鷹と魔女殺しの英雄3
突然矛先を向けられ、占い師の少年は瞠目した。
だが、すぐ挑むようにクロを見返すと、ふてぶてしい笑みを刻む。
「さすがは〈鷹の目〉ですね。でも、約定を無視して陛下の病をほうっておいているのは事実でしょ?」
「個人の守護までは契約外です。大体、たかが風邪になぜわざわざ私が動かなくてはならないんです」
露骨に少年はうろたえた。
イレミアスが怪訝そうな顔をする。
「風邪……?」
「高齢なので長引いているのでしょう。医師もそう診断しませんでした?」
「それは、周りを心配させまいと」
「……そう、あなたのご友人がおっしゃった?」
その言葉の意味するところを察し、イレミアスは逆上して剣を振り払った。
「――私の友を、愚弄するか、魔女!」
クロが1歩踏み出し、ふわりと髪をなびかせる。その手に杖を呼びだした。
使い魔の仔犬がそばを離れ、ユーインの隣に座る。
「では、少し遊びましょうか、王子殿下」
「侮るか! 私は――」
「勇者だというのでしょう? けれど魔女を殺すつもりなら、せめてあと二人は連れてくるべきでしたね。第一王子自らが率いてきたわりには、量も質も足りない。あなたの私兵でしょう」
薄青の目に動揺が走る。強く絡んだ魔女の視線が、逃さないとばかりに彼のそれを捕らえた。
「王のための魔女討伐。大義名分としては充分ですね。それなのに連れて来たのは私兵のみとは――」
〈鷹の目〉がイレミアスを追い詰める。
「独断と私情で動くなど、あまり感心しませんよ、王子様」
「……っ何を、知った風な口を……!」
だんだんと少年らしい表情や感情があらわになってくるのを、魔女は心底楽しんでいるようだった。ユーインは顔が引きつるのを止められず、手で覆っておさえる。
呑気なのは使い魔の仔犬だけで、無邪気にユーインを見上げながら尾をぱたぱたと振っていた。
「ウメ、おまえのご主人はひどいSだぞ」
おまえはそのままでいような、と続けたユーインは、仔犬を抱き上げて後ずさる。
直後、クロが最大の挑発を放った。
「箱入りの勇者様など相手にならない。……お父様の箱から出たあとでまたいらっしゃい、獅子の坊や」
「――貴様ぁっ!」
剣と杖が同時に振りおろされる。
すさまじい爆発が巻き起こった。
街道を外れた森の中。道ならぬ道に分け入っていくと、やがて草木が枯れ果てた獣道に出る。色のない植物は徐々に増えはじめ、ついにはぽっかりと開けた茶色い荒れ地になった。
草木一本生えぬ呪われた地。
中心に小さな石碑が建っている。
そして石碑の前には、一振りの剣。
彼は注意深く近づき、剣に手を掛けた。ぐっと力を込めて一気に引き抜く。
急にかかった重みを細腕では支えきれず、わずかによろめいた。どうにか体勢を立て直して、剣を眺める。
汚れ、錆びの浮いたその姿。妙な凄みを感じて唾を飲みこむ。
その瞬間、鋭い声が彼の耳を打った。
「――そこで何を?」
弾かれたように振り返る。
そこにいたのは、魔女に付き従っていた金髪の魔法使いだった。胸に使い魔の仔犬を抱いている。
「あんな戦いに巻き込まれたら大変ですから。避難ですよ」
ラッズは笑顔を作り、慎重に答えた。
金髪の青年も微笑みを返す。
だが、その口から出てきたのは物騒なセリフだった。
「イレミアス王子を囮にしておいて、自分は横から鷹を刺し殺すつもりだった?」
「……まさか。僕は占い師ですよ」
「それの使用者も元々は魔法使いだろ。かの有名な〈魔女殺し〉。その力が宿るという聖なる剣でなら、占い師だろうが子供だろうが魔女を殺せる――」
青年の人当たりのいい笑みが、すうっと消えた。
「そんな都合のいい話があれば、あんたには幸運だったんだろうけどな。言っとくけどそれ、ただの安物だよ」
「何を……」
「そのへんの武器屋に売ってる量産品。ちょっと剣を見慣れたやつが見ればすぐに分かる。適当な扱いのままほったらかしにされたせいで随分状態も悪いし。武器としてはとっくにご臨終」
言葉そのものは茶化すように軽いが、声音は暗く、低い。
息が詰まる感覚を受けて、ようやくラッズは気づいた。目の前の青年が怒気をまとっていることに。
「……あなたは魔女の依頼人ではありませんね。魔女の呪に囚われた人形か」
彼は答えなかった。じたばたと暴れて降りたがる仔犬を宥めつつ、あいた方の手に杖を呼びだす。続く動作で少し片足を引き、半身に構えた。
杖術であると理解する程度には知識があり、ラッズは警戒して距離を取る。
魔法使いの眼光が鋭くなった。
「目的は〈鷹の目〉か」
「……それは、〈鷹の目の魔女〉が教えたんですか」
「知らないね」
きっぱりと切り捨てられる。
ふいに街道の方から爆音がとどろき、空気を震わせた。まだ魔女とイレミアスの攻防は続いているらしい。ラッズは焦燥感にかられる。
「適当な言いがかりをつけて彼女を殺す気だった? それとも目をえぐり取るつもりだった? ――魔女を殺せる神聖な力とやらを期待してここに来たんなら、残念だったな。〈魔女殺し〉は特殊な異能力じゃない。ましてや祝福された神力でもない。純粋な技術なんだよ。やり方を知らないやつにはできない」
「……なぜ、あなたがそんなことを。……まさか……」
錆びついた剣が手から滑る。
やけに安っぽく、軽々しく、鉄は地面を跳ねた。
「なんで、魔女の
「……おや」
その光景を見るなり、クロは面白そうに片眉を上げた。
「足止めだけでいいですよと言ったのに」
「俺だって腹に据えかねることくらいあるんです」
石に腰掛け、ぶすっとしながらユーインが応じる。その足元では、対照的に上機嫌な仔犬が妙な昆虫と格闘していた。
彼らの前に転がるのは占い師の少年である。縄でぐるぐる巻きの上、封輪までつけられている。
少年はクロが接近すると、ぎくりと身じろぎをした。
「……イレミアスは」
「五体満足で生きていますよ。全員ね」
少年はいくらか肩の力を抜いた。
すぐに表情を引き締め、クロを見据える。
「わざとイレミアスを挑発しましたね」
「あなたが動きやすいだろうと思いまして」
クロは地面に放置された剣に視線を走らせ、くすりと微笑んだ。
「〈魔女殺し〉の聖なる剣は、あなたの手には余りましたか」
「……………」
少年は悔しげに唇を噛む。
横でユーインが半笑いをした。
「まさか〈魔女殺し〉を取りこんでいるとは思いませんでした。人の身、しかも本来なら絶対に敵うはずのない魔法使いでありながら、魔女を殺せる英雄。剣も魔法も扱う万能者を」
「俺じゃねえよ」
間髪いれずに否定が飛ぶ。
「勝手に勘違いしたから正さなかったけど。〈魔女殺し〉は俺の師匠。俺は剣なんて使えないし、杖術も護身程度だよ」
少年は絶句した。騙されたと悟って目尻をつり上げる。
「勘違いしたならそのままにしておけばいいものを」
「今のはクロさんに言ったの。俺は〈魔女殺し〉じゃない」
「知っていますよ。最初からね」
含みのある視線。
少年ははっと息を呑んだ。
「まさか、僕のことも、最初から……」
「――ええ」
黒髪をゆっくりと耳の後ろにかけながら、クロは少年の瞳を覗きこむ。
「私の家にやってきた時、あなたは兵士達の後ろでこちらを窺っていましたね」
「……………」
「駄目ですよ、あんな物欲しそうな顔をしては。多少の肉壁など、〈鷹の目〉は越えてしまうから」
「……甘く見ていましたよ」
かすれた声で吐き捨てる。それでも彼の視線は縫い止められたように〈鷹の目〉へ注がれたまま、より一層その熱を強めた。
憎しみにも恋情にも似た眼差し。
ユーインが面白くなさそうに眉をひそめる。
「すべてを見通す神の目。遥か彼方の国の状況も、一個人の思惑も、過去に起こったあらゆる事象も、まだ訪れない未来も、すべてがその目には映っているんでしょうね。口惜しいな。ずっと手に入れたくて、イレミアスまで使ったのに」
「そんなに欲しければあげますよ」
あっさりと告げられた言葉に、少年は目を見開き、ユーインはぎょっとして腰を浮かせた。
どうしたの、とばかりに仔犬が動きを止める。
「クロさん!」
「――ただし」
魔女の細い指先が己のまぶたをなぞって、花びらのように少年に触れた。
「……耐えられればね」
指が離れる。
呆然と目を剥いた少年を残し、クロはそのまま踵を返した。主人の後を追って仔犬が駆けていく。
「ク、クロさん! いいの?」
「もう来ないと思いますよ。ほうっておけばいい」
「そうじゃなくて、〈鷹の目〉――」
「どうせすぐに拒絶します」
その時、背後ですさまじい絶叫が響いた。
鳥達が木々を揺らしはばたいていく。
容量を超えた風船がはちきれたかのごとき叫びは、盛大に弾け、そして長々と尾を引いてしぼんでいった。
一転して背筋の寒くなる静寂が満ちていく。
クロはぱちりと瞬きをした。
「――ほらね。返ってきた」
「……何事?」
魔女は喉の奥で笑う。
「〈鷹の目〉は、人間が扱える代物ではないんですよ」
「……………」
すべてを見透かすような黒の瞳。ユーインの姿が映されたのはほんの一瞬だった。
冷淡でそっけない、それは魔女の目つきだ。ついさっきまで若い王子をなぶり、占い師の少年の執着を受け止めていた硬い黒水晶。
しかしユーインが手を伸ばすと、とたんにきょとんとした幼い表情を見せた。
ユーインはこめかみに手を添え、親指の腹でやわらかくそのまぶたを撫でる。
「……なんです?」
「いや……なんとなく」
「あなたもこれをお求めですか?」
冷やかしの言葉にかぶりを振って、ユーインは手を離した。
「クロさんの熱い視線なら欲しいけどね」
「熱湯でも浴びたらいかがです?」
「クロさんが浴びせてくれるなら熱湯でも罵声でもいい」
「……変態ですか」
並んで歩きながら溜め息をつく。
そっと――
クロはローブの下に手を忍ばせた。
指にはさんだ1枚のタロットカードに目を落とし、再び中へ押しこむ。
彫像を思わせる横顔が、刹那だけ困ったように揺れた。
「鷹と魔女殺しの英雄」了
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