈絡のない指示に、しかし剣の青年は当たり前のように応じた。彼が右側へ移動した瞬間、魔法使いの放った火が、跳躍しかけたモンスター達を呑み込んで燃え上がる。
難を逃れた生き残りは、瞬く間に斬り伏せられた。
「――今度こそ、片付いた、か」
新手が出てくる気配はない。魔法使いが深く息を吐くと、剣をおさめた青年はひどく深刻な表情でモンスター達を見下ろした。
「クリムゾンファング……なぜ、おまえ達はクリムゾンなんだ……」
「あーもう! 町の図書館ででも調べろよ! 前のチョコバナナ事件で懲りてねえのかおまえは――」
「だって気になるだろ! レッドファングじゃ駄目なのか? その方が覚えやすいし言いやすいだろ?」
「んなのおまえの主観だろうが!」
「だけど――」
延々と続くかと思われた議論は、思いがけず解答が示されたことで終了を迎えた。
「……クリムゾン。古くは血の色という意味ですよ」
静かな声がゆっくりと染みわたる。
「その凶暴さゆえ、血と暴力を連想させる名がつけられたのでしょう」
音もなく黒髪の魔女が歩いてきていた。
「あ、あれっ? クロさん?」
ユーインがそう口にしたことで、困惑していた勇者はすぐに合点がいったようだった。目を丸くして魔女を見つめる。
「あ、あのときの」
「どうも、勇者さま」
「以前はお世話に――」
「世話などしたつもりはありません」
冷たく切り捨てられ、勇者――イルフェードは戸惑った様子でユーインを見た。
どうやら機嫌が悪いらしい、と悟ったユーインが肩をすくめて尋ねる。
「何でここに?」
「それはこっちのセリフです。洞窟の入口まで声が響いていましたよ」
「いや、まあ――それは……ヒートアップすることはよくあるさ。俺らは単に依頼だけど」
「……………」
辺りに転がったモンスターを確認し、クロはなるほどと呟く。
「クリムゾンファングですか。だから魔力が――」
「魔力?」
――わんっ。
やけに可愛らしい鳴き声が響いた。
クロは心底嫌そうな顔をして、手に持っていた籠をなかば投げ出すような形で地面に置く。白い布をもぞもぞと押しのけて、茶色い仔犬が顔を出した。
「仔犬?」
「こいつさっきの……クロさん、なんで連れてきたの?」
「このケダモノを持ちこんだ馬鹿どもが、この村で拾ったと言ったからです」
吐き捨てて、クロは仔犬の首に巻かれた包帯を剥ぎ取った。杖の先で。
――ただれた跡。その狭い一部分だけ毛もなく、熱した鉄棒でも押しつけたような火傷の跡があった。すでに治りかけてはいるが。
覗きこんだイルフェードが真っ先に表情をゆがめた。
「かわいそうに。誰かにやられたのかな?」
「私は、それをやった者を訪ねてきたんですよ」
「へ?」
答えず、クロはさっさと洞窟の奥に向かった。
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