鷹と最強の矛2

「――避けろ! 精霊憑きだ!」

 相棒を突き飛ばし、自らも反対側に飛びのくユーイン。

 彼らの間を焼き切って、黒い火球が狭い出入り口を破砕した。

 二人は崩落する逃げ道を一瞥して諦め、竜と対峙する。剣を構えたイルフェードが言葉だけを隣に投げた。

「精霊の加護? 竜が?」

「稀にあるんだよ……人間以外の動物やモンスターに精霊が憑くことも。というか知ってろよ、勇者なら。攻撃魔法は半分近く分解されるぞ。まあ魔女の魔法ほどじゃねえけど――」

 ユーインはそこでいったん言葉を切って、深々と溜め息をついた。

「クロさんの忠告通りにしときゃ良かった……」

「え?」

「こっちの話」

 竜の口が大きく開かれる。また炎かと思いきや、竜は巨大な体躯を揺らして突進し、頭からイルフェードに突っ込んでいった。

「イル!」

 砕ける床、散った破片。もうもうと砂塵が舞い上がる。

 勇者は竜の口内に剣を立て、獰猛どうもうな牙を防いでいた。

 竜は血をしたたらせながら、なおも食らいつこうと迫る。押し返すイルフェードの膝がわずかに沈んだ。

 ユーインは早口で呪文を結ぶと、火の槍を竜の横面に放った。

「ちょ――」

 相棒の抗議をかき消し、着弾。炎が赤く燃え上がる。だが予想外に小さい。

 精霊の加護によって威力の大半を削がれた魔法は、何一つ焦がすことなくおさまっていった。

「何でいつも俺が巻き込まれるような魔法を選択するんだよ!」

 煙を払い、悪態をついたイルフェードは、竜の意識が逸れた瞬間に剣を振りおろした。が、鼻を浅く斬っただけで終わる。彼は竜が怯んだ隙に距離をとった。

「だから、それが一番早く発動できるからだって言ってんだろうが! どうせおまえだってあの程度の魔法は効かねえだろ。揃いもそろって腹の立つ!」

「そんなこと言われても――」

 竜はイルフェードを先に潰すべき相手と見なしたようだった。駆けだした彼を狙って、みたび口を開ける。喉の奥にちらりと黒い光が灯った。

「当たるなよ! 魔法じゃ防げねえ!」

「分かってる!」

 剣に青白い光が収束し、刃を包むように吸い込まれていく。ユーインの強化魔法である。

 火炎球を避け、一気に竜の懐へ飛び込んだイルフェードは、思いきり剣を突きあげた。腹は鱗に覆われていない。皮膚を裂いて刃が埋まる。

「……げ」

 しかし、イルフェードは呻いて剣から手を離した。身を沈めて竜の前肢から逃れると、慌ててユーインの元に戻る。

「抜けない。新調したばっかりだったんだけどなぁ」

 武器を予備の短剣に切り替え、勇者はそう報告した。続けて尋ねる。

「弱点は?」

「こんな短時間で分かるかよ。竜の弱点は筋肉の一点だけど、個体によって場所が違う。見つけてほしけりゃもっとあいつを動かせ」

「その前に俺が止まりそうだ」

「逃げた方がいい。精霊憑きの竜は俺らだけじゃ無理だ」

 勇者の決断は早かった。即座にうなずく。

「分かった、逃げよう」

「まあ問題はその方法――」

 竜が動く。

 威嚇するように長大な翼を広げると、その巨躯をひねった。空気をえぐる勢いで尾がしなる。ユーインは後退して、イルフェードは飛び越えて回避した。

 振り下ろされた爪を短剣で弾きつつ、イルフェードが叫ぶ。

「移動魔法は?」

「おまえがそいつを引きつけてる間に俺だけなら逃げられる」

「じゃ、それ最終手段で。あの崩れた天井から逃げるのは?」

 黒い炎が床に穴を開ける。同時にイルフェードの短剣が鱗をこすったが、かすり傷一つついてはいないようだった。

「飛行魔法は練習中。いい的になるだろうな」

 会話の合間に呪文を唱えていく。ユーインの眼前に炎の塊が生まれた。最初は手のひらほどの大きさだったそれは、呪文が進むうちに膨張し、最終的には竜の頭部を丸ごと飲みこめるほど巨大になる。

「火傷くらいはしてくれよ!」

 解き放たれる高温の炎。

 イルフェードが退避した。

 竜の口が開く。そこから吐きだされた黒炎が、寸前で魔法を押しとどめた。――いや。

「――いくらなんでも」

 赤色は一瞬で駆逐され、四散して消えた。そして、まったく衰えぬ黒い炎がユーインに飛来する。

「反則だろ!」

 横に転げるようにして身をかわす。

 えぐられた床を見て、ユーインの背筋をひやりとしたものが伝った。

「ユーイン、大丈夫か!?」

 ユーインは駆け寄ってきた相方に軽く手を振ってみせる。

「あのブレス、契約魔法でも完全に分解しやがる」

「加護が攻撃に突出してるんだ。話は聞いたことあったけど、初めて見たよ」

 視線を巡らせるイルフェード。

 彼は竜の背後を指し示した。部屋の奥の、壁。

「造りからすると、あの壁の向こうって外だよね? 壊せないか?」

「どうかな。大抵の遺跡は魔法に対して頑丈にできてるんだよ。全力で叩きこめばいけるだろうけど、衝撃で遺跡そのものが潰れかねない」

「じゃあそれも最終手段その2だね。うーん……」

 剣を刺したままの竜が、鼻にしわを寄せて吼えた。相当ご立腹のようである。

「どうしたもんかな」

 ユーインが呟く。それはただの独り言であったが、予想外にも答えが返った。


《――だから言ったじゃないですか》


「……え?」

 耳朶じだに響いた声は聞き間違えようがなく、だからこそ幻聴かと慌てる。

 だが、竜の後方――部屋の最奥に音もなく姿を現したのは、まぎれもなく黒髪の魔女であった。

「断った方がいいですよって」

「クロさん!」

 呼んだのは警告の意味もあった。

 竜の体が回転する。

 すさまじい勢いで振られた尾の一撃を、しかし彼女は眉根を寄せただけで難なく避けた。空中へ逃れる。

「……〈最強の矛〉ね」

 ひどく不機嫌そうに竜を見下ろすと、魔女はくるりと杖を回した。相手が火球を放つ前に、杖の先端を突き出す。

 轟音が遺跡を震わせた。

 おそらく衝撃波か何かを撃ちつけたのだろう。竜はやわらかな腹への攻撃に耐えきれず、巨体を揺るがせて倒れ伏した。無事だった柱を数本巻き込んで。

「うわー……」

 イルフェードがぽかんと口を開けた。

 天井から剥離したかけらが降ってくる。こつんと頭に当たったものが思いのほか大きく、ユーインは冷や汗をかいて、目の前に降り立ったクロに苦情をぶつけた。

「無茶苦茶しないでくれよ! 潰れたらどうするんだ!」

「いいじゃないですか……いっそ潰した方がやりやすいでしょう?」

「駄目なの! 遺跡はできる限り形を残す義務があるんだよ!」

「そんな義務、私にはないです」

「大体クロさん、なんで――」

 ユーインは唐突に語調を弱めた。不可解そうな顔で沈黙する。

 代わってイルフェードが問いかけた。

「魔女殿、どうしてここに?」

「もしかして俺を心ぱ」

「気まぐれです」

 低く言い捨て、クロは竜に目をやった。

 当たりどころが悪かったのか、竜は呻きながらもまだ立ち上がれずにもがいている。

「クロさん、あいつの正確な体長と体高、分かる?」

「は? ……体長が9・6、体高が3・3ってところじゃないですか?」

 よし、とユーインはガッツポーズをし、逆にイルフェードは嘆くように手で顔を覆った。

「また負けた……」

「忘れんなよ、イル。銀狼亭の気まぐれセットだからな」

「余裕ですね、あなた方……」

 とんでもないとばかりにイルフェードがかぶりを振る。

「今、どうやって逃げるか考えていたところで――」

 その時、竜がよろめきつつ体勢を立て直した。

 怒りの咆哮が空気を揺さぶる。

「クロさんの移動魔法で逃げられない?」

「知らないんですか? ボス戦からは逃げられないんですよ」

「……いや、よく分かんねえけど」

「ここは彼の領域ですから。入るだけなら比較的簡単ですが、出るのは困難なんですよ。空間の支配権はあちらにある」

 すうっと竜が息を吸い込んだ。

「――来るよ!」

 イルフェードの警告とともに〈最強の矛〉が放たれる。

 ユーインは右へ、イルフェードは左へ。クロは宙へとそれぞれ逃れ、黒い炎はその影だけを舐めた。

「ごちゃごちゃ逃げる算段などしていないで、さっさと倒せばいいでしょう」

 クロはうっとうしげにこめかみを押さえる。

 すかさずユーインが反論した。

「そうは言うけど、クロさん、あいつの弱点視える?」

「いいえ。精霊の加護がありますので」

 苛立たしそうに逸らされる黒眼。

 機嫌が悪いのかと思ったが、どうも違和感があった。

「ユーイン、おまえは?」

「だからもっと動きを観察しないと分からねえって」

 ――目尻近くに時たま添えられる細い手。不快げな眉間のしわ。いつもより精彩の欠けた黒い瞳。

「クロさん、目――?」

「では話は簡単ですね。私が囮になりますので、その間に筋肉の弱い部分を見つけてください」

 竜の尾が、クロのローブのみをはためかせて落ち、勢いよく床を破壊した。

「冗談じゃねえ。クロさんを囮になんてできるかよ」

「囮なら俺の方が……」

「それが一番効率的だと言っているんです。〈鷹の目〉が遮られるとはいえ、表情を見れば思考や動作は予測できます。私なら絶対に当たらない。――あなた方は専門家です。私の体力がなくなる前に、弱点など見抜けるのでしょう?」

 クロは杖を軽く放りながら回転させた。彼女はすでに二人を見ていない。それ以上問答を続けるつもりはないようだった。

「……その言い方は卑怯だ」

「私を落胆させないでくださいね」

 さらに卑怯な一言を追加すると、クロは胸元を握りしめた。留め金が外され、深い紺色のローブがひるがえり、ふわりと広がって宙を舞う。

 しかし、彼女が脱ぎ捨てたのはそれだけではなかった。

「ちょっ……!?」

 ローブの下に着ていたワンピースまでもが、ゆるやかに降下してくる。

 むろん彼女は下着姿になったわけではない。あらわになったのは、ごくシンプルな、袖のない黒の長衣。しかし丈は太腿の辺りまでしかなく、腰からスリットが入っている。

 機動性を優先させたのだろう。普段の装束では動きを制限される。

 それは分かる。分かるのだが。

「……………」

 なめらかな長い足と、動くたびに揺れるスリット。黒衣から伸びる白い腕。ぴったりした衣装によって強調される、身体の曲線。

 ユーインは思わず相方に怒鳴っていた。

「おいイル、おまえは見るな!」

「ええっ?」

 戸惑うイルフェードと動揺するユーインをよそに、クロは再び豪快な一撃を竜に見舞った。が、今度はよろめいただけで倒れるには至らない。

 しかし竜の憤怒は完全に魔女へ向いたらしく、ユーインらなど目に入らぬ様子で執拗に彼女を狙いはじめた。

 イルフェードがユーインに尋ねる。

「分かりそうか?」

「……見つけるよ。クロさんは多分、肉体強化系の魔法を使えない。魔力が強くても体力は人並みなんだ。それに」

「それに?」

 ――目を痛がっている。

 ユーインには理由など分かろうはずもないが。

 唇をきつく噛みながら、彼は竜の動きに集中した。

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