鷹と悩める勇者3
20人以上はいるだろう。格好はそれぞれで、重そうな鎧をまとった者もいれば、軽いローブ姿の者もいる。武器もおのおの違い、剣や斧、杖はもちろん素手の者もいた。
確かなのは全員が冒険者で、それなりに戦いなれているということだろう。
さすがにイルフェードとユーインは顔色を変えた。
「ファ、ファリア? これはどういうことだ!」
「見た通りよ、イルフェード。私はずっとあなたを狙っていたの。知ってる? あなたって結構有名なのよ。若いけど腕の立つ、将来有望な勇者だってね――だけど、それをよく思わない同業者もいるということ」
彼女は勝ち誇った笑みでかつての仲間たちを眺める。
「なかなか一人になってくれないから苦労したわ。だから生真面目なあなたが悩むよう、わざわざ面白い話をしてやったのに」
あのどうでもいい話題を吹きこんだのはおまえか、とクロは突っ込みたくなった。
イルフェードが信じられないというように頭を振る。
「ファリア、あの話は、おまえがわざと――? 意見を握りつぶされる者たちがどれだけ辛い思いをしているかと、おまえは言ったじゃないか!」
「……は! 握りつぶされる者なんて結局はその程度の存在というだけじゃない。弱ければ消えていくのよ。それなのにそんな弱者のことまで真面目に考えて……イルフェード、あなたってとてもいい子よね。虫唾が走るくらいよ!」
雷のごとき容赦ない発言に、イルフェードは衝撃を受けた様子でよろめいた。しかしそれでもまっすぐにファリアを睨みつけることはやめない。それは勇者と讃えるにふさわしい、真摯で透明な眼差しだった。
議題はあくまでチョコバナナかバナナチョコかだが。
「自分はバナナチョコ派で、ずいぶん村でいじめられたと……それも嘘なのか!」
「当たり前でしょ? バナナチョコだなんて言わないわよ、笑っちゃう。そんな呼び名、いずれ私が完全に葬ってあげるわ」
「ファリア、おまえ……!」
イルフェードに嘲笑を返すと、ファリアはもうそれ以上彼を相手にはしなかった。魔女へと視線を転じる。
「……だけど、まさか使役悪魔の消滅の仕方くらいでバレるなんてね。おかげでせっかくの計画がパアよ。〈鷹の目〉の名は伊達じゃないということかしら」
強い苛立ちはあるものの、ファリアの態度は余裕そのものだった。勇者たちを挟んでいる冒険者らもそれは同様だろう。なにしろ数が違いすぎる。
「いくら魔女っつったって、この人数相手じゃどうしようもねえだろ!」
「勇者イルフェードも同じさ。さっさとこうしてしまえばよかったんだ」
「――そうね。機会を窺うなんてまどろっこしい真似は必要なかったわ」
冒険者たちの言葉をファリアが結ぶと、とたんに沈黙がおりた。
イルフェードが剣を抜き、ユーインは魔法のために意識を集中しはじめる。
鋭い緊張感が走り抜けた。乾いた風が音をさらって過ぎていく。木々が硬直したように背筋を伸ばし、耐えきれなくなった葉が数枚、はらりと切れて落ちた。
風船のように膨れていく空気。いつ割れてもおかしくはない。ユーインの呪文か。イルフェードの一閃か。あるいはファリアの号令か。誰もが破裂させる瞬間を狙っていた――その時。
「……………」
それまで沈黙を守っていた魔女が動いた。ゆっくりと持ち上げた手のひらで目元を覆い、まぶたを閉じる。
ふう、と疲れたような溜め息が漏れた。
「……あなた方は、〈鷹の目〉の意味をお分かりになっていないようです」
黒髪の魔女はくすりと妖艶に笑った。
多くの刃物と殺気にさらされながら、かけらほども恐怖を見せず……目を開ける。
――真紅。
彼女の瞳は髪と同じ漆黒のはずだった。ついさっきまでは。
まるで悪魔のごときその血色に、全員が凍りついた。
悪魔、魔女。それらは目には見えぬ闇深き夜に棲む存在であり、いまだ原始的な恐怖として人々を支配していた。いくら魔女といえど多勢に無勢――ほんの数秒前までは確信していた勝利が、あっけなく崩れていくほどに。
未知のものへの畏怖は、殺気立った者たちをも完全に縫い止めた。ほんの一瞬。思考が再び回りだすまでの、わずかな空白。先制するには充分な時間。
「……………」
魔女は静かに歩き出した。ひとりひとりを
ふいに、まるで気まぐれのように――ひとりの冒険者のところで視線を止めた。
「あなた……」
彼女は憐れむように微笑みかける。
「大変ですね。排泄のたびに痛むんでしょう?」
「な……!?」
屈強な男はあっけなくうろたえ、みるみる顔を赤く染めた。構えていた剣をさげ、おろおろと仲間たちの反応を探りだす。
魔女は続いて別の青年に顔を向けた。赤い目を少し驚いたように見開き、やはりくすっと笑う。
「とてもロマンチックな趣味ですね。――『君は春の女神、凍てついた僕の氷を溶かし、恋の花を芽吹かせる』――」
「そ――それ以上言うなあああぁぁあ!」
頭を抱えてしゃがみこむ青年。
このとき誰もが理解した。そして誰もが戦慄する。
しかし魔女は容赦なく新たな犠牲者を引きずり出した。見ただけで子供が泣き出しそうな、恐ろしい面相をした男を。
「……あなたはとてもお優しいようです。可愛がられている仔猫も幸せでしょうね――『チェリーたん』? そう呼んでいるんですか?」
「うあああああああああっ!」
全員が悟った。逆らってはいけない存在なのだと。
悪魔の血の瞳はなにもかもを見透かし、掴みとっている。いまや自分たちの冒険者としての名誉は、人間としての誇りは、この魔女の手のひらの上にあるのだ――!
「……………」
彼女が次を求めて視線を巡らせると、冒険者たちは一斉に退いた。蒼白な顔、凝固した表情、恐怖に染まったその瞳。彼らは完全に戦意を喪失していた。
やがて魔女の周囲を怪しげな赤い光が飛びまわりはじめると、ぷつりと何かが切れる。
彼らは武器を投げ出し、悲鳴をあげて波のように逃げ去っていった。
ただひとり、ファリアを残して。
「……皆さん、知られたくないことばかりのようですねえ」
赤い目が穏やかにファリアを見た。ひっと喉を引きつらせ、ファリアは後ろによろける。
「こ、来ないで、ま、魔女……!」
「人の嗜好をどうこういうつもりはありませんが……」
魔女はとどめの一言を見舞った。
「あなたの性癖、教会に知られたらまずいのでは?」
「や、やめてええええぇぇえ!」
髪を振り乱しながら後ずさりしていくファリア。逃走という単純な選択さえできないほど追い詰められているらしい。
その背が何かに当たった。イルフェードである。彼は我に返ってファリアの腕を掴むと、あっという間に彼女を押さえこんだ。そこへユーインが駆け寄る。
よくできました、と魔女は満足そうな微笑を浮かべた。
目の前のテーブルに、どさりと紙袋が置かれた。長い葉っぱが袋からのぞいている。魔女が少し袋を指で押し下げると、それは大根だった。
「約束の、大根2本と白菜4株」
クロは紙袋の向こう側に立つ魔法使いを見上げた。すると彼は少し怯んだように息を呑む。
「……ああ。忘れていました」
ユーインは恐る恐る椅子を動かし、腰掛けた。クロは特段気にも留めず、膝に置いた本のページをめくる。
「その……今回は助かったよ。ありがとう」
「いいえ。対価の分、成果を出したまでです」
「クロさんにとって大根と白菜ってよっぽど重いんだな……」
「生き物にとって糧が最重要なのは当然でしょう?」
クロはけろりと返す。茶化したつもりだったユーインは思わぬ反撃に口が出ず、そのまま黙り込んだ。
「……………」
開けはなったきりの戸口から、ひやりとした風が侵入し、置きっぱなしの紙束や野菜袋を鳴らしていく。言葉のない室内にそれは高く響いた。
しばらく耳をかたむけているうちに、うっかりユーインの存在を忘れかけたので、クロはどうでもいい話題を振ってみる。
「そういえば、チョコバナナとバナナチョコの議論はどうなったんです?」
「いや、だから俺はする気ないから、それ。――あいつはまあ……ファリアさんが仕向けたことってのもあって、考えるのはやめたみたいだ」
「賢明です」
クロは心の底からそう思った。
「たまにはいいかも知れませんけどね。余白に書く分には」
「余白?」
「ノートの余白に落書きしたことありませんか? 意味のない、どうでもいいことを。ど真ん中には書けなくても、暇つぶしと息抜きにはなるでしょう」
「意外だな。魔女でも落書きするのか」
それが揶揄するような響きを帯びていたので、クロは涼しい顔でしますよ、と答えた。
「今、この状況がまさに余白の落書きでしょう」
「――きっつ」
ユーインが顔を引きつらせてぼやく。彼は頭の後ろで腕を組み、思案するように天井を仰いだ。
「女ってのは怖いよな。ファリアさんだってさ――彼女とは1ヶ月も前に会ったんだよ。だけどその時からずっと狙ってたんだよなぁ。本当、怖いね」
「女を見る目がないのでは?」
「……………」
辛辣な魔女の言葉に、ユーインは参ったとばかりに両手を上げた。
「魔女には勝てねえな。俺の秘密も全部握られてるんだろうし」
ぴくりと眉を動かし、クロは読書を中断する。
「……握っているわけないでしょう」
「え? だってあの時――」
「まさか、本当に一瞥しただけですべてを見抜けるとでも?」
がさっと紙袋が横へどかされた。どういうことだ、と食いつかんばかりにユーインが身を乗り出している。クロは溜め息をついて本を閉じた。
「あなたが帰ったあと、知り合いの情報屋に頼んで調べ上げたんですよ」
「え……えええええええ!」
彼の驚きに呼応するようなタイミングで、強い風がばたばたと通り抜けていった。
「彼女が数人の冒険者と接触していることも分かったので、お相手の情報もね。最初からその数人の秘密だけは知っていたんです」
「……………」
ユーインはあんぐりと口を開けた。
「じゃ、あ……別に見ただけで全部分かるわけじゃ」
「――ないですよ。本人を目の前にしてきちんと占えば分からなくはないですが。そこまで便利な能力は持っていません」
「で、でも、目が赤く――今だって」
彼女の目はいまだに赤いままだった。クロはそのときになってようやく、彼を怯えさせていた理由に思い至り、忘れていました、と自分の目元を軽く押す。
ぽろりと何か薄いものが剥がれ落ちた。赤い、小さな破片。
「珍しいでしょう。これ、目に直接入れるレンズなんです。本来は眼鏡と同じで視力を補正するためのものなんですが、色をつければ目の色を変えることもできるんですよ」
「詐欺だ……」
心外ですね、とクロは眉を上げた。
閉じた本をテーブルに置き、指先でリズミカルに叩く。ユーインが注視していると、ぶ厚い書物はぱっと闇色の炎に包まれた。炎そのものよりも奇怪なその色にぎょっとして、ユーインは顔を離す。
本は燃えあがったまま浮遊した。自然ではあり得ぬ禍々しい火の玉は、それだけで異様な薄気味悪さを感じさせる。
しかし、炎がパンと華々しく四散した直後、二人の頭上に降り注いだのは、拍子抜けするほど普通の、古びた紙切れであった。火の粉も焼ける臭いもない。涼しげな空気だけが流れていく。
反射的に頭部をかばったユーインが呆気にとられていた。
「――魔女の魔法は7割がはったりなんですよ」
クロはにこりと笑って締めくくると、焦げ目一つついていない先程の本をどこからともなく取り出して、再び文字を追いはじめるのだった。
「鷹と悩める勇者」了
バナナチョコ派の方、すみませんでした
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