鷹の余白

白石令

第1章

鷹と悩める勇者1

「勇者がいなくなったんだ」

「――はぁ?」

 魔女は身を乗り出すようにして、向かい側に座る依頼人に聞き返した。

 相手の表情は真剣そのもの、それどころか思いつめた焦燥感さえうかがえ、よほど思い悩んでいることが分かる。男性にしては繊細な細面が苦悩に満ちていた。

「だから、俺たちのリーダーが、失踪したんだよ」

「はあ」

 どうやら聞き間違いではなかったらしい、と魔女はうなずいて、フードから漏れた黒髪をかきあげる。

「それは、モンスターに拉致されたとかで?」

「いや……」

 彼は少し返答をためらった。

「書き置きだけ残して、姿を消した」

「勇者様が、自ら?」

「ああ」

「お心当たりは?」

「……………」

 魔女がそう尋ねたとたん、彼は眉根を寄せて黙り込んだ。魔法使いの証である、サークレットがついた額を片手で押さえると、苦い口調でぽつりとこぼす。

「あいつ、生真面目だから……」

 ――あんまり聞きたくないなぁ。

 魔女はそんなことを思った。

 重い剣と鎧をまとい、日夜モンスターと戦い続ける勇者たち。常に激しい場に身を置く彼らには、心安らかな時など許されない。その重圧に耐えきれず、勇者としての称号を返上する者もいると聞く。

 王都から離れに離れた山奥で、気ままに生きる魔女としては、そんなヘヴィな相談事はできるだけ避けたかった。

「いちいち考えすぎちまうんだよ。俺はたいしたことねえだろっていつも言うんだけど、あいつ――」

 魔法使いは嘆息とともに吐きだした。

「チョコバナナなのかバナナチョコなのかで悩んで……」

「悪いけど帰ってください」

 がたんと魔女は立ち上がった。

「待った待った待った! 気持ちは分かる、すごく分かるんだよ! 俺はさ、チョコバナナだと思うんだ!? だってバナナチョコだとバナナ味のチョコともとれるだろ? だけどさ、少数だけどバナナチョコって言う人もやっぱりいるんだよ。そのことであいつ……じゃあ少数派は潰されて当然なのかって言いだして!」

「本気でどうでもいいです」

「そう言いたい気持ちはよーく分かる! だけどそれでも勇者なんだよ! 仲間なんだ!」

「分かりました。調べたあと改めてこっちから連絡するので、とりあえず帰ってください」

「連絡先聞く気ないよな!?」

 テーブルに乗りかかり、しがみつく形でローブを握り締めてくる青年。

 魔女はとことん迷惑そうな目を向けた。しかしそれでも彼は怯まない。

「頼むよ! あんたに断られたらもう他にアテがねえんだ! いろんな占者に相談したんだけど、見つけることはできないって言われて――最後に訪ねた人から、〈鷹の目の魔女〉なら探せないものはないって!」

「……………」

 彼女はあからさまに顔をしかめて依頼人を見下ろした。すがるような彼の視線とぶつかり、そのまま時が止まる。

 睨み合うような、見つめ合うような。沈黙と硬直はしばらく続いた。

 破ったのは、ぴりっとした高い声である。

「――もういいじゃない、ユーイン。そこまですることないわ」

 それはもう一人の来訪者――最初に魔女が椅子を勧めたにもかかわらず、きっぱりと断り戸口付近で成り行きを眺めていた僧侶だった。

 美人ではあるが、気の強そうな見た目通り、きつい性格らしい。敵意をこめて魔女を睨みつける。

「元々私は魔女なんて信用できなかったのよ。神の教えに逆らう享楽的な奴らだもの。しかもこの子、見たところ16、7じゃない。手なんか借りる必要ないわ」

「ファリアさん、そんな言い方はよせよ。大体、思いつく所は全部回ったろ? それでも見つからなかったんだから、もうどうしようも――」

「だからってこんな魔女に頭さげてまで頼むのはごめんよ!」

「……ご自由にどうぞ」

 魔女は小さく溜め息をつき、するりと青年の指から逃れた。外れかけていたフードをかぶり直し、ほっそりした手をテーブルに乗せる。

「私はまだピチピチ16、7の小娘ですから、成熟過ぎた女性が頭さげてまで頼む相手ではないと思いますよ」

「せ、成熟過ぎたですって!」

 僧侶は顔を真っ赤にして憤慨し、拳を振るわせた。だがさすがに殴りかかるような真似はせず、ぐるんと髪を振って背を向け、大股で外へ出ていく。魔法使いが慌てて名を呼んだが、彼女は返事もせずに去っていった。

「ご、ごめん! 彼女、あの通り魔女に偏見持っててさ……普段はいい奴なんだけど」

「別に気にしていません。あなたもどうぞお帰りください。そして存分にチョコバナナかバナナチョコか議論なさってください」

「見つからなきゃそもそも議論できないよ! ていうか俺、別にそれについて語る気ねえし!」

 ローブの裾をさばき、再び椅子に腰かけた魔女はうんざりと頬杖をついた。かなりの時間、依頼人の無言の訴えを無視していたが、いつまで経っても相手が諦めないのでやがてうなだれる。

「頼むよ、金なら出すから!」

 最後のひと押しとばかりに魔法使いが拝むと、魔女はついに折れた。

「……白菜と大根」

「へ?」

「対価です。お金は要りません。白菜を4株と大根2本」

「……………」

 理解できずに彼は瞬いた。

「それって魔女用語? マンドラゴラとかそっち系?」

「なんでですか。普通の食べ物のことです」

「一つ10万とか20万とかする品種?」

「別にそこらで売ってるようなもので構いません。ふもとの村にもあるでしょう。――なんですその顔は。魔女だって物を食べるんですよ?」

「いや……生活感あふれる魔女だなぁと思って」

 しみじみ呟いた彼をひと睨みしてから、魔女は片手をかざした。音も立てずにぶ厚い本を呼びだすと、それを膝の上に乗せる。そして思い出したように尋ねた。

「捜し人のお名前は?」

「……あ、イルフェード。イルフェード・レニ」

「イルフェード・レニ」

 応えるように本が勝手にめくられていく。

 半分を過ぎたあたりでぴたりと止まり、あるページを示した。

「これか」

「それは?」

「勇者一覧です。現時点で勇者の称号を持つ者が記載されるんですよ」

 ぱたんと本が閉じられる。そして現れたときと同様に唐突に消えた。

「そんなのあるのか」

「作りました」

「……何のために?」

「単なる暇つぶしです」

 魔女は腰をあげた。次にその手が握ったのは長い杖。

 何かの魔法を使うらしい、と察した魔法使いはその場から離れた。

「あ。名前で思い出したけど、あんたの名前は? 俺はユーイン・クラッドっていうんだ」

「魔女は魔女です」

「俺が知りたいのは個人名なんだけど」

 魔女は振り向くことなく、何かを確かめるように杖の先端で軽く床を叩いた。

「なら、好きに呼んでください」

「じゃあメリリン」

「……クロです」

 心底嫌そうな声で彼女は答えた。

「クロ、さん? 通称? 略称?」

「どうでもいいでしょう、魔女の名なんて」

「どうでもいいならメリリンでもいいと思うんだ」

「それは嫌です」

 わがままだ、という不満を受け流し、魔女――クロはもう一度床を打つ。足元を見つめながらふいに切り出した。

「勇者というものは占うことができません」

「はい?」

「彼らには精霊の加護があるので、あらゆる占いや探査魔法は妨害されるんですよ。だからあなたが訪ねた方々は、見つけられないと断ったのでしょう」

「……じゃあ、やっぱり無理?」

 いいえ、とクロは首を横に振った。

「魔法的な『視線』は遮られるというだけです。つまり直接捜しまわればいい」

「直接って――」

 タン、とみたび床を鳴らしたあと、クロは異界の言語をつむいだ。単語一つ一つを、ハサミで切って捨てるように次々落としていく。呪文詠唱というよりは、罵詈雑言を矢継ぎ早に放っているようだった。

 床に刻印された魔法陣がぬめるように輝き、細い稲妻を走らせる。鋭い閃光は少しずつ数を増して、互いにぶつかり合っては火花を散らし、そのたびに激しい音を立てた。

 やがて一際大きな衝突が起こる。

 一瞬の静寂ののち、むっと重たい煙が充満した。すぐに戸口の方へと流れ、薄れていく。

 その時、そこに黒い影が映り込んだ。ばっと煙が裂ける。

 影が、飛びかかったのだ。クロに。

「危ない!」

 しかし魔女はまったく怯むことなく杖を振るった。影をあっさりと打ち返し、壁に叩きつける。そしてつかつかと歩み寄ったかと思うと、壁からずり落ちてきた影を容赦なく踏みつけた。

 足首ほどまである地味なローブの下は、意外にも重厚感のあるブーツであった。

「おはよう私の下僕。仕事を与えてやるから聞け」

 恐ろしく低い声で魔女がささやくと、影は靴の下でびくりと震えた。

「勇者を捜してこい。名はイルフェード・レニ。ただし手は出すなよ、見つけたらすぐに戻れ」

 影がこくこくとうなずいたのを確認し、クロは足を離す。

 輪郭さえあやふやな黒い影は、風のように飛び去っていった。

「……………」

 クロがくるりと振り返ると、ユーインは思いきり飛びあがった。笑みが大いに引きつっている。

 対するクロはどこまでも淡白だった。

「悪魔召喚は王国法で禁止されていますので、一応他言無用に願います」

 静かな魔女の言葉に、ユーインはこくこくとうなずいた。

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