鷹と魔女殺しの英雄2
がらがらと砂利を噛む音が絶え間なく続いている。
這いあがってくる振動は大きく、気持ち悪いほど体を揺さぶった。時おり跳ねるように浮き上がるので、そのたびに腰を打ちつけ、顔をしかめることになる。敷物でもあればまだ楽なのだろうが、残念なことに茶色い床は剥き出しだ。
乗り心地は最悪と言えた。
「お人好しも、ここまでくるとただの変人ですね」
冷たい金属の格子に背を預けながら、クロがそう呟いた。
幌に覆われ、嫌がらせのごとく日光を遮った馬車の中はひどく暗い。声音だけで判断するなら、魔女は呆れ果てているようだった。
「そんな言い方しなくてもいいじゃないか」
ユーインは拗ねたように言い返し、足を組み直す。少し体重を後ろにかければ、ひやりとした硬い感触がした。
それは檻だ。猛獣でも閉じ込めるような。大きな扉には頑丈な南京錠まで掛けられている。
さすがに鎖で繋がれてはいないが、罪人やモンスターでもあるまいし、いくらなんでもあんまりだとユーインは思う。
「クロさん一人を連れていかせるわけにはいかないだろ。魔法封じまでされてんのに」
「それで魔女と仲良く
「いいよ、別に。無資格もわりといる」
ぐしゃりと自らの金髪を乱すと、彼は溜め息をついた。
「……心配なんだよ」
クロが鼻を鳴らす。
「魔女を心配? 人前で言わない方がいいですよ、正気を疑われる」
「国の人間全部に聞こえる声でだって言えるけど」
「私の鼓膜が死ぬのでやめてください」
がくん、と馬車が大きく揺らいだ。田舎の道は荒い。
「……………」
ユーインはしばらく躊躇したあと、探るようにクロを見つめた。
「あの王子様が言ってた約定って、本当なの?」
「おおむね事実です。あらゆる災いを防ぐなんて言った覚えはありませんけど」
「……クロさんが、そんな面倒な契約をするとは思わなかった」
「暇つぶしです」
魔女はどこまでも淡々としていた。ユーインが目で問いただしても、余裕ある微笑みを崩さない。
――知らないことが多すぎる。
髪を再度掻きむしって、彼は深く息を吐いた。
「でも、その約定が果たされていないって言ってたけど?」
「さてね。3年前、
瞬間、ユーインは身を強張らせた。が、魔女の黒い瞳にからかいしかないことに気づいて安堵する。
「どこまで俺のこと知られてるんだ……」
「あなたのことなら何でも」
「俺もクロさんのことが知りたいんだけどね?」
「女はミステリアスなままの方がお互いのためですよ」
澄まし顔で返され、ユーインは白旗を振った。
その時、ゆっくりと体が押し流され、かたむいていく。馬車が曲がったのだろう。
感覚で現在位置を把握していたユーインは、不審に感じて顔をあげた。
「……変だな。王都に行くならこんなところで曲がらないはずだ」
「どうやら別の意図があるようですね」
くす、と小さな笑いが漏れる。
艶やかな黒瞳が、前を進んでいるもう一つの馬車を映した。
「――殿下。イレミアスってば。君、聞いてます?」
呆れ混じりの呼びかけに、イレミアスははっと姿勢を正した。しかめっ面を作って向かいの少年に意識を戻す。
「なんだ、ラッズ」
「陛下が心配なのは分かるけど、あまり思い詰めない方がいいですよ」
「……………」
「特に今は魔女がいる。魔法を封じて閉じ込めているとはいえ、どんな手でつけこもうとするか分かりません」
「分かってる」
むっとしたように言い捨て、イレミアスは背もたれに深く沈んだ。
窓から外を眺めると、真面目な兵士達が馬にまたがり、周囲を警戒しているのが分かる。周囲をというよりは、後方の馬車――その中にいる魔女を、だろうが。
「だけどラッズ、これで本当に父上の病は治るんだろうな?」
「まさか僕を疑ってるんですか? 幼なじみで専属の占い師である、この僕を?」
「昔からさんざん騙されてきたからな」
恨みがましいセリフに、占い師の少年は肩をすくめて苦笑した。
「毒には毒を。忌まわしき魔女の呪いには同様の魔女を使えばいいんですよ。心配しなくても、陛下のご病気は必ず治ります」
やわらかな笑顔を浮かべながらも、その茶色い目はまったく笑っていなかった。
油断のないそれが、つとイレミアスの背後に移動する。
「でも、あんなにあっさり封輪を受け入れるとは思わなかったな。〈鷹の目〉があるとはいえ、魔女が魔法を使えなければただの人間と変わらないのに。――イレミアス、鍵はちゃんと持っていますよね?」
「言われなくても」
イレミアスは懐に手を差し入れる。
「あの封輪は、この鍵でなければ決して開かない。魔法すら弾く特殊な金属だぞ、外側からも壊すことなど不可能だ」
「……………」
魔女の余裕の笑みが思い出される。不可能――そう断言したイレミアスでさえ、すべての不安は拭えなかった。
その懸念を増大させるように、馬がいなないたのは次の瞬間である。
馬車が大きく揺れ、止まる。
緊張した面持ちでラッズが窓から頭を出した。
「どうしました?」
「申し訳ありません! 今、獣が横切りまして」
「獣……」
――ほっとしたのも束の間。
兵士たちの間にざわめきが広がっていく。動揺と恐怖だ。
焦った報告が二人に届けられた。
「で、殿下、ラッズ様! ま、魔女が……!」
二人は顔を見合わせ、すぐさま外に飛び出した。
クロは悠々と大地に降り立つ。
彼女はぐるりと辺りを見回しつつ、混乱しながらも主を守るように整列した兵士達を流し見た。
森を貫いて作られた街道に、3台の馬車が停車している。先頭はイレミアスの乗る小奇麗なもの。2台目はおそらく荷物用だろう。最後尾がクロとユーインを運んでいた牢であるようだった。
「……恐れ入るよ……」
隣で小さく呟いたユーインに笑みを返してから、クロはフードを背へ払った。降りてきたイレミアスともう一人の少年を確認し、ゆっくりと近づいていく。
「……クロさん、大丈夫なの? イレミアス王子って確か勇者だよ。魔女の天敵だろ」
「魔法の7、8割は消されるでしょうね」
「なら――」
「百のうち二十しか届かないなら、千を撃てばいいだけのこと」
「それただの力押しだよね」
「魔女ですから」
彼女はとことん冷めていた。
しかし相対するイレミアスの眼差しは鋭く、熱い。
「……貴様、どうやって檻を」
立ち並んだいくつもの目に宿る、恐れの色。それを充分に理解した上で、クロは薄く笑いながら髪をかきあげた。
「鍵を掛けただけでは魔女は飼い慣らせませんよ」
「魔法は封じられているはずだ!」
「……ああ」
かちゃりと音が鳴る。
魔女が持ち上げた左手の指先、そこにむなしく揺らめく金属製の輪。
イレミアスの顔色が変わった。
「――馬鹿な!」
閉じていなければならない両端はだらしなく開き、何の拘束力もなく魔女の指にぶらさがっていた。
「イレミアス、鍵はどうしました!」
「そんなはずはない、ここに……!」
イレミアスは愕然として懐を探る。――鍵が取り出されたのとほぼ同時に。
彼の目の前を小柄な影がよぎった。
手のひらにあった重みが消えたことに気づいても、すでにそれは傍に着地した獣の口にある。
「な……」
「いらっしゃい、ウメ」
凍りつく一同を尻目に、茶色い仔犬が魔女のもとへと駆け寄っていく。
鍵を受け取ったクロは、主人らしい尊大な微笑を浮かべつつ、ちぎれんばかりに尾を振る己の使い魔を撫でた。
触れる寸前、覚悟を決めるように深呼吸していたが、気づいたのはユーインだけであったろう。
クロはローブの下から右腕を出し、手首に
「なんだと……?」
地に転がったものと、魔女の左手にあるもの。困惑する視線が二つを見比べる。
「目はいいのでね」
細い指からもう一つの封輪が滑り落ちる。かちゃん、と思いのほか軽い音がして、あっけなく砕け散った。
「見せかけだけはそっくりの偽物を作るくらい、簡単なんですよ」
魔法が剥がれていく。
金属製の腕輪だったそれは、ただの磁器へと姿を戻した。ティーバッグを探すふりをして、変化させた湯飲みをこっそりしまい込んでいたのだろう。
鍵がクロからユーインへと手渡される。ついでとばかりに魔女が手の中からこぼしたヘアピンが、役目を終えて足元に落下した。
「一体いくつ隠し芸持ってんだか……」
まがりくねったヘアピン。彼女は計り知れない。ユーインは嘆息して自分の封輪を外した。
「約定を本気で破る気か!」
激昂したイレミアスが剣を抜き放つ。兵士達もそれにならった。
クロはゆったりと視線で彼らをなぞり、顎をそらして嘲笑する。
「王都へ行かぬまま、どのように約定を果たせと仰せです?」
「……っ」
「そういえばこの辺りですね。くだんの魔女が退治されたのは」
「……………」
「ご存じない? ――〈魔女殺し〉が使用した神聖な剣が石碑に突き立っていますよ。その下には、魔女の骨もね」
イレミアスは唇を噛み、目をそむけた。
「一度ご覧になってはいかがです? 嫌味なくらい完璧に清められています。魔力などかけらも残ってはいない。呪いの源にはなりません」
「何を……その魔女の呪いだということは分かっているんだ」
「だから、同等の魔女を捧げて相殺せよとでも言いました? あなたの隣にいるご友人が?」
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