第9章

鷹と魔女殺しの英雄1

「――よくない結果?」

 向かいに座る青年にそう尋ねられ、魔女はぴたりと手を止めた。

 めくったばかりのタロットカードを山に戻すと、手早く混ぜ、再び並べはじめる。

「さて」

 変わらぬ淡白な声で答えてから、魔女は慣れた手つきで次々とカードを置いていった。入れ替え、重ね、動かす。いくつかを表に返しては、さらにカードを積む。終わったかと思えば手順を変えてやり直す。

 金髪の青年はテーブルに頬杖をつき、何をするでもなくじっとその作業を眺めていた。

「楽しいですか?」

「ん?」

「占いなど見ていて」

 視線すら上げぬまま魔女が問えば、彼はにこりと表情をゆるめて返す。

「占いは分かんねえけど、クロさんを見ているのは好きだよ」

「……物好きなことですね」

「意中の人を振り向かせるにはどうすればいいか、一度占ってもらいたいな」

「『諦めた方が無難』」

「まだ占ってもいないのに!?」

 ぱたりと最後のカードがめくられる。絵柄はやたらと荒く、禍々しい。青年には動物なのか植物なのかさえ判別できなかった。

「『獅子の訪れ』」

 魔女の指先がカードを叩いた。

「あまり歓迎できない結果ではあるようですね」

「獅子って?」

「さて。文字通りの獣か、二つ名か。あるいは象徴か――」

 魔女は遠くを見る。艶やかな唇がかすかに笑みをたたえた。

「幼い獅子で、果たして鷹を捕らえられるかどうか」

 しばらくの間、魔法使いの青年はその言葉の意味を知ることができなかった。

 魔女がタロットカードを片付ける。話はそのまま流れた。

 ――ほどなくして、さわさわと森が鳴りはじめる。

 少しずつ増えていく音。大きくなる気配。いつもは緩慢に過ぎる時が、にわかに慌ただしく走りだした。

 首だけで後ろを振り向いた魔法使いは、やがて姿を現した『獅子』にぎょっとして立ち上がる。

 角の生えた獅子の旗が風を受けてはためいていた。



 輝く銀鎧の兵士がずらりと並んだ。とはいえせいぜい十数人だろうが、わずかに森が開けただけの敷地では、どれだけ整然としていてもひどく窮屈そうに感じられる。

 誰も彼も無表情に口を引き結んでおり、それぞれ顔立ちも体格も違うというのに個性がなかった。にじむ雰囲気と感情が似通っているのだ。

「真夏にわざわざご苦労なことですね」

 照りかえす日差しはじっとりとしていて熱い。鎧を着込んだ兵士たちはさぞ暑かろう。だが、旗を胸に抱く若い兵士も含め、全員がじっと表情を引き締めたまま微動だにしなかった。

 唯一、彼らの中央に立つ少年のみが鎧を着ておらず、相対的には涼しげな印象だが、仕立ての良い衣服を胸元から足首まで一切着崩すことなく身につけているため、これはこれで暑苦しい。

「……ていうか」

 中央の少年を見つめながら、ユーインが戸惑ったようにこぼした。

「なんで、王家の人間がこんなとこ来るの」

 一本角の獅子の旗。それと同じ紋章が、少年の胸元にさがっていた。

「――出てこられよ、〈鷹の目の魔女〉」

 張りのある声が命じた。幼さのない厳しい声音は、命令しなれた者の自信と威厳に満ちている。

「はいはい」

 しかし魔女は至極面倒そうに返事をした。ユーインのそばをすり抜けざま、片手を上げて彼を制する。

「あなたは出てこないでください」

「クロさ――」

「私に何の御用でしょうか」

 こうべも垂れずのんびりと尋ねたクロに、少年は不愉快そうな色を見せた。が、特に咎めるでもなく、事務的なおさえた声音で告げる。

「私はイレミアス・ハルド・ラグミア。〈鷹の目の魔女〉討伐に来た」

「……は!?」

 驚愕したのはユーインだけで、クロは少し目を細めるにとどめた。

 少年――イレミアスは二人の反応など気にも留めず、悠然と腰の剣に手を掛ける。

「〈鷹の目の魔女〉よ、おとなしく命に従え」

 すらりと抜かれた白銀の剣。切っ先がまっすぐにクロを差す。

 慌ててユーインが割り込んだ。

「ちょ、ちょっと待った――待ってください。討伐って、どういうことです。〈鷹の目の魔女〉は特に悪事なんかしてないはずだ」

「なんだ貴様は? 魔女の下僕か?」

「俺は」

「依頼人です」

 クロはさらりとユーインのセリフを遮った。不満そうな彼を一瞥して黙らせてから、イレミアスに向き直る。

「王子殿下、理由を聞いても?」

「約定の放棄。それ以外にあるか? 〈鷹の目の魔女〉」

「あなたは、その約定の内容をご存じなのですか?」

「王家に連なる者ならば誰でも知っている!」

 苛立った様子で彼は言った。

「誰の手出しも受けずこの山で暮らす代わりに、国に降りかかるあらゆる災いを防ぐこと。それが貴様の義務のはずだ、魔女」

 ユーインが物言いたげな視線をクロに投げる。

 とりあえずは無視することにして、クロは話を続けた。

「あなたの言う災いとは何のことでしょう」

「知らぬとでも言うのか。すべてを見通す〈鷹の目〉の持ち主が」

「日によっては著しく減退することもありますので」

 平然と微笑みを浮かべるクロ。

 イレミアスは開きかけた口を無理やり閉じ、怒りをこらえた。薄青の瞳が忌々しげにクロを睨む。

「……今、ラグミアは国の未来に関わる重大な災いを受けている」

「そんなもの、私の知ったことではありませんよ」

「陛下のご容体を、そんなものだと?」

「容体?」

 思わずユーインが問い返すと、イレミアスはぐっと息を詰まらせて黙りこんだ。

「病に臥せってらっしゃるようですね。公にはされていませんが」

「ただの病ではない! これは魔女の呪いだ。3年前に退治されたはずの、忌々しき魔女の!」

 ぴくりとユーインの気配が動揺した。クロはそれを横目で確認したが、触れることなく視線を戻す。

「しょせんは貴様も魔女。約定など簡単に破るのだろう。……本来ならば、この場で私が手をくだしてやるところだが――」

 イレミアスは深く息を吸い込み、諸々のものを押し込むように呑みくだした。

 ゆっくりと、刃が鞘におさめられる。

「今から約定を果たすというのであれば、今回のことは不問にしよう」

「寛容なお申し出ですね」

 魔女の口の端が持ち上がる。瞬間、ぎらりとイレミアスの目が怒りに燃えたが、柄の上で拳を握っただけで、斬りかかりはしなかった。

 彼が片手を上げて合図すると、兵士の一人が重厚そうな箱を持って前へ進み出る。中にあったのは二つの輪だった。無骨な形状は手錠に近い。内側には細かな呪文が刻まれているようだった。

「おとなしくついてくるのであれば、魔法封じの封輪ふうわをつけさせてもらう。王家に伝わる由緒正しき品だ。唯一の鍵でなければ決して開かぬ」

「……ふーん」

 まじまじとそれを観察してから、クロはあっさりと承諾した。

「まあ、別にいいですよ」

「クロさん」

 たしなめるようなユーインの呼びかけも、彼女は黙殺する。

「でも、一つだけ持っていきたいものがあるのですが、構いませんか?」

「妙な真似はするな。武器や魔法具のたぐいは許可できない」

「ただのティーバッグです」

 無防備に背を向けると、クロは家に戻った。食器棚に向かい、ぱたぱたと開け閉めして漁りはじめる。

 ややあって、小さな包みを持って出てきた。

「好きなので。お茶」

「……………」

 何の含みもないと主張するように、イレミアスの前でそれを掲げてみせる。

 害がないと判断したのか、彼は吐息を漏らすと封輪を手に取った。

「好きにするがいい」

 差しだした細い右手首に、がしゃりと重い輪がかかる。

 クロは一瞬だけ、並ぶ兵士達を――その向こう側を、見た。

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