鷹と最強の矛3

 ざらついた雨音が耳を引っかいている。

 無理やり意識から追い払っても、それはしつこく絡みついて神経を逆なでする。鼓膜を突きさした音は脳に反響し、鈍痛となって目の奥に染みた。

 ――耳障りだ。

 苛々と舌打ちし、クロは疼く目を押さえる。

 細めた視界に、竜の吐く黒い炎の軌道が映った。映像がぶれる。それでも寸前でかわした。

 雨は止むどころか激しさを増して、崩れた天井から透明な無数の針を降らせている。それはかたい床に鋭く刺さり、そしてガラス細工のように砕けていく。割れる音がひどく癇に障った。

「……………」

 目の奥が熱を持ちはじめる。どくどくと脈打つ痛みが少しずつ予知の精度を狂わせていく。

 クロは強引に精度を引き上げた。

 刹那、目がける。

 ほんの一瞬だけ視界が赤く染まり、竜を見失った。遠くで切羽詰まった声が名を呼ぶ。

「く――」

 黒い火球――魔法を貫く〈最強の矛〉。その軌道と速度と、自身の反応とを計算し、即座に判断する。避けられない。

 悟った瞬間、クロは崩れた体勢のまま杖を少し引いた。何もない空間から乱暴に引きずり出された『影』が、火の玉と彼女の間に割り込む。

 パンッ!

 影は火球と衝突し、あっけなく砕けて散った。が、そのわずかな時間を使って、クロは矛の軌道から外れる。炎は腕すれすれを通って過ぎた。

「……はぁ」

 雨音が頭蓋に響く。目の奥が沸騰しているようだった。

 小さく息をついて、クロはこめかみを強く押した。



「う、わ……クロさん、すっげえエグイことした、今」

「え?」

 怪訝そうに見返したイルフェードに、ユーインは引きつった笑みを浮かべた。

「悪魔を盾にしたんだよ……」

「……………」

 勇者の青年は、どう反応すべきか困ったらしい。苦笑とも畏怖ともつかぬ曖昧な表情で、竜と相対する魔女に視線を転じた。

 疲れのせいか、それとも別の要因か、クロの動きは明らかに鈍ってきている。ユーインは険しい目つきで様子を眺め、しばらく思案していたが、ややあって、言った。

「……イル、確実とは言えねえんだけど」

「――うん」

「これ以上の時間を取れない。もし間違ってたらおとなしく死んでくれ」

「了解」

 やわらかく微笑み、イルフェードはうなずいた。短剣を握り直す。そしてユーインが告げた竜の一点のみを目指し、駆けた。



 勇者の青年が行動しはじめたのを、クロは目の端で捉えた。

 くるりと回した杖の先端に、雷をまとわせる。巨大な雷撃球。気楽なお手玉遊びのように、それをぽぉんと頭上に弾き上げ――そして勢いよく杖を振りおろした。

 竜に向かって滑空していく雷の塊。

 ――真正面から〈最強の矛〉に撃ち抜かれる。そんな映像が視えた。黒炎の道筋は、そのまま真っ直ぐにこちらへと伸びている。

 問題は、一本道のはずのそれが、無数に重なっていること。しかもすべて微妙に角度が違う。いくつもいくつも層を成した道は、それぞれまったく別の終着点を示していた。

 眩暈がするほどの可能性。

 ――駄目だ。

 クロはあっさりと見極めるのを放棄した。痛みのせいで、集中力も思考力も摩耗していたのだ。

 激しい雨の音。

 黒い火炎の球。

 どちらもが急速に迫る。

 ようやく〈鷹の目〉が確実な未来を映した時には、もはや逃げる間などなくなっていた。

 しかし。

「――クロさん!」

 最初、彼女はそれが自分のことであると理解できなかった。

 ぼんやりしているうちに腕が引かれる。直後、黒い炎が足元を焼き切っていった。

「あ、っぶね……クロさん、大丈夫?」

 今度の声は近かった。顔を上げれば、見慣れた碧眼がそこにある。

「ごめん、調子悪かったんだろ? 無理させた――」

「……あなた飛行魔法使えましたっけ?」

 我ながら間の抜けた質問だと思った。

 案の定、彼はきょとんとして、それから気まずそうに目をそらす。

「……まだ慣れてないんだよ。だからおとなしくしててくれると助かる」

「私のことはいいので、勇者様を」

 クロは腕を振り払って身を離した。

 彼はいささか残念そうに溜め息をつき、背後を指差してみせる。

「大丈夫だよ。たぶんね」

 勇者の姿は見えなかった。しかし、突然竜が苦悶の叫びを上げてのたうち回れば、働かぬ思考でも察しはつく。

 己の役目が終わったことを悟ると、彼女の目の前は急激に色を失いはじめた。

 目を襲う、溶けるような灼熱感。負荷をかけすぎた。いつもはここまでひどくならない。

「クロさん? 大丈夫?」

「……………」

 それが誰への呼びかけか分からなくなる。もう一度、心配そうに声を掛けられて、自分のことかと納得した。そういえばそう名乗っていたかも知れない。

 その時、混濁した意識が無意味な記憶を呼び起こして、結果、無意味な言葉を滑らせた。

「……あなたは、変人です」

「――へ?」

「魔女の名を尋ねるなんて、あなたくらいですよ――」

 そこで、彼女の意識はぷつりと途切れた。



「クロさんっ!」

 とっさに伸ばした手は空を切った。

 長い黒髪が散るように広がり――視界から消える。たった一瞬で、届かぬほど下まで。

 気づいたイルフェードが飛び出したが、間に合わないのは明らかだった。

 魔女の華奢な体はまっさかさまに落ちていき――

「……無理をしたね」

 やわらかな風が吹いた。

 床に叩きつけられる寸前で、クロの体がふわりと浮きあがる。それを2本の腕が受け止めた。

 男だった。白いスーツ、白いシルクハット。ちらりと覗く髪さえもが白に近い。容貌そのものはまだ若いが、どこか老成した、達観したような雰囲気を持っていた。

 男はクロを胸に抱くと、静かに床へ降り立つ。

 クロの眉がゆがみ、震えるまぶたがわずかに持ちあがる。苦しげな吐息が漏れた。

「……ぉ、し……」

「しゃべらなくていい。ゆっくりおやすみ、可愛い鷹」

 宥めるように語りかけ、男はクロの額に軽く口付けた。

「あーっ!」

 さっとユーインの顔色が変わる。

 クロは気づくこともなく再び意識を失い、男の腕の中に沈んだ。

「あ、あ、あんた! 何してんだよ!」

「ん?」

 慣れぬ魔法でぎこちなく降りてきたユーインに、男は温厚そうな蒼い目を向けた。余裕ありげな表情が、さらに彼の怒りを煽る。

「俺だってしたことねえのにっ!」

「……ユーイン、本音がダイレクトに漏れてる」

 駆けてきたイルフェードが、緊張した面持ちでそっと剣の柄に手を掛けた。竜の腹から取り戻したのだろう。

「クロさんを放せ!」

「ああ、悪かったね」

 男はにこりと笑ってクロを渡した。

 ユーインは拍子抜けするとともに、どこかで聞いた声だ、と首をひねる。だが記憶を引っ張り出す前に、男が何気なく付け足した。

「この子をよろしく頼むよ。私の可愛い子だから」

「んなっ……!」

 穏やかな笑顔でシルクハットを押し下げると、白い男は現れた時と同様、唐突に消えた。

 問いただすための言葉は、喉に引っ掛かり行き場を失う。次いで怒声が湧き上がったが、腕の重みを思い出して飲みこんだ。

「……………」

 ユーインは目を落とす。

 普段の言動からは想像できないほど、彼女の寝顔は幼かった。表情には疲労の色が濃い。細い体は思った以上に軽く、ふいに不安に駆られた。

「ユーイン、戻ろう。魔女殿を休ませないと」

「ああ」

 うなずくと、彼は慎重にクロを抱え直し、移動の呪文を唱えた。



 魔女はゆっくりと目を開けた。

 彼女の目覚めはいつも唐突だ。闇から光へ、夢から現へ、意識が一気に反転する。

 深い黒の瞳はすぐに焦点を結び、外界からの情報を吸い込みはじめた。

 小鳥の密やかな鳴き声がする。窓から見える空はまだ暗い紺で、起き出した人々の息遣いもどこか遠慮がちだ。

 この時間はやや肌寒い。秋の色を帯びてきた空気は、彼女の住む山とは違い、少しひやりとしていた。

 あの山はいまだに熱を持っている。

「……………」

 長い髪を背へと払いながら、魔女はだるそうに体を起こした。寝台が小さく軋む。

 視線を巡らせると、傍らの椅子に腰掛けている人物を見つけた。足を組み、うつむいてじっとしている。金の髪が乱れたまま肩に掛かっていた。どうやら寝入っているらしい。

 魔女は何度か瞬きをして、不思議そうに彼を見つめた。

 呆れたように嘆息する。

 身を乗り出して彼に近づき、手を伸ばした。右の袖をそっとめくる。手首の辺りに、何の洒落っ気もない、細い円環が見えた。

「……ただの探査用の腕輪だと言ったのに、なんでまだつけてるんですか」

 心底呆れ果てた口調であった。

 もう一度溜め息をつき、魔女は寝台から降りる。ぎしりと大きな音が鳴ったので、青年を見やったが、彼は静かな寝息を立てたままだ。

 魔女は開いた手のひらに杖を呼びだす。

 しばらくの間、何をするでもなく佇んでいた。

 やがて困ったような表情で首をかしげる。青年の方を見た。

「……約定があったとはいえ、さすがにこの国にも飽きたのでね。そろそろ退散させてもらいますよ」

 いつもそうするように、軽く杖を回す。

「良い暇つぶしになりました。――さよなら、ユーイン」

 ささやきは相手に届かせる気などなかったのだろう。誰にも受け取られずに宙を漂い、空気に混じって溶けた。











「鷹と最強の矛」了

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