鷹と悩める勇者2

 30分が過ぎた。

 そのまま1時間、1時間半と経過しても、一向に悪魔は戻らない。

 ユーインは本棚から抜き出した本でのんびり時間を潰していたが、クロの方はいいかげん苛々していた。

 指先でテーブルを小突きながら呻く。

「……遅い」

「つってもこの国だけで結構な広さはあるし、そこから人ひとりを捜すんだろ? 1時間や2時間じゃ無理なんじゃ」

「1時間や2時間あれば世界の果てであろうと捜しだせます。――何をとろとろしてるんだ、あれは……」

 吐き捨ててクロは立ち上がった。びくついたユーインには構わず、宙に向かって何事か呟く。すると見る間に不審そうな顔つきになった。

「……あれ」

「どうかした?」

「んー……」

 クロが新たな呪文を唱えると、黒く渦巻くが空中から染みだした。陽炎のように揺らぎながら、ひどく不安定に浮いている。

 ぱしっと一部が散っては復元し、またすぐに砕ける。しばらくそんなことを繰り返したあと、完全に溶けて消えた。

「――ふうん?」

 クロは眉を跳ねあげて黙考する。

「今のは? 何か問題でも?」

「問題というか、まあ……消滅しましたね」

「してたけど」

「さっきの悪魔ですよ」

 ユーインは目を剥いた。

「ええ!?」

「何者かに消されました」

「消されたって……なんで?」

「さて……」

 首をかしげる。クロは、どうせ瞬く間に解決できるだろうと甘く見ていた。しかしどうやら事はそう簡単でもないらしい。

 クロは視線を奥へ滑らせ、そのままその部屋に引っ込んだ。ごそごそと何かを漁る音。

「クロさん、じゃあイルは見つけられないのか?」

「イル? ……ああ、勇者様ですか。ご心配なく、対価の分は成果を出します」

「白菜と大根の分って言われても、あんまり安心感わかないんだけど」

「いちいちうるさいですよ」

 彼女は埃とともに戻ってきた。手には古びた腕輪が二つ。

「私は〈鷹の目の魔女〉です。獲物は必ず捕らえます」

「え、いつの間にかうちの勇者食糧扱い?」

「これを」

 クロから差し出された腕輪を、ユーインは恐る恐る受け取った。何の装飾もない、ただの細い円環である。だが魔女がわざわざよこすのだから、普通の品物であるはずはなかった。

「そう身構えないでください。お守りです」

「お守り?」

「どうやら勇者様を見つけてほしくない輩がいるようです。戦力が分散しているのですから、あなた方も安全ではないかも知れません。お仲間はあなたと、先程の僧侶さんだけですよね?」

「ああ、うん」

 彼は思いのほか慎重な性格であった。お守りだと告げられても、腕輪をまじまじと観察するだけで身につけようとはしない。

「別に呪いなんてかかっていませんよ。害するなら遠まわしなことはしません」

「い、いやいや、決して疑ってるわけじゃ」

「すんなり信じられても無性にいらつきます」

「――それ、俺はどうすればいいの」

「存じません」

 澄ました顔でクロは再び自らの席に戻った。

「私からだと知れば僧侶さんは受け取らないでしょうから、そこはうまく言ってください。私が受けた依頼は勇者を見つけること。依頼人がその前に死んでしまっては困ります」

 そして彼女はさらに続けた。

「数日中に勇者を見つけます。そのときは私から伺いますので、それまで近くの宿ででも待機していてください」

「だけど、悪魔は消滅させられたんだろ? 魔法も占いも通じないんなら、どうやって……」

「ご心配なく」

 その時、魔女は初めて微笑みを見せた。

「〈鷹の目〉に見つけられぬものなどありません」



 ユーインのもとにクロがやってきたのは三日後のことだった。

 まだ蒼い薄闇が広がる明け方頃、村唯一の安宿で熟睡していた彼を、魔女は容赦なく叩き起こした。

「40秒で支度してください」

「それどこの海賊……」

 寝ぼけているのか、よく分からない突っ込みをしつつユーインはのろのろと起き上がる。しかしベッドに正座すると、緩慢だった動きは完全に停止し、再びまぶたがとろんと閉じた。

「おはようございます」

 杖の宝石部分で殴りつけられてようやく、彼は覚醒した。頭を押さえながら恨みがましくクロを見上げ、そこでふと気づく。

「……どうやって部屋に。鍵が」

「安いから鍵も質素ですね」

 微妙に答えになっていない答えを返し、クロはそばに置かれていた彼の荷物をベッドに放り投げた。

「いいから早く服を着てください。そのまま外出したら、あなた捕まりますよ」

 とはいっても全裸ではない。裸なのは上半身だけだ。ユーインは衣服を身につけながら、ちらりとクロの表情をうかがった。

「きゃー、とか頬を赤らめるとかはないんだな」

「そういうのは村の娘さんに求めてください」

「求めたら俺捕まるじゃないか」

「私に求めるよりは安全だと思いますよ」

 彼が魔法使いらしい外套をはおり、ベッドから降りたところで、クロはさっそく呪文詠唱を開始した。二人を囲むように魔法陣が描き出されていく。

 その問答無用さにユーインは慌てた。

「ちょ、ちょっと待った! どこへ?」

「どこって、勇者様のところですよ」

「見つかったの!? ――いや、それよりストップ! ファリアさんがまだ……」

 クロは事もなげに告げた。

「彼女は先に行っています」

「え。俺って後回しにされてた?」

 移動の魔法が執行される。

 魔法陣の光が強く輝いた刹那、彼らは宿から消え失せ、別の場所に転移していた。

 ――森の中。まばらに木々が生えた様子は、森というより単なる町はずれの林といった方が近いかもしれない。人っ子ひとりいなかった。

「少し場所をずらしました。こちらへ」

 クロは朝露の染み込んだ草をさくさくと踏んでいく。彼女を追いつつ、ユーインは注意深く周囲を観察した。

「わざとずらしたってことは意味があるんだよな?」

「意外と頭が回りますね。その通りです」

「ファリアさんを先に行かせたのも?」

「……私が先に行かせたわけではありませんよ」

 クロは足を止めた。

 視線の先には金髪の女性。ファリアである。彼女は二人に気づいていないらしく、背を向けたままじっと前方を見つめていた。少し離れたところで座り込んでいる、青年の背中を――

「……イル!」

 ユーインが呟く。

 イルフェード・レニ。彼こそ失踪した勇者その人だった。

 それは妙な光景ではあった。全員が全員とも同じ方向を向き、前にいる者を見ている。しかもそれぞれ背後の人物には気がついていないのである。一番後ろのクロとユーインをのぞいては。

 さくり、とファリアが1歩踏み出すと、イルフェードははっとして振り返った。彼は最初にファリアを、そして次にユーインとクロを認める。

「ファリア、ユーイン……」

 イルフェードのその言葉で、ファリアはやっと魔女たちに気がついた。二人を視界に入れたとたん、動揺を見せる。

「ど、どうしてあんた達、ここに……」

「え? ファリアさん、クロさんに教えられたんじゃ――」

「あなたのあとを追ったんですよ、ファリア・メリン」

 ユーインの言葉を遮り、クロはわずかに彼女との距離を詰めた。

「その腕輪、特殊な魔法を放ってましてね。居場所がすぐに分かるんです」

 ユーインとファリアはそろって自らの腕に目を落とした。飾り気も色気もない、銀色の輪。

 ファリアはぱっと顔を上げ、何事か語ろうとした。が、クロが制する。

「下手な言い訳は無用ですよ。あなたがこんな時間に今この場所にいる、それが何よりの証拠です」

「……………」

 舌打ち。

 ファリアはがらりと豹変し、忌々しげに腕輪を抜き取って地面に叩きつけた。ユーインがぎょっとする。

「――どうして、私を」

「疑ったのか? 簡単な話です、私が放った悪魔は僧侶の扱う浄化魔法で消滅させられていました」

「僧侶なんてごまんといるわ!」

「あれが移動と目のみに集中している間は、たまたま発見できる者なんていませんよ。動きだけは速いので」

「そ、それを言ったら私だって同じよ。私はすぐにあの家を出て……」

「家を出て――」

 魔女は漆黒の瞳で、吸い込むようにファリアを見据えた。

「すぐそばで聞き耳を立てていたじゃないですか」

「…………!」

 何の話だとイルフェードは目をぱちぱちさせ、ユーインは困惑気味に女性ふたりを見比べる。ファリアは悔しげに唇を噛んでいた。

「悪魔を放った直後にその場を動きましたね。その際、あれに目印でもつけたのでしょう。勇者を見つけたと思われる場所を記憶しておき、あれが戻ってきたところで消した……それが可能だったのはあなただけです。だから数日中には何らかの行動を起こすと思っていました」

「ちょ、ちょっと待った、何? 何の話してんの? ファリアさん、一体――」

「……………」

 ユーインの質問には答えず、ファリアはうつむいた。肩が震えている。しかし悲しみのためではなかった。唇の端が持ち上がり、ふ、っと息がこぼれる。それは笑いだった。

 驚愕した仲間ふたりの前でけたたましい笑声を上げると、ファリアは僧侶とは思えぬ邪悪な形相になる。ゆっくりと髪を背に払い、指を鳴らした。

 がさりと、左右から草を踏みわけて姿を現したのは、大勢の戦士たちだった。

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