第2章
鷹と蛇の呪い1
「クロさん、このお茶
茶を一口含むなり、金髪の魔法使いは渋い顔でそう言った。湯飲みをテーブルに戻し、赤みの強いその液体が揺れる様を見つめる。
向かい側の席で本を読んでいた魔女は、一瞬だけ顔を上げて茶を確認した。
「とうがらし入りの梅茶ですから」
「むしろ梅入りのとうがらし液だろこれ。色も明らかにとうがらしが主張しすぎてるし」
「ピリッとした辛さが体を温めると、女性に評判のお茶なんですけどね」
「ピリッとどころか舌を貫く辛さだよ」
「……………」
うるさいなぁと言わんばかりに魔法使いを一瞥した魔女は、無言で自分の湯飲みを手に取った。迷わずぐいと飲み干す。そして涼しい顔で再び読書に戻った。
「……辛いよな?」
「このくらい辛い方が美味しいです」
「クロさん、味覚おかしいよ」
バン、と本が勢いよく閉じられる。魔法使いは鼻白んだ。しかし魔女は特段怒った様子も見せず、何もない空間から別の書物を取り出すと、マイペースにまたページをめくりはじめる。
「せっかくお茶を出してやったのに、文句とはいいご身分ですね」
「文句っていうか人として当然の意見を」
「大体、何であなたここに入り浸っているんです。勇者様のお仲間でしょう。こんな所で油を売っていていいんですか?」
勇者の相方である魔法使いは平気平気と笑ってみせた。
「休憩も必要だし。イルも今頃ノースフールで雪と戯れてるさー」
「……ノースフール?」
読書をやめ、腰を上げる魔女。テーブルを横切って青年の隣を通り抜け、開けっぱなしの戸口から外へ出た。振り返って家の外壁を調べる。
「――あ」
声を上げたのは魔法使いの方である。口元をおさえて視線をそらす。
「移動符」
彼女の家の壁には1枚のお札が貼りつけてあった。みるみる魔女が不機嫌そうになる。
「なに勝手に移動符貼ってんですか! 許可してませんよ!」
「いーじゃないか! クロさんの魔法と違って、それが移動先にないと飛べないんだからさ! ノースフールから歩いてこいってのか?」
「そもそも来なくていいです!」
慌てて止めにきた青年を振り払い、魔女は札を剥がした。さらに容赦なく真っ二つに破いて捨てる。
「あー! これ高いのに! 白菜とか大根なんて足元にも及ばないほど高いのに!」
「あなた白菜と大根を馬鹿にしてるんですか?」
「ちょ、何でそこまで白菜と大根にこだわりがあるの――」
その時、ぱっと森の鳥たちが飛び立った。木々の隙間で何かがきらめく。
はっとして魔女が杖を召喚したのと、高らかな咆哮が響き渡ったのは同時であった。
「――〈鷹の魔女〉、覚悟おおおぉおおぉお!」
それは巨大なつららだった。
いや、つららの範疇に含めてしまっていいものか。軒先に吊れるような大きさでは決してない。とがったその先端が人の体を貫けば、間違いなく胴体が二つに分かれるだろう。それこそ、さきほどクロが破った移動符のように。
「な、なんだぁ!?」
「さがってください」
クロはくるりと杖を回し、すさまじい勢いで滑空してきた氷塊と向き合う。
接触する寸前で、一言。
『ノット』
パン、とつららが粉々に弾け飛んだ。破片さえ誰にも届くことなく、すうっと溶けて消えていく。
「一句で魔法取り消し……こっえぇ」
「あなたの存在も取り消せますよ?」
「鮮やかな手並みでした魔女さま」
そんなやり取りをしていると、目の前に広がる雑草の群れががさりと左右に割れた。
現れたのは少女である。10歳ほどだろう。悔しそうに口を引き結び、幼さには不釣り合いなほど激しい怒りの感情をあらわにしている。
少女を一目見るなり、クロは怪訝そうに眉を顰めた。それに気づいたユーインが問いかけようとするが、怒声によってかき消される。
「〈鷹の魔女〉! 兄さんの仇だ! 覚悟しろっ!」
「仇?」
少女は大振りの杖を両手で握りしめ、ぶつぶつと何事か呟きはじめた。――魔法使い。クロの困惑はさらに深まる。
くるくるの栗毛がふわりと浮きあがり、疲れきったワンピースが風をはらんで膨らむ。随分とお行儀の良い魔法だ、とクロは思った。ひとまず詠唱を完了させるまで待ってやることにする。
少女が長い呪文を言い終えたところで、クロはまた一言だけ発した。
『イント』
少女の周囲で静電気のようなものが弾けると、杖の先端に生まれかけていた氷玉は瞬く間に崩れ落ちた。何が起こったのか理解できていないらしい少女が、真っ青な顔で己の手やら杖やらを確かめている。
「……クロさん、今わざわざ詠唱が終わるまで待ってから魔法を中断させたろ」
「あまりにも一生懸命唱えているものですから」
続けて杖を振るクロ。近くの草花が蛇のように少女の体に巻きついていく。少女の小さな手から杖がこぼれた。
それでも果敢に抵抗しようとする彼女を、クロは静かな言葉で制する。
「あなたの魔法では私は倒せませんよ。あなた方と違って、魔女の魔法は契約ではなく使役です。契約に縛られた力では届かない」
「は、放せーっ! この極悪魔女!」
「まあ、善良だとは思っていませんが……」
「兄さんの仇って言ってたけど、どういう事だ? 君のお兄さんがどうかしたのか?」
横からユーインが尋ねると、少女は強気に見返した。
「しらばっくれるな! 〈鷹の目の魔女〉が兄さんに呪いをかけたんだって、知ってるんだから!」
「人違いでは?」
「この期に及んでごまかすなんて往生際の悪い! ちゃんと分かってるんだ! 自分の罪も認められないのか!」
「……………」
クロはほんの少し首をかしげ、何かを思いついたように一度瞬きする。
「――すみませんが、数が多すぎていちいち覚えていないんですよ」
驚いたのはユーインである。だがやはり、彼が問いただすよりも少女が噛みつく方が早かった。
「お、覚えてないだって! 兄さんをあんな風にしたくせに――」
「名も告げずに仇だと喚かれてもね……」
「アウリス・ハクルースの名、忘れたなんて言わせない!」
クロは心の中でその名前を反芻した。が、閃くものはない。
「誰がそんなことを?」
「近所のおじいちゃんっ!」
「……………」
まさかの情報源であった。
頭痛をこらえるように額を押さえたクロは、一度目を閉じ、そして開いた。ぴくっともう片方の腕が動いたのを見逃さなかったユーインが、血相を変えて彼女に飛びつく。
「――ク、クロさんストップ! 落ち着いて! 相手はまだ子供だ!」
「近所のおじいちゃんの言を無邪気に信じて人を殺そうとする子供は、一度母親の胎内からやり直した方がいいと思いませんか?」
「笑顔が怖ぇよ! 俺そんなクロさんの笑顔見たくねえよ!」
うっとうしそうに彼を振りほどき、クロは嘆息してフードをかぶりなおした。少女の方へ無造作に近づいていく。
小さな体を拘束している植物は徐々にゆるみはじめているものの、それでも自由に動けるほどではなかった。逃げ出そうともがくも功を奏していない。
「に、兄さんを元に戻せっ! あんたのせいでねえ、あんたのせいで……!」
大きな瞳に涙さえ浮かべ、彼女は大声で叫んだ。
「兄さんは、ニートになっちゃったんだ!」
「……………」
ぴょぴょぴょぴょ、と何かの鳥が鳴いて飛んでいった。雲ひとつない青空はどこかひんやりとした色を帯び、すり抜けていく風はひどくよそよそしい。
「これまで色々な天変地異や飢饉の原因だと言われてはきましたが……」
この上なく乾いた表情で魔女は呟いた。
「面識もない個人が無職である責任を問われたのは初めてです」
「お嬢ちゃん、それはたぶん不況か本人の問題だ」
「ち、違うーっ!」
じたばたと暴れる少女。全身を使って抗議している。しかしその結果、蜘蛛の糸のごとくさらに植物が絡むこととなった。
「あんたの呪いのせいだ! 憐れむような目で見るなーっ! スプーおじいちゃんが言ってたんだ! あんたが魂を奪ったから、兄さんは空っぽになっちゃって何もかもやる気がなくなったんだって!」
クロはかすかにまぶたを動かした。
「――まあ、突然すべてを放り出したくなることもあるでしょう」
「だから違うってばっ! 兄さんはねえ――」
「イリナ・ハクルース」
魔女に名を呼ばれ、少女はぎくりと身を強張らせた。
光を無限に反射するかのような黒水晶の瞳が、怯えた少女の姿をとらえる。
クロはゆっくりとした動作で彼女の髪に手を差し入れ、梳いた。葉や小枝が絡み、ひどい有様となっている。少女の足でここまでの山登りは相当苦労したのだろう。
「この加護は、どこで?」
「か、加護って、なに……」
ふむ、とうなずいたあと、クロは唇だけで微笑んだ。
「随分と冗談が好きなおじいちゃんのようですね。――今日はお帰りなさい。鷹の爪があなたを貫く前に」
手が離れる。ばちんと植物の鎖がちぎれた。
尻もちをついた少女は探るようにクロを見上げ、動きがないと分かるとじりじり後ずさりを始める。
やがて思いきって背を向け、一気に走り去っていった。
「なんだったんだ……」
突然の嵐に見舞われたような心地である。ユーインはぽかんと戸口で立ち尽くしていた。
一方クロは過ぎ去った台風にはもう知らん顔で、さっさと室内へ戻り戸棚や引き出しを漁っている。白いテーブルクロス、底の浅い皿、水差し、小瓶……手慣れた様子で取り出したものをテーブルに並べだした。
「クロさん、あの子のこと知ってたの? 呪いって一体……」
「存じません。初対面です」
皿に水を注ぎながら、クロはあっさりとかぶりを振る。
「へ? だって名前……」
「私は〈鷹の魔女〉ですよ。名前くらいは見れば読み取れます」
皿の水がさざなみをおさめるのを待ってから、小瓶のふたを開けた。
「……前、見ただけじゃ分からないって言ってなかった?」
「すべて分かるわけではないとは言いましたね」
「どこまで分かるんだ……」
「さて」
小瓶の中身は細かな砂である。クロはそれをさらさらと皿の中へ流し込んだ。どうやら占いの準備をしているらしい。
「少なくとも、彼女が何も知らないということは分かります。スプーおじいちゃんとやらを捕まえた方が早いでしょうね」
「ただのボケたじーさんかも知れないぜ?」
「ありえません」
鷹は断言した。
皿の水がぼんやりと光を放ち、底に沈んだ砂がさわさわと動き出す。文字を描きはじめているようだ。
「偽名です。スプー、遊び人という意味です。まともなおじいちゃんではありませんよ」
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